二十七話 誘拐の手がかり
「――昨晩ですかな? 昨晩なら、我々妖精幻楽団の者たちは一人たりとも、宿泊させていただいているお宿からは出ていないと思いますが」
翌朝。コルボーが滞在しているホテルへと、ハガネはダイスを伴って訪れた。そして部屋からロビーへとコルボーを呼びつけて早々に昨日の動向を尋ねたものの。コルボーは部屋を離れていないという。
「……本当か? 昨晩コンサートホールで、勝手に歌う不審者が出たのだが。妖精族が使う言葉を用いた見事な歌唱だったぞ。あのような歌の持ち主、弦楽団の者以外にはあり得ぬぞ」
「お褒めの言葉は大変ありがたいのですが……ふむ、取りあえず全員を集めましょうか。私めが推測で申し上げても疑いは深まるばかりでしょう」
そう言うと、コルボーはハガネの前から一度退いた。ホテルのフロントには内線があるため、ここからでも呼びつけることはできるが時間がかかりすぎると判断したのだろう。ハガネもそれに付いていった。何か口裏を合わせられても困るからだ。ダイスはそのハガネの後ろに控え、ただ無言でコルボーを見下ろしていた。挨拶以外は何も言っていないことが逆に威圧感を増長させている。たぶんわざとだ、とカイトは思った。
(……にしても、王族二人も現場に投入かぁ。フットワーク軽いよな、お前んとこは)
(直接我々が動くことで圧力をかけられるというのもあるがな。ただ……昨夜は気にしなかったが、確かにクィンシーにしては珍しいかもしれぬ。話を聞くだけならどちらか一方でも良いはずだ)
(お前、信用されてないんじゃないか?)
(それはあるだろうが、ならば自分だけで行くと言うだろう。話が通らなくともあれはそう主張するはずだ。……他に何か理由があるとすれば、警察との連携の問題か)
(警察? なんか、軍と仲悪いんだっけか)
警察の方が軍よりも権力が無く、功に焦っているという話はカイトも以前聞いた話だった。――しかしそれなら、大将軍であるダイスが事件の捜査をしているのは警察の仕事を奪い、余計に対立を深める原因になるだけではないのか?
(これが『捜査』ならばそうなるな。しかし、王族が昨日の公演を殊の外気に入ったとなればどうだ?)
(あ、親睦を深めるとかそういう?)
(警察を直接動かしても、事情聴取程度のことには本腰を入れないかもしれないし、報告も滞る。となればダイスとしては、自分が動いた方がまだ無駄が少ない。そう考えていてもおかしくはないな)
(へぇ……ダイスってやっぱ大将軍だけあって頭良いんだな。俺はてっきりお前に付いていきたいだけかと……)
(そんな鳥のひなじゃあるまいし、とうの昔に成人した男がそのようなことを考えるわけがあるか)
それもそうか、とカイトは思った。そもそも、ハガネに非があるとはいえ姉に剣を向けるような弟だ。昨日は昨日で、一応行動を共にはしたが、やはり言い合いになるような時もあった。姉弟として一緒にいたがっていると考える方が無理があった。
当のダイスはというと、何かを考え込んでいるのか、事情聴取の間はほとんど無言を貫き通していた。
結局、全員に話を聞いたものの外出した者は一人もいなかった。昨夜、ホテルの警備を担当していた警備員も、楽団員は出入りしていなかったと証言した。
「妖精族が飛べる以上、窓から出入りしている可能性もあるが……」
「しかし屋上から警備をしていた者も、やはり不審者は見なかったと言っていた。……楽団の者は関係が無いというのか……?」
「どちらにしろ、自分たちが疑われていることなど昨日の時点で分かっているだろう。事件に関与したにしろ何かしらの偽装を施すはず……となれば何の証拠も無しに尋ね続けたところではぐらかすだけだろう」
「現状では証拠をまず見付けるほか無いということか……舞台の鑑識については警察に任せたが、良い報告が上がるかどうか」
やはりダイスは、警察のことを信用していない様子だった。――しかし、ハガネとダイスがホテルを出るところで、
「こちらにおいででしたか、大将軍閣下!」
警察の者だろう、青と黒を基調にした制服を着た男が軽い駆け足で現れた。少し乱れた息を一呼吸のうちに整えると、男は言った。
「コンサートホールで不審者が目撃された件ですが、舞台裏から台車のような物で重い物を搬出した痕跡と、それと……少量ですが、血痕が見つかりました!」
緩みかかっていたハガネの気に、緊張感が走った。
現場に急行すると、そこには舞台裏に集まる数人の警察官の姿があった。とはいえ一通り調べ終わった後なのだろう。ハガネやダイスに比べてその表情は緊張とはほど遠く、一仕事終えたという顔つきだった。
「それで、見つかった血の痕というのは?」
ハガネが尋ねると、ここまでハガネたちを案内した警察の男がある一点を指し示した。それは、昨晩ハガネが仮面の女を追って入り込んだ通路だった。床ではなく壁に、小さな赤茶色の染みが点々とある。一見すると壁の汚れにも見えるほどに微かな痕だった。
「ここを掃除しているという清掃員に尋ねたところ、昨日の朝の時点にはこんな汚れは無かったそうです。それと、血の付き方から、恐らく血の付いた指を壁に押し付けたのではないかと見られます」
「そうか……ところで、台車らしき物が通った形跡はどこへと続いておる?」
「ちょうど、この廊下を通った様子です。床にはあまり痕が残っていませんが、壁に削れたり、ぶつけたような痕があるので……この通路を辛うじて通れる程度の大きな台車が通ったと思われます」
伝えることはそれだけだったのだろう。男は深々と一礼するとハガネの前から退いた。
「……状況としてはやはり、妖精族を積んだ台車か何かがここを通ったと見るべきであろうな」
「こうなれば一体、誰が手を下したかという話になるが……」
「一番怪しげなのは妖精幻楽団の者たちだが、これは警察がまた証拠を揃え次第糾弾するしかない。となれば対処できる問題は、被害者の捜索と、次の被害を起こさぬ事だ」
「周辺の警備を強化するしかない、か……一つ気になるのは、このコンサートホールの警備体勢だ。昨日、門前に立っていたはずの衛兵……これの行方がいまも分かっていない」
「犯人に始末されたか、買収されたか……いずれにせよ、周到な準備を基にした犯行だったのだろう。……想像でしかないが、事情を知る帝都の者が手を貸したやもしれぬ」
問題は、その『犯行に手を貸す帝都人』に思い当たる節が無いということだった。そもそも妖精族が失踪しているという事件は、以前から帝国のあちこちで起きていた。だからこそ、各所を渡り歩く妖精幻楽団が容疑者としては一番怪しかったのだ。しかし、いまのところその楽団員たちは怪しい動きを見せていない。
ハガネが思考を巡らせる一方でカイトもまたそのことを考えていたのだが、ふと、あることを思い付いた。
(……あのさ。まだ帝都から外に出る門の検問には、怪しいヤツは引っかかってないんだよな?)
(うん? そうだな。まだ逃げ出さず潜んでいるのか、それともどこかのルートでひっそりと逃げおおせたのか……)
(もし逃げてなかったらだぞ? 三人か、それかもっと沢山の妖精族を帝都のどっかに隠してるってことになるだろ。つーことはさ、広いところが必要になるんじゃないのか)
(広いところ? まあ一理ある話だが、しかし大雑把なものだな)
(あとさ、飯。これはお前らと戦争してるときに分かったんだけど、人がいるところには絶対物の流れができるんだよ。特に食事は、事前に大量に買っておくか、それか毎日人数分買うかしないといけないだろ)
(……なるほど、兵站の問題か)
ハガネにもようやく事情が飲み込めた。気付いてみれば、何故自分で思いつけなかったのかというほど簡単なことだった。
「クィンシー。
「もちろんだ。しらみつぶしにこの周辺を聞き込むのと同時に、帝都に多くある空き家や廃屋といったものも探させている」
「もしかしたら、妖精族たちはこのセトナイ洞にいるかもしれぬ」
「セトナイ洞に? 確かに、複数の人間を収容しても敷地に余裕がある邸宅は多くあるが……」
「これは警察の仕事になるだろうが、ともかくある時に大量に食事を買い込んだ者や、以前に比べて日々の食事に使うであろう食料を多く買うようになった者を探させるのだ。そもそも、タイタスが戻ってお前たちを連れてくる前に妖精族を隠せたのなら、この近辺にいる者の方が都合が良かったのだ」
ハガネの言葉に、ダイスは息を飲んだ。そして急き込んだ様子で口を開く。
「そうか……歌声で街の方にいる者まで引き寄せて誘拐するぐらいならば、そもそもここで歌う必要も無い。わざわざこの場所を使ったのは、ここから運び出すためのルートを知り、なおかつ距離が近かったからか!」
「まだそうと決まったわけでは無い。だが、善は急げという。警察との折衝はお前に任せる。魔皇が直々に命じたとなれば警察は増長するだろう。いずれは軍との権限をはっきりと分けることになるだろうが、恐らくいまではない。お前が手綱を握れ」
「承知した。ならば早速、城へ戻ろう」
「む……いや、それは」
ハガネは何か言おうとしたものの、その肩をがしっとダイスが掴んで動きを封じた。これが弟でなければハガネは「無礼者!」とでも声を荒らげていっていただろうが、恐ろしいことに笑っている弟の前では大人しくするほか無かった。
「まさかとは思うが、他に何か予定でも? それならば俺が護衛として同席しよう」
「いやそういうわけではない、ただ……いや、いい、何でもない」
「そうか。もしや息抜きと称して街に行くつもりではないかと思ったが」
「何を言うか。タイタスがどうしているかと少々気になっただけ――」
すげぇ、とカイトは思った。ここまで古典的な墓穴は、久しぶりどころか初めて見たかもしれない。ハガネも言った後で、自分がどうしてここまで恐ろしくぼけたことを、よりによって弟の前で言ったのかと本気で後悔した。
「帰るぞ」
反論の余地は、一切無かった。
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