二十六話 夜に消える妖精たち
そこに立っていたのはダイスだった。職務時間外だからか、身にまとっているのは厚手の黒い軍服では無く、黒い詰め襟のコートに灰色のズボンを着ていた。ラフな格好だったが、その威圧感、特に眼光の圧の強さは相変わらずだった。もっとも、その圧力が強く感じるのは、目の前に夜の街を寝間着とコートで歩き回る姉が現れたためでもあるだろうが。
「姉上……何故ここに。それに、何だそのはしたない格好は。……ほとんど下着姿ではないか」
「下着ではない、寝間着だ」
何の弁明にもなってねーよ! とカイトは叫んだ。ハガネにはその叫びが聞こえているはずだが、その叫びどころかダイスの質問すらほとんど無視してハガネは話を進めた。
「どうやら何か込み入った事情があるようだな。後ろの者にも見覚えがあるぞ。民との連携を密かに取るとは、お前もやるではないか」
(……え、民との連携?)
ハガネが見ていたものをようやくカイトも認識した。ドアの方にかがみ込んでいた二人が、立ち上がってハガネたちの方を向いていた。一人は妖精族、もう一人はインプ族だった。
(……あっ! あの妖精族、夕方に見た子供じゃないか! それに、あっちのインプ族……確か、バナー!)
(あの少年、タイタスと言ったか。その友達が恐らくバナーか、そうでなければクレブリック地域会の関係者だろうな)
クレブリック地域会は、帝都ティガニアの一番大きな通りであるクレブリック通り周辺に住む魔族が集まってできた集団だった。地域の不満をまとめて政府に上申していただけの集団であり、その元まとめ役がバナーだった。
そのバナーとついでに妖精族の少年タイタスが、何故大将軍であるダイスと共にいるのか。カイトにとっては疑問だが、ハガネの方はどうでも良さそうだった。
「どういう繋がりか、いまは説明せずとも良い。それよりも、こうして不法侵入まで企てようとしているということは、何か火急の用があるのだろう」
「……ああ、そうだ。タイタス! 説明を。時間が惜しい、移動しながら説明してくれ。私は先に立つ。姉上は後から来てくれ」
「えっ、お、おれが説明するんすか……!?」
タイタスが驚いて飛び跳ねると、その肩をバナーが叩いた。
「お前が一番近くで見てたんだぜ? だから、お前が一番状況を説明できるはずだ」
「う、うん……」
「ああ、クィンシーの旦那。ドアは開けときました。どうしましょう、俺は帰りましょうか?」
「いや、中で見聞きしたことを市民に伝えなければならない可能性もある。国が上から情報を流すのと、市井に溶け込んだ者が情報を流すのとでは情報の広まり方や信じる者の層が違ってくるからな」
「分かりやしたよ。ほらタイタス、行くぞ。足と口、同時に動かせよ。話題からも隊列からも置いてけぼりになっちまうぞ」
バナーに再度促され、ようやくタイタスの気分は落ち着いたらしい。ホールの中へと続くドアへと歩くハガネの横に並んで、小さくお辞儀をすると事情を話し始めた。
「あの、おれ、街に残ってる妖精族に声かけて回ってたんです。色んなやつがいなくなっちゃって、だからみんなで一緒にいれば怖くないし、誰がいなくなったかもすぐに分かるかもって……そうやって一箇所に集まって、家のないヤツもいたからみんなで寝てたんです。
……そしたら、夜中に急に起き出したヤツがいて。三人だったと思うけど、トイレに行ったとか、自分のねぐらに帰ったとか、そう考えたんですけど、なんか胸騒ぎがして……そいつらを探したんです。そしたら、凄い勢いでどっかに行こうとしてるのが見えて……」
「それを追っている内に、ここに来たのか」
「そうなんですよ! でも、セトナイ洞なんて貴族が住むような場所に来ただけでもまいってたのに、デカイ門があるようなところを平気で飛んで入ってくし……それに、何かここに近付くと変な気分になるんです。強引に腕引っ張られてるみたいな、すごく嫌な気分になって……ほら、この歌声!」
タイタスはそう言って、顔をしかめた。中に入って少し進むと、音はカイトのみならず、ハガネやタイタスたちにも明確に聞き取れるようになっていた。音は、ハガネたちが歌劇を見た演奏ホールの方から聞こえていた。
「おれ、怖くなって逃げたんです。それから、街に戻って友達に相談したんです。そしたら、そこにクィンシーさんが来て……あっ」
それまで普通に喋っていたタイタスは、殊更に声を潜めて言った。
「あ、あのー……さっき、クィンシーさん、姉上って」
「ふむ、言ったな。あれは私の弟だから、言ってもおかしなことではない」
「……でも、陛下って魔皇陛下ですよね……?」
「そうだ。我は魔皇、魔皇ハガネぞ。……それがどうした?」
タイタスはたっぷり沈黙を挟み、前を歩くダイスの背に目をやった。ハガネはダイスに行く先を告げていなかったが、しかしその足取りは確かなものだった。この時間、本来なら練習すらしていないような時間に、演奏ホールの方から歌が聞こえるのは明らかにおかしい。しかも、妖精族のタイタスが不快を訴えているとなると、なおさら捨て置けない状況だった。
……ただし、そのタイタスはというと、別の意味で気分を悪くしている様子で、顔が青くなっていた。
「つまりあの人……クィンシーさん、もしかして……大将軍ダイス様?」
「我の弟は一人しかおらぬのだから、それ以外にあり得ぬだろう」
「あ、あ、ありえねー!」
タイタスが叫んだ。いきなり叫んだため、前を歩いていたダイスとバナーが足を止めた。ダイスが険しい顔をして口を開く。
「姉上、
「何故我が何かした前提なのだ。我は何もしておらぬ。というか、何があり得ないというのだ、タイタスよ」
「いやだって、おれ、大将軍ダイス様に剣の稽古付けてくださいとか言っちゃったよ! 大将軍に向かってそういうの、なんか……ふ、フケーっていうんだっけ? だめじゃないすか!?」
「おいタイタス、あんまり大声出すんじゃないぜ。だいたい、強くなりたいなら稽古を付けてやるって言いだしたのはダイス様の方なんだから、気にすんなって」
バナーはいったい何者なんだろう。カイトは一人疑問に思った。妙にダイスと仲が良いというか、まるで見知った間柄のように見えた。
「バナーの言うとおり、別に私は構わないのだがな……とはいえ直々に訓練を付けるとなると、従軍させる方が手っ取り早いな。街に下りることはできるが、そう時間は取れないのでな」
「……クィンシー。お前、我をあれだけ叱っておきながら、ほいほい街に降りた挙げ句安請け合いまでしてくるのは卑怯とは思わんのか?」
「姉上は魔皇という天上に座する方ですが、私は一軍人ですので」
大声を出すなと言われたためか、タイタスは小声で「いやいやいやいや」と呟いている。いまここに体を持っていたら、カイトは思い切り同意してタイタスの肩を叩いてやるところだった。一軍人とか言われても魔皇の弟である事実は動かせないし、王族だし、一般市民から見れば充分雲上人だ。
「クィンシーの旦那ぁ、なんでもいいんですがね。もうすぐ演奏ホールに着きますぜ。この歌……まーだ聞こえてますけど、いったい何なんでしょうなぁ」
「それについてだが……詳しくは後で話すが、神剣絡みのことやもしれぬのだ」
「神剣が?」
ハガネの言葉にダイスは顔をしかめ、そしてタイタスを見た。
「お、おれ、帰った方がいいすかね……?」
「いや……ここでバナーと共に引き返したところで、不測の事態が起きれば対処できん。元よりお前は歌の影響を多少受けている様子だ。城下町の方にまで影響を及ぼすほどのものだ、下手に離れるよりも、目の届くところにいた方がいい」
「わっ……かりました」
「はぁ、また神剣ですかい。そんなヤバイ代物、一度見たらもう二度と見たくないんですけどね。まあでも、もしも何かあったら、タイタスを連れて逃げることぐらいはできるでしょうし。そんぐらいはやってのけますよ、双の御旗にかけて」
双の御旗? カイトには聞き覚えがある言葉だった。すぐには思い出せなかったものの、記憶を掘り起こせば思い当たる物があった。人族魔族問わず、軍隊は部隊によって違う旗を掲げることがある。そして、ガナガルティガン帝国は魔皇が率いる軍勢と、大将軍が率いる軍勢それぞれに『御旗』と呼ばれる特別な旗があったはずだ。
(双の御旗にかけて、か……一般市民でさえこんな言い回し、するもんなのか?)
(退役軍人かもしれんぞ。バナーは足を痛めているだろう、負傷して軍を退いたのかもしれん。我は面識が無いが……それよりも、もう演奏ホールだ。気配はどうだ?)
(あ、ああ……さっきよりも強いな。やっぱり歌とセットになってるんだと思うぞ)
(そうか。ここまで来れば、我も多少ながら感じるな。ウェインと対峙したときに似ている……あそこまでの攻撃的な力は感じないが)
神剣の力に近付いたとき、ハガネは不調を訴えていた。が、いまはさほど堪えた様子も無い。どうやら自分の出番は無さそうだ、とカイトは思いつつ、いつ後退してもいいように気を引き締め直した。
「バナー、お前はタイタスと共に下がっていろ。ドアは私が開ける。姉上は
「いや、先頭は我が、殿はお前が務めよ、クィンシー。神剣の力を抑え込めるのは我しかおらぬだろう」
「……分かりました。しかし危険だと判断した場合は、タイタスらを連れてお逃げください。いいですね」
有無を言わせぬ口調で言い、ダイスが後ろに下がる。ハガネが代わりに先頭に立ち、ドアを勢いよく開いた。様子を伺うというようなことをしなかったのは、舞台に誰かが立って歌っているのならどこから入ってもどうせ見つかるだろうからだ。案の定、ドアを開けた直後、歌声は止んだ。
「動くでない! 謹んで追及を受けよ!」
ハガネは大声を上げながら、飛ぶような早さで客席横の通路を走り抜けて舞台へと上がろうとした。舞台上には一人の、妖精族の女がいた。女は白いドレスをまとい、ドレスと同じほどに白いのっぺりとした顔の仮面を付けており、夜の公演で魔皇役として歌った者と同一人物かは分からなかった。その表情の無い顔を女はゆるりと走り寄るハガネに向ける。ハガネが舞台に迫り、下から跳躍すればもう舞台に手が届く――というところで、
バサァッ!
と音を立てて緞帳が下りた。視界は深い赤一色になり、ハガネは一瞬足を止める。が、次の瞬間には跳び上がって舞台に立ち、下から潜り込むような形で緞帳の内側に入った。
しかし、そこにはもう仮面の女の姿は無かった。
「取り逃したか……!」
セットも何も無いがらんどうの舞台上をハガネは見回し、一つ舌打ちをすると走って舞台袖へと向かった。
(カイト! まだ神剣の力は感じるか?)
(……いや。歌声が止んだ瞬間からさっぱりだ)
(ならばやはり、あの歌が神剣の力を得て何らかの効果を発揮していたと見るべきか……そしてその効果とは、恐らく妖精族に作用するもの!)
道具や照明のスイッチなどが並ぶ舞台裏を突っ切り、さらに行くと廊下に出る。しかし、そこにも仮面の女の姿は無い。それどころか照明すらも点いておらず、冷えた空気が暗い廊下に沈殿していた。物音はしない。そもそも、こちらの方へと走り抜けたかどうかすら分からなかった。
(これ以上追うのは難しいか……)
(あの女の人もそうだけど、ここに集まったっていう妖精族はどうなっちまったんだ? もしあの歌に誘われてきたなら、この辺りにいないとおかしいだろうし)
(緞帳が下りた、ということはまた別の何者かがここにいたということ……仮面の女と協力して妖精族を連れ去った者がいたかもしれん。しかし、確か緞帳の操作盤は舞台裏にあるはず……先ほど姿が見えなかった以上、その者も逃げおおせたということか)
苛立ちに満ちるハガネの精神に圧迫感を覚えながらも、カイトは状況を整理してみた。仮面の女の正体は分からないが、緞帳を下ろした何者かは少なくとも操作盤がここにあって、使い方も分かるということだ。このホールの関係者か、もしくはここで公演を開いた者だろう。しかし、緞帳を下ろしたとはいえどうやって一瞬の間に逃げおおせたのか――。
「姉上。……逃げられましたか」
考えている間にダイスが追いついてきた。ハガネは自嘲めいた笑みを浮かべて答える。
「ああ。嘲笑いたければそうするが良い、その余地がいくらでもその余地があるのでな」
「余地はあっても暇がありません。……この先に逃げたとも思えない。仮面を被った上でこれほど暗い道を逃げ走るなど……いや、もしや……」
ダイスが数歩後ろに下がり、舞台裏に戻ると天井を見上げた。ああ、とハガネも声を上げ、苦々しげに言う。
「失念しておったわ。妖精族は飛べるのだったな」
「魔法無しに長時間というわけにはいきませんが……二階にも通路がある様子。……いずれにしろ、飛ばれればこちらが追い続けることは難しいでしょう。いまは残された痕跡から跡をたどるだけですが……バナー、どうだ?」
「……駄目だ、髪の毛一本落ちてない。タイタス、そっちはどうだ? ……タイタス? どうした、おい」
バナーに強く呼びかけられ、舞台裏の隅にしゃがみ込んでいたタイタスは、はっとした様子で顔を上げた。
「何見てたんだ? ……何も無いじゃねぇか」
「ううん……ほら、見て。何かここに、置かれてたみたいな痕があって……」
「……ああ、確かにな。こりゃ車輪の跡か? 台車に近い……けど、幅を見る限りかなりデカいな。……人が一人二人、入っててもおかしく無いぐらいには、な」
嫌な想像がカイトの脳裏に過る。もしかしたら、タイタスが人を呼びに行っている間に、ここに来た妖精族はここにあった台車のようなものに乗せられ、連れ去られたのではないか? その思いはここにいた全員が抱いたものだった。
「明日、再び幻楽団の者に事情を尋ねましょう。それと、城に戻り次第全ての門に検問を敷きます」
「うむ。それと、空の警戒も怠るな。城壁警備の人員を増やせ。臨時の警備員を雇っても構わん。練度よりもともかく目を増やした方が良いだろう」
「そのように計らいましょう。……タイタス、お前にも仕事がある。報酬は支払うが、どうだ」
「へぇっ!? あ、は、はい!」
まさかこの重大事において、自分に話が振られると思っていなかったのだろう。素っ頓狂な声を上げたタイタスは、慌てて首を縦に振った。
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