第8話 捕食街道
狐の尻尾を掴むと災いが降りかかるという迷信は実は逆で、尾に触れる事で近々の不幸を察知できる。他者が触れる事で判るという事は、当の本人には常に浮かび上がるということだ。
「鬼公、おかしいぞ」
「勝手に入ってくんな、わかってるよてめぇがイカれてる事くれぇ。」
「違う、外が異常だ。気候が凄まじい変動を起こし、多くの街人が消滅している。」
「また蟲の女が⁉︎」
「いや、お菊では無い。」
「お菊じゃない?
だったら何だ、穴蔵が開いたか?」
「そのとうーり。」「...うわっ!」
基本的に妖には礼儀という概念が無い。家の扉を開けておけば、平然と中へ入ってくる。それが燃える輪に捕われた男の顔だとしても。
「輪入道か..」
「お前が入り口閉めねぇからだぞ?」
「そんな事言ってる場合ですか!」
「お前のイエ、いらないよな?」
顔を真っ赤に染め上げ、車輪を大きく炎上させる。その後するのはただ一つただひたすらに、動き回る。
「輪輪輪輪輪!輪輪輪輪輪輪!」
「小屋を焼き潰す気だ。」
「見りゃあわかる、外に出んぞ」
火の跡を残し走る輪入道を上手く躱し外へ飛び出すと街の辺りは冷気で満たされ白くなっていた。
「お次は何だ、おい」「...見ろ。」
前方に顔を向けると、肌の色と合わせたように白の際立つ着物を着た女が冷たい視線を向けていた。
「何であんなもんがいるんだよ」
「知り合いですか?」
「奴は雪女、天候を支配するような高尚な妖が街に残っている筈は無いのだが...洞穴の影響か。」
「此処は暑過ぎる、少しは冷めろ!」
風のような冷気が吹き込み、床や人、直線一面を氷が包む。
「童子よ」
「わかってるよ、退がってろ女」
流れ来る冷気の風を神通力で飛ばし回避する。持ち腐れも妖相手なら武器となると理解した。
「なんだい、寒がりの坊や達。
そんなに蒸した夜が好きなのかい⁉︎」
髪を大きく靡かせ雪を散りばめる。やがてそれは豪雪となり空を覆い街の色を白く変えていく。
「触れりゃ最後ってか?
馬鹿馬鹿しい事してくれるじゃねぇか
これじゃ花見もできやしねぇ。」
腰に下げた瓢箪の蓋を外し口に酒を含む。鬼が含んだ酒は飲み干して消化しない限り、万物に危害を加える厄介な異物となる。
「燃えろ..」
「酒を火にとは何が無い。」
息吹に乗った酒は炎となりて、吹き荒ぶ雪を溶かし散らしていく。しかし雪女は執念深く、呑んだついでの炎程度は凍らせ卑しく震えさせられる。
「今までも何人かいたよ、火で炙れば溶けると信じて疑わない奴がね。
だけど無駄なのさ、炎も風邪を引く」
童子の体は火を媒介し共に冷気に侵される。赤身の消えた鬼の氷像が、街の中心に出来上がる。
「童子さん..童子さん!?」
「やられたか、雪女!
氷を溶かす方法を教えろ。」
「馬鹿を云うなよ化狐、生身で氷に歯向かえば皆そうなる。手の内を明かす前に暴れるのが悪いんだ」
「..舐めるなよ?」「なんだよ!」
災いの尻尾が展開すると思われたその時、雪女の右肩を黒い銃弾が霞める。
「痛いねっ!
なんなんだこれは!」
「人の子..お主、そんなものを。」
「今すぐに治療法を教えて下さい...人の命がかかっているんです。」
威嚇射撃を直接当てる事は滅多に無かったが、この街のならず者がある程度で話を聞く連中では無いという事を充分に知っている。
「もう一度、撃ちますよ?」
「..温めればいいさ、火が駄目ならそれで何とかなるんじゃないかね。」
「適当な事を言わないで下さい」
「あははははっ!
ホントの事云うと思うかい?」
もう一度銃を構えたが、女の体は撃たれた右肩からひび割れ氷の破片と化していく。元よりここにはいなかった。
「影武者か..童子をどうする?」
「..わかりませんが、手探りでやるしかありません。手を貸してください」
雪女の形跡が無くなると、街の雪は散っていく。裸になった街の中氷漬けの童子の像を押して運ぶのは、死しても尚凍え死ぬ思いだった。
「お湯を..かけてみましょう」
「雪女を信用するのか?
揶揄いの言葉に耳を傾けるな。」
「他に、方法が無いんです」
「……。」
小屋には風呂場といえる場所が無い、当然湯も沸いてはいない。
吼舵は人間が嫌いだ、愚かで醜い。覇気の無い街の魂達を見れば、生前にどう生きていたかは自ずと想像が付く。
「力を貸せといったな?
退け、助力を施してやる。」
「え?」「湯があればいいのだな」
しかし偶には例外もある。鬼の命を救おうと試みる人など初めて目にかかる変わり者だ。吼舵は漠然と、手助けをしたいと気紛れに思ってしまっていた
【移動するぞ、人の子】
「体が大きく...二段階目の変容?」
瀬戸物のような小さな体躯が毛を蓄えた獣と化した。尻尾は複数本に増え口には真白な牙を生やしている。
「何処に行くんですか!?」
【いいから捕まれ。..冷たいな童子】
鬼の氷像と由魅子を尾で絡めとり、空間に生み出した渦に入る。暫く暗い道を走り、新たな空間へと辿り着く。
【存分に温めろ】
「え、ここ..銭湯ですか⁉︎」
渦から真下へ落ちた先には湯が満たされて温もりを感じた。都合良く客はいなかったが、仮にも刑事が無銭入浴とは生前ではあり得ない事である。
「久々であったが成功したようだな」
「あれ、吼舵さん。元に戻ってる」
「我は特別だ。
通常二段階目は決して元には戻らないが、神通力が邪魔をする」
強い力は強い姿を拒絶する。吼舵の二段階目は神通力とは相性が悪く、体の負担も大きい為に短時間で元に戻る。
「故に空間転移が丁度良い」
「先程の現象の事ですか..」
「それにしても冷えるな、雪女の名残か。我はここで温まりながら童子に湯をかける、お主は外に行って他の方法が無いか探ってきてくれ。」
「はい!
..ですが私には妖と相入れる力が有りません。情け無いですが」
銃弾では手傷を負わせても撃退は出来ない。人の度量では賄えない大きな隔たりが存在する。
「これを持っていけ」
「...何ですかこれ?」
「これは〝開運クダちゃんお守り〟だ瓢箪の代わりに腰に下げておけば直ぐに現れ力を貸そう。危険予知くらいはお手の物だぞ」
ふざけた御守りだが確実なご利益があるという事で素直に腰へ。湯屋を出て手掛かりを探しに向かうが、由魅子には目星が無いようで実は目を付けている箇所が常にあった。
「何処にいるでしょうか、見つかるといいのですが。」
神出鬼没に前触れ無く現れるものを自発的に探すのは想像を絶する手間だ。時間は無限にあるが情報が皆無、結局は手探りに変わりの無い所業である。
「吼舵さんの力借りるのはまだ早いですもんねぇ..。」
『人の子、人の子!』
助力を煽る前に、慌てふためく声が向こうからせかしにきた。その声はまるで力不足だと嘆き助けを求めているようだった。
「吼舵さん?
どうされました、まだ手掛かりは..」
『それは後だ。
急遽の事態だ、何故気付かなかった』
「一体何ですかそんなに慌てて、銭湯に戻った方がいい...え⁉︎」
恐ろしいものだろう、物を介して会話している相手が此方に駆けて向かってくる光景は。
「吼舵さん、何故街を走って」
『やはり来たか、我では無い。銭湯の湯に紛れ、擬態する妖が紛れていた』
「変装ですか!」『擬態だ』
駆け寄ってくる姿はどう見ても二段階目の吼舵だった。これも擬態が故に可能な技なのか、しかしそれはまるで獣で神通力や空間転移とはかけ離れた野生的な振る舞いが目立つ。擬態といえど生かしきれない要素もあるらしい。
「動かないでください..!」
上面で構え、思い切り撃つ。
一瞬穴が開き弾けるも流動的に空を流れ目についた屋根の上へ乗り移る。
「実体が無いんですね..どうすれば、それこそ氷のように凝固させないと」
形ある物は崩れる。実体が薄ければ、明確に表して有るものとすればいい。
「吼舵さん、聞こえますか⁉︎」
『届いているぞ、どうした』
「以前遭った妖さんの捜索を願いたい
見つけたら童子さんの小屋の前まで誘導してください!」
『...成る程、理解した。』
神通力により未来を把握した、由魅子の思惑通りに湯屋を出て行動に出る。
「…思った通りだ、私を追って動いてる。これならいける」
由魅子の跡を着いて、追いかけるように移動する。これを逆手に取れば、進む方向を強制し、支配できる。
「そのまま進めばいいんです、着いてきてくれればいいんですよ?」
小屋の方向にと徐々に誘導し、上手く〝思いついた〟事の実行に移す。
「人の子、こっちだ」
「ナイスタイミングです、吼舵さん」
妖惑う隙間を縫って、小屋から一つ酒瓶を拝借。
「童子さん、許して下さい。」
「進め輪入道よ、神通力のままに」
「輪輪輪輪輪輪!」
輪入道の軌道は直進擬態に猛突進、酒瓶は丁度両者の間スレスレの位置。
「...そこっ!」
瓶が弾丸によってはじけ中の酒を散布する。擬態の水はそれと混じり、受け身を取る前に、火の輪が追で拍車を掛ける。
「知っていましたか?
お酒は燃えるんです、お気をつけて」
水と油は火を焚きつけた。
乗員を失った煤けた車輪が力無く地面を転げて末路を語る。
「ダブルパンチです..成功しました」
「ダブ...なんだ?」
「両成敗って事ですよ、解決です。」
「この場..はな」
最大の癌は直ぐに忘れた、何となく失敗は無いと思っていたから。そもそも元々の目的の直前に事態が起きたのだ流れとして後回しにしてしまう。
「私は戻る」
「...あ、はいどうぞ。」
御守りを差し出しするすると体を回収する。再び湯番に勤しむ。
『何処に向かう予定だったのだ?』
ずっと目をつけていた場所、不明で不確定、しかし確実に存在する。
「貴方達の知っている場所。
お菊さんのいるところですよ」
➖➖➖➖
「……。」
ひたひたと忍び寄る..目を盗んでは毒を盛り、虫の戯れに傾け捧げる。
「おやぁ?
随分と派手にやられたねぇ、雪女か」
未だ溶けない氷像の表面を咥え煙草の先端で突き笑みを反射させる。
「何となくはわかってやしたよ、否応無しに突っ込んで痛い目を見るだろうって、思ったままでありんした。」
背中の脚は数を減らし、先の尖る一本の棘に毒が満たされる。
「このまま叩きでもして、氷を砕けば命は消える。万々歳だけど..悪いね。殺すなら、己の手でやりたいよ」
氷の表面に棘の先端を刺す。そこから毒を注入し、反射する程透き通っていた氷を紫に変色させる。
「それ割ーれた。」
毒により風化した氷が溶かれ消えていく。青冷めた肌は湯を直に受け、徐々に元の赤色を戻していく。
「悪いけど、あんたはまだやる事がある。くたばって貰っちゃ困るのさ。」
「勝手に生き死にを決めんな..。
俺は好きなようにやらせて貰う!」
割れかけた氷の隙間から、着物の胸ぐらを掴む太腕が一本。
姿を完全に確認する頃には、全体が宙ぶらりんになっていた。
「おやおや、野蛮だねぇ..まだ何も云ってないっていうにのさ」
「口に出す程重要な事なのか?
だったら初めに喋っておけ、蟲女。」
狐が腐れ縁なら蟲とはそれすら綻ぶ目も当てられぬ仲、改めて話す事など何も無い。せいぜい殴って馬鹿にする程度の間柄だ。
「表に出ろ、決着付けてやる。」
「喧嘩っ早いねぇ..ま、嫌いじゃないけど、どうなっても知らないよ?」
雪解け氷を溶かして直ぐに、毒の中和を試みる。休まず動く体は常に、干上がり戦を欲っしている。
鬼の性か妖の情念か、どちらにせよ絶望を噛み締め、破壊するには違い無い。我は暴我の鬼身なり。
「がぶがぶがふ...こい」
「まぁた酒かい、好きだねぇ。
潰れる前に死ぬけどね、あんたはさ」
土に落とした瓢箪が開戦の合図
鬼の武器は屈強な体と腕力、偶に金棒を使用するがそれは単なる力の増加。
「結局は裸一貫ってことだな!」
「馬鹿だねぇ、それで毒を被ったんじゃないか。学びがないよ」
蠍の棘が鋭く伸びる、先端を避け尾をおさえれば毒は避けられる。
「こんなもんかよ、簡単だなオイ」
「..背中に蠍、なら右手はなんだろね
簡単に済めばいいけど。」
無数の触手が延び、童子を捕らえる。
物理的な力が通用しない程強く締め上げ自由を奪う触手の内側からは、毒とは違う奇怪な液が溢れて来ていた。
「んだ、こりゃあ..!」
「溶解液だよ。
ただし溶かすのは体じゃない、神経だ今は腕の筋繊維を麻痺させている」
「くそが..!」
「解っているよ?
あんたがある程度調合した酒をかっ喰らって肉体増強することくらいね。丁度効力の切れる辺りを探ってたのさ」
「卑怯モンが」
「冗談、用意周到でありんす。」
姑息な上にキレ者、昔からそうだ
だからこそ〝人である事〟を辞めた。
「なんで魂を売り渡した..?」
「云う義理はないね。」
感情は魂とは別物だが、元々強い意識を持たず掴み所の無い者は区別する意味がまるでない。本能のまま、捧げる物を捧げ対価を得る。命や理念や魂など、その為の条件に過ぎないのだ。
「長きに渡る因縁とやらも終わり
..ま、あたしはそんなものすっかり頭に無かったけどねぇ!」
「忘れたとは云わせねぇぞ。」
「...なんだい、一体?」
触手の中心が発火し燃え上がる。
童子の体が炎上し縄抜けのようにするりと空洞を作った。
「嫌な事が有った日にゃあお前はどうする、俺は専ら〝焼け酒〟だ。」
「やれやれ..姑息はどっちだい?」
「卑怯な事があるか、俺はただ好きな酒を呑んでただけだぜ」
燃え跡を残して瞬間移動、背後に回る
胸ぐらを掴み、存在を実感する。
「捕らえた..!
俺は女でも、容赦なく殴るぜ?」
「野蛮だねぇ..胸が痛いよ
馴染みの奴がこうも乱暴ではね。」
「知ってるんだよ、お前が酒を嫌う事
呑めねぇんだよな辛すぎて!」
「..なにするつもりだい?」
指の残り火が着物に映る、脚も触手も棘すらも包み赤く染め上げる。
「かっ...やってくれるじゃないか。だけどね、切り離してしまえば意味は無いんだよ。」
燃える部位を体から離し人型に成る、宿る蟲は一斉に街へと放たれ残るのは着物を着た女の火柱。
「止められないよ、あたしはね...!」
「...ちっ。」
餌場と化した街で蟲達が次々と人を喰らっていく。腹を満たす為でなく、目的の糧とする為に。
「これって、お菊さんですよね?」
『ああ..銭湯の方角からだな』
目的を探り遠方を彷徨っていた由魅子の元へも蟲の脚は届き、見つかる前に何かがあったという事を報せる。
「何者なんですか、あの方は」
『元々はお主と同じ人間だ、今は多くの蟲を宿している。簡単な道理で、妖に魂を捧げたのだ』
落ちたのは由魅子と同じ、人に殺められ、街へ。墜ちたのは些細な諍い、しかし総てを捨てる程の決意。
「その理由というのは..?」
『絶望だ、世界へのな。
死も生も変わらない、空虚で残酷、ならばいっそ人をやめてしまおうと自ら妖に喰われたのだ』
「妖に喰われた...。」
九十九の蟲斎と呼ばれる神に近い妖がいた。人里離れた山の洞穴に棲み、毒を撒き散らしては吠え猛る。蟲というより獣に近い化け物だ。
『あるとき姿が無いと思ったら山に登っていたのだな、還ってきた奴は人が変わっていた。一眼見て判ったのだ、〝奴は人では無くなった〟とな』
百鬼夜行の為なのか、世界を壊す事が出来たなら何でも良かったのか、どちらにせよ彼女は今、身を挺して崩壊へ繋がる道を創っている。
「..とにかく銭湯へ戻りましょう。
童子さんが心配です」
『死ぬ事は無いだろうがな。』
ここでの死は単純に、物質の消滅を意味する。感情や思いは残らない。あの世という世界軸から、存在が完全に消えて無くなるだけだ。
「穴が開く前に止めないと」
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