五話 隣国の商人

 カイトが連れ込まれた先は倉庫のような場所だった。木箱が壁際に山と積まれ、棚にも何かが箱に入れられて保存されている。埃っぽい空気の中でインプ族の男と二人で息を潜めて待っていると、ドアの向こうから大声や複数人が走り去る音が聞こえ、それが過ぎ去ってやがて静かになった。


「……ふう。どうやら一段落付いたらしいな」


 インプ族の男が手を離して言った。


「助けてくれてありがとう。でも、どうして?」

「ほっとけるような雰囲気じゃ無かったからなぁ。あいつらア国の連中だろう。あんたも知ってるだろうが、ア国は金に汚い連中さ。金になるなら何でも売るし、非合法スレスレのことだって平気でやってのける。いや、非合法のこともやってるのかもな。どっちにしろ、いまのこの国じゃ法を守らせることなんてできやしないだろうが……」

(ア国……って、何だ?)

(――ア国か。恐らく、隣国のアク・アク・リトル国のことだろうな)

(ハガネ! ようやく喋ったか)


 うむ、と頭の中で返す言葉は、どことなくぼんやりしている。何か体調でも悪いのかと声をかけようとしたところで、インプ族の男が先に立って手招きをした。


「いつまでもこっちにいらんねぇな。一応店の中だ、迷惑になる前に店の方に出ちまおう」


 男と連れ立ってカイトがもう一つのドアから外に出ると、そこはカウンターの内側だった。コの字型のカウンターは満席で、席の向こうにもテーブル席が見える。ホールを背の高いエルフ族らしいウェイトレスが歩いていて、忙しく給仕している。その光景に目と足を止めていると、インプ族の男に手を引かれてカイトはカウンターの外に出た。そのまま「ま、一杯やってけよ」と言ってカウンター席に座るよう促してくる。


「いやその、金が無いんだけど」

「そのぐらいツケにしておいてくれるさ。なぁママ、そうだろ?」


 ママ、と呼んで男が顔を向けたのはカウンターの中にいる一人の女だった。人間としてみれば四十代半ば頃だろうか。カイトの目にはそう見えるが、魔族は人間よりも長生きだ。彼女も例に漏れず、尖った耳に高い背をしたエルフ族の特徴を持っている。肩や胸の辺りを大胆に露出させた黒いカクテルドレスを着ており、あだっぽい美女ということもあって店内でもひときわ目を引く風貌だった。


「ちょいとバナー、久しぶりに顔出して人様の店にいきなり女の子を連れ込んできたと思ったら、藪から棒に何だい」


 どうやらこの店の店主らしいその女性が、半眼になってインプ族の男――バナーを叱りつけるように言った。バナーは肩を竦めて言う。


「ちょっとした野暮用さ。なーに、人様に迷惑かけるようなことじゃないさ。ママがこの子を表に放り出さない限り、誰も困ったり傷付いたりしねぇよ」

「本当かしらねぇ……さっきも裏通りの方が何だか騒がしかったし、本当に大丈夫なんでしょうね」

「ああ、その話ならな――」


 訝しげにハガネをちらりと見やるバーのママに、バナーは軽く身を乗り出した。そして口元に手を当てて、何事かを一言、二言囁く。カイトの耳に言った内容は聞こえなかったが、どうやらママにとっては驚くような内容だったらしい。「それ本当なの?」と小声で聞き返し、嘆息するように眉を寄せて軽く息を吐いた。


「そうね……まあ、バナーのよしみで騒ぎが収まるまで、ここにいてもいいわよ。ついでにあたしの愚痴を聞いてくれたら、一杯おごったげようかしらね」


 どうやら背景に何か事情がありそうだが、カイトには皆目見当もつかない。助言を求めようにもハガネはまただんまりモードに入ってしまった。仕方がなのでカイトが独断で話を受ける。


「分かった、聞くよ。俺も色々と、町に来て聞きかなきゃならないことがあるんだ」

「あら、案外自覚があるもんだねぇ。いいじゃないか、その姿勢」


 褒められて、カイトは曖昧に笑うことしかできなかった。もしかしたら魔皇ハガネだと見抜かれているのかもしれないが、残念なことに中身が違うのだ。話を聞くことはできても、何かを安請け合いすることはできない――何か頼まれませんようにと強く願ったのはカイトにとってこれが生まれて初めてのことだった。


「……って言っても、愚痴なんて山ほどあるから何から言っていいかねぇ……まあまずは一杯、先に出しておこうか」

「あ、どうも」


 出されたのは酒ではなくジュースだった。深い紅色のジュースは甘みよりも酸味が強くて、少し目が覚めるような味がした。


「色々あるけどやっぱり一番は、ア国の連中のことかしら? 色々行き届いてないって言っても、それでも家が残ってたり、ある程度金持ってたヤツはどうにか生きて行けたんだけどね。あいつらが乗り込んできてから、事情が変わっちまったのさ。あんたもどういう国かだけは知ってるんじゃないかい?」


 カイトはゆっくりと頷いた。ア国、というのは魔族というか隣国故の略称なのかもしれないが、アク・アク・リトルという国は知っていたし、魔族との戦いの中で立ち寄ったこともあった。国土の大半が湖沼地帯で、縦横に走る水路を利用して方々の国と貿易をしている、魔族の国でも一番の経済大国だ。


「帝国と同盟を結んでたけど、兵とかは出さないで武器とかを売ってたんだったったけ。人族の方とも何か、交渉して結局中立みたいな感じで話が付いてたような……」

「あこぎなもんさね。あいつらは結局、魔族にも人族にも武器を売った。絶対に、どっちにも手を貸さないっていう中立じゃなかったの。ま、賢いやり方だったのかもしれないけど、帝国はみんな悪い印象しか持ってなかった。けど、それでも表立っては敵対してなかったし、憎み合うようなことだって起きてこなかったのよ、これまではね」

「これまでは……ってことは」


 そこでバナーが横から口を挟んだ。


「お嬢ちゃんも見て来たんだろう。あっちこっちで起きる人さらいまがいの奴隷契約、強盗みたいな差し押さえ。ありゃ全部ア国の商人たちがやってることさ。けど、この国は取り締まる気も無い。おかげで人も物も金もずっと持ってかれっぱなしさ」


 ヤバい。カイトは思った。状況に対して語彙が全く足りていないが、政治に疎いカイトにだって悲惨なことが起きているということだけは分かった。それが魔族における法律だと言われたら何も言えないが、それが正しいとはそれ以上に言えなかった。


(なあハガネ……お前これでいいのか? 法律はそうなのかもしれないけど、それこそ力で奪われてるのを黙って見てるだけじゃあないか)

(そう――だな。このままでは……)


 ハガネの声はどこか虚ろだ。ハガネ? と内心でカイトが問いかけると、


(すまん……何か、妙に眠い。頭がはっきりとせぬ……)

(はあ? お前、大丈夫なのかよ)

(問題は無いだろう……ああ、ミュリエルが言っていたな。あまり暴れすぎるなと……こういうことか。魂に体がついていっておらぬ……)

(何でもいいけど話は聞いとけよ。……お前にとってたぶん、凄い大事なことだぞ)


 カイトにとっては、魔族の国がどうなろうが知ったことじゃない――そう言いたいところだったが、戦争が終わったのに目の前で苦しんでる人を見せられて、自分には関係の無いことですと他人行儀に振る舞えるなら勇者なんてものはやっていないのだ。


「何もかもがア国のせいじゃないってのは分かってるけどねぇ。それでも、目の前で友達だったヤツが連れてかれたり、仲の良かったご一家が奴隷労役でバラバラに引き裂かれたりするのを見てるとね。全部あいつらが悪いって……そういう気持ちになってきちまうもんなのよ」

「けど、不満はぶつけられねぇんだ。あいつらは金で傭兵を雇ってる。その傭兵はこの国の人間だったりするんだ。傭兵だけじゃねぇんだ。あいつが関わってる業者が勤め先ってのは山ほどいる。俺やママの知り合いにだっている。みんな生きてくのに必死なのさ。昨日の友を殴り飛ばしてでも、よく行ってた行きつけの店を潰して新しい店を立ててでも金稼いで食ってかなきゃならねぇ。そんなやつがいっぱいいるんだ。そしてその不満の矛先は、」


 バナーが横から細い指を伸ばして、ハガネの顔の前に伸びた爪の先を突きつけた。


「魔皇様に向かっていく。このままじゃ、終わったはずの戦争が始まるんだ。今度は内側でな」

(……ハガネ、聞こえてるか?)

(……ああ)


 細やかな溜め息をカイトは聞いた。弱り切ったような音にぎょっとする。魔剣の檻の世界や、城で話していた時とはうって変わって酷く弱々しい。このままハガネの魂が消えるのでは無いかという不安に駆られれば、その感情が表に出たらしい。微かな、笑い声とも嗚咽とも付かない笑い声がカウンターの内側から聞こえた。


「そういう顔するってことは、あんたにも心があるってことなのかしらねぇ」

「あ、いや違うんだ、これは……」


 言い訳しようとしたが、途中でカイトは口を閉ざした。ハガネが溜め息と共に言葉を吐き出した。


(カイトよ……我は何か、無くしている気がするのだ)

(は? ど、どしたんだ、急に)

(分からぬ。しかしこのような話を聞く度に、何か……頭では『力で全てを成せ』と考えるのに、心は何も感じていないはずなのに――昔は何か別のことを考えていたような……そんな記憶がおぼろげに呼び起こされるのだ)

(記憶? 記憶って何だ?)


 ハガネは答えなかった。力尽きたように声がしなくなる。――こりゃ一度城に戻った方がいいかもしれないなと思いつつ、カイトは現状に取りあえず集中する。


「まあでも、心ばっかりじゃどうにもならない問題だってのも分かってるのよ。あの大戦で帝国はア国に貸しを作ったって話はよく聞く話だし、ア国の連中だって悪事ばっかり働いてるわけじゃない。さっき言ったみたいに、こっちに来てやってる店で帝国の者を雇ったり、他にも水道や道路を直してくれたりもしてるみたいだしねぇ」

「けどなぁ、それも良いことばっかりじゃあないんだぜ。直したものを結局自分たちのものにしちまうことだってあるからな」

「全部、魔皇様にどうにかしてほしいってんじゃないの。でも、不条理なことだけは止めさせてほしいのよ。誰かが突然いなくなったり、何かを無理矢理奪われたりとか、そういうのだけはね」


 安請け合いは駄目だ、とカイトは自分に何度か言い聞かせたが、結局首を縦に振っていた。どうにかする、とまでは言えなかったが、どうにかするといつかハガネの口から言わせることが自分のやらなければならないことのような気がした。


「あたしらの声が魔皇様に届くかは分かんないけどさ、けどもし届くんならきっといいタイミングだと思うのよ。何せあのア国の魔王が帝国に、魔皇様と会談しに来るって話じゃないか」

「えっ」


 思わず上げかけたカイトの声は、すんでのところでコップに口を付けることで抑えられた。そんなことは聞いていない。というか、そういうことがあるのならこんなところをうろついてる場合じゃない。カイトは席を立った。


「俺、行かねーと」

「あら、もうお会計? って言ってもタダなんだけどさ」

「うん。ありがとう、ママ。それとバナーも。いま聞いたこと、魔皇と、あとあっちの国の魔王にも伝えとくから」


 まだ少し残っていたジュースを一気に飲み干すと、カイトは軽く頭を下げて二人に背を向けた。

 酒場から慌ただしく出て行く小柄な影を見送って、バナーは苦笑する。


「……それにしてもあの人、思ってたのとだいぶ印象が違うなぁ」

「ええ? あんたが魔皇様だって言ったんじゃないの」

「特徴が一緒だったし、そういう……ちっちゃくなる魔法かなにか使ってるのかと思ったんだよ。まあ、本物でも偽物でも、ああ言ってくれただけよかったじゃあないか。気分は楽になっただろ?」

「はいはい。あんたの分はツケだよ。おごりじゃなくてツケだから、出世払いで払いなさいな」


 手厳しいようで気前の良い言葉に、バナーは首を縮こめて、それからありがたがるような大仰な素振りで酒をちびちびと飲んだ。隣の席はすぐ埋まって、それから他愛も無い話が始まる。――ここは平和だ。少なくともまだ。バナーもバーのママも、他の席の客たちも、みんな頭の片隅に、そんな考えを居座らせながら、更けていく夜を楽しんでいた。

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