三話 世論調査だ!

 魔皇ハガネが王として立つガナガルティガン帝国は、北の山のただ中に首都がある。ぽっかりと穴が開いたような盆地の中に、塔のような直方体の住居が建ち並ぶ帝都ティガニアの光景はいつ見てもカイトにとっては異様な景色に見えた。いまは雪のシーズンも終わり、短い春が来ているためかハガネとの決戦の時に振っていたような大粒の雪も無く、薄く雲がかかった空から鈍い日光が降り注いでいた。

 しかし、空が明るくとも街並みが明るいとはとても言い難かった。

 あちこちに荒れ果てたまま放置されているらしい住居が残っている。燃え尽きて崩れ落ちた一軒家や半ばから折れてしまった塔状住居。全部が全部というわけでもないが、一軒や二軒で済む数でも無い。帝都城へと伸びる大通りこそ石畳がきちんと舗装され、そこに面した家や商店も綺麗にされているところが多かったが、路地を一本入って見てみれば、そういった形で荒れた家屋が打ち捨てられたようにぽつぽつとあるのだ。


(……俺たちがやった側とはいえ、酷い有様だな)

(何を胸を痛めることがある。散々いままで見て来たものだろう?)

(何度見たって胸は傷むもんなんだよ)


 お前の胸には感傷なんて詰まってねーんだろうけど。それとも小さくなった拍子にどっか抜け出たのか? ――そんな嫌味にもハガネは動じた様子が無い。


(弱き者はこうして住処を失い、建て直すこともできん。それだけの話だろう)

(それをどうにかすんのが王様の仕事だろ?)

(……必要とは思えんがな。建て直す金や資材が無いなら奪えばよい)

(脳みそ蛮族かお前)


 野蛮が過ぎる。こんな暴力のことしか考えてないようなヤツに負けたのか、いやそういうことばっか考えてるようなヤツと正面切って戦ったせいで負けたのかとカイトは腹が立つやら悲しいやらで、何でも良いから当たり散らしたくなってきていた。とはいえ当たる相手は当のハガネしかいないのだが。


(それにしても……ただ町を出て歩くだけだというのに、またしても着替えさせられるとは。ミュリエルのやつ、細かいことを気にしすぎでは無いか?)

(至極当然のことを言われただけだと思うぞ……)



 ――出発前。勇み足で城を飛び出そうとしたハガネをミュリエルは呼び止めた。


「まずは服をお着替えになってくださいまし。お姉さまを前にしては皆、畏れ多くてまともに話せるはずがありませんもの。もう少し目立たないお洋服を用意致しましょう。それと、御髪を隠すためにフードも付けて。ああそうだわ、城をお出になるならこの部屋の窓から屋根伝いに向かって、百枝庭園の生け垣に隠れながら城壁を越えて町に下りるのが良いでしょう。お姉さまは皆の心の支えですもの、城を離れたことが知られると近衛兵の皆様も戸惑われるでしょう?

 ――ああっ、わたくしとしたことが! 肝心なことを言い忘れておりましたわ! お姉さま、あり得ぬことと思いますけど、街中で不用意に魔法をお使いになったり、過剰な運動をしたりするのはなるべくお控えくださいまし。いまのお姉さまは魔力や体力を使いすぎると、魂の素質にお体が追いつかなくなるのです。きっと大変なことが起きてしまいますわ」


 その他にも細々としたことを、ハガネが着替える間ミュリエルは尽きること無く話し続けたのだった。


(――よくもまあ、あれほどに忠告すべきことが思い付くと思わぬか? ミュリエルは心配しすぎなのだ。我は魔皇、魔皇ハガネぞ)


 ハガネの無駄な魔皇アピールに辟易として内心で溜め息を吐きつつ――その溜め息もきっちりハガネは感じ取っていたのだが――カイトはぼやくように言い返す。


(分かった分かったお前は偉いよ、偉い魔皇様だよ。向かうところ敵無しだ、勇者もぶっ倒した無敵の魔皇だ)

(だろう?)

(それはそれとしても、魔皇ハガネってどっから出た名前なんだ。いや、逆か? ダイスの時もそうだったけど、セオドーラって何だ。クィンシーって何だ)


 魔皇は分かる。魔剣に選ばれた者が魔皇だ。魔王は国のトップになる魔族というだけで王と変わらないが『魔皇』だけはその点において違いがあるのだ。しかし、ハガネという名前とセオドーラという可愛げのある名前が、カイトの中ではどうしても結びつかなかった。


(魔族における習慣だ。ある程度位の高い魔族は、生まれつきのものとは別の名前を名乗るようになる)

(じゃ、生まれつきの、親御さんにもらったお前の名前はセオドーラで、弟がクィンシーか)


 なんで高貴で華麗な名前を与えられておいて、そこから厳めしい名前を付けるのか。いや、戦に生きる軍人だからそういう名前を名乗るというだけのことなのかもしれない。だとすれば、


(そうだ、アマルガムも別の名がある。それについてはそのうちにでも教えておいてやる……が、それはそれとして)


 カイトとの会話を打ち切ると、たまたま裏通りを歩いていた人影に向けてハガネは声を上げた。小柄な体格を縮こめるように背を丸め、足を引きずって歩く青い肌の魔族――声をかけられたインプ族は、いきなり声をかけられてびくっと体を震わせた。


「はっ!? な、なんだ、ガキか……脅かすなよ」

「ガキとは何だ、我こそは――」

(待て! ちょっと待て!)


 不穏な空気を察知してカイトは慌ててハガネを止めた。(何だ、急に)と不機嫌そうに応じるハガネにカイトは、


(ミュリエルに言われたこと忘れたのか? 自分から正体明かしてどうすんだよ!)

(そう警戒することも無いだろう。畏れ多くて話せぬというが、小心者のインプ族など少し捻り上げれば幾らでも口を割る)

(マジで言ってんのか!? 自分とこの国民だろ? 同じ魔族だろ!? もっと他に、やりようってもんは無いのかよ!)

(ええい、騒々しいヤツめ。そこまで言うならお前がどうにか話を聞きだして見せよ)

(は? ち、ちょっと待――)


 カイトがとっさに何か言い返そうとした次の瞬間、意識がぷつんと途切れた。

 次にカイトが意識を取り戻すと、怪訝そうな顔をして見上げてくるインプ族の顔が見えた。さっきとほとんど変わらない光景だ。どうやら気を失っていたのは一瞬のことだったらしい。


「おい……我こそは、何だって? お嬢ちゃん勘弁してくれよ、俺は残飯漁りに忙しいんだ。ただでさえ朝の配給に間に合わなくて腹ぺこなんだよ……」

「配給?」


 疑問に思ったことが口に出てカイトはぎょっとした。とっさに(おいハガネ!?)と呼びかければ、頭の奥底でささめくような笑いが聞こえた。しかも笑うばかりでハガネは状況をまるで説明しようとしない。


「あー……えっと」


 確認するようにカイトは一度声を出す。――喋れるし、動作に合わせて手も動く。どうやら体の主導権を渡されたらしい。


「配給って、どっかで何か配られてるのか?」


 カイトはともかく目の前のインプ族の男から話を聞くことにした。ハガネの意思で交代したなら、何かしでかそうにもそれをハガネが悟った時点でまた体の主導権を奪われるに違いない。


「何だ知らねぇのか? どこの良いとこのお嬢ちゃんか知らねぇけど、このご時世に世間知らずなこって……もしかしてセトナイ洞の方から来たのかい」

「せ、せとない……?」

「迷子かなんか知らんがね、こんなところに綺麗な服で来ない方がいいぜ。お家に帰りな。俺はちっぽけなインプだからな、見るからに上級魔族そうなお嬢ちゃんに喧嘩は売らねぇが……ここは帝都だ。元軍人なんてどこにでもいるんだ。誘拐されて身代金、はたまた売られてどこぞで風呂番、なんてことになっちゃ終いよ」

「そんなにここらへん、危ないのか……」


 魔皇のお膝元、戦勝国のトップの首都。それが帝都ティガニアだ。だが、思っていた以上に内情は荒れているらしい。愕然と呟いたカイトに、インプ族の男は苦笑した。


「戦争に次ぐ戦争、最後にゃ都が主戦場だ。お上もちょくちょく何とかしてくれるし、配給だって政策の一環だけどそれじゃとてもおっつかねぇ。飢えて死なねぇその日暮らし、病気をもらえば治す金なし。夜盗になれる元気も無けりゃ、闇商人やる知能も無い……そんな連中は瓦礫で作った掘っ立て小屋にうずくまって恐々と毎日を生きてるって有様だ」

「酷い……」

「飯もらえるだけありがてぇ話だよ。上の上、魔皇様は力こそ全てだとおっしゃられてる。力があるヤツはのし上がってってるんだ。俺たちはそのおこぼれに預かってる」

「そんなでいいのかよ、そんな……そしたら弱いヤツから順に死んでくだけじゃないか」


 インプ族の男はその言葉に押し黙ると、半歩踏み込んでハガネの顔を下から覗き込んだ。それから、魚のように半ば飛び出している丸い目を大きく見開いた。


「……そんな当たり前のことを、まさかあなたに言われるとはなぁ」

「あー……なんかごめん、何も知らないのに」

「何も分かっちゃいないのは俺だって同じだ、みーんな同じさ。俺たちは何で戦争してたのかもよく分からないまま、力があるから力の無い国から奪えばいいと思ってたのさ。そして戦争が終わってみりゃ、奪った物は全部力があるヤツが持ってっちまった。そんなのってねぇよな。そう思ったよ。みんな思ったけど、この国じゃ強いヤツが全部決めるからな」


 くっくっと喉を鳴らして笑うと、インプ族の男はそっと後退り、それからくるりと背を向けた。


「俺はもう行くよ。……ああそうだ。もし万が一にも魔皇様に会ったら伝えてくれよ。俺たちは魔皇様を信じて戦ったんだ。何で戦争が始まったのかはよく知らねぇけど、始まっちまったからには終わらせなけりゃいけねえ。そして終わらせたら、戦場に立つのとは違って死に怯えなくて済む日が来る。そう信じてたんだ。だから、俺たちの戦争はまだ終わっちゃいねえんだ。早く終わらせてくれよ……ってな」


 そう言うと、インプ族の男は足を引きずりながら去っていく。その背中にカイトは何も声をかけられなかった。そのうちに青い肌の背中は、路地を曲がって見えなくなった。


(……ハガネ)

(なんだ、カイト)

(お前いまの言葉聞いて、何も感じなかったのか?)

 カイトは、路地に立ち尽くしたままハガネに尋ねた。その問いにハガネは、

(……………………)


 長い沈黙で答えた。おい、と急かすようにカイトが声をかけても、まるで回答を拒否するような沈黙が続く。カイトは苛立ちのままに(もういい)と言い捨てて歩き出した。


(勝手に歩くぞ。止めるなよ)

(……止めはせぬ。お前の方がどうやら人から話を聞き出すのが上手いらしい。したいようにせよ)


 どこまでも偉そうなハガネに、カイトはふんと鼻を鳴らす。腹が立ってしょうがなかった。

 ――こんなヤツだったなんて。

 カイトは思う。ハガネに聞こえているかもしれなかったが、そんなことを気にしていられる心の余裕は無かった。

 戦ってきた相手がこんなヤツだったなんて。確かに、人族に容赦の無い侵略戦争を仕掛けてきた。残虐な行いだって、胸が痛くなるような光景だって何度も見て来た。だがそれでも。


(最後に真正面に立った魔皇ハガネは、たぶんちゃんと王様だったってのに)


 剣を掲げ、鋼鉄の鎧に身を包んだ偉容を思い出す。それだけで身震いがするような思いだった。それは、戦った末にある死への恐怖だとか、戦争を仕掛けた人間への嫌悪だけでは無かった。


『来るがいい勇者よ! 我は魔皇、魔王たちの王、魔族たちの長なれば――お前たち人族をこの魔剣でことごとく斬り、我が同胞の血肉として分け与えようぞ!』


 ――玉座の間にたどり着き、それぞれ武器を構えたカイトたち勇者一行の前で、悠然と玉座から立ち堂々と宣言したあの瞬間の気風。それが何故か、いまのハガネからは感じられなかった。

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