二十三話 妖精幻楽団

 十分ほどが経った。ギスギスとした空気の仲で全員が無言のうちに開演を待っていると、おもむろに演奏ホールの照明がゆっくりと落ちていった。客席が暗く陰る一方、強調するようにステージ上にスポットライトが当たった。

 そこには、一人の妖精族の男が立っていた。

 黒と翡翠色の蝶の羽根を背から生やしたその男は、細身の体をタキシードで覆っていた。被っていたシルクハットを取り、仰々しいお辞儀をする。そして顔を上げると、ハットを被り直して両手を広げた。


「紳士淑女の皆様方! 今宵は、妖精幻楽団の演奏会にお集まりいただきまことにありがとうございます! わたくしは楽団長のコルボーにございます。しかし私の名前など些細なこと、お忘れになって構いません。覚えようとしてもきっと忘れてしまうことでしょう。

 何故なら今宵の演奏の前では、私の名前など塵芥も同然なのです! 皆様方はこれからのめくるめく時間で満足と後悔を覚えることでしょう――何故ならば、我々の演奏は神に侍る歌の精霊に勝るとも劣らぬ幻想幻惑の調べにございます。一度聞いてしまえば最後、我らが調べに囚われ、他の曲では二度と満足できなくなってしまうことでしょう!」


「……ふん、大げさなものだな」


 嘲笑ともつかない、冷めた目でハガネは言った。そこまで言わなくともとカイトは思ったが、ただ、大げさだということには同感だった。


「さあ皆様方、覚悟の程はよろしいでしょうか? お席を立たれるお方は? もしお手洗いを済ませておられなかったのなら、いまのうちに済ませられることをおすすめしますよ。聞いてしまえばもはや、中座することすら叶わないのですからね。――どうやら準備はお済みのようです。皆様方も、そして我々も!」


 高らかに言い放つと、楽団長コルボーは広げていた両手を顔の前で思い切り叩いた。パン! と弾ける音が響く。かと思うとその姿は光に包まれた。まばゆい光がコルボーから溢れ、その光が大量の蝶となり、輝きながら宙へと溶けて消えていく。カイトが呆気に取られてその光景を見つめていると、コルボーの背後にあった緞帳どんちょうが巻き上げられ、隠されていたステージが露わになった。

 ステージは、城を模したものだった。しかし城の外壁は崩れかかり、蔦が絡まっている。背景は天に月が描かれたものだったが、月はほとんどが雲に隠れてしまっていた。

 ステージ上に、一人の女が忽然と現れる。白い薄羽を生やした女が口を開けば、歌声が溢れた。


   おお 過ぎ去りし栄華よ

   もはや残り香すらくゆらぬ 幻よ

   私を置いてどこへ 行ってしまったの

   私の心を連れて どこへ消えたというのだろうか


 カイトはびっくりした。楽団という言葉から想像していたのは、楽器だけを用いたオーケストラのようなものだった。まさか歌劇が始まるとは思ってもみなかった。女は歌いながら城の階段を上り、二階部分へと足を踏み入れる。階段の先はバルコニーのようにせり出していた。


   おお 力の証たる者よ

   王の座よ 堅牢なる城よ

   もはや過去の遺物と 佇む者よ

   私を天へ導いておくれ

   栄華の象徴たる月へ

   月の神のもとへ 白い楽園の庭へ

   私を天へ導いておくれ!


 女は描かれた天の月へと手を差し伸べる。――と、観客たちが見る中で、なんと絵画の中の雲が動き、晴れた月が冴えた月光を放った。カイトは思わずすげぇと声を上げた。絵を動かす魔法があることは知っていたが、実物など数えるほどしか見たことがなく、しかもこうした観劇の場で見たのは生まれて初めてだった。――しかし、ハガネの方はソファの肘掛けに頬杖を突き、退屈そうにその様子を眺めていた。

 対照的な態度を取る二人が見る中、弦楽器を中心とした、荘厳だが儚げな楽曲の演奏が始まった。すると、バルコニーから月にかかる、半透明の蒼白い階段が音楽に合わせて現れた。女は喜びに満ちた表情で、その階段を昇っていく――。


 ――女が月へとたどり着くと、ステージ上のライトが消え、そしてステージは蒼白い光に満ちた大地へと変わった。女は喜びの歌を歌う。それの内容は、伝説の地、魔族に祝福をもたらす女神の座に至れたのだという歌だった。


(――――あれっ、この物語って……)


 途中でカイトは気付いた。ちょっと前に、ハガネから聞いた童話の内容に似ていた。


(似ているというより、それに連なる戯曲だ。気付くのが遅かったな)

(いや、しょうがねーだろ、見入ってたんだから。お前にはそういう感性が無いのか?)

(……昔はあったのだろうな。いまは無い)

(あー……)


 神剣の影響がここでも出ているのだ。昔は――戦時中には劇をやる余裕も無かっただろうことを考えると平和な時代には、こういった舞台を見ていたのだろう。そう思うと、カイトはやるせない気持ちになった。

 カイトが持つ、ハガネへの怒りや憤りが、全く無くなったわけではない。それでも、戦いを終わらせなければならなかった者が背負うものを、カイトはよく知っていた。


(昔見てた時は、どうだったんだよ)

(どうと言われてもな……普通だ。こういった歌劇やオーケストラの形で触れることなど数え足りぬほどにあったことだ。楽しんだことも、面倒くさいと思ったこともあったが、感動して涙するというほどのものではなかったさ)

(いまはただ退屈なだけ……か。神剣の影響が……)

(いや。もっと前からだ)


 ハガネははっきりと言い切った。カイトは驚いた。ハガネは思想や意思については断言できても、感情や心といったものに言及する時はあやふやなことが多かった。恐らくは神剣の影響なのだろうが、失ったのかどうかさえ分からない、という時もあったぐらいだ。


(もっと前って、いつから?)

(我が魔皇になった後、だな)

(……ずいぶんとはっきり覚えてるんだな)

(その瞬間からとまでは言わんがな。その前後からゆっくりと……だな。カイト。この戯曲は、神との合一を果たし、王こそが神であると讃えるような物語だ。絶対の力を持った者が全てを支配し、平和と繁栄が訪れる。そんな話だ。

 ――しかし現実はそう簡単でも楽でも無い。魔皇を褒め称えるためにこんな戯曲があるのかもしれないが、何でも願いを叶えてくれる神のような扱いを受けることが……昔の私には苦痛だった)


 だった、ということは、いまは違うということだ。事実苦痛でも何でもないだろうというのは、その言動を見てきたカイトにとっては明白なことだった。


(まあ、苦痛感じるぐらいなら、何も感じなくなったいまはマシなんじゃないか?)

(何だ、皮肉か?)

(皮肉……のつもりだけど)

(そうか。皮肉になっているぞ、よかったな)


 カイトは瞬間ハガネの言い草にムカついたものの、文句を付ける前にハガネが(見ろ、カイト。ようやく、あの女が女神への道を見出すぞ)と言い出したので歌劇へとまた注意を向けた。

 月の階段を渡った女は、女神の神体があるという月の地下都市へと足を踏み入れていた。地下都市には女を神の御許へと導く案内人の男がいた。三日月のような形をした羽根を持つ男の妖精は、案内役を買って出ながらも女を度々誘惑し、女神とは関係の無い地に連れて行こうとしている。が、女は誘惑をはね除け、ついには男が女神への道を阻む悪の存在であることを見抜いたのだ。


   悪霊よ去れ! 欲深きけだものよ


 自分たちの周りの空気すら大きく震わせるような、迫真の歌声と共に女が剣を抜いた。それは女神が住まう城の前にある、城下町の大通りでのことだった。このまま男は悪魔として討伐される――そう思って見ていたカイトだったが、


   去れというのならば 去ろう

   頂点に立つ者 天上に至る者

   想い無き王よ 虚ろなる器よ

   女神に触れ 女神となるがよい


(あれっ、本当にどっか行っちまった……)


 歌が終わり、それと同時に男の姿も町の家々が落とす陰の中に消えた。奏でられていた曲が止まり、緞帳が下りる。場面転換、舞台装置の入れ替えだ。その幕はいまのやり取りだけで終わってしまったらしい、ということにカイトは少し肩すかしを食らったような気分になった。


(いまのは少々新しいな。本来ならば王は月の悪魔を打ち倒すのだ。自らの心の惑い、邪念を捨て去るというみそぎのためにな。ここで禊ぎを行い、そして王は神の座を昇り、その御体を拝領するのだ)

(御体を……拝領? あ、魔剣か!? 月の神の骨か何かつってたな……ってあれ、降ってくるんじゃねーのかよ)

(これはあの童話よりさらに後代の物語だ。さっきも説明したが、これは魔剣を継承する魔皇が月へと渡り、神の力を再び与えられ、全知全能、完全無欠の存在として魔族だけでなく世界を統べる王となる。そんな物語だよ)

(うっわ超魔族優位思想じゃねーか。いや魔族が作った話なんだからそりゃそうか。魔族は昔っから世界征服したかったのか……)


 カイトは直接、月の神と魔族にまつわる童話を読んだことは無い。だが、最初に聞いた童話よりもさらに乱暴というか、現実的で生々しい内容になっていっているように思えた。しかもその物語は現実となった。ハガネの形を取って、いままさにここにあるのだ。


(だからあの人は、男じゃなくて女なのか……お前が凄いって言いたいのか?)

(棘をこっちに向けるな、我はこの歌劇には関与していないのだぞ。だいたい……良いように書いているように見えるか? 本来ならば、王が悪魔を退ける序盤における一番の見せ場ぞ。それを剣閃の一つも光らせず、挙げ句……心なき者のように言い捨てて)

(……言われてみればそうだな。てか、それじゃあこれって――)


 カイトが思考を巡らせたその時、隣から溜め息とも唸りともつかない、微かな声が聞こえた。反射的にハガネが顔を向ければ、そこには両手を肘掛けに乗せ、顔の前で組んだ手を口元に当て、眉間にしわを寄せているダイスの姿があった。表情が窺えるのは目の周りだけだが、それでもはっきりと、カイトには苛立ちや怒りが見て取れた。


(お、怒ってる)

(ふむ。あれは元々この話が好きでは無いらしいからな。御骨の流星の物語は好きだというのに……何がそんなに癪に障るのやら)


 そんなものはカイトにも分からない。ただ、ともかくダイスが本気で怒っていることだけはひしひしと伝わっていた。


(やぶ蛇という言葉もある。いま気にかけてもしょうがないだろう。……幕が上がったな。次の場面は、いよいよ王が女神に愛を授かるシーンだ)

(あ、愛!? 愛って……)


 愛、と聞いて直感的に恋愛を思い付いたカイトを、ハガネは鼻先で笑う。


(何とも短絡的だな)

(わっ、悪いかよ)

(悪くはないが引き出しが少なすぎではないか? まあもっとも、我が見てきた脚本では子供向け以外全てそういう方面だったが)

(合ってんじゃねーか!)

(何ならそれを公演していいのかと言いたくなるほど、公序良俗に反するのでは無いかというほど露骨なものもあったぞ)


 そんなものを王族に見せて良いのかとカイトは問いたくなったが、歌が始まったために仕方なく思考を打ち切った。幕が上がって舞台の階段を下っていた女王が、女神と対面する構図だった。


   女神よ すべての魔の源泉よ

   いまこそその御姿を 顕したまえ――


 女王はその場に跪く。すると、それまで暗く陰っていた部分にスポットライトが当たった。白い光を浴びて浮かび上がる女神は、役者ではなく巨大な舞台装置としてそこにあった。その姿はおよそ人の姿ではなかった。全体は白骨化しており、面長の、猟犬に似た頭部を太い頸椎が支え、牙のような肋骨からは翼の骨らしきものが伸びている。胴体から伸びる長い尾はぐるりと舞台の半分ほどを覆っていた。


(ま、魔族ですらない……!? てか、あの見た目で女神!? あれと魔皇が愛し合うのか!?)

(なんだ、見た目にこだわるタイプかお前は。確かにお前の引き連れていたロビンとやらは美少女だったが)

(うるせーな! てか、軽々しく話題に出してんじゃねーよ……仲間を死んだこと、オレたちの力不足のせいとはいえ本気でムカつく話題だからな。不用意に言うな)

(なるほど、悪かった)


 本当に悪いと思っているのか分からない風に返され、カイトは苛立つ。同情したり共感を覚えたりということが全く無いわけではないが、根底にある怒りや憎しみはまだ無くなっていないのだ、とこういうことがあるたびに思い知らされる。体さえあれば、いやいっそ魂が消えてしまえればと思うこともある。

 ――しかし、そんな風に思うのはこうして、ハガネに彼らの話題を振られた時だけで、自分の怒りはもう風化しかけているのではないだろうか?

 そんなことが思い浮かび、カイトの思考は落ち込んでいった。もう舞台の上で起きていることにも、ほとんど目を向けられなかった。そんなカイトに対してハガネは何も言わなかった。いや、何も言えなかった。もはや軽口の一つも叩けない。場面がさらに転換し、女神からさらなる力を賜った劇中の魔皇をただ黙ってみるばかりだ。

 よく見る劇ならば仰々しく飾り立てられるはずのシーンは、寒々しく素っ気ないものに見えた。無駄と装飾を省いた、という以上に、言葉をほとんど発することなく、ただ力を与えられただけという描写。魔皇にも女神にも心があるようには見えない。そう感じさせる描写は、無言の内の批判のようにハガネには思えた。

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