四話 そして始まる大乱闘

 カイトは闇雲に町の中を歩いていた。あまり目立たないようフードを目深に被り足早に過ぎる街並みは、どこに行っても荒れ果てている。道端でうずくまるホームレスや物乞いはまだ良い方だった。一方的な暴力を受けて身ぐるみ剥がされる者や、あるいは強盗同然に家に押し入り、住民の悲鳴を受けながら家財を馬車に乗せている者もいた。驚いて止めに入ろうとする暇も無く暴力は嵐のように過ぎていき、遠巻きに見ていた魔族に「軍に通報しなくていいのか」と尋ねても、うさんくさそうな目で見られるばかりだった。


(どうなってんだよ、この町は!)

 叫びたくなるのをぐっと堪えて、カイトは頭の中だけで叫んだ。


(どうもこうも、これがこの町の現状だ。力ある者が全てを持つ、それだけのことよ)

(お前なあ……!)


 ずっとだんまりを決め込んでいたハガネの言葉に、苛立ちながら何か反論しようとしたカイトだったがその先が続かない。何か言ってもいまのハガネには自分の言葉が響くとは思えなかった。なので、文句を言う代わりに思う。


(……アマルガムがどんなヤツか知らねーけど、絶対そいつのやってることはお前の考えよりマシだ)

(何故そう言い切れる?)

(配給とか炊き出しとか、そういうのってお前が言い出したことじゃないんだろ、どうせ。ダイスが言った通り、お前は玉座に座ってふんぞり返ってるのがお似合いだ)


 カイトの言葉にはやはり沈黙が返ってきた。城にいた時よりもだいぶ口数が減ったな、とカイトは思う。ハガネはハガネなりにこの光景に堪えるものがあるのかもしれない。――そうだといいんだけどな、と思いながらカイトは適当な路地に入る。途端、路地の向こうから怒号が聞こえてきた。


「止めてください! その子を連れて行かないで!」

「ええいうるさい、うるさい。まとわりつくな。大した労働力にならん妖精を、借金の代わりに引き取ってもらえるだけありがたいと思え!」


 路地の奥には異様な光景が広がっていた。蝶のような羽を背に生やした小柄な女が、泣き叫びながら長身の男に縋り付いている。その二人以外にも数人の人影が見えた。女は妖精族、男の方はエルフ族だろう。


「積み込みは終わったか?」


 男は引き連れた者たちに声をかけた。誰かがそれに応と答え、女がその場に泣き崩れる。


「おい、ちょっと待てよ」


 見かねたカイトが声をかけると長身の男が振り返った。他数人はカイトに目もくれず、馬車に乗り込んだり、警護のつもりなのか馬車や男の近くに立って動かなかった。


「なんだ、小娘。我々に何か用でもあるのか?」

「あんたいったいなにやってるんだ? 連れて行かないでって、まるで人さらいでもやってるみたいじゃないか」

「人さらいとは人聞きの悪い。借金を払えない場合、本人または家族を人足として労働させる法律があるのを知らんのか」

「はあ!? なんだその法律!」


 長身の男は嘲笑うような笑みを浮かべてハガネの体を見下ろした。


「なんだも何もそれが法だ、文句があるなら魔皇様にでも泣きつくのだな。それとも法を犯してまでこの女を助けるのか?」


 カイトは地に半ば伏して呆然とこちらを見ている妖精族の女を見た。目が合うとすぐに視線がそらされる。一瞬の間に何を考えたのかは読み取れなかったが、無性にやるせなくなって、カイトは勢い任せに口を開いていた。


「だったらその魔皇様が『駄目だ』って言ったら引き下がるのか?」

「ほほほ、何を言い出すかと思えば。どうやらその身なり、この国の貴族か何かのように見えるが魔皇ハガネは力こそが全てだと思っている様子。財力という力を持った我々に文句を付けようなどとは思うまいよ!」

「ぐっ……」


 いっそハガネに体を明け渡してこの場を納めてもらおうか、とカイトがダメ元で頭の中でハガネを呼ぼうとした――その時。


「いたぞ!」


 背後から怒声じみた大声が聞こえた。驚いてカイトが立ち竦んでいる間に、


「あいつら、イフェメラさんとこにまで手ぇ出しやがったぞ!」

「ふざけやがって、ぶっ飛ばしてやる!」

「叩き出しちまえ!」

「クソッタレが! こっから出てけ!」


 見る間に路地に人がなだれ込んでくる。カイトはとっさに道の端に退いた。路地は怒号に包まれたが、男は怒声をものともせずに馬車に乗り込んだ。


「馬車を出せ! 前に出る者に構うな!」


 馬車の前に人が立ちはだかろうとも無駄だった。繋がれた二頭の馬がいななき、馬車が走り出す。路地に入ってきた者たちは怯んだ様子で道の脇に退いた。馬車に向かって口汚い罵声が浴びせられる。が、馬車は止まることは無く、やがて罵声はいくつかの落胆と溜め息と、止まない嗚咽に変わっていった。


「イフェメラさん……」

「あぁ……私の子、私の子が……どうして……ううう……」


 地に倒れ伏してイフェメラは泣き崩れている。彼女を取り囲んで慰めているのは種族も性別も様々だが、皆一様に貧相な格好をしていることだけは共通していた。


「……くそっ! こんなことになったのも魔皇のせいだ!」


 遠巻きにカイトがその集団を見ていると、不意に一人がそう声を上げた。そうだ、と周囲の者が同意の声を上げる。


「何が実力主義だ!」

「自分の国の魔族が力尽くで連れ去られて何もしないなんて!」

「自分を守る力しかねぇのかよ!」

「税金泥棒!」

「無能外交!」

「力だけあっても知力が足りてねーんだよ!」


 一声が上がる度に怒気が増していくのを感じ、カイトは思わず後退った。怒りに拳を突き上げている面々の中でイフェメラがまだ静かに泣いているのが余計に異様で、この場から立ち去った方が良いと直感する。――が、


「やっぱり魔皇なんていらねぇんだ!」

「いまこそ魔皇を倒す時だ!」

「搾取されるぐらいなら死ぬ気で抵抗してやる!」

「自分の国から民がいなくなるまで、どうせあいつは分かりっこないんだ!」

「あいつにもア国にもくれてやるものなんざ無い!」

「そうだ! 魔皇を倒せ!」


 カイトはその言葉を聞くことしかできなかった。何故なら、この場を退こうとした足が止まったからだ。肉体の主導権を失った――それに気付いたのは、ハガネがハガネとして口を開いてからだった。


「待て、そこな民たちよ」


 少女のものとは思えない、低く凄味のある声に怒声がぴたりと止まった。


「余程魔皇に不満があると見える。倒すつもりならばその挑戦、受けて立とうではないか」

(おいおいおいおい、何言ってんだお前!?)


 驚いたのはカイトだけでは無かった。その場に居合わせた者たち全員が唖然として、いきなり口出しをしてきたハガネに視線を向ける。五秒か、十秒か――渇いた風がひゅうと吹き抜け、ようやく群衆の中の一人が口を開いた。


「……あー、嬢ちゃんいったい何の話だ? 魔皇が受けて立つ?」

「そうだが」

「そうだが、っつってもなぁ。知り合いなのかい、魔皇様と」

「いや、我が魔皇なのだが」


 ハガネの言葉に一拍の空白が挟まり、そして、


「ぶっ――はははははは!」

「ま、魔皇!? 魔皇だってぇ?」

「ははは、お嬢ちゃん威勢が良いこというじゃねぇか!」

「こりゃ久々に爆笑だわ! わははははは!」


 その場は笑いに包まれた。笑っていないのはハガネと、ようやく泣き止んだイフェメラだけだ。イフェメラは泣き止んだというよりも、急に事態が変わって唖然としている様子だった。


「何だ、笑うばかりでかかって来ぬのか」

「かかって来るったって、そんなちっちゃな体に襲いかかったら俺たち犯罪者じゃないか!」

「いくら何でもそんな、女の子ボコボコにして楽しむほど落ちぶれちゃいねぇよ!」

「うむ……埒が明かぬな」

(カイト……どうやったらこやつらは我が魔皇だと信じるのだ)

(この流れじゃ無理)


 カイトはばっさりと切って捨てた。せめて魔剣を持ってきていればまだ、魔皇としての信用はあったのかもしれない。しかしどうやら、魔皇ハガネが幼くなったということは民衆には知られていないらしい。順序を追って説明すればまだ理解する者もいただろうが、この流れではハガネが冴えないジョークを言ったと思われてただ笑われるばかりになるだけだろう。


「いやしかし、面白い冗談だぜ。冗談じゃなく魔皇様に会わせてくれるんなら頼みたいとこだがなぁ」

(だから、我が魔皇だと……)

(ここで言っても無駄だって。お前、魔皇だと証明できるもん何か持ってないのか? それを見せつければ信じてもらえるんじゃないのか)


 いちいち助言するのも馬鹿馬鹿しかったが、それでも一応カイトはそう提案した。するとハガネは一つ頷き、


「――では、我が魔皇であるという証を見せてやろう」


 そう言って手近にあった街灯に手を置いた。そしてハガネが軽く目を閉じ精神を集中させると――街灯はみるみるうちに、溶けるように縮んでいき、やがて一振りの剣になった。刀身はハガネの肉体ほどもあるだろう。それをハガネは軽々と片手で持って見せた。


「な、なんだあそりゃあ!?」

(マジでなんだそりゃ……)

「うん? お前たちは知らぬのか。耳に覚えのある者なら聞き及んでおるだろうと思ったが。これぞ我が血族のみに伝わる魔法、物質変換マグヌム・オプスなるものぞ」


 こう言うとハガネは、カイトにだけ付け加えて頭の中だけで言った。


(勇者よ、何故お前が知らぬのだ。我が鎧は我が魔法で編み出されたものだというのに)

(いや知るかよ。お前最初っから鎧着込んでただろ。分かるかっつーの)


 全く知らなかったわけではない。ただ、カイトが聞いたことがあったのは『金属を自在に変形させる』とかそういう程度の話だったのだ。詳細など知るところではない。


「流石に我が民に向けてこの剣を振るうことはできぬが……しかし我が魔力は未だに衰えを知るところ無し。この肉体に宿る力も並の兵が束になっても勝てぬものだ。分かったらさっさと力を示すが良い。見事我に一撃を与えることができたならば、お前たちの望みを叶えてやろうではないか」


 挑発的な言葉に、群衆の雰囲気が徐々に変わっていく。空気が少しずつ剣呑に尖り、視線に険が混じる。やがてそれは不満や怒りに変わった。


「……おい、どうする」

「本当に魔皇か?」

「もし手品か何かだったら……」

「知るもんか! 本物だろうが偽物だろうが、俺たちを馬鹿にしてからかったことを後悔させてやれっ!」


 いきり立った一人がそう声を張り上げると、拳を固めてハガネへ突進してきた。半歩体を斜めにずらすだけでハガネはそれをかわして、足を引っかけて転ばせる。ずざああっ、と音を立てて殴りかかってきた男が転んで呻いた、それがきっかけだった。


「――こいつ! やっちまえ!」


 火が点いたように十数人の群衆がハガネへと殺到した。拳を振り上げて向かってくる者たちの背後で悲鳴が上がる。助けようとした女の悲鳴も聞こえていないらしい。


(マジかよ、ハガネお前マジでこれでいいのか!?)

(よい。拳なり蹴りなり、いっそ投石でも良い。我に一発当てれば訴えが通るというのは、随分と譲歩した方ではないか?)


 そんなものは譲歩じゃねぇただの挑発だ――とカイトは内心で叫んだが群衆はもちろんハガネも聞く耳を持たない。

 あっという間に大乱闘が始まった。

 一人倒し二人いなし、三人を蹴りの衝撃でなぎ倒す。カイトはハガネの挙動に舌を巻いた。小さくなろうが魔皇は魔皇だ、その攻撃に隙は無く、避ける動作は逆に相手の隙を誘発する。殴りかかる前に他の者にぶつかり、動きを阻害される者もわらわらと出てくる始末だ。

 しかし、明らかな力量差があってもそれでも諦めきれないのだろう。怒りにまかせて、一度は倒された者も気絶しない限りは立ち上がってまた向かってくる。しかも群衆の数は刻一刻と増えていっているようだった。噂を聞きつけたか、それとも誰かが噂を広めたのか、最初は十数人程度だった人数は膨れ上がり、狭い路地はハガネへと打ち寄せる人の波で溢れかえった。


「どうした!? その程度か!」


 ハガネが声を上げる。(これ以上挑発するなよ!)とカイトはツッコミを入れたがハガネにすれば挑発という意識ですらない。叶えたい望み、得たいと欲する物があるならば力で向かってくればいいのだ――いっそこの状況はハガネにとって爽快ですらあった。民の心は折れていない、どんな手段でも己の望みを叶えようとする力がまだあるのだ――。


(んな独りよがりの満足があってたまるかってんだ!! おい、いい加減にしろよ。こんなことしても誰も救えないだろ!)

(我は救おうとしているのではない。力を示した者にただ与えようというだけだ)

(こっの……!)


 怒りのままに、どうにかハガネを止められないかと何かぶつけられる言葉をカイトは探す。しかし結局有効な手段などその場には無かった。

 ハガネを止める手段は、外から来た。

 ガラガラガラガラ――と数台の馬車が来る音が路地の中にまで響く。怒号が飛び交う乱闘の中で聞こえる程の音量そ放つそれは、先ほどエルフ族の男が乗り去って行った馬車よりも巨大な車体をしていた。車体を引く馬も非常に体躯が大きく、足は六本あり、額に角を頂いている。


「――グラニ種の輓馬ばんばだと? 何故あのような馬がこんなところに」


 ハガネが動きを止めたが、そこに殴りかかる者はいなかった。巨大な馬車を見るなり一様にぎょっとした表情になり、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


「商会だ! 商会の連中が来やがった!」

「商会の土建屋だ! 野郎、人さらいだけじゃなく人様のシマにまで手ぇ出すつもりかよ!」


 去り際に数人が捨て台詞を吐いていく。商会? とカイトとハガネは同時に首を傾げた。どうやらどちらも知らない事柄らしい。


「……全員逃げるか。意気地の無い奴らだ」

(そんだけ商会とやらが怖いんじゃないのか? てか、商会ってなに)

(知らぬ。まあいい、知らぬのなら検めればよい話……む?)


 馬車に向けて歩み寄ろうとしたハガネの足が止まる。ハガネ? と尋ねたカイトの意識も一緒に揺れた。


(な、なんだ?)


 先ほど意識が入れ替わった時と同じ感覚――意識の点滅が終わり、視界がクリアになる。カイトの目の前には馬車があった。その大きさに見合った荷台がある馬車の戸が開き、中から数人の、ガタイの良い男が下りてくる。男たちはすぐ、自分たちを見上げてくるハガネを見付けた。


「うん? 何だ、小娘。見世物じゃないんだぞ。さっさと散れ」

「待て……この少女、先ほどの乱闘の中心にいて大立回りしていたぞ」

「何だって?」

「並々ならぬ力を持つ魔族のようだな……」


 馬車から出てきたのは合計四人。痩せぎすの町人たちより遙かに屈強そうに見えるその四人が、何事かを話し合いながらじりじりと迫ってくる。マズイ、とカイトは思った。どう考えてもこの場に留まるのは得策ではない。


(おいハガネ、逃げるぞ! ――勝手に逃げるからな!)


 ハガネからの返事は無かったが、カイトの意のままにハガネの体の手足は動いた。その場から背を向けて脇目も振らずに全力で走り出す。背後から「おい!」だの「待て!」だのと声がかかるがそんなものを聞くわけもない。


(ハガネ! おい、おい聞いてんのか!?)


 走りながらカイトは頭の中で怒鳴る。が、ハガネは一向に答えようとしない。まるで気絶したような途絶っぷりにカイトは動揺しつつ、小さな体を活かしてともかく細い路地へと入っていく。歩幅が小さすぎてどう考えても普通に追いかけっこしたのでは逃げ切れない。連中はどうやら捕まえる気でいるらしく、背後の靴音と怒声は止むことを知らない。


(やっべ、追いつかれる――!)


 息が切れて足が止まるということは無いが、かといって動かし方の分からない体では走り抜けるのがやっとで振り切ることなど到底できない。自分の体では無いのだからどうでもいいことのはずなのだが、それでもカイトがひやりとしたものを背中に感じたその時。


「こっちだ、お嬢ちゃん!」

「はっ!? おわ……っ!?」


 細い路地に飛び込んだ途端、いきなり目の前のドアが開いたかと思うと、痩せた青い腕に手首を掴まれて引っ張り込まれた。とっさのことに対処できずにそのまま引っ張り込まれると、ドアが閉まって今度は口を塞がれる。


「……!」

「シーッ……連中が行くまで静かにするんだ」


 カイトは黙って首を縦に振る。その時ようやく、自分を室内に引っ張り込んだその人物に気付いた。それは町に出たばかりの時に出会った、あのインプ族の男の男だった。

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