04

「わっ!」

「うわあああああ!?」

 僕は身をよじって慌てて振り返った。

 そこにいたのは、見覚えのある人。

 さっき公園で出会ったばかりの、栗谷エナだった。

「また明日なんて言ったけど、また会ったねー」

 驚きのあまり固まっている僕を見て、栗谷は言った。

「どうしたの、そんなに驚いちゃって。もしかして妖怪にでも会った?」

「そ、そうなんだ!」僕は我に返り、立ち上がった。「出たんだよ! 栗谷さんの言っていた狐の電脳妖怪ってやつが!」

「ほんとに!?」

 栗谷は興奮した様子で僕に顔を近づけた。

 そのあまりの近さに僕は恥ずかしくなり、むしろ冷静になることができた。

 距離を保つために言葉遣いも思わず敬語になる。

「あ、ああ……。雷狐とか言ったかな? あいつ、バーチャルのくせに僕のことを吹き飛ばしたんです。バーチャルは実存物体を動かすことができないっていう、絶対的な法則を無視してね。こんなことが出来るなんて妖怪としか考えられません!」

「うーん、それは違うと思うなあ」

「違う? 妖怪じゃないとでも?」

「いやいや、そうじゃなくてね。電脳妖怪にとってもその法則は絶対なんだよ。じゃないと普通の妖怪と同じになっちゃうからね」

「そんな理由……? じゃああいつはどうやって僕を吹き飛ばしたんです?」

「バーチャルが吹き飛ばせるのはバーチャルに決まっているじゃない」

「はい、その通りですが……?」

「気づいてないの? 網代くん、自分の体をよく見てみなよ」

「え?」

 言われた通りにして僕はやっと気がついた。

 自分の体の輪郭が青白く光っていることに。

「な、なんだこれは!」

 その光はバーチャルであることの証明だった。

 それが僕の輪郭にあるということは……。

「つまり今の君は仮想世界にダイブするように、拡張世界にダイブしている状態ってわけだね。それなら吹き飛ばされたとしても不思議じゃないでしょ? だって君もバーチャルなんだから」

「ま、待てよ。と、とととととと言うことは……」

 例えば仮想世界にダイブした時、リアルの僕は眠っている状態になる。

 それと同じで僕の意識がこのバーチャルの体にあるということは、本物の僕は眠っている状態にあるはずだ。

 そこで僕は思い出す。

 もう一人の僕が神社に倒れている光景を。

 つまりあれは……。

「あれは僕の本物の体!?」

 なんてことだ。僕の体を置いて来てしまった。これじゃあ逃げたことにならない。ど、どうしよう!

 そうやって慌てる僕の肩に手を置いて、栗谷が言った。

「まあまあ落ち着きなよ。ここは有識者である私に何が起きたのか話してくれない?」

 さっきまで変な子だと思っていた彼女が、急に頼もしく見えた。


 それから僕はさっき起きた出来事を話した。

 スフレを追って神社に行ったこと。そこで雷狐と名乗る電脳妖怪になぎ払われ、吹き飛ばされたこと。恐らくそれと同時にバーチャルな体になったということ。そして神社に本物の体を置いてここまで逃げて来たということ。

「なるほどねー」

 僕の話を聞いて栗谷は言った。

「だとすると、そのアバターはイマジナリーボディというわけか」

「イマジナリーボディ?」

「あれ? 知らない?」

「えっと……、リアルの自分にぴったり重なるように存在しているバーチャルの体、ですよね?」

「なんだ、知ってんじゃん。それだよそれ」

 僕たちはリアルな体で直接バーチャルに触れているように思えるが、厳密にはそんなことできやしない。結局のところリアルはリアル同士でしか触れ合えないし、バーチャルはバーチャル同士でしか触れ合えないのだ。そこで僕たちに与えられているのがイマジナリーボディと呼ばれるバーチャルの体だ。これがあるからこそ僕たちはバーチャルと接触することができる。例えば僕がスフレを持ち上げるという時も、実際には僕の本物の体ではなくイマジナリーボディがスフレを持ち上げているのだ。ただ二つの体がぴったり重なっているうえにナーヴコネクターが脳に感覚を送るから、あたかも本物の体でバーチャルを持ち上げているように感じるのである。

 そのことを踏まえたうえで栗谷は話を続ける。

「つまりさ、雷狐は君の本物の体ではなく君のイマジナリーボディを吹き飛ばしたんだよ。そうすることで君の意識をイマジナリーボディに強制ダイブさせたんだ。まあこれも一種の妖術ってやつだね。それで君は自分の本物の体が吹き飛ばされたのだと勘違いしたんだよ」

「な、なるほど。いちおう筋は通っている、かな?」

「しかし電脳妖怪の手で強制ダイブさせられたとなると、どんな設定になっているのか分かったものじゃないね。感覚のセーフティーとか外されているかもしれないよ?」

「そう言えば、この体になってから受けた雷狐の攻撃はまるで本物の痛みのようでした。ってことは、この状態で喰われたらヤバそうだな……」

「えっ? 雷狐って網代くんを喰おうとしているの?」

「はい。魂を喰うとか言っていたから、そうなのかと……」

「それって……。もしかして網代くん、意識じゃなくて魂ごとダイブしているんじゃない?」

「え?」

「だって、そうじゃなくちゃ魂なんて喰えないじゃん。魂は普通肉体に宿っているんだから。つまり今の君は幽体離脱しているのとほぼ同じってことだね。名付けてソウルダイブだね!」

「そ、そんなこと可能なんですか?」

「妖怪なんだから何でもありだよ」

「それを言っちゃあおしまいな気がするんですが!?」

「でもこの仮説が正しいとしたら気をつけたほうがいいよ。バーチャルな体だからってゲーム感覚でダメージを受けていたら、魂が傷ついて本当に死ぬかもしれないからね」

「何そのデスゲーム!」

「それにしても雷狐ってヤツはかなりヤバそうだねー。こんな妖術を使って人の魂を喰おうとするなんて前代未聞だよ」

「僕はそんなのに目をつけられてしまったのか……。って言うか僕の体は大丈夫かな。雷狐に何かされているんじゃ……。」

「それは大丈夫だと思うよ。リアルの物体を直接動かすことはできないし、しかも今はイマジナリーボディがないんだから触れることすらできないはずだし」

「ああ、そっか。それなら……」

「でも魂が抜けているわけだから、放置していたらどうなるか分かったものじゃないよね?」

「ですよねー!」

 魂が抜けた状態で体ってどれくらい持つものなんだろう。

 もしかしてそのうち腐り始めたりしちゃうわけか?

 と言うか、そもそも僕は元の体に戻れるんだろうな。

 そんな風に不安に思っているうちに、栗谷が言った。

「でも網代くんはラッキーだよ。電脳妖怪の専門家がまさにここにいるんだからね」

「もしかして何か手があるんですか?」

「もちろん。網代くんの体、私が取り戻してあげるよ」

「おお、それは頼もしい! 是非お願いします!」

「成功報酬は100万円ね」

「高っ!」

「君の命に比べたら安いものじゃない?」

「そう言われればそうだけど、高校生に払える額じゃないんですが……」

「そうなの? 最近の学生って貧乏なんだね」

「栗谷さんも最近の学生ですよね? 金銭感覚どうなっているんですか?」

「しょうがないなあ。そこまで言うのならタダでいいよ」

「突然の価格破壊!」

「その代わり網代くんも手伝って?」

「手伝うって何を?」

「妖怪退治」

「マジですか?」

「条件を飲んでくれないのなら帰っちゃうよ?」

「ごめんなさい、自分の立場ってものを分かっていませんでした、お手伝いさせていただきますのでどうか僕の体を取り戻してください、お願いします!」

「うむ。苦しゅうない」

 栗谷は満足そうな表情を浮かべた。

 なんて強引な……。と思ったが、よく考えればこれは僕の問題なのだ。それを栗谷が助けてくれるというのに、お金も払わなければ何もしないっていうのは虫がよすぎるだろう。

 僕は覚悟を決めて栗谷に訊ねた。

「で、僕は何をすればいいんですか?」

「ふっふっふ。実はエナちゃん、こういう時のために特殊なバーチャルアイテムを開発してあるのだよ。その名も、お祓いツール!」

「なんかまたあやしげなワードが……」

「でも普通の妖怪退治だって刀やお札みたいな道具を使っているでしょう? それの電脳バージョンと考えればいいだけの話だよ」

「なるほど。バーチャルの妖怪にはバーチャルの道具ってわけですか」

「そう言うこと。というわけで、さっそくこのお祓いツールを網代くん授けよう」

 栗谷はスマートバンドを操作して円柱形の機械らしきバーチャルアイテムをアポートした。

 それを高々と掲げながら彼女は言う。

「アストラルセーバー!」

 その言い方は、ネコ型ロボットが秘密道具を出した時の言い方だった。

「説明しよう! これは某SF映画のライトセーバーを模して作られた光の剣だ。この刃を使えば電脳妖怪をジュワッと切り裂くことができるぞ!」

 栗谷はライトセーバーもといアストラルセーバーを僕に手渡した。

 今は僕自身もバーチャルな存在だから、バーチャルであるアストラルセーバーの重みをリアルに感じることができる。

 僕は試しにボタンを押して、光の刃を出してみた。

 確かにSF映画に登場する光の剣にそっくりだった。

 しかしこういう類いのバーチャルおもちゃは、今の世の中普通に出回っている。

 僕は懐疑的になって栗谷に訊ねた。

「こんなので本当に妖怪を切れるんですか?」

「もちろんだよー。ああそうそう。切れるのは電脳妖怪だけじゃなくてバーチャルオブジェクト全般だから、扱いには気をつけてね。下手すると君のイマジナリーボディもまっぷたつになっちゃうよ」

「怖っ!」

 僕は急いでアストラルセーバーの刃をしまった。

「こんな危ないもの僕に持たせてどうする気ですか!」

「もちろんこれで雷狐を切るんだよ。それ以外に何があるの?」

「あの妖怪に白兵戦を挑めと? 自慢じゃないけど僕は運動ができないんですよ!?」

「にゃはは。大丈夫だよー、私もこれで援護するから」

 そう言うと栗谷はもう一つのバーチャルアイテムをアポートした。

「アストラルパックー!」

 やはりネコ型ロボットの言い方だった。

「説明しよう! これは某SFコメディ映画のプロトンパックを模して作られたレーザー銃だ。こいつから発射される光線は電脳妖怪を焼いたり巻き付けて動きを止めたりすることができるぞ!」

 そう言いながら栗谷はバーチャル銃を構えてみせた。銃とは言うが明らかに普通のものとは形が違い、やけにメカっぽいし引き金もない。しかも銃本体からは管が伸びていて彼女が背負っているこれまたバーチャルの機械とつながっていた。どうやら背中のパックとセットのバーチャル銃らしい。

 なんちゃらパックとやらに見覚えがない僕は栗谷に訊ねた。

「某SFコメディ映画?」

「そうだよー。よく出来ているでしょう?」

「えっと、元ネタが分からないのですが」

「えっ……」栗谷はショックを受けた表情になった。「本当に分からない?」

「う、うん……」

「そっか……、そうだよね……。ライトセーバーのほうに比べたら、こっちはもう50年近く新作が公開されていないもんね……」

「なんかごめん……」

 予想外にしょぼくれる栗谷を見て、僕は思わず謝った。

 こんなことで士気を下げられたらたまったものではない。

 とりあえず話を逸らそう。

「そ、それよりも、このセーバーとそのレーザーがあれば雷狐を倒せるんですね?」

「そうそう!」栗谷はいきなり調子を戻して言った。「作戦はこうだよ。私がこのレーザーの光線で電脳妖怪の動きを封じる。そこを網代くんがセーバーで切りつけて倒す。ね、簡単でしょう?」

「まあ、話を聞く限りは……」

「大丈夫だって、最悪死ぬだけだから!」

「全然大丈夫じゃないじゃん! 本当に最悪じゃん!」

「にゃはは。何事も挑戦あるのみだよ。さて、これで準備は整った。いよいよ雷狐との戦闘開始だよ!」

「やっぱり不安になってきた……」

 そして僕たちは、雷狐を退治するために峰尾神社に向かった。

 僕の体を取り戻すための戦いが、今始まる!

 ……なんて言って場面が神社まで飛んで戦闘が始まったらかっこいいのだが、この現実はそう都合よくはいかないらしい。

 僕たちの行く手には、あの長い階段の洗礼が待っていたのである。

「あ、網代くん。神社にはまだ着かないの……?」

 さっきまでの軽快さがウソのように、栗谷が死にそうな顔で言った。

 どうやら栗谷はあまり体力がないらしく、僕よりもだいぶ辛そうだった。

「もう少しですよ栗谷さん。ほら、あの鳥居をくぐればゴールだから……」

 そういう僕も肩で息をしながら言う。

「その前に天国にゴールしそう……」

「それはのぼる先を間違えていますね……」

「っていうか網代くん、さっきから疑問に思っていたんだけどさ」

「うん?」

「リアルの君は神社で静かに眠っているんでしょ? それなのになんで息を切らしているわけ? 君が吸っているのは酸素か?」

「あ……」

 よく考えたらそうだった。

 この体はバーチャルなのだから肉体的疲労はない。

 それなのにどうして僕は、息を切らしたり足に疲労を感じたりしているんだ?

「どうもないはずの生身の体に捕われているみたいだね。これも一種のファントムペインってやつなのかな」

 僕の疑問に答えるかのように栗谷が言った。

「今の君ならこんな階段、一気に駆け上がることだってできるはずだよ。普段どれだけ運動ができるかなんて関係ない。要は気持ちの問題というわけだ」

「気持ちの問題ねえ……」

「そうだよ。ここでモーフィアスのありがたいお言葉を君にもあげよう」

 栗谷は意味ありげな間を作ってから言った。

「心を解き放て」

「はあ……」

 ドヤ顔の彼女に対して、僕は困惑の表情を返しただけだった。

 誰だよ、モーフィアスって……。

 そんな話をしているうちに、僕たちは神社にたどり着く。

 その頃には日が暮れ、辺りは茜色に染まっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る