二十二話 姉と弟のギクシャク

 目的地のホールには、セトナイ洞から入ってさほど経たずに到着した。洞の入り口付近からも見えていた建物で、青い丸屋根が印象的な巨大な建物だった。馬車を止めるための副道もあって、ハガネ立ちを乗せた馬車はそこで停車した。ダイスが先に下車し、すぐにハガネも馬車を降りると、何故か回り込んできたダイスが目の前に立っていて、ハガネは面食らった様子を見せた。


「どうした。護衛のつもりか?」

「……ええ、まあ。魔皇様の御身をお守りするのが、大将軍としての務めですので」

「? そうか……」


 中途半端に上げられたダイスの腕にハガネは首を傾げる。カイトも一緒に首を捻っていたが、ダイスの挙動の意図に気付いたのはカイトの方だった。


(あれさぁ、もしかしてエスコートしてくれようとしてるんじゃないのか)

(……うん? え、エスコート?)


 珍しく狼狽えたような声が乱れた思考に、カイトの方が驚き、一緒になって戸惑ってしまう。


(どっ、ど、どうしたんだよ。俺なんか変なこと言ったか)

(いや……その発想は無かった。しかし、クィンシーが、我を? 本気でそう思っているのか?)

(だってほら……一応お前、レディ? だし……)


 女の子をエスコートしてコンサートホールへ、なんてシチュエーションは夢見るどころかカイトにとっては想像すらできないことだった。せいぜいロビンを連れて行ったのは近所の花畑や小川程度で、いまにして思えばもうちょっと女の子が喜びそうなところへ連れて行けば良かった……と思っても後の祭りだ。


(過去の想像を引っ張り出すのは好きにすればいいが、それを我らに当てはめるのはどうかと思うぞ。姉と弟は、女と男にはなり得ぬ)

(それもそうだけど、でも一応気は使ってくれてると思うぞ。こういうの、新聞屋とかも見てるんじゃないのか?)

(外面を気にしろとは! 政治に疎いだ苦手だと言っておきながら、随所にそうは思えない形で口を挟むのだな、お前は)


 別にカイトだって詳しいわけじゃない。どこかで勉強したわけでもないし、学校のテストはいつも大半が赤点ギリギリだった。ただ、見て来た分だけ知っていると言うだけで。勇者という身分がどこに行ってもついて回り、どこの王もカイトを歓待した。が、内に入り込めば内情は否応なく見えてくるもので、知らなきゃ良かったと思うようなことまでカイトは知っているのだが、それをいまのところ役立てられた試しは無かった。


「姉上。幻楽団の者との対話は公演前に行われます。……ですが、くれぐれも不用意に踏み込んだ話をされないよう」

「なんだ、急に。その話し合いなら昨日しただろう」


 繰り返し言っておかないと、勝手な行動をされて頭の痛い思いをするからなんじゃ――とカイトは思った。ウェインの一件からこっち、ダイスの仕事は増える一方だ。事前に知っていたことを相談していればウェインを生きて捕らえられ、妖精族のことに関しても順調に捜査ができていたのかもしれない。そう思うと、大人しくしようとは思っても、とてもじゃないがぞんざいな扱いはできないだろうに。

 しかし気心知れた姉弟の仲だからか、表面上ぞんざいな扱いを受けても、ダイスはどうということもなさそうだった。


「段取りについて覚えておいでなら結構です。……事の成就を焦って、御身に危険が及ぶこともあるでしょう。くれぐれも、今日は大人しくしていてください」

「分かった。分かっておるから、そう念を押すな」

「本当に分かっておられるのならよいのですが。幻楽団の演奏が、あなたの御心を鎮められることを願うばかりです」


 どうやらよほど大人しくしておいてほしいらしい。念入りにそう釘を刺されては、流石のハガネも閉口せざるを得なかった。



 ホールの中は外観に負けず劣らず煌びやかだった。姿が写るほどに磨かれた床に、高い天井から吊り下げられたシャンデリアの光が降り注いできらきらと光っている。金色に輝く階段の手すりは精緻な細工が施され、壁にはかつての名優たちだろうか、美しい姿形をした様々な種族の男女が彫り込まれていた。


(……城より豪華だ)


 その豪奢さにカイトは圧倒されつつも、市街地の有様と比べてあまりに金のかかった様子に多少の嫌悪感を覚えた。よく戦後もこんなに良い状態を保てたな、とハガネに皮肉の一つも言おうとしたところで、ホールの奥から一人の、背の低い男が現れた。尖った耳を見るに、どうやらエルフ族らしい。エルフ族の男はハガネとダイスの前に立つと、深々とお辞儀をした。


「これはこれは! ようこそいらっしゃいました、魔皇陛下、大将軍閣下!」

「健勝そうだな支配人よ。戦後の混乱の間も、よくぞこの場所を守り抜いたものよ」

「これも支援者の方々のご援助あってこそでございます。陛下も是非、機会がございましたらあの方たちにご挨拶をば」

「気が向いたらな。さて、立ち話もここまでだ。席への案内をせよ」


 支配人はうやうやしく頭を下げ、先に立ってハガネたちを案内した。階段を上がり、ドアを開けて通路に入り、奥の方へと進む。通路の途中にあったドアを開けて入れば、その先は個室になっていた。王族二人に合わせてか豪奢なソファ二脚置かれ、ソファの前に置かれたテーブルの前には、ワインボトルとフルーツを盛り合わせたバスケットが置かれていた。先にハガネがソファに腰かけ、ダイスが支配人に目礼してから腰を下ろす。


「それでは、ごゆるりとおくつろぎください。ご用の際はそちらのテーブル上にあるベルを鳴らしてくださいませ」

「うむ。大義であった、ブラスよ」


 支配人は再び深く頭を下げると、静かに部屋を出て行った。部屋にはハガネとダイス、そして護衛の者たちだけが残った。ひとつ、軽く息を吐くと、ハガネはテーブルの上のボトルに手を取った。


「……姉上」

「何だ、クィンシー」

「そのお体で酒を飲まれるおつもりですか」

「何を言う、我はとうの昔に成人しておるだろうが」

「年は年、体は体でしょう。酔っ払ったらどうするんですか。そもそも、元より酒に強い体ではないのですから……今後のこともあります。お控えください」


 ハガネは数秒ダイスを睨み上げていたが、渋々とボトルを置いた。


(……お前、酒弱かったのか。酒飲ませてから突撃すりゃ良かった)

(貴様勇者だろうが。卑怯な真似など考えず、正々堂々とやらぬか)


 ハガネと戦う前のカイトならばその言い分に同意しただろう。しかし、いまのカイトとしては『それ以上に、どんな手を使ってでも勝ちたかった』という思いの方が強かった。


(全ては終わったことだろう。あれこれと、終わってしまったことをぐちぐち考えるでない)

(うわムカつく。勝ったから言えることだよな、それ)

(何を当たり前なことを言っている。そもそも、どんなことをしてでもと思うのなら、その手を魔族の血で染めれば良かったのだ。我が人族の血を魔剣に与えた以上にな)


 カイトはむっとしたものの、それ以上のことは考えなかった。手段を選んだのは自分だったし、ハガネが酒に弱いなど当時は知らないことだった。たとえ知っていたとしても、ダイスが補佐についていたとなれば、泥酔した状態で戦うことなど無かっただろう。

 カイトが黙ることで会話が途切れると、横からダイスの声が聞こえてきた。


「姉上……姉上? 聞いておられますか」

「ん? ああ……何だ」


 どうやら何度か呼びかけていたようだったが、脳内会議のせいでダイスの声が聞こえていなかったらしい。改めてハガネが聞き返す。が、ダイスは一瞬口を閉ざすと、恐らく当初の話題とは違うことを話しはじめた。


「近頃の姉上は……様子がおかしいぞ。勇者一味を討ち滅ぼしたあの後の無気力さも奇妙この上なかったが、いまもまだ心あらずではないか。いったい何があったというのだ?」


 ダイスの問いに、ハガネはしばし口を閉ざした。おい、とカイトはハガネに声をかける。


(言えばいいだろ、本当のことを。何ためらってんだ?)

(……これはアマルガムのやつめと繋がっておるかもしれぬだろう。真実を語れば、弱みを話すことになりかねん)

(本気で言ってんのか?)


 カイトにはどうもそうには思えなかった。いや、百歩譲ってアマルガムとダイスが懇意な仲だったとして、いまのダイスはただ姉を心配しているだけのようにカイトには見えてならないのだった。しかし、カイトの考えもハガネの心を動かすには至らなかった。


「お前の気にするようなことはない。我は実に健勝だ、見ての通りな」

「……近頃、あの白血者にも何か仕事を与えているようだが」

「ミュリエルを白血者と呼ぶなと、何度言えば分かるのだ。同じことを何度も言わせるな。……もうよい。それよりも、何か酒以外の飲み物を持ってこさせよ」


 ダイスは何か言いたげな目を向けたが、ハガネの方は目を合わせようともしない。先ほどに比べてだいぶ悪くなった空気に、カイトは心の中で溜め息を吐いた。

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