十六話 魂の仲間

 クロロペルルはそれを否定しなかった。それどころか「お気づきになられましたか」と、平然と認めてみせた。シーガル、とカイトはその名前を無意識に口にする。不凍の水園で、そしていま見せている表情、そして語調、言葉。その全てはそっくりシーガルのものだった。姿形はクロロペルルのものだが、そこにいるのがシーガルだとは疑う余地が無かった。


「確かに私は、勇者としてあなたと敵対した魔術師、メロウ族のシーガルです……が。何故あなたは私の正体に気付けたのです?」

「……魔皇が勇者の仲間について知っていてはおかしいか?」

「あなたが我らに興味があったとはとても思えません。あなたが私に気付けたのは……あなたの中に『いる』からなのでしょう。我々の勇者が」


 ハガネはそこでようやくシーガルの視線の意図を察した。執拗なまでに真っ直ぐに注がれる視線は、ハガネではなく、その肉体に迎え入れられた勇者の魂を見ていたのだ。カイトはとっさに口を開こうとした。いますぐにでも、シーガルの名前を呼ぼうとした。だが、肉体を動かしているのはハガネだった。カイトには、何故シーガルがそこにいるのか聞くことができなかった。


「私の正体に気付けたこと。ウェインが宿した力が神剣のものだと分かること。なにより、その神剣の力をウェインから抜き取ったこと――それはあなたが勇者カイトの魂をその身に降ろしたからに他なりません」

「そこまであれこれと手を回して考察せずとも、聞けば言ったものを」

「すみませんでした。私はあなたについて深く知らなかったものですから。カイトの性格はよく分かるのですがね、長く旅を続けていたもので。……それで?」


 クロロペルル、いや、シーガルの目つきが変わる。黒目に鋭利な光が宿っていた。それは決して攻撃的なものでは無い、真実を抉り出すような聡明な鋭さだった。


「あなたは何を目的としてカイトを呼び起こしたのでしょう? 勇者であるカイトの魂を魔皇たるあなたが取り込むのは、魔族への背信になるかもしれません。あるいは人族と通じているのでは、と思うこともあります。もちろん勇者の力を使うためだというだけならよいのですが」

「随分と薄情なことを言う。何を取り繕っている? カイトの魂を勝手に扱われる理由が気がかりだと言えばよかろう」

「いまの私は魔王クロロペルルです。勇者の仲間である以前に、私には王としての役目がありますゆえ。あなたの目的を知らなければ、友好国として信ずることもできませんのでね。できればその目的を答えていただきたいものですね」

「聞きたいのか、ならば答えは簡単だ。宰相が信用ならんのだ」

(おい、言っちゃっていいのかそれ。国の弱みとかじゃ無いのか? てか俺にも喋らせろよ。せっかく、シーガルと会えたってのに……)

(後で、な)


 まるで子供を諭すように言われて、カイトはむくれた。確かにいまは真剣な話をしている最中だが、カイトとしても真剣な気持ちなのは変わりないのだ。


「アマルガム宰相がですか。良い政策は打ち出してると思いますがね、確かに……私欲で動くような雰囲気はありますけど。そこまで気にくわない何かがおありで?」

「ヤツは言葉で人を惑わし、我が臣下たちを己の味方に付け、勝手な振る舞いをしようとしている。そのように見えてならないのだ。それを我の勝手な思い込みと言われればそれまでかもしれぬがな。我の代わりにあやつは軍に働きかけ、臣下を掌握しようとしている風に見える。だからこそ、人族を束ねたカイトの力や知識を我は欲したのだ。

 ……結果として、その試みは成功したようだ。此度、カイトの魂を降ろして分かったことがある」

「分かったこと?」

「我はある心が欠落している。そして、その欠落をカイトは埋められる。我が失ったものを、カイトは持っている。……それが何かは分からぬがな。どうやらそれこそが、勇者が、いやカイトが人を統率するために用いていた力のようだ」


 それは本来ハガネも持っていたはずの力だった、とカイトは思う。カイトが仲間を率いてたったの四人だけで決死の戦いを挑まざるを得なかったのは、ハガネが魔族を統べるに相応しい魔皇だったからだ。戦線の壁は厚く、正面切っての戦いでは人族は勝てなかった。兵の数や物量では勝っていたはずの人族が魔族の前に敗れ去ったのは、決して魔法という魔族にしか持ち得ない技能があったからではないのだ。しかし、その力はいま、ハガネから失われている。


「彼が持つ資質は、いまのあなたにとって必要なものでしょう。……ところで、私がどうやってこのクロロペルルの肉体を乗っ取ったのか、尋ねられないのですね」

「興味が無いのでな。クロロペルルは小物だった。我に相対するほどの大魔法使いの魂を迎え入れたのなら、力も意志も弱いあやつはお前の魂に負けて取り込まれるのが落ちだろう。魔剣にいつ接触したのかは知らぬが、大方我の肉体が復活を果たす間に魂を魔剣から魂を取り出させたのだろうし……ああ、誰の手引きを受けて祭儀場に侵入したかというのは気になるところだな。いかにクロロペルルが魔王とはいえ、独断では祭儀場に入れぬだろう」

「手引きされた方については、極秘というわけにはいきませんか? ……とはいえ、あなたの知る人物であることに違いありませんが。それに、知ったところで事実を確認しようとしても、無駄骨になるでしょう。その方は自分があなたからどう見られているかよくご存じのはず。知らぬ、存ぜぬ、別の誰かがやったと巧みに言い訳して、絶対に口を割らないでしょうね」

(……誰だ、いったい? 誰がシーガルを魔剣に触れさせたんだ? てか、触れるだけで魂を引っ張り出せるのか?)

(魂降ろしの魔法は、個人ではなく場に宿るもの……祭儀場の『動かし方』さえ分かれば魔剣に選ばれし者でなくとも可能だろう。そして接触させた者だが……行動を起こしたのがクロロペルルならば、大方アマルガムだろうな。元々利権だ何だという話で親しかったのだから)

(そういやそんな話もあったな。てか、いい加減交代してくれてもいいんじゃないか?)

(……忘れたのか、カイト? この後もずっと、公的な会談が続いているのだぞ。私的な会話にあまり時間は割けぬ)

(一言ぐらいいいだろ、ケチッ)

(そんな軟弱な暴言を魔皇に吐く勇者があるか。子供じゃあるまいし)

(知らないなら言っとくけどな、俺は十八歳だからな。享年十八歳だから)

(ええい、子供扱いされたくないくせに子供であることを主張するでない)


 確かにそうだ、とカイトは黙った。その沈黙の間にハガネは話を進めた。


「長々と話したが、要は、我が勇者の魂を降ろしたかどうかを確認するためにウェインに接触させたのか?」

「いえ。カイトがあなたの中にいるというのは嬉しい誤算でした。私が気がかりだったのは、あなたが神剣の力を御せるかどうかということ……あなた個人でなくとも、何らかの対処をガナガルティガン帝国ができるかどうかです。神剣の力を取り込んだのは、ウェインだけではありませんからね」

「なに? 何故そう言いきれる?」


 ハガネが尋ねた直後、カイトはふとウェインが口走った言葉を思い出した。


(ある日……星のように降り注いだ、光……?)

「……降り注ぐ光?」

「知ってましたか。あなたがまだお隠れになっていた間のことですから、知らないかもしれないと思っていたのですが。星が降ったんですよ。いえ、正確には星のような光です。私も後から聞き知ったことですが――」


 伝え聞いた当時の様子を、シーガルは語った。


「それは、魔皇と勇者、魔族と人族との戦いに終止符が打たれた時のこと――真夜中、雪が止んだ空に一筋の光が立ち上りました。雲を貫き、空の果てで弾けた光は無数の星となって地上に降り注いだ。当時その光は、魔皇に殺された勇者の魂だとか、神剣よって命を奪われた者たちの魂だとか……様々な噂が流れました。その光の正体は結局、今日に至るまで誰も知りませんでした。触れた人もいたようですが、触れるとすぐに消えてしまって、調べようが無かったのだと。戦後の混乱もあります。各国にはその降り注いだ光を調べる余裕はありませんでした。

 ですが、ようやく真実の一端が掴めました。光は神剣の一部。もしくは力そのもの。だから勇者の魂を取り込んだあなたの手で掴み、迎え入れることができたのでしょう」

「では、神剣が玉座の間に残されていなかったのは――」

「何らかの原因で、空から降り注ぐ光となってしまったからに他なりません。何故そんなことになったのかまでは分かりませんが、ウェインのようにその力を悪用する者が現れれば脅威となるでしょう。これからは、そういった側面においても、この国とあなたを支えていけるようになります」


 その言葉に、ハガネは軽く目を見張った。


「我を支える? 元は勇者の仲間だったのに、か?」

「全ては終わったこと。商人ならば終わった商談ではなく、次の商談を見据えるべきですよ。国を動かすのは大きな商売のようなもの。私はアク・アク・リトルを豊かにし、そこに暮らす人族をも豊かにし、そして魔皇を支えることで永久の栄華を得るつもりです」

「ふむ、野心か。それも良いだろう。そなたが誰であれ、我に刃向かわず支えようというのなら、それを許す。良く仕えよ」

「ありがたき幸せです。……ところで魔皇様。これは私事なのですが」

「どうした」

「カイトは元気ですか? どうやら完全にあなたに取り込まれた様子ですので、元気もへったくれもなく消滅して力だけあなたに継承したのかもしれませんが」「いや、元気だぞ。昨日も元気に神剣の一部を引っこ抜いてそれをウェインに叩き付けてウェインを成敗していたな」

「……だいぶ元気ですね」

「いま代わろう。会談中ゆえ長話はできぬだろうが」


 急にそう言われ、心の用意をする前にカイトの意識が明滅した。気付けば肉体の主導権を渡されていた。それは分かっていたものの、


(……なに話せばいいんだよ……!)


 カイトは困惑した。話したいことは山ほどあったはずなのだが、いざ対面したとなると頭の中で言いたいことが一つも整理できない。ハガネは呆れた。


(旧友なのだろう? 好きに話せばいい。苦手なのか? 人付き合いが)

(違うっつーの! いや、いますぐ話すから。なんか……話すから!)

(早くしろ、時間は無いぞ)

(いや、そうは言っても話題が、)

「……その表情、カイトかい?」


 代わって早々に百面相を始めたカイトにシーガルはそう呼びかけた。目も口元も半笑いだ。


「わ、笑うなよ。だって、なに話せばいいかなんて……分かんないだろ?」

「そうかな? まあ、そうかもしれないね」

「あ……でも、言わなきゃいけないこと、あるな」


 言うことが思い付かないと言った端から思い付いてしまい、カイトはそれを言うための心構えに一呼吸を要した。大きく息を吸い、そして、


「――ごめん! 俺のせいで負けた! 俺のせいで……みんなを死なせてしまった!」


 カイトは勢いよく頭を下げた。我の体で勝手に、とハガネは少し思った様子だったが、微かな感情の波がカイトの魂に触れるだけで、叱るような言葉は無かった。

 対して、シーガルは謝られると思っていなかったらしい。一瞬ぽかんとした表情になり、思わずといった風に「えっ」と声を上げた。


「ああ……そうか。あの時、カイトが一番最初に倒れたんだったね。なんだ、そんなことを言いたくなったのか?」

「そんなことって何だよ!」

「そんなことはそんなことさ。カイト、いいかい。僕たちはあの時、全員が全力を尽くしたんだ。負けたのは誰のせいでもない。それに、僕たちの魂は失われてしまったわけではないだろう? 肉体は失われたけれど、まだ生きているんだ」


 確かにそうかもしれない。けれど、自分たちとして生きていくことはできないのだ。シーガルは魔王クロロペルルとして、カイトは魔皇ハガネの一部としてしか生きることはできないのだ。そうなってしまった責任は自分にあるとカイトは思っていた。


「俺が……神剣の力を強めてさえいれば、こんなことにはならなかったんだ」

「そうだね。しかし、それは僕たちみんなで決めたことだ。戦争の中で必死に生き抜こうとする人がいる。戦争の先に生きる人たちがいる。人族も魔族も。それを、剣一本を鍛えるために必要以上に殺すなんて決断、僕たちには選べなかったんだ。

 いいかい、カイト。結果こそが全てだ。そして結果だけ見れば、確かに神剣に魂を与えなかった決断は間違いだったのかもしれない。けれど、その間違った選択は、僕たち四人で決めたことなんだ。君は責任を感じるだろう。けれどその責任は、等しく僕たち四人が背負うものだよ。それだけは忘れないで」

「分かってる……分かってるけど、でも、もう四人でなんて集まれないだろ? お前とは会えたけど、ロビンも、シュライクも……」

(二人の魂は、いまも魔剣の檻の中にあるんだろう?)

(……さてな。我が触れたのはカイト、お前の魂だけだ。他の魂がいずこかにあったとして、我のあずかり知らぬことよ。現在魔剣は祭儀場に封印されておるのでな、確認しようにも正当な理由も無しに触れることもできん)


 魔皇なのに、とカイトは思ったが、魔族には魔族で込み入った事情があるのだろう。――それもそうだろう。カイトはそうも思った。魔剣の力は強大だ。本当に、魔皇が常に魔剣を帯びていたら、それこそ魔皇が好き勝手に魔族たちを牛耳れてしまう。あるいは、魔剣を巡ってまた戦争が起きるだろう。強大な力はそこにあるだけで危険なものなのかもしれない。


「心配しなくていい。さっきも言ったように、僕は帝国を支えていくつもりだ。いま、世界で一番大きくて強いのが帝国だ。経済力はアク・アク・リトルの方が上だろうけど……世界の支配者は魔皇ハガネだ。僕は帝国と魔皇を支えることで世界を平和にして、これ以上の争いが起きないようにする。それはきっと、カイト、君の助けになると思うんだ。だから、君も希望を捨てないで」

「……そう、だな。俺だって、ただ無理矢理叩き起こされるばっかりじゃない。いまの俺に、できることをしたいから、目覚めたんだ」


 ほとんど脅しに近い形で蘇らされたが、それでも、カイトは契約として蘇ったのだ。なら、その契約は果たされるべきだった。


(ハガネ、忘れてないだろうな。俺、ちゃんと貢献しただろ?)

(分かっている。人族にも目をかける。まず手始めに、この町の者たちからだな。……いつまでも庭を荒れさせたままというのは、怠惰というものよな)


 どこまでできるのか――きっとできないことの方が多いのだろう。ハガネはお世辞にも融通が利くような性格とは思えない。けれど、それは何もしない理由にはならなかった。言い争ってでも、ハガネが間違ったことを言ったと思ったときには、説き伏せなければいけない。それがカイトの役目だった――肉体がどうとかよりも、ただ生きる人たちのために。それが勇者のすることだ。だからこそ、勇者は常に魔皇と戦わなければならないのだ。


「――さあ、そろそろ未来に向けての話をしようか。話したいことは沢山あるけれど……けどそれは、大切だけど、いま必要なことじゃないだろう?」

「そうだな。いま、ハガネに代わるよ」

「……なんなら少し、魔皇様の代わりにカイトも政治について話してみるかい? 大丈夫、悪いようにはしないよ」


 カイトは両手を上げて降参のポーズを取った。自分では絶対にシーガルにはついて行けない。そんなことは分かりきったことだった。

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