05

 雷狐は待ち構えているといった風に神社の建物の前に立っていた。

 その手前には倒れている僕の体と依然として固まったままのスフレがいる。

「やっと戻って来おったか。待ちわびたぞ、人間」

 僕たちの姿を見て雷狐が言った。

「しかも女連れとはな。わしのために魂を持って来てくれたのか?」

「にゃはは、君が雷狐かー。噂通りの大きな狐さんだねー」

 と栗谷が言う。

「それにしても最近の電脳妖怪の進化はすごいねー。まさか魂を喰おうとするヤツが現れるとは。やっぱりあれなのかな、さらなる妖力を手に入れるためとか、そんな感じなのかな?」

「その通りよ。どうやら貴様は話の分かる人間のようだな」

「どういたしまして。でも、そんな妖怪を放っておくわけにはいかないからね。悪いけど退治させてもらうよ」

「ククッ。わしを退治するだと? これは活きのいい魂だな。やれるものならやっ——」

 その瞬間、栗谷がバーチャル銃をぶっ放した。

 銃口から放たれた電撃のような光線が雷狐の体に巻き付き、動きを封じる。

 境内は激しい光で照らされ、バチバチという音が響き渡った。

「貴様、話の途中だぞ!」

 雷狐が苦悶の表情で言った。

 しかし栗谷は容赦がない。

「戦いとはいかに先手を取るかだよ。そんなこと知らないね!」

 栗谷が電撃の出力を上げたのか、光と音がさらに激しくなった。

「ぐあああああ!」と雷狐が叫ぶ。

 その様子を僕は呆気に取られたまま見ていた。

 いや、正直に言えばこう思っていた。

 最低だ、この人!

 そんな僕に栗谷は言う。

「今だよ、網代くん!」

「え?」

「何をボーッとしているのさ、今のうちにアストラルセーバーで止めを刺すんだよ!」

「そ、そうだった」

 めちゃくちゃやり辛いけど、雷狐を放置したら魂を喰われてしまう人が出るんだよな。

 と言うか、このままだと僕がその第一号だ。

 それは阻止しなければなるまい。

 僕は改めて覚悟を決めると、光の剣を手に走り出した。

 こうなったら、一思いに!

「や、やめろおおお!」

 悲痛な声を上げる雷狐に向けて、僕はアストラルセーバーを振り上げた。

 その時だった。

 雷狐が再び、あの禍々しい笑顔を見せた。

「なんてな」

「!?」

 その瞬間、雷狐の体に巻き付いていた電撃が弾け飛んだ。

 自由になった雷狐が僕をなぎ払う。

 まるでさっきの再演であるかのように、僕は横に吹き飛ばされた。

 しかし痛みはその時の比じゃない。

 あまりの衝撃に僕はアストラルセーバーを手放してしまった。

「いってぇ……」

 地面に転がった僕は悶絶しながら顔を上げた。

 雷狐が澄ました顔でゆっくりと近づいて来る。

「危ない危ない。間違って普通に殺してしまうところだった。それじゃあ魂が喰えないからな」

「まずい!」

 接近を阻止しようと栗谷が再び電撃を放つ。

 しかし雷狐は、九本の尻尾を使っていとも容易くそれを弾いた。

「そんなものわしには効かぬわ!」

 雷狐は勝ち誇ったように言った。

 今や雷狐は僕の目の前だ。

 これはどう考えても、絶体絶命というやつだった。

 と、その時だ。

「コンッ!」という鳴き声とともにスフレが僕たちのあいだに割って入った。

「スフレ!?」

 僕が驚くのと同時に、スフレは雷狐の顔に目がけて飛びかかった。

「ふごっ!?」

 スフレは雷狐の顔にへばりついた。

 顔を覆われた雷狐はひるみ、スフレを引き剥がそうと前足を伸ばす。

「ほご、ほほへご!」

 スフレは意外にも粘ったが、やがて雷狐に引き剥がされてしまった。

 しかしスフレの行動は十分な時間稼ぎになったらしい。

 そのあいだにアストラルセーバーを拾った栗谷が、雷狐の懐に飛び込んでいた。

 一閃。

 僕はこの攻撃で決まると思った。

 栗谷もそう思ったに違いない。

 しかし雷狐は、後ろに飛んでその攻撃をかわしてみせた。

 まさに雷のような素早さだった。

「うげっ」

 思わず栗谷が本音を漏らす。

 雷狐は飛び退く際にスフレを手放していたらしい。

 うまい具合に僕のところに落ちて来たスフレを、僕は咄嗟にキャッチした。

「いやはや、驚いたよ」と僕たちから離れたところで雷狐が言った。「その狐はわしが妖術で操っていたはずなんだがな。よっぽど飼い主を助けたかったと見える」

 僕がスフレを見ると、スフレは「コンッ」と鳴いた。

 お前はそんなすごいことをやってのけたのか。

 おかげでひとまずは助かった。

 僕はスフレを撫で、抱えたまま立ち上がった。

「で、栗谷さん。ちょっと話が違うんじゃないですか?」僕は栗谷に訊ねた。

「にゃはは、そうみたいだねー」さすがの栗谷も苦笑して言う。「これはエナちゃん大誤算」

「どうするんです? 何か他に手は?」

「ない! ……はずだったんだけどたった今奥の手が使えるようになった」

 そう言いながら栗谷は、持っていたアストラルセーバーの刃をしまってから、僕が受け取れるように差し出した。

「一瞬だけヘイトを稼いでくれる?」

「マジ?」

「つべこべ言っている暇はないよ」

 栗谷の言う通り、雷狐が再び襲いかかって来た。

 その前に彼女はアストラルセーバーを上に放り投げ、僕の腕からスフレを奪い取る。

 両手が自由になった僕は宙にあるセーバーをキャッチし、すぐさま起動する。

 そのまま間髪入れず、僕は雷狐に向けて光の剣を振るった。

 それは完全にデタラメな一振りだったが、牽制にはなったらしい。

 雷狐は間合いを取って静止した。

「今度は逃げないのか、小僧?」と雷狐が言う。

「逃げても意味はないんでしょう?」

 僕はかっこつけて、それっぽい構えをした。

 いちおうヘイト稼ぎ、つまり囮になっているつもりである。

 でも内心は思いっきりビクビクしていた。

 たぶん見た目にもそれは表れていたと思う。

 さっきは栗谷が電撃で押さえつけていると思ったから立ち向かえたのだ。

 でも今は違う。

 雷狐は飛ぶのも跳ねるのも僕をひねり潰すのも自由なのだ。

 もしかして僕は今、かなり無謀なことをしているんじゃないか?

 栗谷は一瞬だけと言ったが、その一瞬がとてつもなく長く感じた。

 まだなのか栗谷さん。

 このままじゃあ僕、魂を喰われちゃいますよ?

「ククッ。随分と勇ましいじゃないか」と雷狐が嘲笑って言った。「だがそれは無謀と言うものだ!」

 雷狐が牙を剥き、僕に襲いかかって来た。

「うわ!」

 僕は体を守ろうと、咄嗟にアストラルセーバーを振り上げた。

 雷狐はセーバーの光の刃に噛み付き、僕を押し倒す。

 僕は必死にセーバーを握りしめて抵抗したが、そのセーバーも雷狐に力づくで奪われてしまった。

 口にくわえたセーバーをその辺りに吐き出し、雷狐は僕を見下ろす。

 本日三度目の禍々しい笑顔。

 あっ、終わった……。

 僕がそう思ったその時、栗谷の声がした。

「あまりかっこよくなかったけれど、ナイスヘイト稼ぎだよ、網代くん」

 同時に黄色い物体が飛んで来て、雷狐の横顔に直撃した。

 ボール?

 いや、違う。

 何かと思えばその黄色い物体は、額にお札を付けたスフレだった。

「はあ!?」

 どうやら栗谷はドッチボールでもするかのごとく、スフレを雷狐に向けてぶん投げたらしい。

 な、なんてことしやがる!

 そう思ったのも束の間、目の前の雷狐に異変が起きた。

 跳ね返って地面に落ちたスフレの体目がけて、雷狐が吸い込まれていくではないか!

「ぬおおおおおおおおお!?」

 その突然の異常事態には、雷狐も成す術がなかったらしい。

 あっという間に、そして完全に、雷狐はスフレの体に吸い込まれて消えてしまった。

 同時にスフレの額に付いていたお札が消え、お札に描かれていた模様がスフレの額に浮かび上がる。

 さらに一本だけだったスフレの尻尾が、まるで雷狐のように九本に変化した。

 その謎の現象が終わると、辺りは静かになった。

 スフレがきょとんとした表情で周囲を見て、それから自分の体を確認する。

 そして……。

「なんじゃこりゃあ!?」スフレが突然女の子の声で叫んだ。

 無表情のスフレなのに戸惑っているのが分かった。

 そういう僕も戸惑うしかなかった。

 そんな中、状況を把握している栗谷だけが高笑いをした。

「にゃはは。大成功!」

「こ、これは……。貴様、まさか!?」

「ふっふっふ。そう、君のことは封印させてもらったよ!」

「えっ!?」

 ここまでの流れで僕も何が起きたのかを察した。

 それでも確認せずにはいられない。

「まさか、スフレの体に雷狐を封印したんですか!?」

「ご名答だよ、網代くん。その子の体を依り代にして封印したんだー」

「ノウッ!」

 想像通りの展開だったが僕はショックを受けた。

 人のバーチャルペットに何してくれちゃっているの、この人!?

 しかし栗谷はしれっと言う。

「だってしょうがないじゃん。私たちだって切羽詰まっていたし、いい感じの依り代はこの子しかいなかったんだから。それに依り代になったからってこの子が消えたわけじゃないんだよ? まあ、雷狐が強すぎてちょっと乗っ取られ気味だけど」

「大丈夫なんですか、それ……」

「大丈夫ではないわ!」

 栗谷の代わりにスフレが叫んだ。

 スフレはいつの間にか神社の屋根に立ち、僕たちを見下ろしていた。

「スフレ、なぜそんなところに! 危ないから降りておいで!」

「ええい、わしはスフレではない!」

 スフレは僕の言葉を否定してから続けた。

「いいか、わしはこの地を治める電脳妖怪のヌシだったのだぞ。その力を封印したということが何を意味するのか、貴様ら分かっておるのか? わしによって抑えられていた電脳妖怪がこの町を跋扈することになるのだぞ!」

「えっ!?」

 本当なのか知りたくて栗谷を見ると、彼女は頷いた。

「うん。ヌシというのが本当なら、その通りだね」

「それってまずくない?」

「まずいであろう!」とスフレが屋根の上から再び叫んだ。「ならば今すぐわしの封印を解け。そうすればこれまで通りわしがこの地を治めてやろう!」

「それはできないかなー」

「なぜだ。この町や人間どもがどうなってもいいのか?」

「いやいや、駆け引きの問題じゃなくてね。君にした封印ってコーヒーにミルクを入れるようなものでさ、一度混ざってしまったものはもう分離できないんだよ。つまり封印を解くのは、技術的に無理!」

「なんだと!」「なんだって!」

 スフレと僕は同時に叫んだ。

 それを無視して栗谷が言う。

「だから君は大人しく、網代くんのバーチャルペットになるんだねー」

「このわしが人間のペットだと!? 冗談ではない!」

「そうですよ、栗谷さん! それにこの町に出没する電脳妖怪はどうするんですか!」

「それは問題ないよ、だって私がいるじゃない。むふっ。これでいろんな研究や実験ができるね。楽しくなってきたなあ」

 栗谷は悪魔の微笑みを浮かべた。

 その表情には僕だけでなく、スフレもゾッとしたようだった。

「き、貴様、どうなっても知らいからな! わしをこんな姿にしたこと、あとで後悔するがいい!」

 そう言うとスフレは神社の向こう側へと飛び降り、文字どおりあっという間に姿を消してしまった。

「行っちゃったよ……」

「まあ力は封じたしもう悪さはできないでしょ」と栗谷は言った。「それより今は網代くんの体を元に戻したほうがいいんじゃない?」

「ああ、そうでした」

 うっかり忘れていたが、それが僕の目的だった。

 どうやって元の体に戻るんだろうと思ったが、これに関しては意外とあっさり解決した。

 試しにと本物の体に触れてみたら吸い寄せられるようにして体が重なり、意識が戻ったのだ。

 倒れていた本物の体を動かして、僕は立ち上がる。

 しかし本当に戻ってこられたのか、自分の実感だけではよく分からなかった。

「これ、本当にリアルの肉体?」

「その辺の草でもむしってみたら?」

「……」

 何とも言えない提案だったが、僕はその通りにしてみた。

 すると、確かに僕は草をむしることができた。

「リアルの物体を持つことができる。と言うことは、この体はリアルだ!」

「よかったねー、おめでとー」

「ありがとうございます。おかげで助かりました!」

 と僕は栗谷に感謝の言葉を言った。

「けれど……、スフレはいったいどうしてくれるです!?」

「あー、あの子ねー。まあ捕まえることなら簡単なんだけどねー」

「そうなんですか?」

「だって、あれは網代くんのペットでしょう? 位置情報は丸分かりだし、なんなら強制転送だってできるじゃん」

「あっ、そっか」

「まあ、捕まえたところで元には戻せなから、しばらくは放置かな!」

 そう言って栗谷はお茶目に笑った。

 僕は複雑な気持ちでそれを見る。

 結果はどうあれ、助けてもらったことに変わりはないのだ。

 ここで彼女を執拗に責めるのはお門違いというものだろう。

 例えその笑顔が、腹立たしいものであったとしても。

「でも」と栗谷は比較的真面目な表情になって続けた。「電脳妖怪の歴史って通常の妖怪に比べたらものすごーく浅いから、それだけに対処法もまだまだ発展途中なんだよ。つまり、この先電脳妖怪の研究が進めばスフレちゃんから雷狐を取り除く方法も見つかるかもしれないよ?」

「なるほど。それならまだ希望はあるんですね」

「そういうこと。というわけで網代くん、私の助手になりなよ」

「は?」

「私が電脳妖怪の研究し、網代くんがそれを手伝う。そうすれば研究がより進んで、私もスフレちゃんも助かる。ほら、利害が一致しているしちょうどいいじゃない?」

「そりゃそうですが……」

 こんな妖怪騒ぎに付き合い続けるなんてごめんだ。

 そう思って僕は渋い顔をした。

 しかしスフレを助ける方法を僕が思い付けるはずがない。

 結局、消去法によって残された道を歩むしかないようだった。

 僕は観念してため息をつき、言う。

「分かりました。栗谷さんの研究とやらに協力します。助けてもらった恩もありますしね」

「にゃは。ありがとー、網代くん。これは楽しい高校生活になりそうだねー」

 栗谷はにやにやと笑って言った。

 手伝うと言ったことを後悔したくなる、何かを企んでいそうな笑顔だった。

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