第22話 星暗寺 四

 風切り音がした。

 火縄銃が火を噴く瞬間、弓矢が玄治の腕に突き刺さり、銃口がわずかに動いた。弾は女性の肩に当たったようで、彼女は肩を押さえて、座り込む。

「……なんてこと」

 初音は唇を噛む。不慮の事故ではない。あきらかに、意図して狙っている。領主であろうと許すことのできぬ所業だ。

 玄治の顔に、不満の色が浮かんでいる。女性に致命傷を負わせられなかったことへの不満か、もしくは、銃の狙いをずらされたことへの不満なのか、それとも、双方なのかはわからない。だが、どちらにしても、その感覚は、初音に理解できるものではなかった。

「雷蔵さまっ!」

 土塀の上にまたがった状態で、山里が弓で雷蔵の加勢をする。同時に数人の男が土塀をよじ登ってきて、大きな寺の門の扉を開いた。

 武装した廉二郎たちが、境内に流れ込んでくる。

 少数ではあるが、精鋭である。女を保護するとそのまま、雷蔵とともに狒々と戦い始めた。

「くっ、身内だと情けをかけて、生かしておいたのは誤りであった。猪のくせに儂の神聖なる狩りの邪魔をするとは」

 玄治が吐き捨てるように叫び、腕に刺さった矢を引きぬく。

 投げ捨てた矢じりに、血の痕はない。腕からも出血が見られない。まるで、その身体には血など流れていないかのようだ。ひょっとしたら、既に人でないのかもしれない。その目は金色の光を帯びているようにも見えた。

「お館さま、鹿でなくとも構わぬではありませぬか。的が多くなったと考えれば良いのです」

「なるほど」

「血が流れれば、流れただけ、我らには、大きな力となりますれば」

 計都が不敵に笑む。既にその言葉は、仏門を志す僧の言葉ではない。

「初音さまっ!」

「茂助!」

 初音を取り囲んでいた鬼たちに、手裏剣が突き刺さった。茂助が、初音のもとへと駆けつける。

 初音は、次々に襲い来る鬼を切り続けている。それほど鋭敏ではないが、皮膚が硬い。玄治と違って、出血はしているが、痛みを感じることが少ないのか、傷だらけになっても、退こうとせず攻撃の手を緩めようとしない。

 このままでは埒が明かない。気ばかりが焦る。

 視界の端で、玄治は再び銃に弾を込めようとしているのが見えた。火縄銃は時間がかかるとはいえ、放っておくわけにはいかない。

 発射されれば、このような乱戦では、きっと誰かに当たってしまうだろう。次は、人が死ぬかもしれない。

「雷蔵さま、ここは我らが引き受けます!」

「すまぬっ」

 雷蔵は、狒々との戦線から離脱して、初音たちの方へ血の滴る切っ先をさげたまま走ってきて、初音の加勢に入った。

「困りましたねえ」

 計都が呟く。

 さすがに大人数で囲まれ、狒々は膝をついた。初音の周りにいた鬼もほぼ切り捨てられた。残るは、計都と、玄治だけだ。

「もう少し、血が欲しいのですがねえ」

 計都は、ヒュッーと口笛を鳴らした。

 バサリ。羽の音とともに現れたのは、窮奇きゅうきが二頭。境内にいる人間を品定めするかのように、ぐるりと飛行する。そして、牛のようで顔は人のような生き物が一頭。ぬるりと、どこからともなく現れた。饕餮とうてつだ。

「分断されるな! 必ず数人で相手しろ!」

 雷蔵が叫ぶ。三頭はお互いに共闘はしないようだ。逆に人間側にはありがたいが、いずれも強敵には違いない。山里や廉二郎たちが応戦し始める。初音も応援に行きたいが、まずは、玄治の銃をとりあげねばならない。

「お館さま、猪どもに火をくれてやりなさいませ。さすれば、永遠の命と、世界が手に入ります」

「わかっておる」

 玄治がまた火縄銃を構えようとしている。目は金に輝き、肌は徐々に青色になってきた。口からはいつの間にやら、牙がのぞいている。

 誰かが傷を受け、血を流すたびに変化しているかのようだ。

「叔父上、五年前、領主であることをやめても、死ぬことはなかった。だが、あなたは領主であることに固執した。ならば、その仕事を全うすべきではないですか?」

 雷蔵は切っ先を玄治に向ける。

「封印を守ることこそ、領主の一番の務めであったはず。鬼畜な行為でわざわざ闇を呼び寄せる。なぜです?」

「枯れていくだけの隠居生活のどこが良いと?」

 ふん、と玄治が鼻を鳴らす。いつの間にか、やせ細っていた腕が、太くなってきた。

「そもそも、なぜ、命を削り封印をせねばならぬ? その任を領主ひとりが背負わねばならぬのだ? それと国を治めることは別の問題ではないのか?」

「言いたいことはわからなくもないですが」

 雷蔵は玄治に相対しながら、初音に目配せをする。玄治の銃をなんとしてもまず、止めなければならない。

 初音は刀を構えて、斬りこむ間合いを図る。銃を構える玄治の前に、立っているだけに見える計都が、実に不気味な圧力を持っている。

「それは、あなたが人であることを捨てた事の理由にはなりません」

「余計なおしゃべりは、やめていただきましょうか」

 計都の姿がゆらりと陽炎のようにゆれる。

 漂っていたもやがさらに濃くなり、辺りが黄昏時のように暗くなっていく。

 初音は気合いとともに計都の胴に切り込んだ。白刃は間違いなく入ったはずなのに、まったく手ごたえはなかった。

「あとひとり。あとひとりで、良いのですよ」

 計都の身に着けていた僧衣が初音の白刃で裂けたものの、その肉体は跡形もなく消失し、黒い影が別の形をとり始めた。

「早うお撃ち下さいませ、早う」

 黒い影がとぐろを巻き始め、計都の声だけが不気味に響く。その影は徐々に実体を持とうとしている。

 何か別の物がそこに現れようとしている。

「何をしようとしているか知りませんが、待っている義理はありませんぜ」

 茂助の投げた手裏剣が、玄治の腕に刺さった。しかし、玄治は、何一つ表情を変えず、銃を構える。もはや、痛みという感覚はなくなってしまったかのようだ。

 雷蔵が玄治に切りかかり、右腕を切り落とした。

 銃と一緒に腕を切り落とすと、雷蔵はそれを素早く蹴り飛ばした。すかさず、茂助が銃を確保する。

「猪の分際で」

 玄治がいまいましげに吐き捨てる。腕を斬られたというのに、出血はおろか、痛みすら感じていないようだ。切られた傷口からしゅうしゅうと闇が噴き出しはじめる。

「何?」

 噴き出した闇が、形をとり始める。

「そうです。そうです。仮の姿など、脱いでしまえばよいのです」

 気が付くと、計都だった影は、巨大な緑色の大蛇となっていた。チロチロと赤い舌をだし、銀色に光る眼を光らせ、玄治に囁き続ける。

「おぬしは何だ?」

 雷蔵が大蛇に刀を向ける。

「闇の眷属のものだな? 叔父に何をした?」

「何も。ただ、美味なる血の味を教えて差し上げただけ」

 大蛇がちろりと舌を出す。

「渇きの病のかつえを潤す、ただ一つの方法を」

 大蛇は笑ったようだった。

 玄治が人のものとは思えぬ咆哮を上げた。

 切り取られたはずの右腕の位置に、巨大な闇色の刃が現れた。身体も、ひとまわり大きくなったかのように見える。

「命緋刀……」

 雷蔵が呟く。

「光念の考えていたとおり、刀が、闇を引き出してしまったのだな」

 玄治の身体が、徐々に作り変えられていく。玄治に通常の武器は効いていない。

「初音どの」

 雷蔵に言われて、初音は白鞘の懐刀を取り出した。

「ほほう。やはり、お前が持っていたのか。泥棒め。それは我と契約を結びしもの。そなたに扱えるかな?」

 玄治は自信たっぷりに言い放つ。

「その刀に触れられるかね? 猪どのは」

 くすくすと大蛇が嗤う。

「雷蔵さま。お任せを」

 初音はついっと前に出た。

 鞘をぬき、柄を握り締める。

 前に握った時より、ゾワリとする感触。刃は禍々しい光を放っていた。実際の重さより、ずっと重く感じる。初音を拒否しているかのような振動が腕に伝わってくる。

 だが、扱えなくはない。いや、この場では、初音と玄治以外にこの刀を扱えるものはいないのだ。

「お前は……」

 玄治は、雷蔵ではなく、初音がそれを構えたことに動揺したようだった。

 命緋刀は、主以外のに触れられることを嫌う。

「驚かれましたか? あなたを倒すのは、なにも雷蔵さまでなくとも良いのです」

 初音は命緋刀を水平に構えた。





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