二十九話 彼らの消えた先

 妖精族を己の邸宅に監禁したという男は、齢五十年を超すエルフ族の男だった。魔族の中でもエルフ族は比較的長命であり、おおよそ人の二倍は生きる。五十歳、という年は、人間に換算すればまだ二十代中頃ということになる。戦争で両親を亡くし邸宅を含めた資産を相続したという男は、それまでは捜査線上に全く上がっていない存在だった。

 その男、アルテア――実名をフランシス・ゴールドマンというエルフ族の男はかなりの資産家である一方、戦時中は反戦を貫き、戦後も傷病軍人や市民に支援を惜しまなかった、連綿と続くゴールドマンの名に恥じない真っ当な貴族だったという。


(……そんなヤツがなんで誘拐なんか?)

(正確には誘拐、ではなく、監禁だがな)

(ああ、そうだった。そういえば、アルテアはそういう風に主張してたんだっけ)


 そう、アルテアは実行犯では無かった。事情聴取で嘘を吐いている可能性もあるが、現時点ではアルテアが妖精族を誘拐した、という事実は一切無かった。

 ただ、それ以外の事実を供述しなかった、というわけでもない。新たに分かることもあった。


 アルテアは『頼まれて』妖精族を邸宅の一室に置いたのだ。先日のコンサートホールの一見以外にも、帝都内で何件かあった失踪事件にアルテアは加担していた。一時的に身を置いた妖精族は、またどこかへと運ばれていったという。自分の意思がはっきりしない者もいれば、自らの意思で出て行った者もいたというが、ともかくアルテア以外の第三者が犯行の大半を担っていたと言っていい。

 そして、アルテアに妖精族を預けた者というのが、


(仮面の女……か。アルテアと会うときもずーっと仮面だったって、用心深いな)

(もし各地で神剣の力を使い、歌声によって妖精族を誘拐しているというのならそれは大罪だ。罪を犯す側も慎重になるだろう)


 その慎重さのためか、仮面の女について得られた情報はほとんど無かった。ただし、一つ重大なことが発覚した。動機だ。何故妖精族ばかりを狙って誘拐するのか。その動機の一端が、アルテアによって語られたのだ。――しかしカイトには、その動機も少し奇妙なものに思われた。なにしろ、


(仮面の女は妖精族を操って誘拐してるんだろ? そんなヤツが――『妖精族を圧政から護るため』なんてこと言ってても、信憑性が無いよな)


 言ってること自体は間違いでは無いだろうとカイトは思う。長く続いた戦争と、戦後ハガネが取った態度は間違いなく反感を買う物だった。元々放浪癖がある妖精族は家財を溜め込むという概念も希薄だった。他の魔族より体力に劣ることも加わって、生きる環境は過酷だったことは想像に難くない。ハガネが統治を半ば放棄し、実力主義の名の下に搾取が横行する帝都に居づらくなって失踪するのもおかしな話では無い。

 それでも、洗脳という手段を取ったことは、カイトに違和感を与えた。


(やっていいことと悪いことがあるだろ……って、言っても通じない相手ってこと……なのか?)

(……あるいはそこまでしなければならないと、思い詰めてのことか)

(思い詰める……でも洗脳誘拐なんてして何になるんだ? ゴールドマン家の屋敷からまた、どこかに移送されてたってことは……帝都よりも住み心地に良い場所に連れてった、とかそういうことなんだろうけど。家族と引き離してまでやることじゃないだろ?)

(目的のためなら手段を選べなかったのかもしれぬ。そう、目的……目的が見えてこないのだ。『妖精族のため』は動機で、『誘拐する』は手段だ。しかし、その結果何が起こるのかがまるで見えてこぬ。考えられるとすれば――)


 ハガネはそこで思考を打ち切った。遮断された意識にカイトは不満の声を上げる。


(おい、なんだよ……気になるだろ。何か思い付いてるんじゃないのか?)

(いや……あまりにも突飛な発想だったのでな。あのアルテア……ゴールドマンの子息が手を貸したとなると、余程のことが起きているに違いない。あれはただの貴族でも金持ちでも無い。前線で一族郎党戦い続けていたにもかかわらず、常に反戦を訴え続けた気骨溢れる真の貴族だ)

(お前よりまともなヤツだな……っていう皮肉はいまは言わないでおくけど)

(言ってるではないか!)


 ハガネのツッコミを流しつつ、カイトもまた考えてみた。そこまでの人物が共犯になった事件だ。その場の感情で行われた、行き当たりばったりの犯行ではない――ハガネはそう言いたいのだ。しかし、そこから先が分からない。どう考えても今回の件は、悲しむ者が多く出るような、火種を生む事件にしか見えなかった。


(そう、そこが引っかかる。つまり、事件による心身への損害を差し引いても、妖精族に利益が出る芽がある話かもしれないのだ。

 もしも、だ。もし一人や二人……あるいは十人規模でも良い、妖精族を飢えや格差から救おうと思えば、アルテアが持つ資産ならば可能だったはずだ。衣食住を与え、教育を施し、職さえも工面してやれるほどの金があの家にはある。しかしそうはなっていない。それ以上のことをアルテアは夢見たのだ)

(それ以上の、って……十数人とかじゃない規模、もっとデカい規模ってことか? 百人とか、もっと沢山……それこそ、国中の妖精族がいなくなったのと繋がるような……)

(こじつけかもしれぬ。だが、アルテアが直接加担しなかった妖精族の失踪も裏で繋がっているとしたら? それはもはや――しかしやはり、あり得ぬ。そのようなことが起きるとすれば、大量の物資や金、それに……軍事力が必要になるだろう)


 ハガネは再び思考を打ち切る。まるで悪い予感から思考を遠ざけようとしているかのように。しかし、そこまで言葉にされれば、カイトも漠然とだが想像が働くる。もし、国というものに不満を持つだけで無く、失望した人々が一箇所に集まったとしたら、その先にあるのは――。

 と、カイトが考えを言葉に直そうとしたその時、執務室のドアが叩かれた。ハガネが入室を許可すると「失礼します」と聞き馴染みのある声がドアの向こうから聞こえてきた。


「執務時間中に失礼します、魔皇陛下。火急の用件があり、午前に参った次第です」


 仕事中だからか、それとも執務室の外に衛兵が立っているからだろうか、声の主――ダイスは畏まった様子と言葉でハガネに挨拶を述べた。


「火急の用件? 何があった。例の、妖精族の件とは別か?」

「いえ、それに関連することです。……良い報告と悪い報告がありますが、どちらから聞きますか」

「そのような言葉遊びじみたことをお前が言うとはな。冗談でも言わねばならぬほど心労が嵩んでいるのか?」


 もしストレスが溜まることがあるとすればそれはお前が原因なんじゃないか? とカイトは思った。が、ダイスが持ちかけた話は――遠因はハガネにあるとしても――ハガネが意図して心労をかけた類いのものでは無かった。


「失礼しました。少々……取り乱していたようです」

「お前が取り乱すとは余程のことだな。ふむ、まずは良い報告から言え」

「分かりました。ご報告申し上げます。妖精族の捜索に関して、飛躍的な進展が見られました。

 先日の、コンサートホールの件を参考に食料や物資の流れを改めて広い範囲で調べてみたところ、大量に食料が買い込まれている時期がありました。食料が買い込まれた場所や商隊がいた地点は広範囲ですが、全て街道沿いで、ある地点を中心に馬車で一日圏内となる形です」

「ふむ。様々な物資がある地点に集束していると?」

「はい。こから先は悪い報告になります。……といっても、その落ち着きようではどうやら予測されていたことのようで」

「あまり当たって欲しくない予想ではあったがな」


 数秒、ハガネもダイスも押し黙った。先に口を開いたのはハガネだった。


「我が招いた事態よ。力こそ全て。ならば、もし武力が必要になったときは、己の手を穢す。それが責務であろう」

「姉上……」

「とはいえ、そう軽率に振る舞うつもりも無い……と言って、お前や臣下たち、国を離れた妖精族が信ぬかもしれぬがな。まずは子細を聞こう」

「はっ。まず場所ですが、帝都より南西に広がる森林地帯に人や馬車が出入りしている様子が見受けられました。一見すると近くにある村に物を卸す商隊に見えますが、村の倉庫で物資の受け渡しが密かに行われている様子です。そこから森の方に斥候を放ったところ、姿を見失い、また森の中で迷って遭難しかけた者も出ました。曰く、木々は姿を自在に変え、あるはずの道が葉に隠れていた、と……」

「幻影の魔法か。直接魔法をかけたのか、それとも魔法による結界を森に施しているのか……いずれにせよ、森の奥に見られたら困るものがあるのだろう」


 帝都から南西にある森林地帯、グレービニ大森林は北のティガン山脈から流れ来る川の流域にあり、よく霧が出るためそもそもが迷いやすい。そこに幻術も重なれば、歴戦の兵が乗り込んだとしても容易には探索できないだろう。

 もし、そこに失踪した妖精族が集結していたとすれば。

 山脈と同じほどに森は攻めるにかたい。燃やしてしまえばあぶり出すことは可能だろうが、しかし森には川がある。巨大な一本の川から幾重にも支流が分かれて作り出された森だ。消火するのも逃げるのも容易い。そもそもグレービニ大森林は、帝国の林業を支える大事な拠点でもある。そこを燃やすとなれば、今度はまた別の反発を生むだろう。

 ハガネの脳裏には数々の、光景の断片が浮かび上がっていた。カイトはその断片を共に見ていた。ハガネは、無言の内に戦況を組み立てていた。そう、戦況である。戦になることを想定して、ハガネは物を考えていた。


(戦争に……なるのか? さっきお前、そういうことはしないって)

(軽はずみにはという話だ。もし森の奥に妖精族が国を興したとする。友好な形で国交が気付ければ良いが、帝国に敵対するとなればやはり兵を差し向けなければならなくなるだろう。交渉ができればいいが……こちらの権利を侵害する形で国が興れば、いかに慎重にことを運ぼうとも、制圧せよとの声は高まるはずだ)

 

 そもそも、森に潜む妖精族たちは何の宣言もしていない。国や自治領として独立するとも言っていない、現状では何をするか分からない集団でしかなかった。その確認のためにも軍を動かせ、という声はすでに出ているのだろう。ダイスは一言、


「兵はいつでも、魔皇の号令を待っております」


 と手短に伝えた。ハガネがどう動くか、ダイスには分かりきっていたのだろう。ハガネは弟の手際の良さを、抜け目が無いと思いつつも、心の底ではどう思っているのかとふと気になった。が、口に出して尋ねたりはしなかった。いま、自分が言うべきことはそれでは無かった。


「三日後までに全ての行軍準備を整えよ。それと、魔皇の御旗も用意させるがよい。名目としては遠征ではなく、あくまでも盗賊狩りの警らを兼ねた演習という形で公表する」

「承りました。日程を縮めることもできますが、いかがいたしますか」

「前倒しにはしない。三日の時間をかけて、演習があるという触れを出せ。その間、周辺の村や町から何らかの陳情……例えば賊や、領主の横領といったものが出された場合は聞き入れよ。魔皇軍麾下、および大将軍麾下の他、三部隊を動かす。事が動くまで、半数までは賊や獣の討伐に回して構わぬ。配分はお前に任せよう」

「……御意のままに」


 ダイスは深く頭を下げ、執務室を退出した。つい数日前の、棘がありつつも気の置けない姉弟の様子はそこには一片も無かった。カイトはしばらく呆然としていたが、やがて気を取り直してハガネに尋ねた。


(事が動くって、妖精族も軍を出してくるのか? 連れてかれたのは民間人ばっかだったろ?)

(軍事力は皆無だろう、恐らくは。使者を送ってくるか、もしくは居を移すか……そういった形で動かれるのが望ましい。一番困るのはこちらが諦めるまで、どれほど森を探られてもギリギリまで身動きを取らない、という状態だろう)

(自暴自棄になって民間人が竹槍持って突っ込んでくる、とかあったらどうするつもりなんだ)

(どうもこうも無い。……何のために軍を連れていくと思っておるのだ)


 そうなればもう、戦争だ。たとえ相手がいかに弱くとも。カイトは批難めいた感情を抱いたが、それが必要なことだとは理解していた。想像したくも無い話だったが、森に集結した妖精族が、森周辺にある村を武力で襲わないとは限らないのだ。……とはいえ、その可能性は低いだろうともハガネは思っていた。


(いまから気を張っても仕方がない。お前が言うとおり、グレービニに集まった妖精族は大半が民間人だろう。しかも、中にはあの歌声を使って連れて来られた者もいる。戦力にならない者で構成される集団が、軍事力の塊に好き好んで喧嘩を売る確率は低いはずだ)

(そっか。そうなれば……いいな)

(それはそれとしても、別の問題もあるぞ)

(え、別の問題?)

(なにをすっとぼけておるのだ、お前は。もっと真剣に考えよ)


 ハガネは呆れかえって苦言を呈した。俺は至って真剣だとカイトは言いかけたが、


(まだ状況は読めぬが、グレービニにできつつある妖精族の新たな社会の中に、仮面の女がいるやもしれぬのだぞ。その女から、どうにかして神剣を取り返さなければならぬだろう)

(ああ、そうだった! いまの俺にとって必要かどうかは別として、あんな危険なもんほっておけないよな)

(……それはそうだが、愛剣への扱いがわりにぞんざいだな、お前は)


 もっと愛着を持てと暗にハガネに言われても、カイトはそれには少々同意しかねた。ただの村人でしかなかった自分を勇者の道へと導き、多くの者と出会わせ、それらを救う力となった。最後は至らずにハガネに負けてしまったが、それでも護れた者、救えた命は数知れないだろう。

 それでも、カイトにはあの神剣がどこか薄ら寒い物のように思えて仕方がなかったのだ。

 人族の領地に攻めてきた魔族を神剣で斬ることで、救えたものは確かにある。しかし、魔族の血を受け、その魂を吸えば数ほどに、不可視の力をまとって輝くようになったその刀身を見る度に、カイトは薄気味の悪さを感じていたのだった。

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