一話 不完全な存在
(何だこの体!? 幼女じゃねーか!)
カイトの心の叫びに、鏡の中の少女はうるさそうに目を細めた。その瞳の色は金色であり、白いワンピースを着た背中に流れる髪の色は灰色である。確かにハガネの面影はあるのだが、どこをどう見ても、それは人族どころか魔族すら震え上がらせるほどの力を持つ魔皇の姿では無かった。
(お前……あの鎧の下、こんなんだったのか!?)
(そんなわけなかろうが、たわけ)
ドレッサーを閉じ、ハガネは横にあったキャビネットを開ける。そこにあった服を適当に引っ張り出し、深いため息を吐く。
(ミュリエルめ、勝手に服を入れ替えおったな。どうせ入れるならシンプルなものにすればよいものを。フリルまみれではないか。我には合わん)
(普通に可愛くね? いやそうじゃない! 話をそらすな、その姿は何だ!?)
(服に合わんのは我の性分だ。それと、説明してやるからそうがなるでない)
ハガネは服を着替え始めた。(着替えが見える!)とカイトは慌てていたが、カイトがわめこうがハガネは気にした風もなく、一言(やかましいぞ)と前置きのように言ってから説明を始めた。
(お前の肉体が我が魔剣の前に倒れ、滅びたように、我が肉体もまたお前の神剣によって刺し貫かれたのだ。故に、体は傷付くだけでは済まなかった)
(俺の神剣――けど、神剣は折れて……)
戦いの最中。幾度となくぶつかりあった魔剣と神剣の刀身。仲間の力を借りたカイトは、魔皇と互角以上に戦えていた。が、神剣は魔剣の力に耐えられず、折れてしまったのだった。
(神剣だけが、お前を殺すことができる手段だった……けど、折れちまった神剣じゃあ……)
(殺しきれなかった。とはいえ、肉体の復活を不完全にしたのも神剣の成せる業よ。しかし真に賞賛されるべきは、神剣そのものではなく、お前を失っても諦めず折れた神剣を振るったお前の仲間たちであろう)
(……そうか、みんなが、俺の代わりに)
カイトは一人一人を思い浮かべる。同じ村で育ち、神託を受け神徒となったロビン。旅の途中で出会った、商人でもあり魔術師でもあったシーガル。そして、剣の師となってくれたシュライク。他にも多くの人々に支えられて来たというのに、魔皇を殺すどころか逆に殺されてしまう始末だ。情けない思いでいると、ハガネはふんと鼻を鳴らすように笑った。
(魔剣も神剣も、同じ魂を食う剣ぞ。お前と我では殺した数が違いすぎた。力がぶつかり合えば、より強い方が打ち勝つものだ……)
(うるさい! そんなこと分かってる……てか、みんなは? 死んだ……んだったか。お前が……お前の手で、みんなは……)
(言ったであろう。お前の仲間たちは良く戦った。戦士が盾となり、魔術師が死力を尽くした大魔術で我が力を削いだ。そして、癒やしと護りの術以外取り柄の無さそうだった、たかだか十数年しか生きていなかった小娘が、我が心の臓を、折れた神剣の切っ先で刺し貫いた! 己の手が刃に裂かれ、血塗れになろうとも、我が息絶えるその瞬間まで神剣を手放さなかった……あの小娘こそが一番の英雄だ)
(ロビン……!)
あるはずのない胸が、悲鳴を上げそうなほどの痛みを覚えていた。殴れる者ならカイトはハガネを殴り倒していただろう。殺せるものなら、一度殺すだけでも足らなかっただろう。魂しか無い身分では、ただ呻くことしかできなかったが。
(ロビン……そうだ、ロビンはお前を殺したんだろ? だったら生きてるんじゃないか?)
(お前たちと我を封じ込めた結界は、お前たちの命そのもので作られていた。三人も倒れ、あのロビンという少女も瀕死だった――結界は破れ、決戦の場であった玉座の間に、我らの軍勢が踏み入った。その時には死していたという……ロビンの命は保たなかったのであろう)
(くっ……! くそ、くそ、くそおぉぉっ!)
改めて聞かされた仲間の最期――特に、命がけで魔皇と差し違えようとした幼なじみの最期に、カイトはひたすらに悪態を吐くことしかできなかった。殺してやる、という鋭い殺意がハガネにも伝わってくる。だが、ハガネは何も言わなかった。似合わないと言ったわりに、一式揃えられた状態でキャビネットに入っていた幾重もの黒衣を
(悔やんでも悔やみきれなかろう。敗戦の将とはそういうものだ)
(知ったようなこと言うな! ムカつくだろ!)
(しかし、悔やむことができるのは、生き残った者の権利だ。悼むだけ悼むがよい。気にかけてはいなかったが、各々が埋葬された場所も尋ねておこう。まあ、肉体は消滅したので墓を建てられた場所、というだけの話だが……何にせよその知恵を借りるという契約だ、そのぐらいのサービスはしてやろうではないか)
何がサービスだとカイトは思う。カイトにとって交わされた契約は『目覚めて力を貸さなければ、人族がどうなるか分かっているのか?』という脅しに近いものだった。しかも、たとえその場所を知ったとしても、もはや墓参りも自由にできない――
(肉体の主導権が欲しいか? 望むのなら施してやるぞ?)
(……はあ?)
いきなりの提案に、カイトは面食らった。自分の体を好きに使わせるつもりなのか? その疑問に、ハガネは笑いながら答える。
(忘れたのか? 我が肉体は神剣でのみ殺せる。魂を神剣に封ずることでようやく殺しきれるのだ。自殺などしても無意味ぞ)
(……自殺以外のことしたら?)
(なんだ、何をする? 我に近しい者を殺すか? 残念だが、この体の使い方を心得てもいないお前が暴れたところで取れる命も早々無いぞ。まあ、いざとなればお前の意識を途切れさせることは造作も無い。自由に動けるようになっても、大人しくしていることだな……)
余裕をひけらかすハガネに、カイトは歯噛みする。体があったら殴りたいが、体の主導権を受け渡された時にハガネの体を殴っても、たぶん自分が痛いだけだろう。何かハガネが嫌がりそうなことをいまのうちに考えるしかない。もっとも、その嫌がりそうなこと、という考えすらもハガネには筒抜けなのだが……。
(さて、そろそろ行くぞ。下らぬ嫌がらせを考える暇があったら、我の立場で人族にできることを考え、我に貸すための知恵を働かせることだ)
(……お前に貸す知恵って、何だよ)
(もう忘れたのか?)
カイトが考え事をしているうちにドアの前に立っていたハガネは、廊下に出ながら答えた。
(人を従わせるコツ、だ)
(そんなもん……お前、魔皇だろ。世界中の魔族や、そのトップの魔王みんながお前に従うんだろ?)
(そうだが、しかし心の裡で何を考えているかなど分からぬものだ。他国の魔王だけではない。城内がそもそも不穏でな。我に従う振りをして、好きなように動く者が多すぎるのだ)
そんなことを言われても、とカイトは思う。自分だって、ただの村人として生きてきて、いきなり神剣を渡され勇者になったのだ。確かに色んな人が支えてくれたが、特に何をしたという覚えも無い。ましてや、いま現在世界を統べる王と化したハガネに助言できることがあるとも思えなかった。
だが、ハガネはそうでは無いと言う。
(お前は自然な素振りで人族を従えた。たとえ無意識だとしても、他者と接する際の心の動き、考えに何か特別なものがあるはずだ。いっそ何も言わずともよい。魂は我が手の内よ……感情の機微、生まれ出ずる思考さえ分かればな)
(……けったくそわりー)
いるだけで良いように使われる。カイトにとってはともかく気分が悪いの一言に尽きた。が、どれほど文句を言おうが、ハガネにとっては針で刺された程度の痛みすら感じないのだろう。
(まずは適当に、臣下どもの話を聞くとするか)
カイトに向けてと言うより、単にそう思ったことがカイトの思考に割り込んできただけらしい。慣れない感覚だ。隣で話している声を聞いているような感覚の時もあれば、勝手に頭の中に思い浮かぶような感覚もある。よくもハガネは平気でいられるな、とカイトは思った。
しばらく廊下を歩くとすぐ、城内を警備している兵士の姿が見えた。カイトにも見覚えのある格好だった。揃いの甲冑の上に、黒字に赤と金の糸で刺繍が施されたマントを羽織っている。魔皇近衛兵の姿だった。廊下を堂々と歩くハガネの姿を見るや、体をびくっと震わせて居住まいを正す。腕を水平にしてこぶしを胸元に掲げるのは敬礼の一種だろう。カイトにはあまり馴染みのない動作だった。
「うむ、ご苦労。ところで、少し聞きたいことがある」
「はっ。何なりとご質問ください、陛下」
ハガネが幼くなっているのは知られていることなのだろう。近衛兵は淀みなく受け答えをしていた。
「聞きたいことと言うのは他でもない、誰がこの国の王に相応しいかということだ」
「は……誰が相応しいか、ですか。それはもちろん、魔皇ハガネ様において他なりません!」
ハガネは頷き、続けてもう一つ尋ねた。
「では、もし我が倒れ、次代の王が求められたとすれば、それは誰か?」
「そ、それは……魔剣に選ばれたるお方こそが魔皇となるしきたりで……」
「ほう、では魔剣が誰も選ばなければどうする」
「うぬぬっ……な、なれば、王の務めは大将軍ダイス様が果たされるかと……」
「なるほど、順当に考えればそうだ。しかし自らが魔王として立ちたいと思う者もいるのではないか?」
「そっ……そのようなことは、私めにはとても……分かりかねますっ」
徐々に近衛兵の言葉は歯切れが悪くなっていく。どうにも口が重くなる何かがあるような、とカイトは首を捻りつつ、知った名前から頭にその姿を思い浮かべる。――大将軍ダイス。カイトも知るところである魔族だった。
(近衛兵の一番偉いヤツ、で軍でも一番偉いヤツ……だったか?)
(軍で一番偉いのは我ぞ。帝国軍総帥は魔皇が務めるのでな)
何でもかんでも一番偉いのはどうやらハガネらしい。しかし、二番手だろうがダイスは立派な魔族だった、とカイトは思い返す。ハガネ以上に体格が大きく、カイトの倍以上の背丈はあった。もっとも、ハガネ同様全身を鎧で覆っていたので実際の体格は分からないが。しかし、青黒い全身鎧に身を包んだ体躯は、相対するだけで震えが走るほどの威厳に満ちていた。その身の丈と同じほどの剣を振るう姿を思い起こすだけで、自然と畏れの感情が湧き起こってくるほどだ。
(……でもさ、もしかしたらそのダイスの方が適任とか思われてんじゃねーのか)
(ほう……? 何故そう思う)
何故も何もなく、カイトは適当にそう言っていただけだ。人族の自分でさえ、あれは凄いヤツだった、と無条件に賞賛したくなるような気骨があった。だからハガネの次に魔皇になると言われてもおかしくはない。強いて引っかかるところを上げるなら、切れの悪い兵士の言葉ぐらいだ。心の底から信じていたり、あるいは敬っていたりする相手が自分の死んだ後のことをいきなり言い出したら、もっと心配するのではないか? ――というカイトのダダ漏れの思考を、ハガネは心の中で嘲笑った。
(魔族は実力主義なのだ。死した者は力を振るえぬ。死者に付き従うよりも、強き生者に従うのが道理よ。それに、明日我が死すると言ったわけでもあるまい? 我の次席は誰ぞ、と尋ねてダイスの名前が挙がるのは当然のことよ)
(それはそうだけどな)
それ以上の反論はしなかった。カイトは、本当に『なんとなく』以外の感性で物は言っていなかった。
「なるほど、よく分かった。歩哨の任に戻るがいい」
「はっ。御前を失礼致します!」
再度敬礼をして近衛兵は去って行った。別に不審なところは何も無い。ハガネはさっさと次のターゲットを探して廊下を歩く。
することもないので、カイトは一人頭の中で、ハガネの言っていたことを考える。城内で不穏な動きをする者がいるとか何とか。
(自慢じゃねーけど俺、頭良くねーしな……)
(本当に自慢にならんな)
思ったことにいちいちツッコミを入れられることに多少イラッとしつつも、カイトは何も言わずに考える。どうせ言っても言わなくても伝わっているのだ。いちいちハガネあてに何かを考える必要も無い。
(もし何かやるなら、秘密で動くんじゃねーの)
(ほう?)
(俺に構うな、ほらあっちから兵が来てるから。あっちに話しかけろよ)
カイトが言うと、ハガネは宙にさまよわせていた視線を真っ直ぐ前へと向けた。先ほどと同様に、城内を見回っている近衛兵が歩いてきていた。
――質問の内容はさっきと全く変わらない。そして、返ってくる答えもほとんど同じだ。
王に相応しい者は誰かと問われれば『それは魔皇ハガネ様です』と言い、では自分が倒れた後に王位に就くのは誰かと問われれば『それは大将軍ダイス様です』となる。
(そりゃそうだろな)
カイトは思う。態度や口調は様々だが、二人、三人と聞いていっても答えは変わらない。ハガネが相応しいというのは、ハガネ当人が聞いてきているからだ。無難な名前が挙がるのも魔王になる野心を持つ者の名前が出てこないのも、もしかしたら自分が疑われるかもしれないと危ぶんでいるからだ。自分だって同じ立場なら、同じように答えるだろう。
(そういうものか?)
思考にハガネが横やりを入れてくるので、肯定の代わりにカイトは続けて考える。
(俺がまだ村にいた時――)
――十歳かそのぐらいの頃だっただろうか。同じような話を何度もしたので、これという年を決められるものでもない。数人の友人と、誰の親が一番怖いかという話で盛り上がっていた。一番を決めるなんてものはただの建前だ。取りあえず自分の親の愚痴を言いたいのだ。やれ家で模造刀を振り回して叱られただの、やれ勉強しろとしつこく言われただのと。
当たり前だが親の前では口が裂けても言えない。
たとえカイトたちが言った不満が正当なものでも、怒られたり機嫌が悪くなったりするのは目に見えているからだ。
本当のこと、というのは絶対に本人の目の前で言わない。良いことじゃないことは特にそうだ。
……ましてや、怒られることなら確実に、人前では言わない。
(そんな小規模なことと同じように考えるでない)
呆れたようなハガネの言葉にも、カイトは(そういうもんだと思うけどな)と自分を曲げなかった。カイトに難しいことは分からないが、人族と魔族の発想や考え方がまるきり違わない限りは、年の差も大して考えの邪魔にはならないだろうとは思っていた。
(……ふむ? では、もしお前の考えが正しいとして……つまり我が正面から聞いても仕方がないと)
(たぶんな。けど、何か隠してるかもしれないけどみんな、お前にはちゃんと従ってたじゃん。勝手に動いてるって何だよ)
(それは――)
ハガネが説明をしようとしたその時、
「――このようなところで何をされているのですか、陛下」
背後から、聞く者の身を竦ませるような低い声が聞こえてきた。声の質だけ聞けばよく通る美声なのだろうが、声に含まれる何かが、美しい声だと単純に思わせるのを妨げている。――怒ってる? とっさにカイトはそう思った。
(いつもこうだ、これは)
念じて返すと同時に背後を振り返ったハガネの目に、その姿が映る。カイトもそれを見た。途端、体を持って相対しているわけでもないのに、気圧されて半歩下がるような心地になった。肩口より少し上でやや乱雑に切りそろえられた灰色の髪に、眼光の鋭い黄金の目。背は高く肩幅は広い。オーガやトロールといった大型の魔族に比べればまだ人間と同じ分類に入る、エルフ族らしい体格をしているが、それでも他を圧倒するような空気をまとっているせいか、見た目よりも大きく見えた。顔は良いが、その顔の良さすら半ば凶器だ。とにもかくにも圧迫感がある。カイトにはどことなく覚えがある圧迫感だった。
「陛下はまだ御身が万全に復活されておられぬでしょう。部屋に戻り身を休められるのがよろしいかと」
「我は至って健勝だ。……それにしても最近、随分と他人行儀ではないか。のう? 大将軍ダイス……いや、我が弟、クィンシーよ」
(大将軍ダイス! ――いや、クィンシー? ていうか、弟!?)
――そこに現れたのは、近衛兵を率いる大将軍にして、魔皇の実弟であるダイスだった。
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