二話 魔皇の弟、魔皇の妹?

 唐突に現れた大将軍ダイスを弟と呼んだハガネは、じろりとその顔を睨んだ。


「お前こそ、ここで何をしている? 今日は再編成した部隊の調練で出ると聞いたぞ」


 会話しているせいでハガネが解説してくれることもなく、カイトの理解が追いつかないまま話は先に進む。


「調練は昼から夕刻にかけて行う予定ですので。それよりも姉上、城内の兵らにちょっかいをかけて遊ぶ暇があるのは結構ですが、兵の方はその暇もありません。どうかお控えください」

「我は君主としての務めを果たそうしているまでよ。誰が王に相応しいのか、次に王になるとすれば誰なのか。そして、王になる野心を持つ者はおるのか、ということを見て回っているのだ」


 ハガネの言葉に、ダイスは深いため息を吐いた。ハガネの体の中で、カイトは縮み上がった。敵対したときとはまた違った怖ろしさというか、これはまるで――


(か、母さんに叱られる一歩前みてーな空気だ)


 親しい間柄特有の、一切の遠慮が無い苛立ちの発露。しかも自分と違ってハガネとダイスは見るからに仲が良いようには見えない――これは絶対姉弟喧嘩になる、というかもうなってるな、とカイトは冷や汗が出るような思いで震えた。


「こそこそと薄汚いネズミのように嗅ぎ回らずとも、この国の王は魔剣が決めること。姉上は何も考えず玉座に座っておられればよいのです」

「だが己の勝手に振る舞う臣下がいれば、それを誅せねばならぬだろう?」

「勝手? 効率を重視してはおりますが、所定の手続きは踏んでいるでしょう。それに、国にとって害になる政策など通したことは一度もありませんが」

「いい加減にしろ、クィンシーよ。我が何も知らぬと思うてか。お前、アマルガムのやつと何か裏で通じているだろう」


 その言葉に、ぴくっとダイスの眉が震えた。ハガネはふん、と鼻を鳴らす。得意げな、してやったりという感情がカイトにも伝わってくるが、むしろカイトは(やっちまった)と思った。――絶対にいまのでダイスはキレた。


「……その言い様……よもや翻意を疑っているのか?」


 肝が冷えるような、地鳴りのような声だった。カイトは本気でこの場から逃げ出したくなってきていた。これならまだ剣を持って正面から斬り合った時の方がまだ幾分か気分がマシだ。


「己の無能を棚に上げて臣下の忠を疑うどころか、我が身可愛さに弟すら疑心を向けるか。これで魔王の中の魔王、魔剣に選ばれし魔皇とは聞いて呆れる」

「なに? おい、クィンシー……」

「そこまで言うのならお望み通り、俺自身が王として立つのも悪くはない。剣を抜くがいい姉上。

 ……ああ、魔剣は祭儀場に封じたのだったか。まあいい、どのみち実力主義を掲げる姉上のことだ。このような状態で勝負を挑まれても潔く負けを認められるだろう? 俺が力で勝ることを証明したら、その座を譲ってもらうぞ!」

「ぬっ……我と戦うつもりか! いいだろう、このような体だが我は魔皇ぞ! 返り討ちにしてくれる!」

(おいハガネ!? おい! 待てって! おい!?)


 カイトは大慌てで制止の声を上げた。どうにもダイスの言っていることは正しいというか、もっとよく聞くべきことなんじゃないかという話がちらほらあった気がする。しかしもはや話どころではなかった。ダイスは背負っていた大剣の柄に手をかけている。そんなものを廊下で抜くなよとカイトは止めたくてしょうがなかったが、肉体の主導権をハガネが握っている以上叫ぶこともできない。二人の間で殺気が高まっていく――。

 その時。

 パン、パン!

 と、小気味良い軽やかな音が廊下に響いた。手を叩く音にはっとしてダイスが首だけを傾け、背後を見る。ダイスの後ろから一人の少女が歩いてくるのが見えた。


「そこまでにしていただきとうございますわ!」


 高らかな声は涼やかで愛らしい。その声に違わず、見た目も可愛らしい少女のものだった。丸みのある小顔に白い肌、宝石のように輝く瞳も、緩く柔らかな曲線を描いて流れる髪も深い紅色をしている。いまのハガネよりも数歳年上に見える少女はにっこりと微笑むと、ダイスの横を物怖じすることなく通り抜けてハガネの前に立った。


「お迎えに上がりましたわ、セオドーラお姉さま」

(…………は? セオドーラお姉さま?)


 まるでどこぞの令嬢を呼ぶような言い草で、カイトはとっさにハガネを呼んでいるものだと理解できなかった。ハガネはハガネで、この少女が現れることは予想外だったらしい。驚いて固まっていると、そのハガネの手を少女が取った。


「もうすぐお昼ですわ。とても良い茶葉を料理長に譲っていただきましたの。お姉さま、参りましょう?」

「む……しかし」

「お姉さまはミュリエルとお茶を飲むのはお嫌いです? やはり血の繋がった弟のダイス様がよろしいのですか?」


 ミュリエルと呼ばれた少女がそう言い終えるのとほとんど同時かその直前、舌打ちが聞こえた。そんなに怒ることないだろ――!? とカイトは思うがやはり声にはならなかった。


白血者はくちものが……」


 憎々しげな呟きと共に、ダイスは身を翻す。怒りの対象は瞬間的に姉のハガネではなくミュリエルへと向けられたらしい。


(……八つ当たりじゃねーか)


 これもダイスが聞いたら大爆発するだろうな、とカイトが思っていると、それまでカイトをほったらかしていたハガネがようやくカイトへと声をかけてきた。


(あれとミュリエルはとことん仲が悪い。我にとって血縁はあれだけなのだがな……)

(へぇ……あれ、じゃあミュリエルの『お姉さま』ってのは)

(そう呼び慕っておるだけだ、血の繋がりは無い。そのぐらいダイスにも分かっておろうに、あろうことか『白血者』などと……)

(その白血者って、何だ?)


 カイトは聞いたが、ハガネが答える暇は無かった。ミュリエルがハガネの手を軽く引く。


「お姉さま、そろそろわたくしたちも参りましょう。どうぞわたくしの部屋へ……兵たちが騒ぎを聞きつけてこちらに来てしまいます」

「む、そうだな。では参ろう」


 手を引かれるまま、ハガネはその場を後にした。カイトには色々と尋ねたいことがあったのだが、ミュリエルがハガネの身を案じてあれこれと尋ねているので、ハガネの方もカイトと話す隙が無い。結局、カイトの疑問に答えが返ってきたのは、ミュリエルの部屋へと通されてからだった。



 ミュリエルの部屋は、ハガネの部屋とは全くおもむきが違っていた。カーテンやベッドの天蓋は白いレースがふんだんに使われ、キャビネットなどの調度品は白金で精緻な装飾で彩られている。


「さ、こちらにおかけになってくださいまし、お姉さま」


 ミュリエルに勧められるまま、ハガネは椅子に腰かけた。椅子の肘掛けや背もたれ、そして椅子の前にある丸いテーブルには草花の意匠が透かし彫りされている。ハガネの部屋以上に豪奢で華美な部屋にカイトは驚いていた。


(……ミュリエルっていったい、何者なんだ? 魔族なんだろうけど俺たちと戦ったこともないし、その割に、城にこんな部屋があるし)


 力こそ全て、力に秀でる者こそ恩恵に預かるべし――ハガネを筆頭に、魔族というものはだいたいそういった意識だ。豪華な部屋を与えられている、ということはそれだけ強い魔族なのだろうが、そうだとすれば魔族と人族の戦争である人魔大戦に参戦してこなかったのが疑問だ。――疑問を頭に並べるカイトに応じたのは、なんとカイトの姿が見えないはずのミュリエルだった。


「勇者さま、初めまして。わたくし、ミュリエルと申しますわ。ミュリエル・サフラワー・シンクレアといいますの」

(!? お、俺に話しかけてんのか!?)


 会話ができるものなら話したいのだが、いかんせんカイトには使える口がない。それも織り込み済みだったのだろう。窓際に置かれた棚からミュリエルは花瓶を取り、テーブルの上に置いた。花瓶には百合の花に似た、筒状の青い花が咲いている。


「お姉さま、こちらを」

「魂の口として使えるか、用意が良いな」


 ハガネが何をしようとしているのか……すぐにカイトにも知ることになった。ハガネが花瓶に触れると、


「いったいなにをやって、――……!?」


 カイトが思っていたことが、花から言葉となって出てきた。驚いてカイトが口をつぐむと――といっても閉じる口が無いのでそういう感覚になったというだけだが――花から声はしなくなった。


「聞いての通り、この花を使えば会話もできる。ミュリエルは、魔剣から魂を取り出し我が体に降ろす手伝いをしてもらった。お前のことも教えてあるぞ」

「そうだったのか……前の大戦じゃ姿を見なかったけど、凄い魔法が使えるのか?」

「いいえ、そんな。偶然そういった知識を持っていたというだけのこと……お姉さまのように戦う力は持っていないのです」

「へえ……」


 よくそれでハガネに気に入られているな、とカイトは思う。するとすぐにハガネが反論した。


「ミュリエルはこれで役に立つ。このような部屋を与えるだけの働きをしたのだ、決してむやみな寵愛を与えているわけではないぞ」

「あ、ハガネには心の声聞こえてんだな……」


 考えが口にできるようになっただけで、魂はハガネの体の中にあることに変わりない。下手なことは考えられないな、とカイトは思いつつ、


「ところで、さっきダイスが言ってたのって」

「ああ、白血者か。念のために言っておくが、闇雲に人に、特に魔族に向けて言うでないぞ。魔族にとっては侮蔑の言葉だ」

「まあいい感じの言葉じゃないのは、分かるけど」

「白い血……どの色が付いておるかも分からん、つまり氏素性が分からぬ者を蔑んで言う言葉だ。ミュリエルは我がある戦場で拾ったのだ。ただ気まぐれで拾っただけだったが、ミュリエルは魔剣と神剣の伝承にとみに詳しかった。カイトよ、お前を負かすことができたのはこのミュリエルの知あってこそなのだぞ」


 マジかよ、カイトは複雑な心境になって呻く。口に出したつもりは無かったが、よほど心の底からの感情が出たのだろう、花も同じ言葉を吐いていた。


「お姉さまはわたくしの命の恩人ですわ。だから何があっても、わたくしはお姉さまの味方ですの」

「命の恩人ねぇ……」

「殺すこともあれば、救うこともある。それは勇者とて同じことであろう」


 言われたことは正論なのだが、魔族の軍勢によって滅ぼされた国、荒らされた村や命を落とした人々を見て来たカイトとしては、すぐに納得して同意を示せるものでもない。口を閉ざして押し黙れば、ハガネが勝手に話を押し進めた。


「しかしクィンシーのやつ、まさか剣を抜こうとするとは。しかもアマルガムめと通じておることも否定しなかったな」

「お姉さまは、ダイス様にご不満をお持ちですの?」

「いいや、そうではない。ただアマルガムが気になるのだ。あれは好かん。宰相の立場を利用して、裏で何かを企てているように思えてならんでな」

「アマルガム宰相閣下が……」

「確たる証拠も無いがな」


 話を聞きつつ、カイトは至極どうでもいいことをふと思った。第三者の目線でこの場を見てみたい。少女二人が難しい顔で国政の暗部について話し合っているのだ。かなり凄い絵面だろう。


「おい、カイト……もっと真剣に話を聞け」

「いやだって、俺は別にこの国の政治に興味あるわけじゃないし」

「不真面目なやつめ。仮にもお前の働き次第では人族に目を掛けてやっていいと言ったことを忘れたか?」


 それを言われると弱い。――が、それはそれとしても、カイトはそもそも話について行けないのだ。


「あのさ、アマルガムって誰だ? いや名前だけは聞いたことあんだけど。宰相って言ったか? そいつ、偉いヤツなのか?」

「ふむ……そうだな。我が国、ガナガルティガン帝国においては魔皇の次席に座る者だ」

「えっ、国のトップツーってことか? 大将軍ダイスよりも上?」

「大将軍とは同格だ。軍も政治も魔皇が長であり、軍において補佐をするのが大将軍、政治において補佐するのが宰相だ。分かりやすく言うと政治で二番目に偉い人、だな」


 そこまでの人物だが、カイトは本当に名前だけしか知らない。戦った相手の事はある程度分かっているが、政治の方面の話となると、ただの村人だったカイトにはからきしだ。


「その宰相が怪しい? 何で」

「初めの方に言ったが、臣下は我が命を聞いているようで、実のところアマルガムの指示を優先して聞き、動いているようなのだ。内政はもちろんのこと、諸外国との会談や貿易に関しても勝手に取り仕切る始末。終いには、各国に派遣していた軍を勝手に撤退させたのだ」

「……なんか何が問題なのか分かんねーけど、軍の撤退とか指示出して動くもんなのか?」

「だからこそ、クィンシーに聞いたのだ。そしたらあやつは悪びれもせず、アマルガムと繋がりがあることを認めおった」

(大将軍が宰相とつるんで、軍を動かしてるってことか……)


 少し考えてみたが、そんなところに問題があったとしてもやはりカイトにはどうにもできない。せめてもう少し手が届く話を問題提起してくれとカイト思は思う。


「軍はともかく、それ以外は? 何か不満なのか?」

「不満というか……隠し事をしている気がしてどうにもいけ好かぬ。魔皇である我よりも宰相の指示を仰ぐ臣もだ。魔族を、このガナガルティガン帝国を統治するのは魔皇たる我ぞ。手順の前後は多少致し方ないにしろ、宰相の指示を聞いて報告は事後ばかりというのは、魔皇という存在が軽視されているのも同然だろう」

「……でも、みんなちゃんと働いてんだよな?」


 カイトには政治が分からない。分からないが、分からないなりに上の方で色んな人が努力して国を回しているのだろうなということは分かる。村にいた頃は分からないことばかりだったが、勇者として選ばれ、あちこちの国を巡り、魔族に苦渋を舐めさせられている国の王たちからも様々な話を聞いた。規模の大小はあったが、誰もが民のことを考えて何かをしようとしていた。どうにもできないところを、神剣を携えた勇者という存在に縋るのだ。――というより、困窮しているのに何もしない王を、黙って民が頂くはずも無いというのが実情だが。


「宰相の言うことをみんな聞いてるってことは、何か不都合があったりとかそういうんじゃないんだろ? 何と言うか、いい感じで国が回ってるっていうか」


 ダイスも言っていた。国に害があるような政策を通した覚えは無い、と。それが本当なら、何もいちいち横やりを入れなくてもいいんじゃないか。自分以外の誰かが頑張ってくれるなら、それほど楽なことは無い――というカイトの意識を読んだのか、それとも言われたことが癪に障ったのか、ハガネは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「確かに国にとっての不利益は無い。アマルガムは優秀だ。だが、その頭脳を自分のために使わないという保証は無い。……戦後の動きがあまりにも、あやつの良いように動きすぎている気がしてならんのだ」

「良いように動いてるって、どういうことだ?」

「分からぬ」

「はっ?」

「分からぬと言っておる。我は政治については詳しくは無い。だからこそ詳細な報告を上げよ、勝手に命ずる前に言えと言っておるのに……」


 カイトは絶句した。――分からないって。つまりハガネは、自分の頭の上で話が飛び交って事が決まるのが不快なだけなんじゃないのか?

 ダイスが正しいような気がする。何となく、という以上にカイトは思う。

 魔族と人族の戦争は、あらゆる種族全てを巻き込んだ世界大戦だった。ハガネが王として君臨するガナガルティガン帝国は、最終的に主戦場になった。最後の最後、人族が選抜した者たちを率いて勇者であるカイトが帝都城に襲撃をしかけ、多くの犠牲を払って玉座の間まで到達し、勇者一行の四人と魔皇ハガネの決戦にどうにか持ち込んだのだ。

 故に、被害が集中しているのは帝都城周辺なのだが、魔族の軍勢を誘導するため市街も戦場になった。

 ――カイトにとっては考えたくも無いことだが、自分たち人族の国が踏み荒らされ、家が燃やされた時と同じように、帝都の魔族たちだって被害にあっているはずだ。いくら実力主義を標榜したって、そういう人たちを助けなければ国としてまとまれないことぐらい、カイトにだって分かることだ。

 あまりにも多くの被害者が出たら、さっさと救わないと大変なことになる。

 ……具体的に何がどう大変かというのを説明できるほど頭がよくないのが歯がゆい、とカイトは初めて自分の頭の悪さを呪った。こういう話は仲間に預けきりで、自分はただ真っ直ぐ人を救うことだけを考えていればよかったのだ。


(――どうせ俺の頭じゃ難しいことなんて考えられないんだ、俺の考えるやり方でやるか)


 人を救うことだけを、取りあえず考えるとして。


「えーと、別に宰相が考えることで人が助かってるならそれでいいんじゃ」

「それだ」

「ああ?」

「本当にあれのやり方でいいのか、我自らがこの目で確かめれば良いのだ」

「……確かめるって、どうやって」


 何だか嫌な予感がしてきたぞ、とカイトはじわじわ感じ始めた。体の中に入れられて行動をともにしてまだ一時間経つか経たないかというぐらいだが、ハガネの悪い癖だけは何となくすでに分かる。


「ふむ――ミュリエル、しばらく留守を預けるぞ。我は市井しせいに下りる」

「はい、お姉さま。行ってらっしゃいまし」

「いや『はい』って! 魔皇がそう簡単に留守にしていいのかよ!? 市井って要は町だろ? 町に行ってどうすんだ? 見に行くだけで宰相が何やってんのか分かるのか?」

「分からぬが、行ってみれば何か分かるであろう」


 分かるであろう、じゃない! とカイトは叫ぼうとしたが、ハガネが花瓶から手を離してしまったので声は言葉にならず、ハガネの頭の中でわんわんと魂の声が反響するばかりだった。

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