二十五話 真夜中の旋律

 その後、他の団員にもハガネたちは話を聞いたものの、やはり妖精族の行方を知る者はおらず、捜査は収穫無しに終わった。城へと戻る馬車の中はやはり静かだったが、行きに比べて多少は雰囲気が和らいだようにカイトには思えた。


(やっぱ、ダイスは別にハガネのこと嫌ってるってほどでもねーのかなぁ……)


 誰に対して言ったわけでもない、ただの考えでしかなかった。そんな心の声にハガネはいちいち返事を寄越したりはしなかった。ハガネの心の声は、カイトには聞こえてこない。何も考えていないのか、それとも考えているのに遮断されているのか。自分の考えもハガネに筒抜けにならないよう遮断できないか、と思ってあれこれ考えたが、カイトの苦心は報われないまま、馬車は城へと着いた。


「……妖精族の捜索についてですが」


 城の廊下を歩きながら、ダイスが口を開いた。ハガネはその隣を歩いている。かなりの身長差があるため歩幅にも大きな違いがあるはずだったが、特に急ぎ足でもないハガネの隣に、ダイスはぴったりと付いて歩いていた。


「夕刻、城への侵入を企てた少年がいましたが。彼に再び事情を聞こうと思います」

「そうか。手荒に扱うでないぞ」

「心得ております」


 至って普通の会話だ。――普通すぎてなんか薄ら寒い、とカイトは思った。姉と話すダイスの、カイトにとっての印象は『ともかくイライラしている』だった。ともかくいまのハガネが気に入らない、何とかして考えを変えさせてやろうという気概に満ちているようだった。それが、何故か今日は妙に大人しいような気がする。噛みつきどころが無いからだろうか?


「姉上」


 廊下の中程でダイスが足を止めた。ハガネも足を止める。空に月がかからない新月の夜、窓から差し込む光は無く、暗い廊下に立ったダイスの黄金の目が、燭台の炎の光を受けて煌めいて見えていた。


「先日、俺はあなたに剣を向けた。それは覚えているだろう」

「そうそう忘れるほど頭は鈍っていないな。それがどうした」

「あの時、俺は姉上に不満を持っていた。いや、いまもだ。戦後、まるで気力が尽き果てたようにあなたは蒙昧としていた。それが許せなかった……しかしいま、姉上は再び民のために立つ魔皇になろうとしている」


 そこで一度、ダイスは言葉を切った。瞬きの一つの後、その目は一層強い光を放ったように思えた。カイトは、ハガネの身の内で身を竦めた。ダイスはいま、ハガネを認めようとしているのかもしれない。――だというのに、その目からは殺気を含んだ怒りのような念を感じるのだ。


「姉上は二度、突然変わられた。勇者との決着を付けた後。そして――魔剣が安置されている祭儀場に向かった後だ」

「…………」

「姉上、いったい何があったのだ? 何故誰にも、俺にすらあの時のことを話さない。恥じるような、顔向けできないようなことがあるのか? 祭儀場で……あの白血者の娘を連れ、何をしていたんだ」


 疑問の声は次第に棘と熱を帯びて、詰問する口調に変わっていた。誰にも言っていなかった、ということにカイトは驚いたが、すぐにそれも仕方ないだろうと思い直した。殺した勇者の魂を、自分の意に沿わない魔族を統率するために利用しようと画策して、挙げ句自分の肉体に迎え入れたのだ。

 だからこそ、その理由をハガネが、いまここで言えるはずも無かった。


「クィンシーよ。ミュリエルを白血者と呼ぶな、と言ったはずだ」

「それは……!」

「大したことなど起きておらん。ミュリエルが神託を授かった程度だ。魔剣に触れて己を見つめ直せという、ただの神からのお告げだ」


 そんなものが真相では無いとダイスは言いたかったのだろう。しかし、ハガネは機先を制するように「話は終わりだと」言い切り、そして自室へと向けて歩き出した。

 ダイスは追ってこなかった。横から口を挟めない姉弟のやりとりに、カイトは心の裡にモヤモヤとしたものを抱えるばかりだった。



 ハガネは部屋に戻ると、身支度を調えてさっさと眠ってしまった。カイトも緩やかに意識を落としていく。最近では、眠ろうと思えばそれに近い状態になれることが分かってきた。ハガネが眠るのに合わせて、カイトも眠った。


 ――それから数時間後。


 カイトは不意に眠りから目を覚ました。最初は、特に理由も無く意識を取り戻してしまったのかと思っていた。が、次第に、虫の声すら聞こえない静寂に満ちているはずの夜の空気に、何か違和感を覚え始めた。


(なんか……聞こえる?)


 初めは気のせいか、空耳だろうとカイトは思っていた。しかし、その音は高まり続け、カイトの魂をも震わせているようだった。快とも不快ともつかない、ただ、いてもたってもいられないような感覚をカイトは覚える。ともすれば、何かに引っ張られているような――。


(……どうした、カイト。眠れぬのか)

(あ、ハガネ。いや、何か聞こえね? 音、っていうか……音楽?)

(…………何も聞こえぬぞ。歌劇の音色が耳に残っているのではないか?)

(うーん……どうもそんな感じでも無い気がするんだよな……)


 引っ張られるような、掻き乱されるような感覚。どこかで感じたような――思い巡らせたカイトは、あっと声を上げた。


(神剣の気配に似てる……気がする)

(何だと? それが真なら、神剣の欠片を宿した者が近くにいるのか?)

(わかんね……ウェインの時と比べて、だいぶぼんやりしてる感じなんだ。遠いからか……?)

(音楽、と言ったな。いま、音楽と言えば……)

(まさか、妖精幻楽団? けど、団長さんや楽団の人と会った時は何も感じなかったし……)


 しかし、ウェインと会った時も、初めのうちは何も感じなかった。思い返してみれば、神剣の気配を感じ取れたのは、その力が発揮された時だった。


(様子を見に行った方が良さそうだな)

(行くのか?)

(何かあってからでは遅い)


 ハガネはベッドから下り、クローゼットに入っていた上着を羽織って窓を開けた。膝丈の外套の下は下着同然のネグリジェで、そんな格好で外に出て大丈夫かとカイトは思ったものの。時間が無い、とハガネは言い切って、外へと飛び出した。



 外は新月だった。灯火の無いところは真っ暗で見通しが効かなかったが、セトナイ洞方面は煌々と光を放つ街灯に道が照らされており、迷うことは無かった。


(カイト。こちらで合っているのか?)

(んー……たぶん。さっきよりは音がよく聞こえる気がする)

(……その音というもの、本当に鳴っているのか? 我には聞こえぬぞ)

(やっぱ俺にしか聞こえてねーのか? 音っていうか音楽みたいな感じで……でもはっきりとは聞こえないんだ。まるで水の底から聞こえてきてるみたいに、ぼんやりしてる感じっつーか)


 旋律はあやふやで分からない。しかし、カイトの耳には紛れもなく音楽と呼べる音が聞こえていた。楽器、というよりも人の声に近いそれが、セトナイ洞の奥から聞こえてくるのだった。カイトにだけ聞こえる音を頼りに、ハガネは道を歩く。流石に真夜中だからか、セトナイ洞内部の邸宅や商店の灯りは落ちており、街灯の光だけが街の光景を闇の中に浮かびあがらせていた。道行く人はおらず、ハガネは一人淡々と、足早に坂を下っていく。


(聞こえるか?)

(ああ……どんどん近付いてる)


 坂道を下るにつれて大きくなっていく音色は、いまやはっきりと、女性の歌声だと分かる音に変わっていた。ただ、一音一音がはっきりと聞こえるのに、カイトには何を歌っているのかが聞き取れなかった。


(何なんだ、この声……旅の途中で聞いたような、聞かないような……)

(聞き取れぬ音か。妖精族は歌に独自の言葉を用いると聞く。歌に魔法の力を乗せ、呪歌とする者はまずその言語を習得するそうだ。カイト、少し音を拾えるか?)

(え、音? まあやれるだけやってみるけど……)


 二言三言、耳に聞こえた音をカイトはどうにか言葉にしてみた。ハガネは(やはりな)と言って、


(それは『おいで』という意味だ)

(へえ、これが……何回も聞こえるんだけど、誰かを呼んでる歌なのかな)

(ああ、そうだ。ちなみに呪歌にその単語を用いると、軽くても魅了、重ければ洗脳レベルの誘惑の歌になるぞ)

(は!? それヤバイやつじゃねーか、俺聞いてて大丈夫なのか?)

(別に何も起きてないのだろう? だったら大丈夫だろう。それにどうせ、この体を動かす主導権を持っているのは我だからな。何かあっても気にするな)


 気にするなと言われても――とカイトが思ったところで、ハガネがカイトに配慮してその場を退くということは無かった。ハガネは容赦なく歩を進めてコンサートホールの前へとたどり着いた。


(……ん? おかしいな、衛兵がおらぬ)

(衛兵? 普段はいるのか? 真夜中はどうせ誰もいないんだし、いてもいなくても一緒なんじゃねーの?)

(そうは言うが、以前誰もいないホールに盗人が入り、中にあった花瓶や飾りの燭台を盗んでいった事件があってな……それ以降、少なくとも門前には衛兵が立っているものなのだが)


 しかし、どう見ても門の外には誰もいなかった。ハガネは首を傾げながらも、思い切り跳躍して門の内側へと侵入した。

 すると、そこには人がいた。

 ホールの中に通じるドアのうち、正門とは別に右端に従業員等が出入りするドアが端の方にある。そこに三人ばかりの人影があった。二人は小柄だが、一人は背が高い。その背の高い男とハガネの目が合った。


「……姉上?」


 門からドアまで距離が離れていたが、はっきりと、低い声がそう言ったのをハガネとカイトは聞いたのだった。

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