初音の剣

秋月忍

第1話 発端

 秋が深まってきたこともあり、風はひんやりとしている。

 ひらり、と庭の楓の葉が枝を離れた。

「はぁあああっ」

 気合いと共に、初音はつねは足を踏み出して、抜き打ちざま、刀を宙に滑らせる。

 白銀の刃が、赤く染まった葉を切り裂いた。

 初音は、すばやく刀を鞘に納めると、ひとつ息をつく。

 白の小袖をたすき掛けにして、袴姿。額には汗がにじんでいる。髪は一つに結い上げていて、男性のようだ。

 十八の乙女がする格好ではない。

 しかし、この姿はいつものこと。初音は、日々中庭で剣術の鍛錬を欠かさない。

 四谷の家の娘であるならば、武道の技も必要と、父、四谷左門よつやさもんにすすめられ、はじめたのだが。昨今では、左門はそのことを後悔しているようだ。

 初音は剣術の腕は相当なものとなった。時折、城の鍛錬所に顔を出しては男性をなぎ倒すほどだ。剣士としては、周囲に一目置かれる初音である。

 だが、女性としての評判としては問題だ。

 もっとも。初音には、まだ会ったことのない許嫁がいる。

 四谷家には男子がいない。このうしおの国の剣術指南役である四谷家としては、かなり問題だ。そこで、数年前より、遠い親戚の次男坊杉浦廉二郎すぎうられんじろうを婿養子に迎える約束ができている。

 現在、その男は剣術修行の旅に出ており、まだこの国に帰ってこないらしい。左門の眼鏡にかなったということは、相当な剣士であるのは間違いないが、どんな相手なのか初音は全く知らない。

 しかし、約束は約束である。万が一気が合わなかったら、妾でも囲ってもらえばよい、なんて軽く初音は考えている。左門は渋い顔をするだろうけど。

 なんにしてもまだ先の話だ。初音は汗をぬぐい、空を見上げた。

 白いうろこ雲がみえる。

「おやめくださいっ!」

 突然、使用人の茂助もすけの叫び声と共に、たくさんの人間の足音がした。

「なに?」

 初音は刀を握り締めたまま部屋に戻った。

「ご、ご無体なっ」

 叫ぶ茂助を振り切って、武装した男たちが、土足のまま屋敷に上がり込んできて、部屋の物色を始めようとしていた。

「何事です?!」

 初音は鋭い声を上げ、男たちを睨む。じりじりと歩を進め、畳の縁に立った。

「初音さまっ」

 茂助が、初音の方を見ている。初音が目配せすると、茂助は男たちを止めようとするのをやめた。

「白昼堂々と押し入るとは。ここが四谷の屋敷と知っての暴挙ですか?」

 男たちは、初音の声に一瞬、手を止める。

 先陣をきって部屋に入り込んできた男が、初音に目を向けた。身なりからして、物取りの類ではなく、どうやら役人のようである。

 細い目で、鋭い眼光。薄い唇。どこか、酷薄な印象を受ける顔だ。

 知らない男である。初音は城の鍛錬所に出入りしているが、この男の顔を見たことはない。

 男は顎で配下の人間に、家探しを命じつつ、初音に相対した。

「拙者の名は、近衛衆の田宮興三郎たみやこうざぶろう。四谷左門の娘、初音か?」

 男は、横柄に名乗る。

 四谷家に対する敬意を微塵も感じられない。

 近衛衆というのは、家老衆の側近である。

「四谷左門に、謀反の疑いがある。おとなしく、そなたも来てもらおう」

「謀反?」

 初音は耳を疑った。

 左門は、絵にかいたようなマジメ人間で、どうしようもない仕事人間だ。融通が利かないことはあっても、権力を欲することはない。

 だが、初音まで連行されるとなると、謀反は『疑い』ではなく『確定』事項のようだ。信じがたい話である。

「父が謀反とは、どういうことですか? 何かの間違いでは?」

「間違いなど、あるわけがない。我らを愚弄するのか?」

 田宮は声を荒らげた。

「おとなしくついてくれば、手荒なことはせん」

「……ご説明は、いただけないのですね?」

「そのような必要はない」

 ぴしゃりと、田宮は言い捨てる。

 初音は唇を噛んだ。

 素直に従うべきか、それとも、抵抗するべきか。

 父が謀反の疑いを受けている今、自分が抵抗しては、父の罪を確定事項にしてしまう。素直に従って、父の疑いが晴れるのを待つ、それが正しいように見える。

 しかし、父が誰かに陥れられたのであれば。待っていても、嫌疑は晴れないかもしれない。

 それに。

 初音は田宮たちを観察する。

ーーこいつらは、何かおかしい。

 役人には違いないだろう。

 人数は、十五名。いずれも訓練された人間ばかりだ。ひょっとしたら、外にもいるかもしれない。

 完全に武装している。いささか、やりすぎな気もしなくもないが、ある程度、こちらの抵抗を計算してのことかもしれない。

 とはいえ、配下の人間のほとんどは、初音にかまわず、乱暴に家探しを始めている。初音が抵抗しないと思っているのか、それとも本当は、初音など、どうでもいいのか。

「私を連れて行く理由は?」

「むろん、謀反の共犯の疑いだ」

「……そう」

 初音はため息をついた。

 父の謀反はともかく、初音自身に身に覚えは全くない。

 だが。そもそも、初音を捕らえるだけであれば、家探しの必要はない。もちろん、証拠を捜すという名目はあるだろうが、この男たちは、初音の身の確保より、家探しを優先しているように見える。

ーー探しているのは、ひょっとしたらかもしれない。

 左門は、まだ、捕まっていないのかもしれない。

 それとも我が家にあるを捜しているのか。少なくとも、目の前の初音より、優先的に探しているものが他にあるのは間違いない。

 なんにしても、その場合。初音を捕らえる理由は、左門をおびき寄せるための人質以外にはない。

ーーならば。

「茂助」

 田宮を睨みつけたまま、初音は茂助の名を呼んだ。

「初音さま」

 茂助は、初音の意図を察して、初音の後ろへと移動する。

「あなたのお話は、理解いたしました」

 初音は静かに頷いて、手をだらんと下ろした。従順な態度とみたのか、田宮がニヤリと笑う。初音は、たたみをこするかすかな足音で、茂助の位置をはかる。

 四谷の家に、何の備えもないと思ったら大間違いだ。

「私を捕らえる理由は、父への人質、ということかしら」

 くすりと、初音は笑む。

「御免こうむるわ」

 田宮が抜刀する瞬間に、初音は畳の縁を強く踏んだ。

「なっ」

 初音の踏んだ畳が、跳ねあがって壁となる。

「初音さまっ」

 茂助の声とともに、煙玉がさく裂した。

 初音は、部屋を飛び出す。それに合わせて、茂助が鴨井にある仕掛けを発動させた。

「なにっ!」

 ドンッという音と共に、部屋と廊下の間に、格子戸が落ちてきた。

 子供だましで、大した仕掛けではない。しかし、時間は稼げる。

「逃がすなっ!」

 田宮が叫ぶ。

 初音は、中庭をぬけ、茂助と共に裏木戸へと走った。

 普段は人通りの少ない通りに面した木戸の向こうに、気配がある。

「初音さま」

「行くしかないわね」

 初音は頷き、口元に手ぬぐいを巻いた。

「待てっ」

 田宮たちも追ってきたようだ。茂助がバラバラっとまきびしを撒いた。

 初音と茂助は、目を合わせ、頷きあう。木戸の向こうは囲まれている。

 初音が、裏木戸を開けるのと同時に、茂助が煙球を扉の向こうへと投げつけた。

 あたりが煙に包まれる。

「初音さま、ひとまず佐奈町さなまちの杉浦さまのところへ」

「ええ」

 そこにも手が回る可能性はあるが、他に頼るあてがない。

 役人たちの囲みを突破するべく、初音は刀を抜いた。煙幕が張られたので、正確な把握はできないが、ここにいるのは三人ほど。

 すぐに、屋敷にいた十五人もやってくる。のんびりと、斬りあいをしているわけにはいかない。

 初音は踏み込みざま、相手の足を斬りつけ、相手の動きが止まった瞬間を狙い突破を狙った。

 ドン、ともう一度煙玉が炸裂するーー茂助だ。

 茂助は、ひらりと塀の上から屋根へと上り、走り出す。初音を逃がすために、わざと目立つ場所を通って、離脱しようとしているのだ。

 初音は煙玉の煙を吸わぬようにしながら、走り出す。

 辺りはまだ明るい。相手が役人では、助けを求めたところで誰一人手を貸してはくれないだろう。

 四谷の屋敷の裏側は、竹林に面している。細い道は、表通りに通じてはいるが、そちらにも敵はいるであろう。

 足場は悪いが、竹林に入って、逃げるしか方法はなさそうだ。

 初音は竹林へと飛び込み、振り向きざま、竹を斬った。

「うわっぁ」

 追撃者に向けて、竹が倒れていく音を背に聞きながら、初音は走る。

 迎え撃って時間をおけば、敵は増えるだけだ。

 出来るだけでたらめに走って、追っ手を撒こうと試みる。

 道なき道は、足元が悪く、しかも緩斜面になっていることもあり、息が苦しい。だが、足を止めることはできない。

 足音が追いすがり、白刃が後ろから襲い来る。

 とっさに、振り向きざま、剣を払う。刃がぶつかり、火花が散った。

 踏み出した足が土の上をすべる。脇からの別の刃をスレスレでかわして、相手の足を蹴った。

 体勢を崩して斜面をころがっていく仲間を助けようともせず、別の男が初音の前に躍り出た。

 きりがない。

 追っ手は初音より強いわけではないが、人数が多い。それに、初音としては、できれば相手を殺したくはない。

 相手を殺してしまっては、謀反を認めてしまうようなものだ。

 とは、いえ。ある程度の傷を負わせなければ、人数は減らない。

 白刃を交えながら、襲撃者の人数を数える。

 追ってきた人数は、半分程度か。

 後続が来ない保証はないが、初音を捕らえることは最優先事項ではないと思える。茂助が引きつけているということもあるだろうが、やはり彼らは父を捜しているに違いない。

 やがて竹林をぬけ、谷に出た。谷沿いの細い道の先に、粗末な橋が架かっている。ずいぶん昔に架けられたものだ。

 この先は、山が険しくなり、民家は少ない。

 橋は、人が一人、やっと通れる程度のつり橋だ。

 あまり人が通らないせいか、かなり傷んでいる。しかし、躊躇をしている暇はない。

 初音は応戦しながら、後ろ向きで橋を渡り始めた。

「なっ!?」

 狭い橋で一人ずつ応戦する初音に向かって、追っ手の放った刃がつり橋の綱を切り、橋が斜めに傾いた。

 咄嗟に、左手で綱を握ったものの、足は足場を失って、ぶら下がった状態となる。

 追っ手は、それを見て、橋に足を踏み出すのをやめ、初音の様子をうかがっている。

 初音は、片腕で、体重を支えながら下を見た。谷は深く、暗い。川の流れる音は聞こえてはいるけれど、水面は果てしなく遠く見えた。

 しかし、追っ手のいる側に戻るのは不可能。綱を伝って、対岸まで渡ることも、まず無理だろう。

ーーなるように、なれ!

 初音は左手を放す。激しい水しぶきとともに、初音は水中に落ちた。

 もがきながら、水面に顔をだしたが、川は、深く、流れは思ったよりずっと早かった。

 水は氷のように冷たく、思ったように手足が動かない。

 初音は、必死で手足を動かし、対岸の方角へと泳いだ。

 まだ、明るいはずなのに、谷底のせいか辺りは暗い。それほどの川幅があるわけではないが、流れが速いため、体がグングン流される。

 ようやくごつごつした石の転がる河原に、たどり着くと、初音は疲労のあまりに動けなくなった。

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