十一話 逃走!追跡!

 しん、とまた部屋が静まりかえる。ハガネが乱れた息を整えるように大きく息を吐くと、いやに呼吸の音が耳についた。町人たちは動く気配も無く、死んだようにその場に倒れている。微かに胸元が呼吸に上下するのが見えるので、死んだというわけでは無さそうだったが、まるで糸の切れた操り人形のような素振りが不気味極まりなかった。


(……なんだったのだ、あの力。神剣の力と似ていると言ったか? しかし神剣に、このような力がそもそもあったというのか……?)

(分かんねぇ、俺だってああいう使い方はしたことが無いし……それよりどうすんだ? ウェイン逃げちまったぞ)

(追いかけるぞ。いま出て行けばまだ遠くまでは逃げていないはず――)


 ハガネは廊下へと出る。と、その直前建物の出入り口のドアが開いた。そこから一気に廊下へと、複数人の人影がなだれ込む。入ってきた者たちは全員が簡素な衣類を身に着けた、町人の身なりの種族も様々な魔族たちだった。どやどやと入ってきた町人たちと、ドアを開けたばかりのハガネはばったりと出くわす。


「ウェイン・ドゥ! 力尽くでも家族を返してもら――ん?」


 内側から開いたドアを前にウェインが出てきたと思ったのか、先頭に立っていた髭をもじゃもじゃと生やしたオーガ族の町人が声を上げた。が、すぐに視線を下に向け、そこにハガネがいることに気付いて言葉を切る。そして、


「ま、魔皇ハガネ! こんなところに現れるとは――やはり貴様、ア国の連中と通じて民を売っていたな!!」

「は? いや、待て、我はウェインを討ちにここに」

「お、おい! 後ろの奴ら、ウェインに連れてかれた人じゃないか?」


 とっさに状況を説明しようとしたハガネを余所に、その小さな体から見えるドアの向こう側の光景を見た者が声を上げた。


「みんな倒れてるぞ!」

「くそ、全員魔皇にやられちまったってのか!」

「魔皇をとっ捕まえろ! いや、ここで討ち取ってしまえ!」

「民の痛みを思い知れってんだ!」


 入り込んできていた町人たちは明らかにいきり立っていた。その怒りの矛先はハガネへと向いており、それぞれ拳を構えたり、あるいは丈夫そうな太い木の枝やナイフを構えている者もいた。


(なんか――ヤバくないか?)

(この場で全員討つのは正当防衛に入るのではないか、と言いたいところだが――あまり騒ぎを大きくして警察や城の兵がすっ飛んできても困る。やれやれ、逃げに徹するなど常勝無敗の魔皇ハガネにあるまじきことだな……)


 何が常勝無敗だ、とカイトは言いたくなったが自分も負けた側なので何も言えなくなった。過去の戦績がどうあれ、いまは逃げることしかできない。それだけは確かだ。ハガネは目の前に立つ町人たちに背を向けると室内に戻り、それから窓を蹴り破ると外へと躍り出た。


「逃げたぞ!」

「捕まえろ!」

「追え! 逃がすな!」


 建物裏の路地に出ると、背後から怒声と気配が追いかけてくる。いったい何の理由があってここまで殺気立って追われなければならないのかとハガネが首を捻っていると、カイトがあっと声を上げた。


(あいつら、見たことあるかもしれない)

(……いつだ? お前が生きていた頃の話か?)

(いや、昼だよ。今日の昼だ。あのひげもじゃのオーガとか、イフェメラさんの時にいたやつだろ)

(なるほど……だとすればあれは、魔皇を討てと鬨の声を上げていた連中の一人か)

(一人ってか、だいぶ集まってきてるだろ、人数的に全員じゃないだろうけど。魔皇を倒せなかったから、いっそ自分たちの手で捕まった人たちを……って感じなんじゃないか?)


 お前がほったらかしてきたせいで、色んなことが悪い方へと向かっている――カイトは心の底からそう思ったが、ハガネが反省したかどうかは定かではない。

 いまはただ町人たちから逃げるしかなかった。ハガネが全力を出せば逃げられない相手ではない。角を曲がって姿をくらました瞬間、大きく跳んで屋根の上に上がる。幸い路地に入った先にある建物は概ね平屋か二階建てで、飛び移るのも屋根伝いに異動するのも楽ではあった。


(……しかし逃げ回るのは良いのだが、こうしているうちにウェインが逃げてしまうな)

(ウェイン、どこ行くつもりなんだ? 馬車で逃げたなら細い路地には入れないよな? ……もしかして、もう帝都から出たとか?)

(帝都は夜の十時以降は町の内外を隔てる門を閉じておる。誰も例外なく通れないし、門が開けば音で分かるだろう。それと、大通り沿いに馬車を走らせたのならすぐに見つかるはずだ。見よ、この時間は馬車はおろか人すらほとんど歩いておらぬ……となれば馬車が入れる程度の横道に入ったか)


 横道、と聞いてふとカイトは、最初にウェインを見たあの路地を思い出した。人に奴隷契約を強いるだけではなく、どうやら建築業者まで抱え込んで何かをしているらしい。


(そういえば、勝手にこっちの国に来て工事をして、その権利を何だかんだで持っていくとかも言ってなかったか?)

(ああ、バーでそんな話を聞いたな。女店主と、インプ族のバナーと言ったか)

(ウェイン、何か書類も持って出て行ってたし、用がある感じだったし……建設現場に行ってるとかないか?)

(夜間工事は道路や水道整備だけしかできんぞ。裏を返せば、そこだけはいまも工事している場所はあるが……どちらかと言えば、現場ではなく建築会社の事務所の方がまだ怪しいだろう)


 屋根伝いに移動していたハガネは、煙突の影に隠れるようにしてもたれかかり、軽く息を整えた。全力で移動しつつ、魂だけのカイトと会話していると流石に軽い疲労を覚える。休憩がてらに周囲を見回すと、何カ所か建物を工事しているような景色が見えた。が、どこも動きがあるようには見えず、馬車の姿も無かった。


(クロロペルルから受け取った書類には支社、つまり先ほどの建物しか国内に社屋は無いと書かれていたが……仕事を頼む建築業者や整備会社と繋がりがあるとすれば、そちらだろうな)

(じゃあそっちの方を当たって……って住所知らないんだよな。クロロペルルのやつ、気が利かねーなぁ。そっちの方も書いておいてくれよ)

(推測になるが、知りようが無いのだろう。契約先や下請け業者が我が国のものなら、こちらが資料を出さなければ。あるいは調べれば調べられるのだろうが、首を突っ込みすぎるとウェインが感付く可能性もある。……もしかしたら、知っていて黙っている可能性もあるが……そんなことを黙っている理由も我には思い付かん)

(俺にも思い付かねーな……)


 偉いヤツの考えることは分からん。カイトは思った。ハガネのことはいまや何となく分かるという感じになってきている。そもそもそこまで深いことを考えていないのだから、詮索のしようが無いのだ。


(お前、失礼なことを考えてはおるまいな?)

(失礼かもしんねーけど事実に基づいてるしな……弟の方がよっぽど頭いい感じがするし。魔剣に選ばれるかどうかはともかく、次の王ってのは分かるわ)

(随分とあれに肩入れするな。気に入ったか?)

(いや正直クソ恐いから二度と会いたくは無い。無いけど、あいつの考えはお前よりマシな気がするんだ。なんか兵にも人気あっただろ。戦う力以外の実力があるんだろ、たぶん)

(……そうであろうな。まあ、いまはあれのことはよい。問題はウェインをどう探すかだ。しらみつぶしに建築会社を当たっていても仕方がない。多少事情を知ってるような人物に話を聞く他あるまい)

(あの酒場のママさんはどうだ? 知り合いにも、ウェインと関わりがある会社に勤めてる人がいる感じだったし)

(そうするか。闇雲に動くよりかは遙かにマシだ)


 現場を下見せず強襲するのは闇雲な動きじゃないのか? とカイトは思ったが、しかし自分が同じ立場ならやっぱり綿密な調査など思い付かなかっただろう。だからこそ仲間の存在がありがたかったのだ。剣を振ることに専念させてくれていたのだから。失ってしまって、改めて自分がどれだけ頼っていたのかを思い知らされるような感覚だった。

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