八話 昔話
ハガネは自室に戻ると椅子に座り、何をするでもなく肘掛けに肘をついて、物思いに耽り始めた。カイトもしばらくそれに合わせてぼんやりとしていたのだが、いかんせんハガネの考えは聞こえてこないし、かといって自分で何かができるわけでもないためすぐに退屈しはじめた。せめて眠るということができれば時間を潰せるのだろうが、魂だけで体も無いのにどうやって眠れというのだろうか。
(……なあ、ハガネ)
結局カイトは自分からハガネに話しかけるしかなかった。退屈しのぎとはいえハガネに構ってもらおうとするのは何か歯がゆい気持ちになるが、何か話していないと気分が落ち着かなかった。
(何だ?)
(お前……どうして戦争なんて始めたんだ)
力で奪い、そして奪った物を分け与える。それが目的だったなら、いまのハガネは何だというのだろう。ずっと抱いてきた疑問。しかし、カイトのその問いに返ってきたのは、意外な答えだった。
(戦争は我が始めたわけではないぞ)
(……え? そう……だったか?)
(事の起こりは十二年前。人族が魔族に戦争を仕掛けてきたのだ。勇者であるお前がそれを知らぬはずは無いだろう)
カイトは驚きに口を閉ざした。知らなかった。カイトが戦争というものを身近に感じ始めたのは、最終決戦のあの日から三年前、カイトが十五歳の時だった。近隣の魔族が戦線を押し上げたために疎開を余儀なくされ、カイトがいた国の王都に移住したその時に、自分たち人族は魔族と戦っているのだとようやく実感したのだ。しかし――
(人族の国じゃ、っていうか俺が育ったところだと、魔族が人族に戦争を仕掛けたって話になってるんだが……嘘言ってないか?)
(何故、我がそのような嘘を吐かねばならぬ。ふむ、どうやら魔族と人族とで食い違いがあるようだ。よいか、カイト。我らの認識する事実としては、十二年前に人族の国で魔族狩りが起きた。それが発端だ)
(俺が教えてもらった話だと、急に魔族が人族の領地に侵攻したことになってて、それで……)
カイトの思いは段々と尻切れになっていく。自分は、もしかして間違った認識で戦争を終わらそうとしていたのではないか? ――ぞっとするような思いがカイトの心に浮かび上がったが、その恐れをハガネは一笑に付した。
(そう始まりのことを気に留める必要があるか? 我も父を亡くした後に魔剣を受け継ぎ戦線に立った。いまから十年前のことだ。始まりは互いによく知らずとも、相見えたその時にはもうすでに、剣を向け合う定めだったのだ。我は間違ったことはしておらぬ。同時に、お前も間違ったことはしていなかったはずだ)
(まあ……そうかな。知らないことがあっても、俺は俺のできることを――って、何で俺がお前に慰められてる感じになってるんだよ)
魔皇に慰められるという状況に何とも言えない不気味さを感じて、カイトはぶっきらぼうに話題を切った。そして、話の流れを変えるために別の話題を持ってきた。
(この話は止めだ。それより……あ、そうだ。不凍の水園、って何だ)
(不凍の水園か? 城の中にある庭園の一つだ。この城には庭園がいくつかある。町に下りるとき使った百枝庭園は迷路のようになっており、侵入者を阻むためのものだが、不凍の水園は特に景観に重きを置いていてな……どれほど寒い日でも湯気が立つ湧き水に囲まれた、美しい園だ)
(へえ、魔皇の城にもそんなもんが……で、そこにクロロペルルが行くって言ってたんだよな。会いに行けば、顔合わせて話せるんじゃないか?)
(会いに?)
カイトにとっては至極当然の行いだと思っていたのだが、ハガネにはどうやら意外なことだったらしい。少し驚いたような声が頭の中に響いてきた。
(別に明日会えるのだから、わざわざ会いに行かずとも良いだろう)
(でも公式の会談だろ? その場に宰相とか弟とかも来るんじゃねぇの。そうしたら話しにくくないか? さっきも何度か話、さえぎられてたし)
(それもそう……か。確かに率直な意見を交換するとなれば、公の場は少し邪魔が多い。だが、今夜とはいえいつあの場に現れるかは分からぬだろう。張り込みでもするのか)
(張り込む根性ぐらいあるだろ? ってか、時間っぽいこと言ってなかったか。ほら、月の階段がどうたら)
(あれか。確かに、刻限を現す古い言い回しだな。あえてそれを伝えたということは、会いに来いということだったのか……?)
一人頷き、そしてハガネは首を捻った。
(……しかし、そうだとしても。あのような言い回しをするとはな。金に執着しすぎる俗物だと思っていたが、金になりそうにない知識も持っていたのだな)
(あの言い回しが時間の古い表現ってことは、いつごろって分かるのか)
(おおよそ真夜中に差しかかる少し前と言ったところか。月が中天にかかる手前、斜めに差し込む月光を階段に喩えて言う。まだ時間がだいぶあるな。おおよそ三時間半程度か)
(げぇ、長いな)
(眠りたいのならそう言うがいい。お前の魂の状態を決めるのは我ぞ。眠りに就かせ、決めておいた時間に起こしてやろう)
魔皇の寝かしつけとモーニングコール。考えるだけでおぞましい字面だが、これから先は毎日こうなのだろう。考えるだけで気が重い、とカイトはげんなりした。
(慣れることだな。しかし……月の階段という言い回しは人族には無いものだったか)
(無いな、そんなロマンチックで綺麗な感じなのは)
思ってから、自分が知らないだけかもしれないとカイトは思い直した。作詞どころか学校でやらされた作文もからきし駄目だった記憶がある。しかしどうやら月の階段という語句は、そういった詩的な言い回しとは関係の無いものだったらしい。
(学校に行っていなくとも、知らぬ言葉だったかもしれぬな。月の階段は魔族の間にある伝説というか、おとぎ話のようなものだ。絵本にもあるようなもので……だからクロロペルルが知っていたことは意外だったのだ。ただ、魔族のおとぎ話だから、人族には伝わっていなくともおかしくはないな)
(おとぎ話?)
(月には巨大な、白く輝く宝石が埋まっている。その宝石から放たれる光が階段となって地上の民を月へと導いてくれる。そんなおとぎ話だ)
(へえ……何か綺麗な話だな。でも月になんて行ってどうするんだ?)
ハガネはふっと笑みをこぼした。どことなく嘲笑を含んだ笑いだった。
(月には、神様がいるそうだ)
(神様? あ、そういやそんなこと聞いたことあるな。魔族の神様は月にいて、人族の神様は太陽にいるんだって。覚えてるか? 魔術師のシーガルと、戦士のシュライク。あの二人は魔族だったからさ、そういう話もしてたっけ)
思い出して、ふとちくりと刺すような胸の痛みをカイトは覚える。その二人も、死んだ。性格は正反対だった。見目麗しく饒舌だったシーガルと、無骨で物静かだったシュライクは、しかし意外と話が合う様子だった。一方的にシーガルが喋るばかりの会話に、ロビンと笑いながら耳を傾けることも、もう二度と無いのだ。
そんなカイトの様子をあえて無視したのか、ハガネは魔族の神の話に触れた。
(人族の神はいまでも崇められているようだが、魔族の神はほとんど信仰されておらぬ。月の階段のおとぎ話を子供の頃に絵本で見た覚えがあるが、結局階段を上った先にあったのは、神様の骨だったという結末だ)
(骨ぇ!? 骨って、それ子供向けの絵本だよな? 将来の魔皇を養成するための何かヤバい本じゃないよな)
(正真正銘普通の絵本だ。月の神は太陽の神に体を焼かれて骨になってしまい、太陽の残り火が燃える心臓だけが光り輝いているのだそうだ。月の神の体は灰となってしまい、このアインヘイムへと降り注ぎ、世界に魔力が生まれた。そして月からは神の一部、骨の欠片も落ちてきた。月の灰を浴びて強い魔力を宿した者は骨の欠片を拾い、さらに強大な力を手にし、やがて同じように灰を浴びた者たちの王となった。……それが魔皇の始まりだという、そんなおとぎ話だよ)
(結局魔皇養成絵本じゃねーか)
カイトは即座にツッコミを入れた。絵本などハガネには似合わないと思ったら、そういう背景があるということをハガネに教えるために読み聞かせたのだろう。
(けど、そうだとしたら月の神って魔族のご先祖様だし魔剣作った張本人だろ? 人族の太陽神みたいに信仰とか無いのか?)
(魔族は実力主義であり、同時に実在主義でもある。実際にあったこと、実際に成し遂げられたことの方が大事なのだ。神などという実在するかどうか分からぬものを有り難がることはしないのだろうな。神の代わりに先祖を敬うのが、魔族にとっての信仰だ。先祖はちゃんと何かを自分たちに何かを残している。その最たるものが、己の命だ)
親を敬う気持ちと一緒か。そう思うと、ちりちりと焦げるような怒りと共に、どうして、という感情がカイトの中に生まれた。
――生み育ててくれた人への感謝とか、生まれて来た命が大事だとか、そういう考えがあるのなら、どうしていまは何も感じず、ただ奪い合うだけの世界を認めているんだ?
その考えはハガネにも聞こえていたはずだったが、ハガネは答えもなく、ただ時を図るように、カーテンを開けた窓から見える月を見上げていた。
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