敗北勇者が復活したら魔皇と一緒に幼女になってた!?

羽生零

一章 死せる勇者、生きる魔皇を走らせる!?

プロローグ 魔剣の檻にて

 ――誰かに呼ばれている気がした。


『カイト――勇者カイト……』


 頭の中に響く呼び声に、カイトはうっすらと目を開けた。目に映るのは一面の闇だ。声は小さく、誰の声かも分からないほどぼんやりとしていた。

 誰だ――?

 そう問いかける声をカイトは出したつもりだった。しかし、カイトの口から声は出ない。唇を動かした感覚も無かった。起き上がろうにも、全身が麻痺したように動けない。自分の手足があるのかさえも分からないようなあやふやな感覚――。


『目覚めよ、勇者カイト!』


 声が一段と大きく響く。すると、感覚が無かったはずの体に振動が伝わった。がたん、と自分がいまいる場所が一度揺れ、それからまた静かになる。


(何が起きてるんだ……?)


 カイトは、はっきりとし始めた意識の中で思う。そもそも自分はいまどこにいるのだろう。いや――何故ここにいるのだろう?


(俺は……俺は、そうだ……みんなと一緒に、魔皇まおうハガネを倒しに……)


 ゆっくりと激闘の記憶が蘇る。三人の仲間たちだけではなく多くの人族が結集し、魔族の頂点として人族に戦争を仕掛けた魔王の中の魔王、魔皇ハガネとの決戦に挑んだのだ。多くの犠牲を払いながら魔皇と他の魔族らを分断し、ついにその前に立つことができた。


(けど、俺たちは……)


 ――あと一歩、届かなかったのだ。


 その瞬間を思い出すのとほぼ同時に、がごっ、という音がして、見上げた天が裂けた。いや、真っ二つに裂けたように見えただけだった。

 裂けて開けた頭上には、どこまでも黒い空に瞬く無数の星が見えた。風の音も聞こえない静かな世界でカイトは目を覚ました。体は動くようになっていた。自然な動作で起き上がる。感覚が戻っている。上半身を起こしたカイトは、自分の手を見た。すると、そこには自分の手は無く、白く光る手のような何かがあった。


「うわ、何だこれ」


 思わず口に出して言う。誰かに尋ねたわけではなかった。だが、答えはすぐ隣から聞こえてきた。


「それはお前の魂の姿だ。お前の肉体は滅びた」

「魂の……って、誰だ!?」


 カイトは声のした方に目を向ける。傍らに立っていた姿がすぐに目に入った。背の高い女がそこにいた。鋭い刃を思わせるような灰色の髪を長く伸ばし、光り輝く黄金の瞳でカイトを見下ろしている。カイトは女の顔を見ながら立ち上がった。足元をふと見ると、白い棺桶が見えた。どうやら棺桶に入れられていたらしい。


「……あんたが棺桶から俺を出してくれたのか?」

「その通り」


 鷹揚おうように頷いてみせる女は、背の高さも相まって威厳をまとって見える。そういえば、自分はただの光になってしまっているのに、彼女は全身がよく見え――


「は、は、裸だ――ッ!?」


 カイトは叫んで顔を背けた。女は服どころか下着の一枚も着ていなかった。長い髪で胸を隠したりもしていない。正真正銘の全裸だ。


「それはそうだろう。ここは魂の世界……魔剣の檻の中。実体は無く、魂の姿でしか現れることはできない。お前は肉体が失われたのであやふやな姿をしているが、我が肉体はまだ健在。故にこうして姿を持つ」

「服は!? 服は持ち込み不可なのか!?」

「当たり前だろう、服を持ち込むとなると服の魂まで持ち込むことになるのだぞ。とても面倒なことになる」


 服にも魂があるのかと妙なところでカイトは感心してしまった。職人が仕立てた服にはたぶん上等な魂が宿っているに違いない。女の裸を忘れようとそんなどうでもいいことを思いながら、遠い目で周りの景色を眺める。

 カイトが立つ場所は、まるで埠頭のように暗い虚空へと向かって白い足場が突き出していた。足場には点々と街灯が立てられ蒼白い光を放っている。光の列を視線でたどっていくと先には上り階段があり、視線を上げれば白い壁が見えた。壁には染みも傷も一切無く、優美な装飾が土台に施された柱は天を衝くようだ。荘厳な、神殿を思わせるような建物がそこにあった。


「……すげぇ」

「あれが魔剣の檻だ」

「魔剣――魔剣だって?」


 それを聞いた途端、カイトの脳裏に閃光のように一つの光景が過った。全身を鋼鉄の鎧で覆った、黒い巨大な影。振りかざされた魔剣は己が手にした神剣と幾度もかち合い、そして――

「魔剣に討たれた者は魂を魔剣に奪われる。勇者カイト、それはお前も例外では無かったということだ」

「っ……!」

 歯噛みしてカイトは女の方を振り返った。恥ずかしさよりも怒りが勝っていた。――何故この女はそんなことを知っているのだろう。魔皇の関係者だろうか? そんな疑問を怒りと共にぶつける。


「俺は死んだのか? みんなはどうなったんだ!? まさか……」

「お前の仲間は見事、戦い抜いた。お前と共に我が城に参じた三人も、外で我が軍勢を相手に引けを取らぬ戦いをして決戦の場を整えた。そして、勇者と魔皇の戦いは――その果てにある勝利は、我が手が握ったのだ」


 カイトの口からは何の言葉も出なかった。呻くように喉を鳴らしたかと思うと、


「うあああああっ!」


 吠えるような声を上げて女に掴みかかった。しかし女の体に触れようとした手は、すっとその体を突き抜けてしまった。


「っと、とと……! 何で……!」

「この世界に実体は無いと言っただろう。魂に傷を付けることができる者がいるとすれば、それは魔剣に選ばれたる我のみぞ」

「魔剣に選ばれし者……魔皇ハガネ!」


 殴りかかって貫通した体勢から振り返り、カイトは女を見た。その姿はカイトの知る魔皇ハガネの姿ではない。魔皇は常に、黒い鎧にその巨躯を包んで戦場に立っていた。女も長身ではあったが、あの見上げるほどに巨大だった魔皇ほどではない。同一人物の用には見えなかったが、カイトの直感が目の前の女と魔皇とを結びつけていた。立ち振る舞い、そして言葉遣い――相対したのはたった一度だけだったが、その全ては鮮烈に脳裏に焼き付いていた。間違いない。この女はあの魔皇ハガネなのだ――


「この野郎……! お前のせいでみんな死んだんだぞ! 何人の人間が死んだと思ってるんだ! 一発殴らせろ!」

「殴る機会はくれてやっただろう。我を打ち負かせば、死に倒れ伏した者たちの分まで殴ることができたものを。その機を掴めなかった己を恨むがよい」

「勝てなかった自分にも腹が立つけど、それ以上にお前が憎い! お前が起こした戦争のせいで、どれほど死んだと思って……!」


 それ以上は言葉にはならなかった。嗚咽がこみ上げてくる。肉体が無いため涙はこぼれ落ちなかったが、怒りと後悔は後から後から湧いて出た。勝てなかった。その後悔がたっぷりと思考を塗り潰していく。


「それほどに悔しいか。泣くほどに悔しいのならば……生き返りたい、と。そう思わぬか?」

「……何だって?」

「現世へと戻してやろう。しかしお前には肉体の器が無い。故に、我が肉体の中へと住まわせてやる」

「ふざけるな! そんなことして何になるってんだ!? 魔族が支配する世界を見せつけて苦しめるつもりかよ! だったらいっそのこと、ひと思いに魂も消してくれ!」


 わめくカイトに魔皇は静かな目を向けている。カイトはまた何か声を上げようと口を開いたが、何も言葉は出てこなかった。これ以上何か言おうにも、死を嘆願する言葉しか出なさそうだ。あまり無様な姿を仇敵に見せたくなかった。


「なに、ただ意識だけを戻すわけではない。我はお前の力を必要としている」

「俺の……力? 何でだよ。俺よりお前は強かった。他にも優秀な魔族なんていくらでもいるはずだ。俺の力、いらないだろ」

「いいや、必要だ。勇者の力――人を惹き付け、従える力、その素養が」


 そんなことを言われても、魔皇に手を貸すつもりはカイトには全く無い。蘇ったところで何のメリットも無いどころか、魔皇に自分の力が使われるなんて――その考えを読んだように、にやりと魔皇は唇を吊り上げて笑った。


「いま、現世がどうなっているか分かるか? 魔族が支配し、人族が地上の支配者の座から転落したいまの世界だ」

「どうなってるって、分かるわけないだろ。けど、絶対いいもんじゃない」

「人族にとっては良いものではない……それは否定するところでは無い。魔族は力こそが全て。力で劣っているということがあの大戦により証明された人族は、敗北者としての処遇を受けている。その人族に救いの手を差し伸べたいとは思わんのか?」

「それは! そんなの、思うに決まってるだろ……!」

「ならば我と共に来るがいい。人族をまとめ上げたその力、それを我のために使うのならば、我もまた人族に目をかけてやると約束しようではないか」


 それはほとんど脅しに近い言葉だった。ここで話に乗らなければ、人族がどうなろうが歯牙にもかけないと言われているようなものだ。カイトは迷わなかった。元よりあれこれ考える性分では無い。


「その話、乗った」

「良いぞ、勇者カイトよ。再び生者の世界に戻るがいい! 我と共に――!」


 魔皇ハガネの手が、カイトの光に包まれたおぼろげな手を掴んだ。その瞬間、カイトの視界が白く染まった。真っ白な光に包まれ急速にどこかへと引っ張られていくような感覚の中、次第に意識が遠ざかっていく――。



   ▽


 気が付くと、カイトは豪奢な天蓋を見上げていた。先ほど見た景色とは全く違う。光沢のある赤い布で覆われたベッドの上にカイトはいた。起き上がろうとするが、体はまた動かない。


(動けない……)

(当然だろう、体の主導権は我にあるのだから)

(!? 魔皇……? どこだ!?)


 至近距離から聞こえる声が、落ち着け、と囁きかけてくる。混乱するカイトに、ハガネはゆっくりと状況を説明していく。


(どこも何も無い、お前がいるのは我の体の中。魂は現世の世界では目に見えぬものだ……)

(あ、ああ……そうか、じゃあこの体が……)

(そう、我が肉体にして、お前のいまの魂の檻よ。……それにしても、儀式場にいたはずなのだがな。ミュリエルがここまで運ばせたか)

(ミュリエル? って、誰だ?)


 カイトの疑問にハガネは答えなかった。ベッドから下り、部屋の中を横切ると、備え付けられているドレッサーの戸を開けた。鏡にハガネの姿が映る――その途端、カイトは声を上げて驚いた。


(誰だこれ!? これ、お前の体ってさっき言っただろ!?)


 そこにあった姿は、黒い鎧に包まれた長躯でもなく、長身の美女でも無い。ドレッサーよりも背が低いだろう、人間の年齢に換算すれば十歳にも満たないであろう幼い女の子が、そこに映っていた。

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