六話 予期せぬ来訪者
カイトは急ぎ足で城へと戻った。が、城壁を前にして足を止めてしまった。
(道、分かんねー!)
行きはハガネ任せだった。その行きの時というのも、高い身体能力を駆使して力業で城壁を越えただけなのでそもそも道らしい道を通っていない。肝心のハガネは眠ってしまったようにカイトが話しかけても返事をしないので、カイトは途方に暮れるしか無かった。
(ヤバい、マジでヤバいな。これ、正面突破するしかないのか? いやでも、城を開けてることがバレないように、ってミュリエルも言ってたしな……)
どうにかしてハガネの力を借りずに城壁をよじ登ることも考えたが、そびえ立つ城壁の前には幅の広い掘があり、しかもその向こうの城壁は高くそびえていた。真正面から入ろうにも城門は閉ざされており、門へと続く跳ね上げ橋も上がりっぱなしになって本当に入り込む余地が無い。
(ハガネ……おいハガネ? 本気で眠ってるのか?)
橋の手前、出入りする者を監視するために立つ兵を物陰から見ながらカイトは何度かハガネを呼んだ。これで起きなかったらいっそ兵に事情を説明して、恥を忍んで通してもらうしかない――といらぬ腹を括りかけたとき、
(う……カイトか。ここは……どこだ?)
(やっと起きたか! 城の門の前だ、ここからどう入ればいい?)
(ああ……このまま堀に沿って右手の方へと向かえ。城壁から下りるときに、背の高い松が二本あっただろう。あの辺りに来たら交代だ)
(分かった。……ほんとに大丈夫なんだろうな)
ここで自信満々な返答が来るかとカイトは思っていたが、返ってきた言葉は(城壁を越えるまでは、保つだろう)というものだった。城を出るときの勢いは見る影も無い。
兵に見つからないよう木の陰に隠れて堀沿いを歩きながら、カイトは思い返す。魔剣で斬られた自分は魔剣の檻という世界にいた――らしい。死んだ後のことは覚えていないのでどういう状態なのかはいまいち分からないが、魂が魔剣の中に持っていかれたようなものなのだろう。そうだとすれば神剣に貫かれたハガネもまた――?
(……なるほど。肉体だけでなく、魂にも影響が出たと考えるのが自然だな)
カイトの思索に勝手に返事をすると、ハガネは(ここで替わろう)と言った。見ると、目の前には巨大な二本の松が天に向かって伸びていた。うねるように曲がりながらもかなりの高さがある怪奇だが立派な姿をしている。カイトは木陰に隠れると、目を閉じた。ハガネと交代する時に感じる意識が遠ざかるような感覚の後に、目を覚ましたカイトの意思とは関係無しにハガネの体は動き出した。
魔法でも使うのかと思ったが、ハガネは跳躍を繰り返して曲がりくねった松の幹や枝に乗り、すぐに城壁の高さまで戻ってきた。
(城まで戻ったな。どうする、また替わるか?)
(よい。この足でミュリエルのところまで向かう。あれなら不調の原因も分かるだろう……それにしても妙だな。この時間に城門が閉まっているとは)
(ん? いつもは開いてんのか)
(戦時でない限りは、日が出ている内は開いている。暮れかけだが……まだ日があるだろう。そういえば、見張りの兵も多いな)
見張りの兵も多いと言った矢先に、城壁にも見回りのために回っていた兵が上がってきた。
「何やつ――む、ま、魔皇様!? 何故このようなところに……」
「気分転換のようなものだ。巡邏の任、大義である」
「はっ! ありがたきお言葉です!」
直立の上敬礼をする兵士の横を通ると、ハガネは城の中へと入っていった。城壁には幾本かの尖塔が立ち、そこから城壁内へと下りることができるようになっている。城壁の内側には広大な庭があり、庭の内側に居館や兵舎、修練場といった様々な施設がある。魔皇の城は黒っぽい灰色のレンガ造りで、尖塔の角度が急な屋根は黒く塗られている。全体的に重い印象を与えてくる偉容だが、攻め入った時といまとでは、少しだけ印象が違って見えた。
(敵対せずに見れば、重厚で頼もしいものだろう)
(うっ……また人の考えを読みやがって)
(頭の中にどうにかして蓋でも作ったらどうだ。訓練次第ではできそうなものだが)
それができれば苦労はしない、とカイトは当てつけのように思った。
尖塔の階段を下りて庭園に出る。その庭園にもやはり警備の兵が立ち、あるいは巡回をしていた。そしてハガネを見ると必ず、いてもおかしくない城主の姿に全員が驚くのだった。妙だ、とハガネは思う。その奇妙さにはカイトも気付いていた。
(本当に妙な空気が立ちこめている……守るに易く責めるに難いこの城だが……今日はあまりにも堅牢に思えるな)
(今日は、ってか行きよりもピリピリしてないか?)
(そうであったな。朝はこうでは無かった、となると我が城を開けている間に何かがあったか……)
ハガネは足を速めて居館へと入った。魔皇を前にすると身が引き締まるのか、居館を警備する近衛兵はハガネの姿を見るなり背筋を正して身を硬くしていた。ハガネは適当に声をかけたりしながら急ぎ足でミュリエルの部屋へと向かった。
「――ああ、お姉さま!」
入るなり、ミュリエルが駆け寄ってきた。そのままハガネに抱き付きかねない勢いだったが、自らの勢いを恥じたようにミュリエルはハガネの前で立ち止まると、半歩引いて小さく頭を下げた。
「無事おかえりになってなによりでございますわ。お体に不調はありませんか?」
「少し眠い。歩いている内に多少はマシになったが」
「何か力を振るわれたのですね? いいえお姉さま、ミュリエルはお姉さまが何をなさったのか、詮索致しませんわ。何事もなくお戻りになっただけで、わたくしは充分でございます。さあ、椅子におかけになって。少しお休みになってくださいな。お体をしばし休められれば体調はお戻りになるはずですわ」
「心配をかけたようだが、それよりもミュリエルよ。城内の様子は何だ? 常ならぬことが起きている様子だが」
ミュリエルは説明を求めるハガネを問答無用で部屋の椅子に座らせ、まるで淹れたてのように湯気の立つティーポットからカップへと紅茶を注ぎ入れた。それから、出かける前にカイトが会話するために使った花瓶をまたテーブルの上に置き、唇を湿らせるように紅茶を一口飲むと口を開いた。
「お姉さま、落ち着いて聞いてくださいまし」
「事と次第による」
「ええ、分かっておりますわ。でも……もしかしたらお姉さまが危ぶまれておいでであったことが、現実になってしまったのかもしれませんの」
ハガネは無言で先を促した。ミュリエルは小さく首を横に振ると、
「アク・アク・リトル国の魔王、クロロペルル様が来訪されることはご存じのことと思いますわ。本来、クロロペルル様は明朝来訪される予定でしたけれど――いま現在、すでに城内においでですの」
「……何だと」
ハガネは思わず腰を上げかけ、それから一息吐くと体勢を元に戻した。ミュリエルに当たっても仕方のなことだと思い直したようだった。それでも苛立ちは避けられなかったのだろう、しわの寄った眉間に指を押し当てて無言になってしまった。代わりにカイトがミュリエルに尋ねる。
「それ、いつ来たんだ? 俺たちが出るまではまだ来てなかったんだろ?」
「それが……朝の時点でもう帝都内におられたようなのです。入城されたのはお姉さまが出られてすぐのこと……正午になる少し前の時間帯だったかと思います。わたくしも後から教えていただいたので、詳しくは分からないのですが……」
「教えてもらったって、誰が言ってくれたんだ?」
「ダイスさまです。ダイスさまはお姉さまのことを探しておられたご様子で、わたくしの部屋に尋ねてこられたのですわ」
「クィンシーがか。珍しいこともあるものだな」
カイトはダイスの顔を思い起こした。苦虫を噛み潰したような顔をしてミュリエルを見て、かなりの暴言を吐いたわりに平気で部屋に入ってくるものなのか。それとも見下している相手だからずかずかと部屋に入ってきたのか。いずれにしても当時のダイスの顔は容易に想像できる。きっと猛烈に機嫌の悪い顔をしていたに違いない。
「それは……何ていうか、何か酷いこと言われなかったか?」
「ありがとうございます、勇者さま。わたくしは大丈夫ですわ。それより、わたくしのことよりもダイス様のご様子が気がかりなのです。お姉さまのことを城中探しておいででしたのよ。わたくし気になって、少々お城の方にお話を聞いてみましたの。そうしたら、料理人の方からクロロペルル様が急遽入城されたことを教えていただいて……」
「時間は同じほどだったか」
「ダイスさまがお姉さまを探されていた時間と、ほぼ同じだったかと。もしかしたらクロロペルルさまがおいでになったので、お姉さまを探されていたのかもしれませんわ」
「ふむ……」
ハガネも一口紅茶をすすると、虚空を睨むように目を細めた。数秒考え、
「クィンシーが何を考えてるかは知らぬが、謀るつもりは無いだろう。我に黙って何かを勝手に決めたいなら、密談が終わるまで待って後から報告すればよい。それが、話すどころか探し回っていたのを見ると、義理は通そうとしたということか」
「城出る前と比べてやたら物わかりがいいな。お前、弟と仲良いのか悪いのかどっちなんだよ」
「我は悪く思っているつもりは無いのだがな。昔は素直で我をよく慕う良い子だったんだが、どこでひねくれたのやら」
先にひねくれたのはお前なんじゃ無いのかとカイトは思ったが、ハガネとしては思い当たる節は無いらしい。
「別にあれの性格が変わったということも無いだろう、単純に考え方の相違ができただけだ。
……何にせよ、探していたということは、あれの性格上クロロペルルに会わせようとしていたとしか思えん。会いに行くか……いや、直接クロロペルルに会った方が早いか」
「会って何話すんだよ?」
「誰と、何を話していたのかを話す。それと、我が国に入り込んでいる商人どものこともだ」
「……何だ、全部力があるヤツが持ってって当然とかそう思ってたんじゃないのか」
カイトの言葉に、ハガネは軽く目を伏せて何かを考えている様子だった。その考えはカイトの方には流れ込んでこない。不公平だと思っていると、ハガネはおもむろに目を開けてミュリエルに目を向けた。
「ミュリエルよ。お前の目から見て我は、どういう王であった?」
「どうと言われましても、わたくしにとってお姉さまは素晴らしい方でしたわ。戦争や政治のことで悪く言われる方がいらっしゃるのは仕方のないことなのでしょうけれど、わたくしは命を救っていただきましたもの。王であるお姉さまのことはよく分かりませんけど、ミュリエルにとってお姉さまは、優しいお方ですのよ」
カイトは内心で首を捻った。カイトの目線から見て、ハガネに優しさがあるようには一度たりとも見えなかった。いつの間にか始まっていた人族と魔族の大戦争、その先陣を切って戦っていたのがハガネだ。その手で焼かれた村、殺された人は数知れない。自分だって魔族を斬ってきたのだから人のことを言えないとは思っているが、それにしてもハガネは、町に出たときの態度を見ても『優しいお方』とはとてもじゃないが言い難い人物にしか見えなかった。
そして、それに疑問を持っているのは何もカイトだけでは無かったらしい。ハガネもまた首を捻っている。
「……優しい、か。おかしなものだな」
「自分でもおかしいとか思うのかよ」
「ああ、そうだ。カイトよ、念のために言っておくが、我が記憶の中には確かに優しい我があったのだぞ。しかし、いまは違う」
「何だ? 変わったって言いたいのか? 優しくなくなっちまったからあんな戦争をしたのか?」
言ってから、カイトはハガネがミュリエルを助けたのは戦争の時だったと言っていたことを思い出した。ハガネも緩く首を横に振っている。
「我が胸中にはもはや優しさなどという感情など無い。力こそ全てだ。それが間違いだとは思っていないし、昔からそうだったとも思っているが――昔は、力で得た物を誰かに分け与えていた。それを優しさというのなら、そうなのだろうな」
「それ、優しさか?」
「知らぬ。どちらにしろ我が心は昔とは違う。奇妙なことに、戦争が終わったから変わってしまったのだ。もしや、神剣が……いや、いまは言うまい。長々と話している時間は無いな。いまはクロロペルルを探し出さなければ」
「クロロペルルさまでしたら、きっと白石の間におられますわ。そこに侍従の方が出入りするのをわたくし見ましたもの」
「でかした、ミュリエル。ならばこうしてはおれぬ。行くぞ、カイト。言い残したことはあるか」
「何だその、いまから首を切り落としてやるみたいな言い方。ねぇよ。さっさと行こう。悪徳商人のことで文句付けてやれ」
ハガネは席を立った。眠気はすでに引いていた。確かになった足取りで、ハガネはミュリエルの部屋を出た。
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