二十話 出発前の報せ
――夕刻。
ハガネは想定した時間よりも早くに執務を終え、衣装を整え城門の前にいた。その衣服は、執務中に来ているシンプルかつゴシックな装束では無い。袖や裾にふんだんにフリルが使われた、率直に言えば『お姫様』を思わせるものだった。
(それ、お前の趣味……なわけないよな)
(うむ。やはりミュリエルの趣味だ。顔を見せぬわりにきっちりと服だけは置いていきよって……)
(そういえば、見ないな。確か神剣の調査を任せたんだっけ)
魔剣と魂の因果について詳しかったミュリエルは、役職を持った公人では無いものの、助言者として神剣の調査会に加わっている。
勇者が手にしていた神剣が砕け、その力は片鱗となって各地へと散った――。
その真偽を確かめるため、そして神剣の欠片が及ぼす影響を調べるための調査会だった。そちらの仕事が忙しいらしく、あの事件以降ミュリエルとは一度か二度程度しか顔を合わせていないのだった。
(そっちの調査はどうなってるんだ?)
(こちらは前途多難だそうだ。そもそも決戦のあの日に振ったという光を神剣の欠片と仮定して動いているが、それに触れた者どころか落ちた地点すら情報が散見しているのだ。情報を集めて精査するとなると、流石に時間が――)
説明の途中でハガネの意識がそれた。どうやらカイトではなく別のものに注意が向いたらしい。ハガネの目を通じて、カイトもそれを見た。
木が揺れている。
城と堀の間、生け垣として駆られた低木。その木、というか枝や葉が揺れていた。
それは風で揺れているとかではなかった。そこに何かがいるような、たとえば大型の犬が茂みにいて動いているような、そんな様子だった。しかしその生け垣に潜む『何か』は、鼻先も尻尾も出すことなく、じりじりと城門の方へと進んでいるように見えた。
(……ハガネ、あれ)
(心得ておる)
その様子を観察していたハガネは何気ない素振りで堀へと近付くと、ほとんど助走も無しにその堀を跳び越して揺れる生け垣の前に立ち、その枝葉の中に手を突っ込んだ。
「ギャーーーー!?」
直後、とんでもない悲鳴が上がってハガネはうるさそうに目を細めた。
ハガネが首根っこを上手いこと掴んで引っ張り出したのは、一人の子供だった。背中に透明な、薄い楕円形の羽根が四枚生えている。妖精族の少年だった。
「ごっ、ごごごごめんなさいぃ! マジすいませんお願いだからコロサナイデー!」
「やかましいやつめ。取って食らったり門に磔にしたりせぬわ、大人しくするがよい。魔皇の前ぞ、騒ぎ立てるな」
「ま、魔皇ー!?」
騒ぐのを止めさせるためにハガネは魔皇と名乗ったのだが、その少年に対しては逆効果だった。ボサボサの、長く伸ばした栗色の髪の間から覗く青い目を、丸く見開いてハガネを見た。かと思うと、
「すっっっ……げー! 本物だ! 本物の魔皇様だ! 城に忍び込まなくても会えんじゃん!? えっ、なんでこんなところに魔皇様がいるんだ!?」
「……所用で出かけるのだ。それよりも、忍び込むとは何事ぞ。見ての通り我が城の門を守る衛兵が、お前の動向に目を配っておるぞ。事と次第によってはあれに引き渡すことになる。子供と言えど、冷酷な罰を受けることになるやもしれぬな」
「ヒェッ……マジで……?」
マジで? とはカイトも同時に思ったことだった。(いくら何でも、本心では無いがな)とハガネはカイトにのみ分かる、心の声で言った。回りの兵とて厳罰に処してやろうなどとは欠片も思っていない、というのはその視線から見て取れる。魔皇に憧れてか、それとも城への好奇心と探究心からか、城に忍び込んでみようとする子供は時折いるものだった。むしろそういった元気のある子供は近年では見なくなっていたもので、衛兵の視線は微笑ましいものを見る目をしていた。
「……それで、我が城に何用で入り込もうとした」
掴んでいた手を離してやると、ハガネは改めて問うた。興奮が少しは収まったのか、少年ははっとした顔をしたかと思うと、いたく真剣な表情を浮かべてハガネを見上げた。
「あ、あっ、あの、魔皇様! おれ、魔皇様に伝えなきゃならないことがあって……その、直接言わないと伝わるかどうか分からんって、相談した人に言われたんですけどっ」
「伝えねばならぬことか。よいぞ、申してみよ」
あっさりと許可を出され、少年は一瞬戸惑ったような素振りを見せたものの、深々と息を吐いて心を落ち着かせて口を開いた。
「……魔皇様。最近、妖精族が色んなとこからいなくなっていってるんです」
「いなくなって……? どういうことだ。奴隷契約によって連れて行かれた者たちは戻っていないかもしれないが、新たに連れ去られているということもないはずだ」
「おれたちにも分からないんです。けど、なんか最近、帝国のあちこちで突然、ふらっといなくなる妖精族がいるみたいで……おれの友達も、家族だけじゃなくて今度は知り合いがいなくなったって、泣いてて」
ハガネは首を傾げた。そのような報告はまだ受けていない。もしかしたら明るみに出ていない問題なのかもしれない。それをこの少年はいち早く届けに来たのだろう。だが、
「そのような話をどこから聞いた? いかに妖精族が内々に結束が固い種族と言えど、帝国の各地で消えた妖精族の話を、そう伝え聞くことができるものなのか?」
「おれの友達が教えてくれたんです。魔皇様なら話を聞いてくれるって」
「友達……? 誰だ、それは?」
「……あっ! な、内緒です」
恐らく秘密にしろと言われていたことをうっかり忘れていたのだろう。慌てて少年は取り繕った。ふむ、とハガネは軽く頷き、
「言えぬというならよい。時に少年、お前の名は何だ。お前の報告で妖精族を救えたとなれば、褒美をやらねばならぬ」
「ええっ!? あ、でもおれ、褒美が欲しいとかそういうことのためにやったんじゃ……」
「悪いがお前の都合でこちらも動けぬ。国のけじめとして、民の奉公には恩賞で答えるのが筋よ。情報を買うという前例作りを怠っては、正当な務めと賞与が機能せぬ」
「え、えっと、ええと……?」
「悪いことをすれば罰せられるのと同じことよ。良いことをすれば褒美がある。罪から逃れられる罪人はおらぬだろう」
少年はハガネのいうことを全て理解したわけではない様子だったが、魔皇が必要だと言っているのだからとでも思ったのか、素直に頷いた。
「わ、分かりました。おれ、タイタスって言います」
「タイタスか。その名、しかと覚えておこう。さあもう戻るがよい。見つかると厄介な男がもうじき来るのでな――」
「――その見つかると厄介な男、とは私のことですか、陛下」
ハガネが少年を帰らせようと話を切り上げたその時、低い声がその場にいた者の耳を打った。大して声を張っているわけでもないのによく通って聞こえる低音。鋼鉄の刃のように玲瓏な声は、堀の向こう側から聞こえてきていた。ハガネの弟、大将軍ダイス――クィンシーが腕組みをしてそこに立っていた。陛下、と呼びかけながらも態度は中々に尊大だ。どうやらすでに、何かに腹を立てているらしい。
(おいハガネ、なにした)
(まだ何もしておらぬ)
ハガネは即座に言い返した。思い当たる節が無いなら、何か別のことで苛立っているのか――と思いきや、
「私にその少年と会っているところが見られると、何がどう困るのですか」
「お前に見つかると、せっかく有力な情報を持ち寄ってくれたこの少年が萎縮すると思ってな。説教でもされては叶わぬだろう」
「ご安心を、説教を食らうのはあなた一人ですので。……そこの少年よ、もう下がってよいぞ。城への侵入については不問に処そう。魔皇様もそうお望みだろうからな」
直立不動で固まっていたタイタスは、慌てて一度か二度頭を下げると、背中の羽を慌ただしくばたつかせて去って行った。そりゃああいう反応になるだろうなぁとカイトは思う。ダイスはいつも通り恐かった。
「――さて」
恐い。改めてカイトは思った。ハガネの方は、相変わらず弟に対してだけは常に泰然としていたが。
「言いたいことは山ほどありますが、その山を切り崩していると時間がいくらあっても足りませんので。さっさと馬車に乗り込みましょう」
「そうだな。それにしても、もう少しやんわりと振る舞ったらどうだ? 少年は萎縮していたように見えるが」
「これは異な事を。全ての序列は力で決まり、力ある者があらゆる振る舞いを認められると考えていたのは、少し前までの姉上でしょう」
ハガネは押し黙った。――確かにそうだ。弟の意見に同意する声がカイトには聞こえた。が、ハガネはすぐにそれについて、何か言葉を放ったりはしなかった。ハガネ自身がまだ、己の心情について理解しきれていないのだ。
沈黙をどう取ったか、ダイスは硬い表情のまま「まあ、いまはその話はいいでしょう」と言って、片手をハガネの方へと差し伸べてきた。
「姉上、馬車がもう着いております」
「分かっておる。説教は馬車で聞く」
言いながらハガネは堀を跳び越して、ダイスの横へと着地した。
――その一瞬、ダイスが眉間にしわを寄せたように見えた。
ただ、カイトにはそう見えたというだけで、ハガネはその表情の変化については、特に何も思わなかったらしい。堀の向こう、兵の詰め所の前に止められた馬車に乗り込み、ダイスが乗ってくる数秒の間、窓から首を出して道の方を眺めた。なだらかな下り坂の向こうで、妖精の少年タイタスが跳ねるように駆けていくのが、斜めに差す陽光に照らされてよく見えた。
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