第23話 星暗寺 五
「小賢しい真似を。自らの手を汚さず、勝利を得ようとするは、笑止」
玄治が右の腕に生えた闇の刃を、初音に向ける。
言葉は挑発的だが、それほど余裕があるようには見えない。命緋刀を扱える人間がいることを想定していなかったのだろう。
それはそうだ。このような戦いの場に、女が現れる可能性は低いのだから。
「命緋刀があろうとも、儂が小娘ごときに後れを取ると思うのか」
ことさらに、蔑みの言葉を吐くのは、動揺の証だ。
「その小娘の剣が、よほど怖いのですね。一国の領主であるお方ですのに」
初音は、ふっと笑みを浮かべる。
挑発には挑発を返す。
幼いころから、女であるがゆえに侮られることが多かった。
だから、知っている。ことさらに人を侮る者は、強くない。自信と経験のない者ほど、他人を下にしたがるものだ。
玄治は、明らかに初音を、初音の持つ
「お館さま、小娘は私が」
大蛇が初音と玄治の間に入ろうとした。
「間違えるな。お前の相手は、この俺だ」
雷蔵がすかさず突進して、大蛇の身体に雷蔵の刃が切り裂く。大蛇は痛みにのたうった。
初音は、大蛇を雷蔵に任せ、回り込んで玄治と向き合った。
玄治は右腕に生えた闇の刃を構えてみせる。通常の刀より、やや長い。初音と得物の長さが違う。刀ならともかく、短い懐刀は不利だ。相手の一撃を防いで好機を狙うより、思い切って相手の懐に飛び込んで、一瞬で止めを刺すべきだ。二刀流という選択もあるが、初音はあまり得意ではない。それよりは、一撃必殺を狙う方が可能性がある。命に代えても、失敗は許されない。
ゆっくりと足を動かしながら、初音は玄治との間合いを図る。見たところ、それほど早く動けるわけではなさそうだ。足さばきは初音の方が圧倒的に速い。そして、突然、生えた『刃』に慣れていないようにもみえる。敏捷性と柔軟性。それだけが、初音の武器だ。
ーー勝機は一度。
初音は唇をかみしめた。柄を握った手に汗がにじむ。刀から『力』が伝わってくる。初音に味方するものではない。実際の重さより、ずっと重い感じだ。持っているだけで、圧力を感じる。そして、体力を奪われていくのがわかる。
ーーうるさいわ。
初音は、刀身を睨みつけた。腕が震える。
黒ずんだ刃から、伝わってくる『恐怖』と『興奮』。
この刀は、玄治と闇の王の双方とつながりを持っている。恐怖を感じているのは、玄治か。では、ぞわぞわするような興奮を覚えているのは、闇王なのだろうか。
解放への期待と殺戮の喜び。血への渇望。死への恐怖。
その昏さは、闇の深淵を見るようで、恐ろしくおぞましい。
ーー私は負けない。
闇王のことがなくとも、玄治のやっていることは鬼畜のふるまいだ。誰かが止めなくてはいけない。
「何をしようとしても無駄なこと。じきじきに復活の贄としてやろうぞ」
玄治が初音を挑発する。苛ついて見えるのは、恐怖からであろうか。
先に焦れたのは、玄治のほうであった。
長い黒い刃を、初音めがけて振り上げる。
初音は、ぎりぎりまで引き付けると、懐に飛び込んだ。振り下ろされる刃を左腕で払いのけ、全身の力を込めて、命緋刀を玄治の心臓めがけて突き立てた。
絶叫が響いた。
「そ……んな……」
玄治は胸に刀を突き立てたまま、流れ出る自分の血を見ている。今まで、一滴も流れなかった血が、とめどなく流れている。
「--っ」
「初音どのっ!」
「初音さまっ!」
初音は、腕を押さえて、膝をつく。返り血と自分の血で、血だらけだ。
ゴホッと玄治が吐血した。
「血……」
自らの血に驚いたように目を見開いて、玄治はそのまま大地に倒れた。
「小娘があああ」
大蛇が怒りの声を上げた。
「我らの悲願を! よくも、よくも……」
「お前の相手は俺だと言った!」
雷蔵が大蛇の頭に剣を突き立てる。だが、手ごたえはなく、再び黒い影のようなものになった。
「雷蔵さまっ! 継承をっ!」
かすれる声で膝をついたまま、初音が叫ぶ。
正式な儀式は別として、やるべきは今、と本能が告げていた。
「承知」
雷蔵は玄治の胸から、命緋刀を引き抜いた。そして、血濡れた刃の血をぬぐいとる。
「やめろ!」
黒い影が叫ぶ。影はぐるぐると雷蔵を締めつけようとしているが、雷蔵は意に介さない。
「命緋刀よ。闇を封じる龍の宝刀よ」
雷蔵は自らの指を命緋刀で傷つけ、刃に血をおとす。黒光りする刀身に、一筋の赤い糸が流れていく。
「我が血肉をもって、闇を封じよ」
雷蔵が天に向かって、刃をかざす。
命緋刀が閃光をはなち、辺りが真っ白になった。
「やめろぉぉぉぉ」
かつて、計都だった影が、光に焼かれて消えていく。
窮奇も饕餮も、そして倒れ伏していた鬼や狒々の遺骸も、蒸発するかのように消えていった。
やがて。
眩しい光が消え、あたりに色彩が戻ってきた。
霧は晴れたようだ。
ーー終わった。
そう思ったとたん、初音はそのまま大地に倒れた。闇の刃に切られた傷の痛みと、命緋刀を扱った疲労で限界だった。
「初音どのっ」
雷蔵の声がしだいに遠くなっていった。
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