十三章 襲撃者

 バナーから教えられたクローセ通りは、大通りであるクレブリック通りから一本入った横道にあった。横道といっても馬車二台がすれ違えるような広い通りで、崩れた建物も少なく、幾つかは機能していないが街灯も灯っており、見通しは良い方だった。

 歩道を歩いていたハガネは、ふと足を止めた。遠くに人だかりが見えていた。相手に見つからないよう細い路地に入ってから、屋根の上に跳躍してその一団を見下ろす。


(……あ、あいつら)

(レジスタンス、だな……)

 ハガネの視線の先には、五十人ばかりの集団が車道も歩道もなく通りを占拠して行進している様子が見えた。手には武器らしきものが握られている。といってもそれらは一般家庭で手に入るような、包丁やナイフ、モップや火かき棒といったものばかりで武装と呼ぶには心許ないものばかりだ。それでも、囲まれて数で押されれば厄介だろうというのは容易に予想が付く。何せ数だけは多かった。


(どうする? あいつらもウェインがいるらしいトチライ興産に向かってる感じだけど)

(正面からぶつかっても消耗するだけだな。全て倒したとしても労力がかかる。……正直な話、ウェインを一度の襲撃で潰せなかった時点で我にも余裕は無い。が、避けてウェインのところに行ったところで、背後を突かれる形になるだけだ)

(いっそウェインとぶつけて、ウェインが逃げ出したところを横から俺たちがいただくってのは?)

(戦術は正しいな。しかしウェインがどれほどの戦力を有しているかだ。武装した傭兵が配備されていたとしたら……一般魔族と傭兵では流石に武器も実力も違いすぎる。散らされるだけで済めば良いが、死者が出るやもしれぬな)

(そうなったら『人殺しだー!』って叫んで警察呼ぶしかないだろ)

(……戦術的には極限まで潰し合ってほしいのだがな。まあ、レジスタンス側から襲ったとして正当防衛にはなるが、殺害までいくと捜査も無しに無罪放免ともいかぬだろう。事前に動かすのは無理だろうが、事件が起きれば流石に警察も動く。ウェインの動きを止めるために警察を呼ぶのは有効打にはなるだろう)


 いっそ全員をなぎ倒して、と言い出さなかったのは心境の変化だけでは無さそうだ、とハガネの語調を聞いてカイトは思った。小規模とはいえ魔法を使った上で動き回ったのだ。一応バーでの休憩で多少は持ち直したのだろうが、口に出して余裕が無いと言うぐらいなのだから、本当にぎりぎりまで体力を温存したいのだろう。


 屋根伝いにレジスタンスを追うこと数分。ハガネはトチライ興産の前に着いた。


 トチライ興産の事務所は二階建てで、一階からは光が漏れていた。とっくの昔に真夜中は過ぎているというのにまだ営業時間らしい。ただ、全ての窓から光が漏れているわけでもない。一階の一室だけに明かりが灯っている様子だった。事務所の前には立派な馬車が横付けされており、御者や警護の傭兵もそこにいた。


(さて……事が起こったとして、二階から侵入するか、ウェインが動くのを待つか……)

(あっ)

(ん? どうした。何か思い付いたのか)

(いや、これさ。ウェインが特に何にもしなくてドアに鍵をガチガチにかけてさ。で、表に立ってる連中にレジスタンスが喧嘩売るだろ? そうするとさ、表でドンパチやってる間にウェインは警察に通報するんじゃないか? 襲われてますーっ! って)

(……………………カイト、お前たまにとても頭が良いな)

(たまにって何だたまにって! お前言うほど俺のこと知んねーだろが!)

(別にそれはそれでいいのだがな。理由はどうあれ私人が襲撃を仕掛けるのだ、違法であることに変わりない。そうなった場合、ちょうどいいから警察にウェインを一緒に引き渡すぞ。首ははねられんが身柄は拘束できるだろうし、理由を付けて刑務所行きだ。まあ、理由を付けるならその場で処した方が早いとは思うが)


 どうしても殺したいのか、そんなに殺したいのかというカイトの無言だが怪訝な念が伝わったのだろう。ハガネはそれ以上何も言わずに時を待った。

 ほどなくして、レジスタンスの一団がトチライ興産前に現れた。

 緊張からか一団は硬い沈黙に包まれている。殺気立った空気が、屋根の上にいるハガネにも伝わってくる。明らかに一触即発の空気だった。

 ……が、しかし。


「市民団の方々ですね?」


 事務所の玄関前に立ち塞がっていた者が、レジスタンスを前にして出し抜けに言った。よく見ると、その男は傭兵というより事務員のような身なりをしていた。もしかしたらトチライ興産か、ウェインのところで働いている従業員なのかもしれない。


「……な、なんだ、お前」


 言葉を返したのは、二度ほどハガネと出くわした、例のひげ面のオーガだった。


「弊社の社長から言づてをあずかっております。もし市民団の方がいらっしゃった場合、代表者との対話をしたいと申しております」

「たっ、対話だぁ!? あれだけのことやっておいて、いまさら話し合おうってのか!」

「都合の良いこと言いやがって!」

「お前んとこの事務所にいた奴らだってまだ目を覚ましてねぇってのに……!」

「俺たちの家族に何しやがった! 言え!」

「落ち着いてください、みなさん」


 落ち着けと呼びかけられて落ち着けるような状況では無い。レジスタンスの一団はヒートアップする一方で、特に髭のオーガは従業員の男に掴みかかりかねない勢いでいきり立っていた。


「話し合いたいってんならそっちの方から出てくるのが筋ってもんじゃないのか、ええ!?」

「おっしゃるとおりでございます。ですがこのような通りに面したところで話しては、通りの方々にも迷惑がかかりますので……」

「俺の声が迷惑だってのか! お前らの方が迷惑だってんだ、それはこの通りに住んでいる連中だって同じように感じてるはずだろうが!」


 従業員もレジスタンスも、両者一歩も譲る様子が無かった。どっちも自分の言いたいことを主張するばかりだ。


(平行線だな)

(そりゃな。……どっちかが折れないと夜が明けちまうぜ。いっそ表でうるさいヤツがいるって警察呼んで、そのままウェインをお縄ってのはどうだ?)

(通報するのにこの場を離れるのも惜しい。火や雷の魔法が使えればまだ上に向けて信号弾でも打つのだが、それもできん)

(……魔皇でもやっぱり、魔法は一人一属性ルールなんだな)


 魔族は生まれ持って扱える魔法が決まっている。魔皇たるハガネもその例外ではないらしい。外部と連絡を取る手段は、この場を離れる以外には無いということだった。


(とすればいっそ、奴らが正面で揉めている間に二階からまた忍び込んでみるか……)

(その方がいいか? ……あ、いや。どうやら決着ついたらしいぞ)


 押し問答を幾度かしていたが、折れたのはレジスタンスの一団の方だった。話し合いに応じる、というよりかはウェインを見つけ次第引っ立てて警察の前に突き出すか、さもなくば私刑にしてやると言わんばかりの空気だった。髭のオーガが声をかけ、その場にいた全員がどやどやと事務所の中に入っていく。流石に数十人はいるだろう一団を一室に収容することはできなかったのか、一階の明かりが全て点いた。


(でも、面倒なことになったな。これで朝まで話し合いとかになったら、割って入ってウェインに襲いかかるってのもなんか……な)

(正直いますぐにでもウェインの首を飛ばして城に帰りたいのだがな。レジスタンスの連中とてやぶさかではないだろう)

(だからお前は何でそんな首を斬りたがるんだ。趣味かよ。そんなんだから城の人らもこっそりお前から離れて……ん!?)


 妙なものを感じ取ってカイトは背筋を正した。体がないので正確にはそういう気持ちになっただけだが、魂の動きはハガネにもそのまま伝わった。どうした、という問いにカイトは、


(ウェインが逃げたときと同じようなのを感じた……ような気が……)

(何故それをもっと早くに言わぬ!)

(そんなすぐ言えるかよ! 何か、気のせいか? ってくらい微弱だし、あっいやちょっと待てちょっとずつ強くなってってる気がするぞ!?)

(だからそれを早く言え!)


 叱責しながらハガネは事務所の屋根へと飛び移り、二階からの侵入を試みた。幸いにも屋上から下の階へと下りる階段のドアには鍵がかかっておらず、侵入自体は容易だった。

 一階の廊下に来ると、斜めに光が一筋差し込んでいた。どうやら部屋のドアが開いているらしい。光と共に声も、中から聞こえてくる。一気に突入しようとしていたハガネは、その声にはたと足を止めた。


「……どうです、トチライさん! 素晴らしいと思いませんか?」


 ウェインの声だった。ハガネはギリギリまでドアに近寄ると、万一ドアを開けられても見つかりにくいようしゃがみ込んで耳をそばだてた。


「この力を使えば反抗的な作業員など存在しなくなります! どのようなところから連れて来ようとも、従順に作業を続けるのです。土木作業だけではない、痛みにも怯まないのだから、多少ひ弱でも警備員として使うこともできるのですよ!」

「は、ははあ、確かにそりゃ、素晴らしいでしょう。でしょうが、いくらなんでもこんな形で……」

「遠慮なさらずとも、人材の斡旋費用は据え置きとさせていただきますよ」

「いや……しかしですなあ……」


 商談のために来ていたのだろう、トチライと呼ばれた男の声がぼそぼそと小声で聞こえてくる。


(……どうやら、支社で見たような一団と同じ謎の力をレジスタンスどもも食らった様子だな)

(面倒事、増えちまったな。それにトチライ……さん? たぶんこの会社の社長だよな……確実に巻き添えだぜ)

(しかしここで逃しては、またぞろ被害者が増えかねん。……どうやら全力で屠る必要があるようだな)

(全力で……か)

(暗澹たる気持ちだろう、カイト。だが、もはや見過ごせぬ。不思議なことよ。復活を果たしてこちら、苛立ちはあっても怒りなどほとんど無かった。だが、いまは何故か、怒りがどこからか湧いてくるのだ。我はこれを、あやつめにぶつけなければならぬ。抑えられぬのだ)


 カイトは止めなかった。ただ、明確な言葉にならないよう、必死に己の思いを抑えていた。――怒りを感じたのはハガネだけではない。カイトもだった。ウェインは人を妙な術で操った挙げ句に、それを売り物にしようとしているのだ。人を人とも思っていない。しかし、怒りのままに殺すことを認めてしまえば、自分が勇者としてやってきたことが、勇者としての自分そのものが崩れてしまいそうだった。だから、何も言えなかった。


(カイト。先に頼んでおく。我はいまから魔法を使う。二階の床を変形させて穴を開け、上から強襲する。声の聞こえかたから位置は分かっている。一撃で仕留めるつもりだ……だが、全てを完遂するまで意識が持つとは限らぬ。あれの首を取るまでは気をやるつもりもないが、保つかは分からぬ。

 もしお前が我の体の主導権を握ったら、その時は……お前の好きにするがよい。ウェインを殺すも生かすも、任せる)


 カイトは、すぐにはハガネの言葉に返事することができなかった。その間にハガネは二階への階段を上りきった。長い沈黙を挟んで、ようやくカイトは一言、


(……分かった)


 とだけ返した。

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