第6話 夢

「…みこ、イツキ媛の巫女」

 イツキは目をぱちりとあけた。夢だったのか。彼女は大きくのびとあくびをした。

「また夢ですか」

 年の頃は同じくらい、つまり髪上げからそうたってもいない少女が敬語で端座していた。

 隣家の娘で幼なじみ、そしてイツキの役割を知る限られた人物の一人である。

「ええ、遠い遠い場所にいく夢、そこでさえ、もっと広い世界の入り口にすぎない場所。わたし、星令にあってきたのよ」

 隣家の少女は苦笑いを浮かべた。

「それ、夢じゃないから。あなた、本当にいってきたのよ」

「ああ、そうだったかも。でも、本当に見たものなのか、夢に見たものなのかわからないくらいとんでもないもの見てきたからやっぱり夢って考えることにするわ」

「ご飯の支度ができてますよ」

 少女は傍らのバスケットをあけた。麦粥と干し肉のあぶったもの少々、それに摘菜のあえものがはいっていた。イツキのおなかがなリ、少女は微笑む。

「ね、星令ってどんな人だった? あなた、直にあったのよね」

「まぁ、ちょっと風変わりだったけど男前だったわ。嫁にいけといわれたらいやじゃない程度にね」

 もぐもぐ食べながらイツキは答えた。おいしいが、なんと祖末な食べ物だろうと思っていることはおくびにも出すまいと思いながら。

「あら、そのままものにしちゃえばよかったのに」

「だめよ。おつとめだったんだから。それに補佐官のアレクサンドラさんがすっごい美人でなけなしの自信もずたずたよ」

「へぇ、どんな人なの? 」

「聞いてよ。これがもうずるいとしかいいようがなくってさ」

 彼女たちは、イツキの食事がおわるまで和気藹々とすごした。

「ごちそうさま」

「あのさ、こうやってご飯もってくるの、これで最後だから」

「そっか、あさってが婚礼」

「あすからはいろいろ支度があってもうこれないの」

「おめでとう」

 イツキは少女の手をとった。

「本当におめでとう。今夜のおつとめでもしあえたら、あんたのおばあちゃんにも伝えておく」

「ありがとう」

 少女ふたりはぎゅっと抱き合った。小さいころのように何のわだかまりもない関係に戻っていることに、二人それぞれ少し驚きながらも喜ばしく思っていた。


 夢でも見ていたような気分であったのは本当だ。第二の伝言の件があるからもうしばらく、あの不思議なところにいると思っていた彼女は、いきなり星令より帰るように言われた。

「しかし、伝言がまだ」

「いや、もう受け取りました」

「でも、何ももうしあげてませんよ」

「言葉ではないのです。それがなんだったか、あなたに伝言を託した人も知らなかったかも知れません」

「いったい、それはなんなんです」

「いずれ、時がきたらお話します。あと少し確認を行ったら、まずは委員会にはかることになるでしょう」

 渋々従うほかなかった。帰りは酔っぱらうこともなく「リフト」の窓からだんだんに近づく地表を眺めることができたし、政庁の島から旧都までは直行の離着陸機を利用できた。九十九はどこかに出かけているらしく、会う事はできなかった。旧都までのフライトはアレクサンドラ、旧都から村までは村長がエスコートしてくれた。その間に、報告もすませ、あの若者たちの言葉も伝えることができた。

「つまり、連中が帰らないとしても、遺体は適切に葬儀に付されるということだな」

 村長は安心したように見えた。

「ならば、大婆様も納得されよう」

 そんなものだったのか。イツキは世の中がちょっとしたすれ違いでこじれるのを見たと思った。時にはそれは取り返しのつかないほどにこじれることもあるのだろう。そうと思える事例をいくつか、今までの調べものでみたように思う。

 村に戻ると、何もかもが違って見えていることにまず驚かされた。これがあの村だろうか。何もかもが祖末に見える。だが、少したつと、今まではなんとも思わなかった小物や細工の一部にひどく心をひかれるようになってきた。それらを作った人はもういなくなっていたりしたが、その子供や孫が見よう見まねをしているのを見ると、少し歯がゆくも思えるのである。

 自分がすっかり変わってしまったことに彼女は戸惑っていた。それとともに、村の生活で小さなとげのように気になっていたことがまるで気にならなくもなっていた。

「疲れているようだな。一日休め。婆様がたには説明しとく」

 村長のありがたい思し召しで彼女は家でゆっくりやすんだ。その日の諸々は養父がやってくれた。彼は彼女が寝付くと、最近はだいたいそちらで過ごしている彼の鉄道官舎へと戻って行った。

 その夜、イツキは夢は見たようだが、覚えてはいなかった。


 隣家の娘を送り出すと彼女はこっそりゴーグルをかけて地下鉄道についての知識を拾い集めた。

 今夜のおつとめは、委員長に依頼された件だ。地下鉄道の話。しかし祖先たちがそれをちゃんと理解するように思えない。ただ許可を求めるのでは駄目といわれるに決まっている。

 許可が欲しいわけではないが、知りうることはきちんと伝えて判断をあおぐべきだ。

 ゴーグルはちゃんとグレートライブラリに接続できた。これをもらったときに聞いた通りだ、あのときはこんな変なもの、早々に返そうと思っていたが、今は手放せなくなっている。村の他の者に見つかっては面倒な気がしたので隠しておくことにしたが、養父には説明するべきかどうかは迷っていた。

「あんた、なんだか変わったね」

 その夜、いつものように準備しながら、元巫女に彼女はそう言われた。 

「いろいろ見てきちゃったから」

「そうかい。村を出て行った連中にはあったかね? 」

「ええ、島に農園をもっていたわ」

「元気にやってるかね」

「機嫌良くすごしているわ。村に戻る気はまるでないみたい」

「まぁ、そうだろうね」

 元巫女は苦笑一つ見せてから顔つきをあらためた。

「媛巫女殿、お支度がととのいましてございます」

「あいわかった」

 暖かい樹液に沈みながら、イツキはいったい自分はどこにいるのだろうと不思議に思った。


 いつもの通り、彼女の家、娘時代の母の部屋だ。母は既にそこにいて彼女を見つめていた。

「いらっしゃい。今日は何の御用」

「こんにちは。母さん。今日は工事の是非について、賢者のみなさまに相談にのっていただきたいことがあるの」

「わかったわ。ところでその格好はなに? 」

 言われて彼女は自分がいつもの巫女衣装ではなく、ステーションで着ていた動きやすくひっかかるところの少ないズボンとシャツをきて、丈夫そうなジャケットをはおっていることに気づいた。

「こういう服をきるところから帰ってきたばかりだからかな」

「そう」

 母は悲しそうな顔をした。憂いを帯びて、同性でも娘でもぐっとくる美しさだった。だが、この人がはかないだけの人ではないことを彼女はよく知っていた。

「じゃあ、ちょっと聞いてくるからまっててね」

 母がここでどんなコネクションを作っているのかわからないが、こういうときは時代、距離関係なく適切な人を呼んできてくれるのが常だった。イツキは待つ事にした。

「ところで」

 ドアに手をかけたところで母はふりむいた。

「もし、巫女の身分があなたを束縛するなら、やめちゃっていいんだよ」

 身勝手な言い草に聞こえた。イツキは察していた。母が自分を道連れにした意図を。

 リスクの大きさを思えば、複雑な気持ちしか残らない。自分が母ならどうすると自問した。おそらく同じことをするだろう。

 母がつれてきたのはラダ三世だった。子孫の七世と似ているのは眉の形くらい。あちらが頭脳派のイメージなら、こちらは肉体派という感じだ。

「久しいな。伝言は届けてくれたか」

「一つ目は確かに。二つ目は受け取ったとだけ聞かされていません」

「二つ目はわしもよくわからんやつでな。なんでそなたに託すことになったのかよくわからん。あちらが受け取ったというなら気にするな」

「はい」

「それで、何について聞きたいのか」

 イツキは地下鉄工事について説明した。どこを通るのか、どんな工法を使って地上への影響は殿程度なのか。そういったものを石盤に図にかきながら。

 ラダ三世はところどころ鋭く質問を入れてくる。幸い、調べて答えは用意していたものばかりだった。

 説明が終わるころにはイツキは額にうっすら汗をかいていた。いや、そんな気がしただけかも知れない。

「あいわかった」

 ラダ三世は膝をうった。

「これから申す条件が満たされるなら許可するとしよう。二つくらいだ」

 無断で計画を変えないこと、それと途中何カ所か設置する吸排気口についての条件で、妥当で無理でもない条件だった。

「心得ました」

 イツキは深々と頭を下げた。

 いつもならここで退室となるのだが、ラダ三世はまだなにか用事があるようだ。

「すまんが、ちとついてきてくれ」

 手招きされるがままついていくと、がやがやと大勢が車座になって一人語り合っている。常世でこれだけの人数を見るのも、騒がしさを耳にするのも初めてだった。

 大きな羽飾りの帽子が目を引いた。見慣れない派手な衣装、ピンと固めた派手な口ひげのこれまた派手な顔立ちの男が常世の人たちと楽しげに話している。

「誰です? あれ」

「村の者でもミドガルドの者でもない。ふらっと現れたかと思うと話を収集しているとかいって、気がついたらあの有様だ。巫女よ、そなたにもわからんか」

 ひっかかるものがあったが、イツキはかぶりをふった。常世に侵入者なんて。

「わたしのような巫女の類でしょうか」

「いや、そう言う感じでもない。まるで昔からいたような変な錯覚もある」

「由々しきことではありませんか? 」

「そうは思うのだが、なぜか彼を受け入れてしまっている不思議な感覚もある。何者かと聞いたら、常世のことを知りたい学者で名前を九十九と」

 イツキは思わず変な叫び声をあげた。


 イツキのゴーグルにはいくつも機能があるが全部は教わっていなかった。グレートライブラリの漁り方を覚えてきた彼女は、その取扱説明書を読んで手入れの仕方、充電、自分でもできる修繕を知り、そしてその機能を知っていた。

 中央世界人またはそれに準じるもの(彼女のようにアクセス可能な器具を持つものなど)、相手に簡単なメッセージを送ることができるし、聴覚と視覚だけだが合意の上で拡張現実を展開して面会することもできる。

 そういうわけで、いつもおつとめのあとはくたくたで、さらに村長への簡単でない報告とへとへとだったのだが、彼女は九十九を呼び出そうとした。

 眠気にあらがいながら呼び出しをかけること数度、いきなり拡張現実が展開して半透明の九十九と研究室らしい風景があらわれた。実のところ、この機能を使うのは初めてなので一瞬とはいえ眠気が飛ぶほど彼女は驚いた。

「中では知らんふりされましたね」

 この卵男はあいかわらずとぼけている。いや、九十九に肉体的な性別はないと思うのだが彼女はそのメンタリティを男性と判断していた。

「知ってるかと聞かれたけどわからないとしか答えられないじゃない。姿がまるで違ったし、不確実なことを言って面倒なことにしたくしたくなかったし」

「あれ、概念世界で使ってるペルソナなんですよ。姿はこうでも心はああです」

「派手好きなのね」

 いや、そうじゃなく。と彼女は思い直して語気を荒げた。

「そんなことよりなんであなたがあそこにいたのか説明をお願いするわ」

「あなたは賢い。もう、見当がついているんじゃありませんか? 」

 結晶世界の研究者がここで研究をしている。おつとめに関心をもった。彼女としばらく旅をした。イツキはとうに察していた。

「もしかして、私たちは人間じゃないの? 」

「難しい質問ですね。あなたがたは確かにカスタマイズされた遺伝構造をもっています。でも、その程度の遺伝子改変なら珍しくもありません。もっと思い切った改変だってあります。しかし、それが何ほどのことがありましょう。あなたがたに手を加えたものが異文明の産物であっても、やはり問題にはならんのです」

「結晶世界」

「の、無差別情報収集装置です。彼らはある程度複雑な原住生物に記録用素子を埋めこみ、そのライフサイクルを記録しようとするようです。最初に共生の的となったのは植物でした。広大な森はそうやって生まれたのでしょう」

「何か、先例が? 」

「いえ、ここが最初です、ですが、痕跡はあちこちにありました。これまで、いろいろ推測するしかなかったパズルのピースが、ようやくきちんとはまったのです。これは私ひとりの見解ではありません。概念世界で何度も学会を開き、討論を重ねて出た結論です」

「その装置は何をしたのですか。そしていまどこにあるのですか」

「この森の世界に展開されたすべての結晶素子がその装置です。あなたの体にも多数はいっています。いや、あなたのものは他の人よりずっと多い。意識的に多数埋め込まれたのでしょう。結晶素子の自己複製機能は大分わかっていますが、やはり時間がかかるのです。これらの素子はその個体の記録をもっています。死者を森に葬るのはその記録を常世に移し、記録として保管するためです」

「では、わたしは」

「常世的な死と蘇生を繰り返しているのでしょう。記録されたあなたはあちらにありますよ。私はみました」

「私がむこうに? 」

「少し話もしました。とても孤独そうで、寂しそうでした」

「あなたは、どうやってあそこに? 」

「わたしは偽とはいえ結晶世界人ですよ? アクセス可能でなにが不思議でしょう。集めた情報が閲覧できないのでは意味がありません。とはいえ、あの世界と中央世界をいきなりつなげるのは避けて間接的なアクセス装置を用意しました。あなたのゴーグルのようなものです」

「わかったわ。ところでこれは委員会の許可は得ているの? 」

「いいえ、それはさすがにおりるわけがありません。だから『独断』です」

「勝手な…」

 イツキは直感した。公式な許可はおりてないが、非公式の黙認はあったのだ。

 村長はなんといったろう。知りたいといってなかったか。それは彼女も同感だった。

「わかりました。あなたが見たものを私も見たい。きっと見せるための準備をしているのでしょう? あさって、旧都に詳細説明のために村長といきます。もしそこで会えたら見せてください」

「はい」

 会見はおわった。イツキはゴーグルを寝台の下に隠すと、倒れ込むようにして眠りに落ちた。


 翌々日、イツキは朝一番の列車にのって旧都へ出発した。予定では明日戻ることになっている。村長はしばらく旧都に滞在していくつか用件をすませる予定なので、エスコートを誰か探さなければならない。たぶん養父だ。

「昨日の結婚式はよかったな」

 村長は威厳もだいなしなあくびをする。

「両人、幸せそうでなによりであった」

 この人はどちらかが、あるいは両方ともが嬉しそうではない結婚式をいくつ見たのだろう。

「あの二人、ずいぶん前から割って入れない仲でした」

「よいことだ」

「母と父の時はどうでしたか」

「あれはおぬしの父の村でやったからなぁ。わしもまだ村長ではなかったし招かれておらん」

 村長は思い出をまさぐりながらぽりぽり髭の生え際をかく。

「だが、花嫁衣装で送り出したときのそなたの母は美しかった。少なくともあのときは幸せだったのだろうよ」

「そうですか」

「父親のこと、許せぬか? 」

「どうでもよいです。いないも同然の人です」

「まだあれは生きてはおるが、いずれ常世で再会するかもしれんぞ」

「そのときは、そのときです」

 そこで彼らは無言になり、旧都まで特に話すこともなかった。九十九の件、この人はどのくらい知っているのだろう。イツキは聞きたいような、聞くのが怖いような気持ちをずっともてあそんでいた。

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