第2話 猟師小屋
パチリ
薪の爆ぜる音で、初音は目を覚ました。
体が熱くて、喉が痛い。
ぼんやりとした視界の先に、囲炉裏の火が見えた。
見たことのない場所だ。全体的に薄暗い。窓がないのか、それとも夜だからなのか。
自分はなぜ、このようなところにいるのだろうか。
「目が覚めたか」
すぐそばで、見知らぬ男の声がした。そちらのほうに頭を動かす。
ゆらゆらと揺れる炎に照らされた男は、囲炉裏に新たな薪をくべようとしてる。
年のころは二十五くらいか。
薄暗いのと、頭がぼんやりしているせいか、はっきりと顔がわからない。
「私……」
体を起こそうとしたら、頭がふらついた。
世界がぐるぐる回っているかのようだ。
「熱がある。無理するな」
「……喉、が」
声がかすれて、思ったように話せない。まるで自分の声ではないようだ。
「待ってろ」
男は、初音の身体を支えながら座らせた。一人で座ることが出来ず、男に抱きかかえられた状態だ。
「水だ」
口元に水筒をあてがわれる。甘くて冷たい水だった。
ほんの少しだけ、のどの痛みが和らぐ。
初音は男に手伝ってもらいながら、再び体を横にした。
「……ここは?」
かろうじて、それだけが声になる。
熱のせいだろうか。関節がキリキリと痛んだ。
「あまり使われていない、猟師小屋だ。布団も何もないが、寒さはしのげる」
男は、むしろを初音の身体にかけた。カタカタと風が戸を叩く。木枯らしが吹いているようだ。
「四谷初音どのだな」
男に問いかけられ、初音は頷く。
「俺は
男、雷蔵の言葉で、初音は自分がどうしてここにいるのか、思い出した。
川岸までたどり着いたのは覚えているが、そこから先の記憶がない。
河原でぬれたまま倒れていたのであれば、熱のひとつも出るだろう。それにしても初音を捜した、とは、どういうことだろう。
なんにせよ、河原に倒れていた初音をここまで運んで、看病してくれているのだから、追手とは違うようだ。
初音の額に雷蔵の手が伸びる。
「……まだ、熱が下がらんな。医者に診てもらった方が良いのかもしれん」
その声を聞きながら。初音は、再びまどろみに落ちた。
外は激しい雨のようだ。
目を覚ました初音は、身を起こして、あたりを見回した。
小さな火が囲炉裏で燃えている。小屋の壁面には、縄や斧がかけられ、三和土には薪が積まれている。
囲炉裏の傍に、畳まれた自分の着物と刀があった。
その時になって、初音は初めて、自分が男物の着物をまとっていることに気が付いた。
着古してはあるが、上等な品だ。
初音を助けてくれた、雷蔵という名の男のものであろうか。
今、男はおらず、小屋の中にいるのは初音だけだ。
――ふむ。
初音は、胸元に視線を落とす。
着替えているということは、つまり、あの男が着替えさせたのであろう。
――まいったな。
もちろん、状況的にやむを得ぬことだ。あれだけの熱が出たことも考えると、命の恩人である。裸身を見られたと、騒ぐのは、筋違いだ。いくら初音が嫁入り前の生娘だとしても、生死の境だったのだから。
――迷惑料だということにしておこう。
初音は、そう思うことで、自分の羞恥心に決着をつけることにした。
熱は下がったものの、まだ喉の痛みは消えていない。
雨が激しく屋根を叩いている。
やがて。ザクザクという足音が聞こえてきた。初音は思わず息をひそめ、刀に手をのばす。
ゴトリ、と大きな音を立てて、戸が開いた。
「ああ、目が覚めたようだな」
蓑を着た雷蔵が、にこり、と笑いかけた。歯の白さが目立つ。端正な顔立ちだが、無精髭がはえている。
手にいくつかの荷物を持っていた。
「医者は呼べぬが、薬を貰ってきた。米も手に入れてきたゆえ、粥をつくろう」
外の雨はかなりひどいのであろう。蓑はびっしょりと濡れている。
「悪いが、明日には、ここを引き払わねばならぬ」
雷蔵は言いながら、蓑を壁に掛けかけ、手ぬぐいで濡れた顔をぬぐった。
「わかりました」
初音は頷く。
そうだ。自分は、
おそらく、状況から見て、あの川からそれほど離れた場所ではない。捜索の手が伸びないとも限らないのだ。
「無茶を言うようだが、明日までに少しでも回復してもらわねば困る」
言いながら、雷蔵は、竹筒を差し出した。
「薬湯だ。飲め」
初音は、言われるがままに竹筒を受け取った。ひどいにおいだ。初音は思わず顔をしかめる。
「苦いが、効く」
思わず躊躇したものの、初音は、目をつぶってその液体を飲み込んだ。
かなり苦い。苦労して、飲み終えると、よくできた、とばかりに、雷蔵の手が伸びて、初音の頭を撫でた。
なんとなく子ども扱いされて、初音はふてくされた気分になる。いくつだと思っているのか。そこまでされるほど年は変わらないはず、と思う。
そもそも、裸を見られたのに、子供のような扱いをされると、初音としては複雑な気分になる。
「飯ができるまで、横になってろ」
雷蔵はそんな初音の気持ちを知ってか知らずか、黙々と飯の支度を始めた。
体力回復は、最優先事項だ。初音は、思い直して、おとなしく横になった。
「四谷家の屋敷を見てきた」
ぽつり、と雷蔵が話し始める。
「屋敷の捜索は諦めたようだが、見張りはいる。左門も戻ってはいないようだ」
「父は、どこへ?」
「わからん」
雷蔵は首を振る。
「とりあえず、やつらもまだ、左門を見つけてはいないとは思う。どこかに潜んでいるはずだ。動かないのは、時を待っているのか、それとも、動けないのか……」
「父は、何を?」
初音の問いに、雷蔵の顔が厳しくなる。
「左門は、国境の神隠しについて探っておった」
潮の国は、比較的平穏とはいえ、世はまだまだ安寧とはいえず、戦乱が絶えない。
父の左門が、国内外の動きに目を配っていたことは、初音も知らぬなりにもわかっていた。
国境を中心に、ひんぱんに人さらいが起きているというのが、ここ一年くらい続いていて、懸案事項になっていたらしい。
隣国がらみで、人身売買が行われている可能性を疑い、左門たちは取り調べを続けていた。
ところが、である。
「どうやら、組織は国内にあることがわかってきた」
しかも、それが国の中枢の人間がかかわっているらしい。
「決定的証拠をつかむ……そういって、間もなく左門と連絡が取れなくなり、四谷の家に手入れが入った」
「では……ある意味で、父は、お偉い方に逆らった、ということですね」
そのような事情なら、納得ができる。父は真面目で、融通が利かない。見てはいけないものを見たと言って、ふたをできるひとではない。間違ったものを見つけてしまったら、とことんまで突き進んでしまうだろう。
「迷惑をかけた」
雷蔵は頭を下げる。
「いえ」
初音は首を振った。
ところで、この雷蔵という男は、いったいどういう役目なのか。
父の名を呼び捨てにしているということは、父の上司かもしれない。それにしても随分と若い。
そもそも塩見という名に聞き覚えはない。もともと、父は仕事について家では話さないし、初音もおおまかにしか仕事内容をわかっていないから、初音の知らない重鎮がいてもおかしくはない。
「あの、失礼ですが、塩見さまは、どういったお役目なのですか?」
「俺は、横目奉行をしておった。先日、突然罷免となったがな」
「横目奉行……」
横目奉行とは、隣国の監視から諜報、そして領内の動向をさぐったりする役職である。
「左門は、俺が奉行になる前から、奉行の相談役を務めていた」
『剣術指南役』をしながら、奉行の補佐をしていたらしい。
「俺の罷免の理由は、今回の事件の調査が進まぬことらしい。だが、どう考えても、理由は逆だ。今回動いているのは、家老衆の誰かだろうが、それがはっきりせん」
雷蔵の表情は険しい。家老衆となると、横目奉行より役職が上。このままでは、左門は「謀反」として処罰をされかねないらしい。
「身を隠す、アテはあるか?」
心配そうな大きな瞳と視線がぶつかり、胸がドキリと音を立てた。
「えっと」
初音は思わず、視線を背ける。
大きく息を整えた。
「杉浦さまの家を頼ろうかと思っておりました」
「杉浦?」
「遠い親戚なのです。ですが、そのような状況ですと、手は回っているかもしれませんね。
杉浦廉二郎と、初音の養子縁組については、知っている者はかなり多い。
初音を捜して、というよりは、家のつながりから、父を捜すために手が回っている可能性はある。
「白浪……左門が最後に連絡を送ってよこした場所だ」
雷蔵はふむ、と頷いた。
「とりあえず、一度、白浪に行ってみよう。左門の手がかりもあるかもしれぬ」
「はい」
雷蔵は鍋の中をぐるぐると回す。ぐらぐらと煮立ちはじめて、甘い米のにおいが漂い始める。
ぐぅ、と初音の腹が大きな音を立て、初音は思わず赤面した。大事な話の最中にこれでは、子ども扱いされても仕方ない。
「腹が減ったのは、体調がよくなってきた証拠だ」
くすり、と雷蔵が笑う。
「たくさん食べれば、力が付く」
「……はい」
頷きながら、初音は小さくため息をついた。
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