二章 新生・妖精王国

十八話 消えた妖精族

 帝都を騒がせた、商人ウェイン・ドゥによる住民洗脳事件から一週間が経った。

 事後対応に追われていた帝都城は、ひとまずの静けさを取り戻していた。とはいえ問題が山積していることには変わりなく、今日もハガネは執務机に就いて、山のような書類に片っ端から判子を押していた。


「……はぁ」


 ハガネは溜め息を吐くと同時に思う。


(カイトよ……ここで我に代わって執務をこなし、我に恩を売ろうとは思わぬのか)

(思わない)


 カイトの返事は手短で冷たい。というのも、この一週間同じようなやり取りを、もう何百何千と繰り返しているからだ。

 ハガネが真面目に執務をするようになった。

 そのことに王城は天地がひっくり返ったような騒ぎ――とまではいかないが、誰もがみな大なり小なり驚いている様子だった。ハガネが言うには仕事をしていなかったのではなく、通す価値も無い書類ばかりが来ていたのでろくに目を通さなかったというのだが、それが急に全ての書類に一応は目を通し、それなりの確率で判子を押すようになったとなれば、文官たちは大騒ぎになる。

 我先に、とともかく通して欲しい条例や法案、その他城内の細々とした整備の案やら人員配備案を持って文官が押しかけ、執務室は書類の山を通り越して書類の海が出来る始末だった。

 ハガネも馬鹿ではない。戦時中は各地の戦況と他国の情勢、そして内政を同時に見ていたのだから、大量の書類を処理する頭ぐらいはある。むしろ当時の方がよほど情報量が多いぐらいだ。

 ――しかし、それでも部屋を埋め尽くすほどの書類は、やる気を削ぐのには充分な効果があった。


(一週間もこうして執務室に詰めているのだぞ……クィンシーもミュリエルも手を貸しに来ぬし、アマルガムはやはり信用ならぬし……もううんざりだ)

(お前がずっと色々溜め込んでたからこんなことになってるんだろ?)

(それはそうだが、そろそろ息抜きというものを、我も享受していいだろう……)

 疲労しきった声に同情しそうになったカイトだったが、ハガネがいままで真面目に国を見てこなかったせいでどれほどの魔族が苦しんだかと思うと、すぐにその同情も引っ込んだ。


(……俺が魔族に同情するなんてな)

(我にも同情を寄せる気は無いのか)

(無い。人の思考を読むのマジで止めろよ)


 そうは言ってもカイトの魂はハガネの肉体の中にあるのだから、思考が読まれるのはしょうがないことだった。ここ一週間、努力して壁のようなものをイメージすれば遮断できるということが分かってきたものの、それはかなり気合いを入れてやらなければできないことだったし、そもそも『壁ができた』ことをハガネは感じ取ってしまうのであまり意味が無いのだ。

 逆に、カイトもだんだんとハガネの感情を感じられるようにはなってきていた。

 ……分かるからこそ、いまのハガネが本当に気疲れしているのが分かって、気を抜くと可哀想だと思ってしまいそうになるのが難点だ。


(もう判子を押すのにも飽きたぞ……だいたいどこもここも予算の請求や人と物の手配の要求ばかりではないか。そのくせ我が命じたことはろくに進んでないと来る……)

(王様の仕事なんてそんなもんだろ? それより、命じたことって……)

(ウェインを含め、奴隷として売り払われた帝国民の捜索と返還要請だ)

(ああ……でもあれ、六割ぐらいは帰ってきたんだろ? で、残りは雇い主と話し合って、そのまま現地で働くって話だったんじゃないのか)

(そうだ。それで九割は話が付いた)


 つまり残りの一割が全く進んでいないという話だった。


(けど、何もかも力尽くでーってことにするの止めたんだろ? だったらちょっと時間がかかってもしょうがないんじゃないか?)

(それは承知しているつもりだ。が……しかし、一つ引っかかることがある)

(……何かあったのか?)

(奴隷商人の『商品』の名簿と照らし合わせながら返還要求を行っているのだが、妖精族の帰還率が異様に低いのだ)

(妖精族の? 妖精族だけ、なんで帰ってきてないんだ?)


 分からぬ、とこぼすハガネの書類を処理する手は止まっていたが、カイトも先が気になる話で咎めるどころではなかった。


(妖精族は元より、大半の魔族よりも体力が劣る。売られた先で力尽きたのかと思いきや、どこを問いただしても『働いている途中で逃げ出してそれきり』だというのだ)

(逃げてどっかで暮らしてるって可能性もあるのか?)

(だからこそ捜索隊を放ち、また町にはおふれや張り紙を出した。妖精族とて家族が待つ者はいる。帰還を自ら望む者は少なくないはずだ)


 カイトは、初めてハガネと共に帝都に下りた時のことを思い出した。思えばウェインを見たのも、レジスタンスと邂逅したのも、あの時が初めてだった。

 あの時――妖精族の女性の子が連れ去られる、その現場にハガネとカイトは居合わせていた。


(イフェメラさん……だったっけか。どうしてるかな……)

(奴隷として売られた者の家族には、返還手続きを進めていると説明してある。いまごろは期待に胸を躍らせているか……もはや戻らぬものと諦観に沈んでいるか)

(早く取り戻さないと不味いんじゃないのか、それ)


 帰ってくるはずの者が帰ってこない。それだけでも不満の火種になるのに、帰ってこないのは妖精族ばかりで、他の魔族はほとんどが町に帰ってきている。となれば妖精族の間で不満の種火が発火しかねない。もしレジスタンスのような集団を作られたら――というカイトの考えは、ハガネが思うことと一致していたらしい。


(妖精族は他の魔族より体力面で劣る一方、魔力は高い。しかも生まれつき羽を持ち空を飛べる。好戦的では無いが、一方で激情家でもある――怒りに火が点けば、文字通り空から火種を振らせるぐらいのことをしかねん。そういう意味でも、さっさと片付けたい案件だったのだがな)

(なんかアテは無いのか? いや、あったらとっくに捜索隊をそこにやってるか……)

(うむ。そしてことごとく空振りだ――が、延々無為無策というわけにもいかん。かくなる上は妖精族の行動に詳しい者に話を聞こうと思っておる)

(妖精族の行動に詳しい者? って、誰だ?)

(決まっているだろう)


 ハガネはカイトに語りながら、書類の一枚に手を伸ばした。今日中に処理すべき書類の、最後の一枚。それは申請書だった。帝都を訪れる楽団が、国営のホールを使わせて欲しいという申請書だった。


(同じ妖精族に聞く。帝都の妖精族は事情を知らない様子だったが、この楽団は各地を旅して公演していると聞く。何か良い知らせを持っているかもしれん)

(楽団? ……あ、俺これ知ってるかも)

(有名な楽団だからな。妖精幻楽団……その名の通り楽団員は全て妖精族だ)


 カイトは書類を見た。楽団はどうやら三日後に来るらしい。――メチャクチャ急だ。カイトは思った。


(そこら辺で笛でも吹くならまだしも、ホール貸し切りってそんな急に出来るのか?)

(我がやれといったらできるのだ)

(……担当部署のボーナス弾んでやれよ)


 絶対この無茶振りで割を食ってる奴がいるんだろうなぁ、とカイトは一人苦い思いを抱いたのだった。

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