第24話 終章

 慌ただしいひと月が過ぎた。

 塩田玄治の死は、事故死と発表された。

 人さらいの事件については、表向きは、星暗寺の住職『計都』が首謀ということになるようだ。

 もともと、命緋刀についても、闇王の結界についても、庶民には『伝説』のようにしか知られていないため、そのほうが良いのかもしれない。

 ただ、ひとつ。伝説めいた噂が生まれた。塩田玄治が死した後、星見岬の黄泉の岩戸の一部が崩れたらしい。相変わらず、潮の巻く危険な場所ではあるが、嫌な風が吹かなくなったと、漁師たちが話しているとのことだ。

 命緋刀をおさめる岩窟は、星見岬の方へとつながっていても不思議はないだけに、ただの噂ではないのかもしれない。いずれにしても、吉兆として庶民には受け入れられたらしい。

 そして、継承者であった犬千代では、まだ幼いゆえ、成人するまでは塩野雷蔵が代行すると決まった。雷蔵の継承権ははく奪されていたとはいえ、命緋刀は雷蔵が継承している以上、家臣団に反対はなかった。

 玄治派の筆頭だった家老の水橋は、体調を崩して役を退いた。妻子は玄治の死と同じくして失踪したという話だ。おそらく妻子は計都と同じ、闇の眷属だったのであろう。

 そして。

初音は、あの戦いの後、星暗寺で了安の治療を受けていたが、その後、四谷の家に戻った。父、左門も何とか床上げして、今日は初めて登城していった。

激動の日々が終わり、退屈な日常に戻ってきたのだと改めて思う。

初音は小袖を着て、縁側に腰をおろす。今日は温かいが、季節はすっかり冬だ。木々の葉は既にない。優しい日差しが辺りに満ちている。さらりと流れる髪を、初音は手で押さえた。

 傷はだいぶ癒えたものの、まだ剣の稽古をしてはいけないと了安にくぎを刺されているため、娘らしい服装をしている。父は満足そうだが、初音としては複雑な気持ちだ。

 娘の格好をしていると、なぜか、白浪の港で雷蔵と過ごした日を思い出してしまう。

 あの時。雷蔵は、小袖を着て、紅を指した初音と、目を合わせてくれなかった。おそらく初音の娘の姿は雷蔵にとっては『奇異な』姿なのだ。少なくとも、初音らしくはないということだったのだろう。

 雷蔵は初音に隣にいてほしいとは言ったが、それは左門の娘として、あえていうなら人間として信頼してくれていたのだろう。女性として見てくれていたわけではない。

 それを知っているからこそ、この姿をするのは辛い。決して交わることのない想いを再確認してしまうから。

ーーこれからどうなるのだろう。

 この国は少しずつ変わっていく。

 雷蔵は闇王の封印の新たな方法を模索すると言っていた。領主に何かあった時に、簡単にほころびが生まれる現在の結界は、強固とは言い難い。

 短く自分が領主である期間を区切ったのも、そのあたりに理由があるらしい。

 できれば、初音も雷蔵の手伝いがしたい。

 初音は功労者であるから、望めば女性であっても、仕官することは可能かもしれない。見舞いに訪れた雷蔵に、望みはないかとも聞かれた。

 でも。

ーーそばにいたら、忘れられない。

 そんな気持ちもある。それに、初音には許嫁がいるのだ。

 杉浦廉二郎のことは、嫌いではない。むしろ好感の持てる相手だと思う。

 四谷の家の嫌疑が晴れて、父が復職するとなれば、縁談も元通りに進むだろう。だからこそ、雷蔵への想いは、早く忘れてしまわなければいけない。

 でも。そう思えば思うほど、思い出してしまう。会いたいと願ってしまう自分に、初音は戸惑っている。

「初音さまっ」

 パタパタと茂助が慌てて走ってきた。屋敷の門の方が騒がしい。

「どうしたの?」

「事情は存じませんが、初音さまに、すぐに登城するようにとのことで、駕籠が参りまして」

「駕籠が? 父上に何かあったのかしら」

 元気になったとはいえ、病み上がりである。仕事人間の左門のことだ。体力もまだ、本調子ではないのに、無理をしたのかもしれない。

 初音は急いで支度をした。




 城内の道場に来たことはあったが、いつも自分の足で歩いてきた。こうして駕籠に乗って登城したのは、初めてだ。

 迎えによこされたのは、かなり立派な駕籠だ。それに急用と聞いていたのに、非常にゆっくりと丁寧に運ばれ、初音は怪訝な気持ちになる。

 父に何かあったのであれば、もっと急いでほしいのにと思う。姫君でも運ぶかのような丁寧さだ。これならば、自分で歩いた方が数倍速い。

 駕籠から降りると、ずらりと家臣団が並んでいた。そして丁寧に初音に一礼をする。

 思ってもみない状況に、初音は面食らう。

「お待ちしておりました」

 うやうやしく頭を下げながら、進み出たのは山里だった。

「これは、どういうことなのですか? 父上は大丈夫でしょうか?」

「初音さまは、まだお聞きになっておられない?」

 初音の様子に、山里は驚きの表情を作った。

「急ぎの用があるとだけ。てっきり、父上に何かあったかと」

「なるほど。えっと。そうですね。四谷さまにおかれては、かなり衝撃を受けておられるかと」

 得心したらしい山里は、若干、苦笑いを浮かべている。

「……衝撃?」

 言っている意味が分からない。

「もっとも驚いたのは、四谷さまだけですけど。とにかく、こちらへ。これ以上は私が申し上げることではありませんし」

 山里は肩をすくめ、初音を城内へと導いた。

 よくわからないけれど、左門が倒れたという話ではないということだけ、初音は理解した。

 案内されたのは、城の広間だった。軍議などが行われる場所なのだろう。一段高い壇上に、雷蔵が座っている。正装して無精ひげもない。まるで、初音が知っている雷蔵とは違うひとのようだ。

 そして壁際に、左門と廉二郎の姿が並んでいた。左門は渋面を作ったまま動かず、廉二郎は初音に微笑しながら会釈した。どういうことなのだろう。

 雷蔵は初音の顔を見ると、どこか落ち着かない様子で、自分の前に座るように言った。

「お急ぎのご用事があると、伺いましたが?」

 挨拶もそこそこに、初音が口を開くと、「ふむ」と雷蔵は頷いた。

「実は、初音どのに話がある」

「……なんでございましょう?」

 父の顔から見て、きっと難題に違いない。初音は、思わず身構える。

 雷蔵は緊張しているようだ。表情がとても硬い。

「領主となる以上、妻をめとらねばならぬと言われている。ゆえに、その……俺の妻にならぬか?」

「……え?」

 初音は思わず聞き返した。聞こえなかったわけではない。予想外の言葉すぎて、理解出来なかったのだ。

「もちろん、許嫁がいることは承知している」

 雷蔵は大きく息を吐いた。

「しかし、俺は初音どのしか欲しゅうない。それゆえ、左門と許嫁である杉浦からは、強引に了承を取り付けた」

「……父上?」

 初音の問いかけに、左門はため息をつきながら頷く。

「今日、突然お話をいただいたのだ。信じがたいお話よ。雷蔵さまのお立場ならば、いかような美姫をも妻にできように」

「美しいだけの姫などいらぬ。俺は初音どのがいいのだ」

 雷蔵は断言する。

「杉浦には悪いが、どうしても諦められぬと悟った」

「私は、お屋敷で、雷蔵さまと初音さまにお会いした時に、こうなることは予感しておりました」

 くすりと廉二郎は笑った。

「むしろ一度でも諦めようとなさったということに、驚いておりますよ」

「俺とて良心がある。他人の許嫁に懸想することが、人の道に反することくらい理解しておる。ついでに、左門の傷にさわると思って、今日の今日まで待っておった」

 雷蔵は大きくため息をつく。

「俺は初音どのがそばにおらぬとダメなのだ」

 雷蔵の真剣な瞳がまっすぐに初音を見ている。胸がどきりとした。

「私のことはご心配なく。初めて出会った日から、お二人の気持ちに気づいておりましたから。むしろお気持ちに蓋をされて、私と添われてはいろいろと障りがございます」

 廉二郎がにこりと笑う。

「私が、雷蔵さまの妻に? 」

 初音の唇が震える。

 それは、考えてはいけないと、ずっと自分に禁じていたことだ。

 ぽろぽろと涙があふれだす。

「……嫌なのか?」

 初音の涙に、雷蔵が動揺の表情を浮かべた。

「いえ。いいえ。私でよろしければ、よろしくお願いいたします」

 初音は静かに涙を拭いた。

「よかった」

 初音の言葉に、雷蔵はほっとしたようだった。

「実は、もう既に輿入れの日取りも左門と決めてしまったのだが」

 驚く初音に、雷蔵は肩をすくめる。

「家臣の嫁を奪う暴君だからな。いざとなったら、権力をふりかざして言うことを聞かせようかと思っておった」

「そのようなことをなさると、寝首を狙われますよ?」

 うそぶく雷蔵に、初音は苦笑する。

「初音っ!」

 左門が横から初音をたしなめた。

 雷蔵から話を聞いてはいても、左門としては遠慮のない初音の言葉は気が気でないのであろう。

「よい。左門」

 雷蔵は笑った。

「それは、覚悟の上であった」

「まあ」

 二人は顔を見合わせて、そして、噴き出す。

 城の中に笑い声がいつまでも響いていた。


<了>

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

初音の剣 秋月忍 @kotatumuri-akituki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ