十話 悪徳商人を斬れ!

 城を出て十分としないうちに、ハガネは手配所に記されていた場所の付近に降り立った。帝都ティガニアは町の内外が城壁と門で隔てられており、城から町にある唯一の門まで一直線に大きな通りがある。昼に出た時にも通ったクレブリック通り沿いにある塔状住居の中に目的地はあり、ハガネは通りを挟んだ反対側からその建物を見ていた。


(ふむ……ドアの前に馬車が立っているな。御者台にはまだ御者はいないが……馬車を固めているのは警備の傭兵か? 帯刀しているな)

(なあ、せめて先に警察か何かに知らせないか? お前の強権で殺しても問題無いことにできるなら、こいつらを警察に突き出して捕まえさせたっていいじゃねーか)

(警察に頼るなど無駄なことだ。ただでさえ町中の治安が悪いから大半が出払っている上、軍との権限の兼ね合いでごたついている。命令すれば動くことには動くだろうが、満足な働きなど示せないだろうな)

(駄目じゃねーか!)


 ここに体があれば、とカイトは心の底から思った。ハガネを止めたいという思いもあるが、何もかも戦後の混乱のまま放置しっぱなしにしていたハガネをともかくどつきたくてしょうがない。


(お前、そんな適当な有様だったくせにいきなりやる気出して何なんだよ。あれか、もしかして単に理由付けて暴れたいだけなんじゃないか)

(それもある)

(それもあんのかよ)

(だが、他にもある。それはな、いまの我が人を手にかけたとき何を感じ、また人を救ったときに何を感じるのか。それを知りたいのだ)


 己の心にある空白。欠落してしまった感情。何かの想いが無い。それがハガネの興味を引いた。カイトはうんざりした溜め息を吐いた。分からないでもないが、己への興味だけで人を殺すことにはやはり賛同できなかった。


(……つーかさ、欠けた神剣で倒されたことが原因なら、神剣を調べればいいんじゃねーの。そもそも俺の神剣どこやったんだお前)

(さあな。戦いが全て終わった後、神剣はその場から失われていたという。柄だけは残されていたようだが、その柄はなんの変哲もない金属だったぞ)

(は!? 神剣が消えた……?)


 神剣って消えるもんだったのか、とカイトは衝撃を受けた。旅の初めから振るい続けて、己の分身のようになっていた神剣が失われていたことを初めて軽い衝撃を受けているカイトをよそに、ハガネは一通りの観察を終えていた。


(上から行くか。見張りを皆殺しにしてもよいのだが、早々に見つかって増援を呼ばれても面倒だ)

(……行くのか。それで、殺すんだな)

(そこまで我が命を手にかけることを厭うか。……ふむ。では、そうだな。我が国での愚行の主導者はウェインただひとり、傭兵どもは金で雇われ指示に従っただけだろう。お前が懇願するなら、殺すのはウェインだけに定めてやるが?)

(懇願? 頼んで殺さないでいてくれるなら幾らでも頼む。けど悪いな、体が無いから土下座も丸刈りもできねーぞ)

(丸刈り? 人族は髪を丸刈りにして人に物を頼むのか、面白いな)


 場違いなことで面白がるハガネに快とも不快ともつかない感情を抱きつつ、カイトはシンプルに頼んだ。


(頼む、ハガネ。もう見たくないんだ、誰が死ぬのは)

(……分からぬものだ。何故戦うことを厭うような者が勇者に選ばれたのか)

(戦ってきたから、嫌になったんだよ。お前には分からない感覚だろうけどな)

(そうだな。……あるいはその心地もまた失われたか。いずれにせよ、いま詮索することでは無いな。さあ、参ろうぞ。お前の懇願は聞き入れてやろう。狙うはウェインの首ただ一つよ)


 ハガネは跳躍して中空に身を躍らせる。まずは手近にあった三階建ての商店を兼ねた家屋の屋根に上がり、さらにそこから通りの向こう側の建物へと飛び移る。頭上までは警戒していなかったのだろう、見張りの上を素通りすると、いよいよ目的地の塔の上階を目指す。ほぼ垂直に高く跳躍し、外へ張り出したベランダに飛び乗る。


(よっ……と、見つかってはおらぬようだな)


 ベランダの影に隠れて周囲を窺う。ベランダの方を見上げてくる者はいない。部屋の中にも誰かがいる様子は無く、家具の一切無い、打ち捨てられたようながらんどうの空間が窓越しに広がっていた。


(窓閉まってるぞ。割るのか?)

(割れば気付かれるな……あまりこういったことに魔法を使ったことは無いのだが)


 ハガネは手の平を窓ガラスにかざした。すると、窓ガラスがまるで水になったかのように波打ち、かと思うとカーテンのように端の辺りが開いて再び固まった。その隙間にそっと入り込んだハガネは、足音を忍ばせて室内へと侵入していく。埃っぽい空気が充満した部屋は壁などの仕切りも無く一続きになっており、部屋の奥にあるドアを開ければそこにあるのは部屋ではなく廊下だった。廊下の端には上下に向かう階段があるが、そこにも見張りは立てられていない。耳をそばだてても、下の階からは音らしい音もほとんど聞こえなかった。


(……静かだな……ってか、よく考えたらウェインは家帰って寝てるんじゃねーのか? ここ職場だろ?)

(クロロペルルが渡してきた書面には住居兼用と書いてあったがな。一階の窓からは明かりが漏れていたし、それに、ここにヤツがいなければ何故見張りを立てる必要がある?)


 階段を下りて先に進む。ハガネが降り立ったのは三階で、二階の物陰から廊下の方を見ると、ようやく人の姿が見えた。上の階と同様に廊下の中程にドアがあり、その前に体格の良い男が一人立っている。


(どうするんだ、あれ)

(背後から強襲されるとやっかいだ。一度気絶させておくぞ)


 物陰からハガネは低い姿勢で飛び出す。足音もほとんど立てず、しかも小さな体が見張りに立っていた男の目に付いたのは、ハガネが間合いに入った後だった。


「なっ……」

「遅いわ」


 下から跳び上がるようにして、顎に一撃を叩き込む。一発で男は昏倒した。気絶した男の手と足を、その男が着ていた衣服の形状を変化させてハガネは縛り上げる。


(便利だなそれ……けど、そんな乱発して大丈夫か?)

(感覚的な話だが、まだ問題は無さそうだな。魔力の消費は操る物質の大きさや範囲、性質によるから小規模なら大して消耗はしないだろう。が、いまのは普通に服を剥いてそれで縛った方がよかったかもしれん)


 反省するようなことを言いつつも、ハガネは男が護っていたドアの鍵が開かないと見るや鍵の形状を砂のように変化させて壊してドアをこじ開けていた。

 気絶させた男を引きずって放り込んだ部屋の中は真っ暗で、カーテンから差し込む月光で辛うじて中が見える程度だった。どうやら住居用の部屋らしい。室内は壁で仕切られ、浴室やトイレ、キッチンや寝室があった。どの部屋にも豪奢な、そして帝国ではあまりに見ない波打つような細工や装飾が施された調度品が目に付く。どうやらウェインの私室らしい。人の気配は無く、がらんとしていた。ハガネは男をトイレに放り込むと、ドアの外に椅子を置いてつっかえ棒にした。


(これで出てこれぬだろう。しかしトイレに閉じ込めるなどと、今日の我は随分慈悲深いな)

(……まあ確かに、水は確保できるし、粗相もしないけどなぁ……)

(それよりも、私室にいないということは、ウェインがいるとしたら下の階だな)

(いなかったらどうすんだ)

(その時はその時よ。事務所の資料を全部持って出て、魔皇の権限でしょっぴくなり出入国制限をかけるなりするぐらいの頭は我にもあるのだぞ。まあ、できることなら我自ら探し当てて首を取りたいところだがな)


 そんなに首が欲しいかとカイトは若干引いていたが、これでも譲歩させた方だ。文句は言うまい、いや思うまいとなるべく堪える。

 懸命に堪えているカイトをよそに、ハガネはまた廊下に出て一階に向かった。一階も二階や三階と構造は変わらない。違うことと言えば、階段とは逆の廊下の突き当たりに外へのドアがあるだけだ。やはり廊下には見張りが立っており、ハガネはそれを倒すべく再び廊下を素早く走り抜けた。


「……!? がふっ、ぶほおっ!?」


 見張りに立っていたのは、二階にいた男よりも屈強で、全身が筋肉で覆われているような背の高いオーガ族の男だった。が、膝の裏を蹴られて体勢を崩したところでこめかみを殴りつけられ、あえなく上の男と同じ末路をたどった。倒れる際に呻き声を出したが、重厚な木の扉の向こうには音が届いていないらしい。異常に気付いてドアが開かれることは無かった。ハガネは気絶させた男を横に退かして今度は男の服を剥き、両手足を縛り上げた。手慣れた動きにカイトは妙に感心してしまった。もしかしたら捕虜が必要になったときは、こうして剥いて縛って転がしていたのかもしれない。いまの少女の姿だと――カイトの視点からは見えないが――違和感のある光景だろうが、魔剣の檻の世界で見たあの姿なら、戦場にいる巨漢どもを縛っては転がしていても違和感は無い。


(ここからか……中の様子は見れぬな。さっさと強襲をしかけるか)

(作戦とか立てなくていいのかよ……)

(必要ない)


 ハガネは淡々とドアを開けた。鍵はかかっておらず、すんなりと開く。建物の中でこの部屋だけ灯りが付いていた。明るい室内は事務所らしく幾つかのデスクが並んでおり、その向こうに応接室代わりの上等なロングソファが二脚、重厚な木造のテーブルを挟んで置かれている。とはいえ、デスクはともかく応接室は部分的にしか見えなかった。室内には人だかりができていた。だというのに、部屋の中はしんと静まりかえって静かだった。その場に集まった者たちは立ち尽くし、虚ろな瞳で宙を見るばかりで、飛び込んできたハガネにも一切の反応を示さなかった。


(……何だこれ……この格好、町の人か? みんな魔族だ……)

(我が国の者……ウェインに奴隷契約させられた者たちか? 移送されたものだとばかり思っていたが……)


 奇妙な光景に思わずハガネが足を止めて様子を伺っていると、部屋の奥、応接室の方からすっと人影が歩み寄ってきた。その男は背が高く、尖った耳をしている。壮年のエルフ族の男だった。


「おや、これはこれは……小さなお客様だ。我がクリアウォーター商会に何のご用ですかな」

(あっ、あの顔――!)

「……ウェイン・ドゥだな? 大人しく縛に就くがよい。魔皇の権限によりお前を断罪する」

「ほほほ、魔皇ですと! 魔皇様がそのようなお姿だったとは存じ上げませんな。しかし小さな魔皇様。何の法的根拠があってそのようなことを? いかにこの国において魔皇様の言うことが絶対とはいえ、法に反していない真っ当な商売をしている我が商会を、ありもしない罪で摘発すれば国際的に何と言われるか!」

「何とでも言わせておけ。我が民は我が国の一部。返してもらうぞ。抵抗はするな、我が求めるのは『この商会がガナガルティガンの民を奴隷にしないこと』であってお前を捕まえることではない。命の保証は無いぞ」


 威圧するようにハガネが一歩前に踏み出すと、ウェインは大仰な素振りで両手を上に上げて嘆息した。


「まったく、少女だと思って言わせておけば、命の保証は無いと来た! その体でどうやって私を殺すつもりだ? まあよい。子供のお遊戯に構っている時間は私には無いのでな……さあお前たち、あの少女を捕まえろ!」


 ウェインがパン! と手を打ち鳴らして高らかに言い放った。途端、それまで身動き一つせず茫洋としていた町人たちが、まるで一斉に雷に打たれたようにびくっと震え、次の瞬間両手を前に突き出しながらハガネへと殺到してきた。


「ぬう……っ? なんだ、こやつらは……」

(操られてんのか!? あいつがそういう魔法を使って――)

(いや、そういった気配は無い。が、あやつから異様な気配を感じるのは確かだ)


 その『気』は手を打ち鳴らした瞬間に膨れ上がり、直後、糸のようにこの場にいる者たちに向けて放たれたようにハガネには見えていた。操られている、というカイトの勘は正しい。しかし、


(いかにして操っているのか……正体が掴めん!)

(嘘だろ、魔皇が見ても分からねーことして――っ!?)

(カイト? どうした、カイト!)


 背後に下がって町人たちの手から逃れつつ、ハガネは急に言葉を途切れさせたカイトに声をかける。カイトの返事はすぐに来た。


(違ってたら悪い! 何か、神剣持ってたときの感覚と似てるぞ!?)

(神剣だと? 確かにそう言われればそのような気もするが、確かか?)

(ああ、神剣の力を凄く弱めたような……何か、紅茶が入ったカップにバケツ一杯の水をぶちまけた感じだ!)

(そう喩えるなら普通紅茶の方をバケツに入れないか? いや、それよりもだ。だとすればあやつは失われた神剣を手にしているというのか……? まさか、あり得ぬ。神剣は使い手を選ぶ。選ばれたのはカイト、お前一人のはずだ。このような小悪党に振るえる力では無い)


 分析している間にも幾本もの手が迫る。左右にステップを踏み、あるいは股下を潜り、回避しながらウェインの下へとハガネは向かおうとするが、どのように逃れてもどうしても幾本もの手に阻まれてしまう。一度天井近くまで跳躍して、町人たちを踏み台にしてでも追いつこうとしたものの、何も考えていなさそうな町人たちは、しかし的確に服の裾や髪を引っ張ってハガネを引きずり落としてしまった。そうこうしているうちにウェインは、室内で一番大きなデスクの引き出しを開けて書類を取り出すと、町人がいない場所を通って悠々と部屋を後にしようとする。


「ちぃっ……逃れられると思うてか!」

(ハガネ! カッカ来るのはしょうがねーけど回りの殺すなよ!? お前の国の人だからな!)

(承知している! 傭兵ですら無いものを殺すことはできん。が……この状況で、誰も殺さず突破するなど……!)


 苛立ちも露わに、目の前に立った町人の腹を殴って気絶させようとする。が、ハガネの拳を受けた町人の男は一度倒れたもののすぐに起き上がり、またハガネへと手を伸ばしてくる。頭や顎に一発を入れても同様だった。全員が気絶するような一撃を食らっても、まるで気絶したまま動いているような挙動でハガネへと迫ってくる。避けても避けても手の波は間断なく迫り、行く道どころか退路すら失われる有様だった。

 そのうちに、カタン、とドアが開き、閉まる音がした。ウェインはあっさりとハガネの手から逃れてみせた。ウェインが去って数秒しても町人たちはハガネに襲いかかっていたが、通りの方から馬車が出るがらがらという車輪の音が聞こえてきたあたりで、唐突に、ばたばたとその場に崩れ落ちていった。

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