九話 真夜中の謁見

 時間を待つ途中、夕食を自室で取ると、ハガネは自室の隣にある浴室に入った。(女の子の風呂覗く趣味なんてねーぞ!?)と軽く混乱しかかったカイトの意識はハガネが服を脱ぎ始めたあたりでぶつんと途切れた。着替えを見られても平気そうにしているハガネなので、意識が落ちたのは恥ずかしがるというより配慮の意図が大きかったのだろう。

 カイトが次に目を覚ますと、ハガネは入浴を済ませて、入浴前よりもやや薄着の出で立ちになっていた。とはいえ、非公式だが一応魔王に会うというので、正装に近い服装ではあったが。


(目覚めはどうだ?)

(夢も見ねーのな。目覚めってか、気絶して起きた感じだ)

(そうか。もう刻限だ、行くぞ)

(外、出歩いても大丈夫なのか? 兵になんか言われねーか)


 兵に、というよりダイスにバレて何かを言われるのがカイトとしては気がかりなのだが、案の定ハガネは(気にすることはない)とあっさり言って廊下に出て、不凍の水園へと向けて歩き出した。


 幸いなことに、兵士に見咎められたり、ダイス本人と会うこともなく目的の場所に着いた。


 不凍の水園は城の南西部にあった。生け垣の代わりに水路で他の庭園と仕切られており、庭の半分以上が池になっている。木造の橋が池の中にある人工島を繋いでおり、島のひとつひとつには東屋が設けられ、質実剛健な風合いの城と比べて幻想的な外観だった。


(うわ、すげーな……この城にこんな綺麗な場所があったのか。しかもこの池、凍らないんだって?)

(セトナイ洞の方から湧く湯を引いているのでな。そら、こうして触れればお前にも伝わるか?)


 感覚は伝わらないだろうとカイトはツッコミを入れようとしたが、不思議なことにハガネが湯に触れると、無いはずの指先にほのかな熱を感じた。どうやら自分が感じた感覚をも分け与えられるらしい。器用なことしやがって、と思うカイトをよそにハガネは手を軽く振って水を切り、橋を渡って池の中心の方へと歩いて行った。

 池の中央には、ひときわ大きな東屋が建てられていた。黒い漆が塗られた柱と屋根には金の文様で装飾が施されている。中には長椅子とテーブルがあったが、そこに佇む人影は椅子に座らず、池の縁近くに立って水面を見下ろしていた。


「良い夜を堪能しているようだな、クロロペルルよ」


 ハガネが後ろから声をかけると、クロロペルルは振り返って微笑みを浮かべた。お世辞にも整っているとは言いがたい魚顔だが、笑みそのものは爽やかなものだった。


(……クロロペルルは、こんな顔をして笑う男だったか?)


 カイトとハガネは同時に思った。しかし違和感を質す前に、クロロペルルの方からハガネに話しかけてきた。


「ええ、おかげさまで、良い夜を過ごしております、魔皇陛下。この庭は、大変美しく整い、見る者の目を、潤してくれますな。我が国も、是非、参考にしたいところで、ございます」

「そうか。それはなによりだ。しかし、だ。いかに庭を美しく整えようと、その庭を荒らす狼藉者がいては見るも無惨な有様になろうというもの。荒れ果てた庭では、心安らぐどころか心がささくれ立ってしまうだろう」

「道理、ですな」


 クロロペルルはこっくりと頷いた。そして、怖じること無く真っ直ぐにハガネを見た。ほう、とハガネは小さく息を吐く。幼い少女の姿になったとはいえ、畏れに顔を上げることもままならない者もいるなかで、大した胆力である。


「しかし……そもそも、庭は、野を切り開き、作り上げるもの。野は、野のまま……花も、実も、咲き、落ち、風に運ばれるまま――そう願われ、捨て置かれては、もはや、庭にあらざり。では、ございませぬか?」

「……それも道理であろうな」


 ハガネはじっとクロロペルルの顔を見上げた。数秒の間、静かに視線が交錯する。黒い瞳からハガネはその意図を読み取ろうとしたが、何も読めなかった。やはり何か、以前のクロロペルルとは様子が違う。もし誰かが成り代わっているのだとすれば、影にしておくには惜しいほどの人材だろう。


「荒れた野で、芽吹く花は、ただ強き花のみ。小さく、可憐で、弱い花は、枯れ果てるばかり。もし、種々の花を、咲かせたいのならば、養分を吸い尽くす、雑草を刈らねば、なりませぬ」

「ほう。その言い草では、まるで我にそなたの国の商人を斬れと言っているようなものではないか」


 その言葉に、くつくつと喉を鳴らしてクロロペルルは笑った。


「雑草を絶やそうとも、荒れ野は、荒れ野のまま、ですぞ」

「なに……?」

「我らが手を、引こうとも。庭を守る、御手の無い限りは。誰も種を蒔かぬ野は、いつか、砂漠と、なるでしょう。そうなれば、もう、野原も、庭も、作れませぬ。

 魔皇様。民は、草。草なのです。刈り尽くし、枯れ果てば、二度と生えぬ。枯れた大地に、実り無し、でございましょう」

「つまり、我に庭を耕せと言いたいのか、そなたは」


 ハガネの問いに、クロロペルルは答えなかった。代わりに、懐から一枚の巻紙を取り出した。それをハガネが受け取って開くと、そこには一人の魔族らしき男の顔が描かれていた。


(……? あっ、なんかこの顔見たことあるぞ!)

(ふむ……町に下りたときに見た顔だな。妖精族の女から子を奪い去っていた様子だったが……『ウェイン・ドゥ』か。聞かぬ名だな)


 男の名前のすぐ下に、また別の名前のようなものがつらつらと書かれている。よく読むとそれは会社の名前のようで、男は幾つかの会社を経営したり、あるいは役員として関わった履歴があるようだった。


「その方、戦後間もない故、改められぬ法を盾に、貴国で狼藉を働く者、でございます。取り締まる法は無く。……故に、王の一存でのみしか、廃せぬでしょう」

「我にこの者を討てと申すか。よいのか? いかに悪徳の者とはいえ自国の民であろう」

「強き草は、多くの養分を吸い、弱き草を、枯らすのです。しかし、私には、その草を刈る、力がありませぬ」

「……己の庭を整えるため、この魔皇ハガネの力を使うか。面白い。やってみせようではないか」


 力で成せることならば得意とするところ――がぜんやる気を見せたハガネだった、一方カイトは一抹の不安に駆られていた。


(ホントに大丈夫か? お前、力使いすぎたら倒れて俺と交代だろ?)

(なに、一撃でこの男を屠ればよい)

(殺すのか!?)

(何を驚く。この男は罪過に塗れた悪徳商人であろう。お前とて、あの時――イフェメラなる妖精の女が我が子を連れ去られていた時、もし元の体を持っていたならば斬っていただろう?)

(それは……)


 カイトは言い淀んだ。確かに剣は抜いたかもしれない。しかし、それでも官憲に引き渡すなり、その場は引かせるなりしたはずだ。

(……本当にそうか?)


 それはハガネからの問いかけではなかった。カイトが自ら発した疑問だった。本当にそうだろうか。戦争が激化するにつれ、魔族を殺すことに躊躇しなくなっていった。やるかやられるか、力こそが全ての世界で生き抜くためにはそうするしかなかった。そんな自分が、いまさらハガネに向けて『殺すな』と言えるのだろうか……?


「クロロペルル。この件、我が魔皇の名にかけて預かろうぞ」

「ありがたき、幸せ」

「……ところで、時にクロロペルルよ。気になることがあるのだが」


 クロロペルルが首を傾げて「なんで、ございましょう?」と話を促すと、ハガネは言った。


「そなた、何故我にこのようなことを持ちかけた? 問題が分かっているのなら、この悪徳商人が帰国するのに合わせて法を変え、取り締まるようにすることもできるのではないか」

「それも、可能でしょう。しかし――私は、知りたかったのです。魔皇様が、自ら、民のために、動かれる方かどうかを」


 ハガネは方眉を跳ね上げ、クロロペルルの顔を眺めた。軽い驚きに少しばかり沈黙する。


(我を試したということか。この男の胆力、やはり……元とは人が違う)

(……まさか)


 ハガネの確信に合わせてカイトは思う。


(こいつもお前と同じ? いや、神剣で斬った覚えはないし……やっぱり影武者なんじゃねーの?)

(主君以上に豪胆な影武者があるか、という気もするがな。まあよい)

「知ってどうするつもりだった? いや、そもそも何故、そんなことを知りたがったのだ。返答如何では、この件についても考え直さねばならぬが」

「魔皇様を、試すような愚行、まこと申し訳なく、存じます。ただ、私も、一国を預かる、王にございます。これから先、友好を築くため、そのご意思を、図ったのです」


 深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べると、クロロペルルはその場に跪いた。それはハガネに傅くためというより、ただ目線を合わせようとしただけのような、少し無遠慮な挙措だった。


「民は、草のように、なびき、刈られ、枯れる。弱いもののように、思えます。が、弱き者も、集まれば、強いものです。結ばれた草は、軍馬の足をも、取るでしょう。

 ――魔皇様。金は天下の回りもの、と言うでしょう。己の身の上に回らぬ金を求めたとき、弱者は弱者の死体で塁を築いてでも強者と戦おうとします。何が起こるかお分かりでしょう」

「……戦争、いや、内戦か」


 望むところだと思いかけたが、その思考を、ハガネの中の何かが引っ張った。駄目だ、という言葉はカイトのもの――ではなかった。


(カイト?)


 カイトはカイトで何かに衝撃を覚えていた。数秒、頭の中を真っ白にしたような空白な時間が空いたのをハガネは感じ取った。カイト、ともう一度呼びかければ、我に返ったようにカイトは応答した。


(あ、ああ……悪い、ちょっとびっくりして)

(いまのどこに驚く要素がある。クロロペルルは摂理を説いただけだと思うが)

(あー……いや、後で話す。気のせいかもしれないし)

(? お前がそう言うのなら、この場は切り上げるが……)


 カイトの不可解な動揺を訝しがりつつ、ハガネはクロロペルルへと話しかけた。


「内戦を起こすような不安定な国と、同盟は組めない。そういうことか」

「はい。もう、戦争は、民も、私も、こりごりです。金だけでは、終わらせられない、ものですので。武器が効かぬ敵と、幾日も、幾百日も、戦わされるようなもの、でございます。それと、もう一つ――」

「まだ何かあるのか?」

「それに、つきましては、魔皇様が、吉報を持ち帰られた、時にでも。じっくりと、お話ししましょう」

「ふむ。そういうことならば、夜明けにでもそのもう一つの理由、聞かせてもらうぞ」

(…………ん? ハガネ、夜明にでもってお前)


 物思いに耽っていたカイトは、ハガネの言葉に物言いを付けようとする。が、ハガネはすでに動き出していた。「吉報を待っていろ、クロロペルルよ!」と言うや否や、身を翻して駆け出した。その駆ける早さたるや、いままで小さな歩幅で走っていたものとは段違いだった。飛ぶように景色が後ろに過ぎ去り、耳に風を切る音が聞こえてくる。途中までは道沿いに走っていたが、帰り道から逸れてた道に入ると、近くに見えた城壁に向かってハガネは思いきり跳躍した。


(おわあぁぁぁっ!? ハガネ、お前こんな動き……っ!)

(なんだ、幼くなった体でこのような動きができぬと思っていたのか?)

(そ、そ、そうじゃねぇって……うおっ)


 城壁の上の通路に着地すると、見回りをしている兵に見つからないうちにハガネはまた跳躍して、一気に壁の外へと出た。そのまま町の方へと向かう。軍馬もかくやというスピードで、あっという間に迫る街並みを余所にカイトは先ほど言いかけた言葉の続きを言う。


(――だから! お前、こんな激しい動きしたら、意識が落ちるかもしれないだろ!?)

(意識が落ちる前に事を終わらせればよい。先ほどの手配所に、ウェイン・ドゥが経営する会社の支社の住所もあっただろう。そこに奇襲をしかける。人足や警護の者もいるだろうが、魔皇の力の前では藁くず同然よ。一網打尽に刈り尽くしてくれよう)

(おまっ、マジで殺す気なのか!? しかも、一人残らず!)

(止めても無駄だぞ、カイト。何故なら、魂だけで体を持たぬお前には何もできぬからだ。せめてもの慈悲だ。見たくないというのなら意識を落としておいてやろう)

(クソッタレ! やっぱりお前は残虐非道な魔皇だ! やりたきゃやれよ、けど俺は全部見とくからな!)


 見たところで何になるというのか。それはカイトにも分からない。ただ、目をそらすのは、無残に人が死ぬ様を恐れて見なかったことにするのは勇者のやることではないと、そう思うだけだった。

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