二十一話 セトナイ洞

「それで、魔皇陛下におかれましては、侵入者と何を話しておいでで?」


 御者が輓馬ばんばに鞭を入れる前から始まった説教に、ハガネはもはや慣れた様子で軽く首を傾げて答えた。


「侵入者? 我はうっかり迷い込んだ妖精族の子供と話していただけだが」

「どのような経緯であれ城内に許可も得ずに入ってきたら、それは侵入者です。外見が子供と油断されぬよう。どのような相手であれ、狼藉を働く者はいるものです。不審者がいたのなら、その対処は衛兵に任せるべきかと」

「ふむ、そうか。以後気を付けよう。ところで、あの子供が話していたことだが」


 ハガネに軽く流されることに、ダイスの方はあまり慣れていないらしい。目蓋がぴくっと震えるのをカイトは見た。……こうやって日々、ストレスが蓄積していくんだろうなぁとしみじみ思う。いつか爆発するんじゃないか? というかよく爆発しないな、などとカイトが考えていると、


(爆発なら定期的にしているだろう。城内でこれが剣を抜いた時のことをもう忘れたのか)

(いや覚えてるけど、もっとこう……本気でキレたりしそうというか)


 いまのところ、まだ抑えている方だとカイトは思うのだ。これが本気で怒ったらどうなることか――という危機感を持っているのはカイトだけで、ハガネの方は至極事務的に、途切れかけた言葉の先を繋ぐ。


「国の各地で妖精族が失踪しているという話だ。何か聞き知ったことはあるか?」

「……それは、新たな失踪者が出ている、ということですか」


 憤然としたものを押し隠したダイスの無表情が少し変わる。無表情なことに変わりはないが、怒りの熱が冷めたような冷静さが目に宿っていた。


「妖精族は元々、街中に居宅を持つよりも森林や山野といった場所に住み、気まぐれに居を移す者が多い種族です。それを抜きにしても失踪者が続出している、と民が感じているというのは……異常事態ですね」

「そうであろう。とはいえあの少年も『友人』から各地の情勢を聞いたと言う。何らかの民間組織……たとえば『クレブリック地域会』や『帝都レジスタンス』のような者たちと関わっているのかもしれぬ」

「何にせよ、妖精族の間でその事実が認識されていながら上に報告が上がっていないというのは、少々不自然でしょう」


 言って、ダイスは何かを考え込むように難しい顔をしてうつむいた。二人が口を閉ざすと、車内には馬が蹄を叩き、車輪が回る音が規則正しく響くだけとなった。


(なあハガネ、家出したらやっぱ家族とかが探すよな? 警察に届け出とかってのは……)

(もちろん出すだろう。捜索の手を回せるかどうかは不明だがな。全く探さないということも無いだろうが……どちらにしろクィンシーが知らぬのも無理はない。失踪者についての報告が大将軍のところまで上がってくることなど、まず無いだろうからな)

(……あれ、じゃあ『報告が上がってないのは不自然』っていうのは)

(大方部下に『どんな些細なことでも報告を上げさせろ』と厳命していたのだろう。が、戦時下ならまだしも、緊張が解け、警察と軍の連携も緊密さが失われてきている最中でのこと……『失踪者程度なら大将軍の耳に入れるまでも無い』と、各地での報告が上がりにくくなるはずだ)


 その程度のことはダイスも分かっているはずだ。だが、それでも口に出して言った。――もしかして、何か別の理由があるとダイスは思っているのだろうか? ダイスが次に口を開いて言った言葉は、カイトの予測に沿うものだった。


「……いまこのような場で陛下の御耳に入れることではないかもしれませんが。どうにも、警察の動きが怪しげに思われます」

「ほう。何故そう見る?」

「軍よりも警察の権限が下に置かれている現状、警察はともかく独自の功を立てたいと考えているでしょう。そして先の、ウェインの件です。一見すると警察の手柄ですが、事前にウェインを抑えられなかったという点においては功を逃したと感じているはずです」

「要は警察連中が功の誉れ欲しさに、情報を意図的に遮断していると?」


 ダイスは口をつぐんだ。それ以上を言えば、軍の長から警察を糾弾することになる。――というのをカイトはハガネの意思から教えられた。手柄の取り合いだとは分かるのだが、複雑な利権争いには頭が微妙に付いていかない。構造は簡単なのかもしれないが、どうにも小難しいことを言っているように聞こえてしまうのだ。


「……ともあれ、再び情報の統合を行うべきでしょうな。本件の真偽、そして真ならば奴隷失踪の件と併せて考えるべきか。現状では情報が足りません」

「そのようだな。幻楽団の者にはこの件、問い合わせるべきと考えるか?」

「本来ならば情報を精査した後に尋ねたいものですが、やむを得ませんな」


 ハガネが頷くと、それで会話は終わった。到着まで説教を延々食らうと思っていたカイトは肩すかしを食らった気分だったが、数分と経たないうちにじわじわと気まずい気分になってきた。


(カイトよ。お前の気まずさで頭がむず痒いのだが)

(いや、だって、普通、家族ならもうちょっとこう……こう、何かあるだろ)

(何かとは何だ)

(話すことだよ! 世間話とか、最近どうよ? とか!)

(そんなものは無い)


 無いわけがあるかとカイトは心の底から思った。思ったが、本当にハガネには話したいことなど何も無かったし、ダイスにしても話すことは何も無かったらしい。


 カイトだけが気まずい思いをしながら、馬車は丘を下っていく。


 途中、馬車は帝都市街地へと繋がる道をそれて別の道を行く。道はレンガで舗装され、両脇には磨かれた真鍮の街灯が並ぶ。街灯の明かりは切れた様子も無く、柔らかなオレンジの光を道に投げかけていた。


(……何か高級感あるな)

(この道より先に続くは、セトナイ洞……まあ手短に言ってしまえば、高級住宅街のようなものだ。官僚や高給取りの商人等が居を構えておる)


 カイトに見せるように、ハガネは首を傾けて窓から外を見た。窓の外、道の先には山が見えていた。山肌にはぽっかりと口が開き、道はその先へと続いている。

 山や洞窟と言った場所は、ハガネが言ったような社会的に地位の高い者が住む場所だった。逆に市街の塔状住居、特に上層階は庶民の住む場所である。歴史の古いガナガルティガン帝国においては魔族同士の争いも珍しくなく、空を飛べる種族が上空から魔法で爆撃を仕掛けてくるのもままあることだった。だからこそ護るに易い山に囲まれた城と洞窟が、要人の住む場所となっているのだった。


 馬車は綺麗に舗装された道を通って、洞窟の中へと入っていく。戦争の歴史を裏付けるように、洞窟の内外を隔てるところには、城門に勝るとも劣らない大扉があった。


(そら、見えてきたぞ。これがセトナイ洞……帝国で最も金が集まる場所よ)

(……うわ)


 カイトは驚きに声を上げ、それ以上何も言えなくなった。

 開かれた大扉の先には、帝都市街とは比べものにならないほどに煌びやかな町が広がっていた。

 セトナイ洞の中はすり鉢状になっており、段々畑のように建物が並ぶのが見える。道は広く、その片側にある建物は一つ一つが巨大だ。二階を超す建物は無いものの、全ての建物が磨かれて艶やかな灰色の石でできており、強度だけではなく装飾性も兼ね備えられた外観をしていた。等間隔で立てられた街灯と窓からこぼれる明かりが辺りを照らし、洞窟の中だというのに帝都市街よりもよほど明るかった。

 光に満ちた洞窟の中、馬車はなだらかな道を下っていく。馬車に気付いて敬礼をしたり手を振ったりする人々は、市街の方に比べて身なりが良い。衣服の仕立ては良く、指輪や首飾りといった装飾品を身に着けている。


(何か……ここの人たちの身ぐるみ剥いだら、町の人が一年ぐらい暮らしてけそうだな……)

(それだけの勲功を立てた者がここにいるのだ。身分違いの無情を嘆くが、ここには下の身分から成り上がった者も多くいる)

(そういう……もんか?)


 カイトの疑念にふっ、とハガネは口元を緩めた。


(それに、こうして着飾ってはいるが彼らとて余裕があるわけではない。ああしてきらびやかに着飾るのは一種の見栄よ)

(見栄て。そんな見栄張る必要があんのか?)

(見栄にどういう意味を見出すかは人それぞれだろう。我は見栄の価値をさほど重視はしておらぬがな)

(そうなのか?)

(でなければ幼い少女の姿で、魔皇として振る舞ったりはせぬ)


 それもそうか、とカイトは納得したものの、セトナイ洞の人々が見栄を張る理由についてはいまいち想像が付かなかった。

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