三十一話 森からの使者
寝台に再び寝かされてほっとしたのも束の間、ダイスは出て行く様子を見せなかった。まだ何かあるのかと軽く恐々としながら、カイトはダイスに呼びかけた。
「ああ……すまない。本当は私情を垂れ流しに来たわけではなかったのだが、自分でも少し……いや、いい」
何かを言いかけた様子だったが、ダイスは口をつぐんで話題を変えた。
「報告に来たつもりだったんだ」
「報告? ああ、定時報告か」
ダイスは一つ頷く。その間に、表情は元の怜悧な鉄面皮に変わっていた。これが仕事用の顔なのだろう。引き締められた表情を前に、寝ているわけにもいかないとカイトは上体を起こした。
「やはり商隊が森の中へと入っている。もはや隠し立てをするつもりもないらしい。大森林南西に位置する村に各地で行商するという名目で立ち寄り、そこから森へと入ったのを、そこに滞在していた兵が目撃している」
「追えなかったのか? いや、地の利は向こうにあるのか……」
「面目次第も無い話だが、前の大戦でも主戦場が大森林になることは稀だった。軍は森に習熟していない。森に逃げ込んだ人族どもを狩り出したのは巡視隊の者たちだったからな。しかし……まともに残った巡視隊は現在、大森林内の道を探っている」
人手、というより人材不足だった。元より妖精族の出方を窺うつもりなので、商隊を捕まえたところでうかつに尋問もできないだろうが、それでも多少なりとも情報を得なければ相手の動きにも合わせられない。
「……森の妖精族に動きはあるか?」
「斥候を出して、こちらを見ていることだけは確かだ。このまま膠着状態が続くのは、良い兆候では無いな……」
「まだここに来たばかりだ。焦ってもしょうがない。動かないということもたぶん無いだろうし」
「動かない、ことが無い?」
カイトの何気なく放った一言に、ダイスが反応する。カイトとしては、こちらに来てから考えていたことを言っただけだったのだが、それがダイスには少し意外だったらしい。
「何かおかしなこと言ったか?」
「いや……妖精族の性格上、ただ黙って、大人しく待つということはあまり無いだろうとは思っていたが。そこまで自信があるように言うとは、何か根拠でもあるのか?」
「根拠、っていうか……相手は自分たちの動きや目的がバレてる、っていうのを前提に動いてるだろ? それで相手が取れる行動は三つ。逃げる、戦う、籠もる。戦うのは論外だ。絶対に勝てない……だろう?」
ダイスは深く頷く。魔皇と大将軍の麾下。それは、帝国どころか魔族の国全ての中でも最も精強な軍隊だ。双の旗も上げさせてる以上、妖精族たちがそれを知らないはずは無い。
「同じ理由で逃げるのも駄目だ。森の動きをこっちは張ってるんだから、森から誰かが出てくれば、何人かは取り逃しても全て見逃すことは無い。そもそも、みんながそこから逃げたらそこに籠もった意味がない」
「ならば、残るは籠城……」
「それもあり得ない。物資はこっちが圧倒的に上だし、出入りする行商人を締めれば干上がる。かなりの時間はかかるかもしれないけれど、飢えて死ぬのなんて一番嫌だろう」
三つの取れる行動があるなどと言っておきながら、実際はどれも外れだ。別にダイスを出し抜きたかったわけではない。ハガネらしく、少しは格好を付けた言い回しをしようとした結果だった。
「つまり……第四の選択だ。もっともこれはお……我の、願望も入り交じっているかもしれないが」
「願望?」
「独立宣言とか、最低でも自治領としての認可を、我々に求める」
ダイスはすぐには反論も肯定もしなかった。その考えはあったのだろう。小さく顎を引いてうつむく顔には、あまり思案の色は無い。唇がやはり、と音も無く動くのをカイトは見た。
「……連れて行かれた、あるいは出て行った妖精族が何を考えてるかなんて分からない。ただ、状況からして暴力による圧政だとか、人権侵害だとか、そういうのは二度とごめんだと言いたいはずだ。だとすれば、戦争はどうにかして回避しようとすると思う」
「その可能性が一番高いだろう。しかし……姉上。認めるのか?」
カイトは口を閉ざした。無言にならざるを得なかった。ハガネは、妖精族への処遇について様々な思案を巡らせていた。しかしその結論を、一度としてカイトに漏らしたことは無かったのだ。
その後、妖精族の話を打ち切り二、三ほど周辺の村落の状況を語ると、ダイスは幕舎から退出した。カイトは深い溜め息を吐いて寝台にまた倒れた。幸いなことに、ダイスは姉の中身が入れ替わっていることには気付かなかった様子だった。
(ただ……それもたまたま、って感じがするな……)
他に考えなければならないことが山ほどある、というのが一つ。もう一つは――これはカイトの勘でしかなかったが。
(何か……精神的に、ダイスもキてる感じがする)
それこそまさにストレスが溜まっていて、しかしそんな己の精神状態にかまけてはいられないという風にも見える。微かな疲れは風貌にも出ている気がした。会話の始めこそカイトの方も手一杯で、ダイスの顔や素振りなど気にかける余裕も無かったが。じっくりとその顔を観察してみれば、目の下には薄く隈ができていたし、表情にもどこか陰りがあるように見えた。視線が泳ぐのは、動揺というよりも別のことに考えを囚われているかのようだ。
先日の、コンサートホールで見たダイスと比べれば、やはり疲労の色は隠しきれていない。
(……ハガネに後で、ダイスに休みをやるように言っとかないとな)
しかしそれも、この件が解決しない限りは不可能だ。事はいつか動くだろう。しかし、早ければ早いほど良い。祈るような心地でカイトは目を閉じた。
雨だれが、幕舎の天幕を穿つ音が聞こえている。音は数日前から止むことなく続いている。強弱を付けながらも昼夜を問わず降る雨は、否応なく兵たちの士気を下げる。元より、戦争にはならないだろうという気構えで全員がいる。気が緩んでいるところを、魔皇や大将軍が演習によって追い立て、活を入れているが、その二人の士気も高いとは言い難かった。
ダイスの方に変化はあまり無かったが、ハガネはやはり焦っているようだった。もう何度、森に攻めかけよといいそうになるのを堪え、あるいはカイトが止めたことか分からない。
堪えに堪え、忍耐がようやく実を結んだのは、幕営を張ってからおよそ二週間近くが経ってからだった。
その間、グレービニ周辺は雨期を迎えていた。南から吹き上げる温かな海風は、北の山々から吹き下ろす冷風とぶつかって雨をもたらす。グレービニ以南は特によく降る。そのために大森林と田畑ができあがった。全ては雨の恵みだった。
(――しかし、果たしてこれは、恵みか、それとも罰か?)
ハガネは一人思う。その思考には常にカイトが寄り添っている。二人が同じ目を通して見る先には、背中に白い蝶に似た羽根を持つ妖精族の男が、跪いて頭を垂れていた。
男はある書状を携えていた。それを差して、親書と言い表した。親書とは、王や貴族のような身分のある者がしたためた書を呼び表すものだ。親書を魔皇に奉ると言った意味など一つしかなく、渡された書面をその場で開けば、ハガネの目には予想していた通りの文言が連なっていた。
回りくどい文章だった。魔皇を過度に賞賛し、同時に皮肉ってこき下ろす。まるで戯曲のようなもったいぶった大げさな言い回し。目が滑るような文章をどうにか読み下し、言いたいことを察し終えたハガネは、使者を見下ろしながら確認する。
「つまりそなたは……そなたらの主は、独立を宣言したいというわけか」
使者は深く頭を垂れたまま、しかし感情が全く読めない声で、静かに「はい」と返した。
「我らが望むのはただ一つ。ピエール・ド・リュンヌを王として戴く、新ルフェリアン王国の、ガナガルティガン帝国からの独立にございます」
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