GERO-GERO

「ギギギギギ。ゲェーッ!ゲボッ、ゲロゲロロロ」


 赤黒い吐物を撒き散らし、それをバタバタと痙攣する手足で白い床に広げていく。


 痙攣が収まり始め、その場いた医師が心拍を確認している。


 結っていた髪はボサボサに解け、赤黒い吐物の海の中で放射状に広がっている。まるで油に落ちたゴキブリのように、吐物の中でうごめくその姿は、そこに居る全員の喉の奥に何かを込み上げさせた。


「うっ…」


 律子はなんとか気持ちを切り替え、他の看護師達と共に、何事かと廊下に顔を出す患者たちに病室へ戻るよう指示する。その間に看護師長は担架に乗せられ、凄いスピードで集中治療室へと吸い込まれていった。

 周りから現場が見えないよう遮蔽カーテンが張られると、吐物の処理のためにマスクやガウンなどで防護した看護師が2人、バケツを持ってその中へと入っていく。


大楢おおならさん、あとは私たちで大丈夫だから」と、先輩の看護師が、呆然と立ちすくむ律子の肩に手を置き、やさしく声を掛ける。


「ありがとうございます…。師長、大丈夫ですかね…?」


「分からないけど、あんな症状見たことない…。大丈夫だと思いたいわね…」


「はい…」


「じゃあ、まだまだやることあるし行くわね。師長から聞いてたけど、体調悪いのに無理してたんだって?師長の事は後で追って連絡するから、今日は帰りなさい」


「でも…」


 肩で深く一息つき、先輩看護師が続ける。


「いい?こんな状況で今のあなたに居られても正直、邪魔になるの。先生の許可もいただいてるし、今日は帰って家でゆっくりなさい」


「わかりました…よろしくお願いします」


 律子は深くお辞儀をし、後ろ髪を引かれる思いで病院を後にする。




 平日昼過ぎの街は人気も少なく閑散とし、冷たいビル風の音だけがやけに耳につく。ビルの隙間からたまに顔を出す太陽に、ほんの僅かだが心の安寧を得るが、それを冷たい風が再び奪い去る。


 そんなことを幾度か繰り返し、茫然自失といった様子でうつむきながら歩き続けていた律子は、急に風の音が止んだのを感じ顔を上げる。するとそこには見覚えのある雑居ビルがあった。


「うそ…雑貨屋のビル…?」


 病院の最寄駅からは電車で4駅あり、徒歩で1時間半ほどかかる距離であったが、律子の体感では病院を出てから15分程度しか歩いてはいなかった。


「…んなわけ無いじゃん。また夢?」


 ベタな漫画のように、頬をつねってみるが、そこには確かな、鈍い痛みがあった。


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