第19話 星暗寺 一

 暗い水面を船首のかがり火で照らしながら、ゆっくりと進む。

 空は晴れていたが、月はなかった。

 船で移動するのは、雷蔵と初音、光念のほか、船頭を含めて二名だ。船は、横目奉行所の所有する御用船。とはいえ、それほど大きいものではない。船はせいぜい、乗れて十人がやっと、というほどだ。

 本来ならば、横目奉行の許可なく動かせるものではない。が、現在の横目奉行は不在であるし、横目の役人である栗沢くりさわという男が船頭で、乗り込むのは武家の二本差しがほとんどだ。御用の用向きだと言い放てば、寝惚け眼の港の役人に不審に思われることもなかった。

 辺りはまだ暗く、夜明けまではまだ一刻以上はあるだろう。

 御用船は比較的大きいとはいえ、船頭入れて五名に、慌てて集められた米と酒が積み込まれている。しかも、ゆれるため、船頭以外はじっと座っている状態だ。

 城下を出ると、川は山間に入る。両脇に大きな影ができ、空が狭くなってきた。風はないが、空気は刺すように冷えており、動けぬ身体はますますこわばる。

 山はとても静かだった。山に住む獣たちも息をひそめているかのように、ただ、川の流れの音だけがしている。

「灯りが」

 栗沢が闇の中にポツンとした灯を見つけた。

 とっさに、初音は座ったまま身構える。

 灯りは動かず、芥子粒くらいに見えた灯りが、どんどんと大きくなってきた。どうやら、中島の港のようだ。

「どうします?」

「速度を落とせ」

 栗沢は頷いた。

 船を流れのゆるい方へと移動させたのだろう。先ほどより、速度がゆっくりになった。

 やがて、中島の港である桟橋に、黒い影が見えてきた。

 どうやら積み荷を降ろしているらしい。そして、光点が二つになる。

 一つの明かりはそこから岸側へと移動し、もう一つは、そのまま川を下っていくようだ。川を下って行ったと思われる灯りは、やがて見えなくなった。

 雷蔵の低い指示に答え、栗沢は、桟橋のそばへと、ゆっくりと近づく。

 夜中に船が行き交うことは少ないとはいえ、ないわけではない。

 川岸に灯っていた灯りが移動し、ふっと消えた。

「桟橋でとまるな」

 雷蔵が低い声で指示をする。

 桟橋の横を舟が通り過ぎていく。灯りは、どうやら故意に消されたわけではなく、山の中に入って行ったようだ。木々の影のすきまに光点が見える。動きはゆっくりだ。荷物があるのかもしれない。

「接岸してくれ」

 栗沢は無言で頷き、櫂を巧みに扱って、桟橋から少し離れた岸辺の河原に強引に寄せた。

 ここからは、先ほどの灯りは見えない。おそらく向こうもこちらが見えないだろう。

 それにしても、誰が、何のために、こんな時間に、どこへ行くのか。

 中島に荷物を下ろしに来ただけの商人なら、山に入って行くことはないだろう。城の役人にしては、人数が少ない。寺の人間にしても、こんな時間に移動するのは、珍しいだろう。気持ちははやるが、追跡を悟られるのは得策ではない。

「あちらの小さな道が桟橋の小屋のそばまで、続いていたはずです」

「わかった。俺と初音で先行する。お前たちは、供物を持って光念どのとともに、ゆっくり星暗寺をめざせ」

「御意」

 雷蔵と初音は、出来るだけ音をたてぬように上陸した。そしてそのまま、提灯の明かりを頼りに栗橋の差した方角へとむかう。上陸の時、少しだけ川に入ったため、足が濡れた。冷たいが、そのようなことを言っている暇はない。

 暗闇の中に、獣道のような小さな小道が浮かび上がる。

 二人は、ゆっくりとその道をたどり始めた。

 静かだ。

枯草を踏む音ですら、闇に響いてしまう。初音は、息をひそめるようにして歩く。

 船では一瞬であったが、桟橋までは思ったよりは遠かった。小屋のそばまできたころには、小さな明かりはもうみえなくなっていた。足音も聞こえない。

 とはいえ、おそらく、禁足地に向かっているのは間違いないだろう。

 濡れているせいか、地面がとても冷たい。ぐんと冷えてきたようだ。

「星暗寺の方へ向かう」

「はい」

 山の途中までは、前回来た道と同じである。二人は無言で、山道を登り始めた。初音は、雷蔵の背を追う形で、回りに気を配る。暗闇であった風景が、少しずつ形をとり始めた。

 窮奇と出会った辺りだろうか。空が白くなり始めた。しかし、うっすらと朝霧が立ち始めたようだ。そのため、明るくなってきたものの、視界は良くならない。

「この先が禁足地だ」

「はい」

 分かれ道に入る前に、雷蔵が明かりを消す。視野は悪いが、先行する奴らに気付かれる可能性がある。それに、この前のように闇の眷属が現れる可能性もある。初音はいつでも刀を抜けるように意識しながら、雷蔵の後を追った。

 どれくらい歩いたであろうか。

 ボソボソと内容はわからないが、人の声のようなものとともに、木戸を開閉した音が聞こえてきた。

 雷蔵と初音は息をひそめ、歩みの速度を落とす。

 長い上り坂を登り切る手前で、雷蔵は無言で初音を制し、歩みを止めた。

 深い霧の中に、そびえるように土塀が見える。星暗寺であろう。どうやら、寺の裏門が近いようだ。

 雷蔵は、道から少しだけ外れ、ゆるい斜面を登る。少しだけ小高いその場所は、ちょうど境内が見渡せる位置になっているらしい。もっとも、霧ではっきりとはわからないが、張り巡らした土塀がぼんやりと見えた。

 初音は雷蔵とともに、木の根に腰を下ろし、ゆっくりとあけていく朝を待つ。

 明るくなるにつれ、霧も次第に晴れはじめた。どうやら、寺の境内で何らかの作業が行われているようだ。

「朝のお務め、というわけではなさそうですね」

「そうだな」

 僧たちが、境内で作業をしている。清掃というわけではなさそうだ。本堂の前には、大きな酒樽が置かれている。その、りょうわきには、が敷かれ、その上に供物と思われる米俵がおかれていた。作業をしている中で、ひとりだけ、やけに目立つ大男がいた。僧衣をまとっておらず、剃髪もしていない。寺の雑事をしている、寺男であろうか。それにしても、かなり大きい。おそらく雷蔵と並んでも、雷蔵が子供に見えてしまうくらいの大きさだ。

 男は、大きな棺桶のような箱を一人で担ぎあげ、境内の一番真ん中に運び入れた。

「儀式の用意でしょうか?」

「わからん。とにかく、『狩り』という名目で、出かけるという山里の情報は確かだったようだ」

 初音の問いに、雷蔵は小声で答える。

「はい」

 それが本当に『狩り』なのか、玄治の体調異変への対応のための訪問かはわからない。

 やがて、遠くに馬のいななきが聞こえた。

「来たな」

 雷蔵が呟く。まだ、遠いが、ゆっくりとこちらへむかってくるのだろう。境内の動きがあわただしくなる。何人かの僧が、閉じていた正面の門の扉をゆっくりと開き始めた。

「行こう」

 雷蔵は立ち上がる。

「裏門から入ろう」

 するすると斜面を降りていく。

「光念さまたちは?」

「今しばらくはかかるだろう。とりあえず、何が始まるのか探らねば」

「はい」

 領主、玄治が本当に来るのか。そしてその目的は何なのかは全く分からない。

 状況がわからない以上、やみくもに突っ込んでも、事は成就しない。失敗は、場合によっては、闇王の復活という最悪の事態を招く可能性がある。

 再び道に戻り、土塀に沿って歩くと、大きな木戸があった。しんと静まり返って、とても静かだ。

「錠前はかかっていないようだ」

 雷蔵が、ゆっくりと木戸を開いた。

 完全に裏門なのだろう。そこは小さな畑になっていた。目の前の大きな建物は、どうやら食堂じきどうのようだ。くりやも兼ねているらしく、出入り口のそばには、抜いたばかりと思われる青菜が積まれている。井戸もある。

 境内で行われている準備にかかりきっているのか、辺りには誰もいない。雷蔵と初音は目配せをする。

 素早く中に入ると、静かに木戸を閉めた。

 ぞわり

 途端、空気が変わった。

「ほほぉ。客かね」

 死角から現れたのは、大きな獣だった。

 人の顔。虎の身体。そして、大きな牙を持っている。

「まさか……檮杌とうこつ?」

 雷蔵が呟く。

「ほほぅ。我が名を知っているか。ならば、念を入れて歓待せねばなるまいな」

 獣、檮杌は、にやりと笑い、前足で土を掻いた。

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