十七話 取り戻すもの、取り戻せたもの
会談はそれから二時間以上にも及んだ。ハガネは意外にも、真面目に頭を働かせれば無能というほどのものでもなかった。
(……びっくりした。お前、頭良かったんだな)
会談が終わり、共同声明を出し、さてあと少しで双方の国の重鎮を並べて開く晩餐会をという時刻。ハガネは自室のバルコニーに出て、手すりに身を任せて庭園を見下ろしていた。頭を使った疲れにカイトの隠すこともなく吐かれた馬鹿にした言葉に、溜め息を大きく吐く。
(我を誰だと思うておるのだ。この程度のこと、考えるのは造作もないぞ)
(いや、だってさ。『無いなら力尽くで奪え、奪えないなら諦めろ』みたいな感じだったろお前)
難しいことを考えているようにはとてもじゃないが思えない。そもそも、そこまでのことを考えられるのなら何故いままでやってこなかったのか、カイトには不思議で仕方がなかった。
しかしカイトが抱いたこの疑問、なんとハガネにも共通していることだった。
(我とて、何故やろうとすら思わなかったのかは不思議なのだ。そして、いままで成すべきと考えなかったことをしようと思ったことも)
(……心とか、感情とか、元に戻ったのか?)
カイトは自分の魂の中に、神剣が少しだけ吸収されていることを思い出した。ハガネの心変わりの原因が神剣に貫かれたことなら、神剣の力を取り込んだことでもしかしたら、少しだけ何かが変わったのだろうか。しかしハガネは緩く首を横に振った。
(全てが戻ったような感覚は無い。『これを成せ』と、ある種使命のように思うことはあっても……熱意と呼ぶべきか? そう、兵を統率し、戦場に赴いた時のような感覚はまるで無い。何かに打ち勝ち、何かを成し得ようとする……そんな心が足りないのだ。使命感で無いとするならば、それはいったい何だというのだ……?)
カイトはそれを知っているような気がした。自分はそれを持っている。しかし、それを一言で言い表すのは難しいことのように思えた。
幾つかの心をカイトは言葉にする。ハガネは語られる心のひとつひとつに『そうかもしれない』と思った。しかし、本当にそうなのかは分からないままに終わった。
(――愛、夢、希望。決意、そして信念。なんと、多様な。こんなにも多様で……だというのに我は、どれを失っているのか、あるいは全てを失っているのかさえも分からぬのだな)
ハガネは感嘆するように言う。しかし、沢山のことを言っても、カイトにはそれがどう違うのかを具体的には言えなかった。もしかしたら全ては同じことなのかもしれない。いずれにしろ、ハガネから失われたものは多かった。
(――だが、取り戻したもの、そして残っているものも、我が心の裡には、ある。それが何なのか、そう思うが故にどうしたいか……カイト、お前には分かるか?)
(え? 魔皇の考えなんか分かるわけ無いだろ。あれか、宰相の裏をかいて動けて楽しかったとか?)
(裏はかいたかもしれぬが、だからといってアマルガムの考えを退けさせたわけでもない。結局あれがまとめた政策はほとんど素通しだ。あやつのことではない。そう……それはいまから起こることだ)
いまから起こること、と聞いてカイトは色々と考えてみた。ハガネが帝都の暮らしを直に見たおかげか、少しは何か良い方向に変わっていくかもしれない。アク・アク・リトルとの関係を深めたことで、ガナガルティガンは全体的に良い支援を得られるかもしれない。難しいことは分からない。ただ、少しだけ何かが良くなるような予感はあった。
だが、ハガネが考えていたのはそういうことでは無かった。
(なに、そう難しく考えずともよい。もっと単純なことだ……そう、つまり、この後に控えた晩餐会のことだ)
(は? 晩餐会?)
(我はこう感じるのだ。『面倒くさい』と。……そろそろここから自由を求めて飛び立つのもよいのではないか? とな)
(はあ!? 何言ってるんだお前! 一国の代表ってか世界の代表だぞ、ちゃんとしろ!)
(そこまで怒らなくともよいだろう。意外と生真面目なやつだな)
(意外とって何だ!)
そういうお前は意外と不真面目だ、というか国の行事をばっくれるのはあまりにも失礼が過ぎる。いくら政治だ経済だという話が苦手なカイトでも、約束事を守らないというのは人として駄目だ。第一そんなことをすれば面倒事が雪だるま式にかさんでいって、後からもっと大変なことになるに決まっている――と、思うだけで伝わることを利用してカイトは延々ハガネに説教をかました。体を動かすのはハガネなのだから、ともかくうんざりするぐらいに忠告して何とか意識を変えさせなければ。
すると、文字通り意識が変わった。
(ええい、そこまで古狸どもと飯を食うのが大事というのなら、お前が参加してくればいいだろう)
(はっ? いや待て待て待て、そんなんどっちにしろ責任逃れ――!)
カイトが止める間もなく、ハガネはその体をカイトへと引き渡した。唖然として立ち尽くすカイトは、すぐさまハガネに抗議の声を上げようとした。だが、
「――失礼します、お姉さま」
控えめなノックと声が扉越しに聞こえたかと思うと、ミュリエルが部屋に入ってきた。その手には何やら黒い塊を抱えている。よく見ると、それは豪奢な黒いドレスのようだ。
「晩餐会で着るドレスが無かったので、針子に用意させましたの。急いで仕立てさせましたけれどきっと似合うと思いますわ。さあ、お着替えを……」
「あ、あの、あのさミュリエル。俺……ええと、カイトだけど」
「あら、勇者様! お姉さまはどうされましたの?」
「いや、なんか晩餐会に出たくないとかなんとかで」
「そうでしたの……お姉さまが出席されたくないというのなら仕方ありませんわ。勇者様、代わりにどうかその場を納めてくださいまし」
「いやいやいやいや、ちょっとちょっとちょっと!? それでいいのか、本当にそれでいいのか!? あっちょっと脱がせないでくれ! どうしてこんなことにぃぃぃ……!?」
叫びは虚しく夜の空気に溶けていった。くつくつと喉を鳴らすようなハガネの笑い声が聞こえる。カイトはキレた。このやりたい放題の魔皇をいつかぶっ飛ばすと決意した。が、殴ろうにも殴る体はいまは自分が動かしている。いっそ取り込んだ神剣の力で腹でも切れないかと思ったが、念じようがイメージしようが神剣の力が発揮されることは無かった。
――結局、ハガネは晩餐会の時にはちゃんと出てきた。どうやら人をからかって遊ぶという心は残っているらしい。
(捨てッちまえそんな心!!)
カイトは心の底、いや魂の底から叫んだ。が、ハガネは笑うだけ笑って取り合わなかった。
(魔皇と勇者は戦う運命。そうなることを望むようできているのだ。でなければ、対立する状況を楽しいと思うまい?)
悪いが、この暴虐の心に今後とも付き合ってもらうぞ――といういたく楽しげなハガネの声に、カイトは(ふざけんな!!)とまたハガネにしか聞こえない絶叫を上げたのだった。
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