第5話 軌道

 口の中に違和感が残っている。これまでなかったほどさっぱりもしているのだが、ひどい虫歯で貿易商人から買った薬で治まるまでさんざん苦しんだ末にとうとう腐って落ちたままになっていた歯が今は復活しているのもどうも落ち着かない。取れた歯の根っこをさんざんいじられた末に、何か尖ったものをさしいれ暖かいものが流れ込み続けたかと思うとできあがっていたのである。痛みはなかったが、歯茎に響く振動やなんともいえぬ臭いなど不安をかきたてるものばかりで叫びたくなるのをこらえるのが精一杯だった。暴れたらおさえつけようと医療技術者がかまえているのもあったろう。美しく、凛々しく、そして力の強い女性であった。

「まぁ、これでこっちはしばらく大丈夫だけど、次は本物培養して移植しましょうね」

 にっこりそういわれたときには額に脂汗がびっしりだった。

 次はリフトとやらに乗るはずなのだが、用意された服をきてここで待つ事そろそろ三十分である。

 窓の外を見た彼女は、目を丸くした。

「建物が、うごいている」

 政庁や病院のはいっている建物は円形の壁のようになっていて、その内側にこのようなドーム型の建物が四つある。その一つに案内され、個室をあてがわれて座っていたわけなのだが、外の風景が何もない青空になっていたのだ。

 あわてて調べるとすぐにわかった。これは無索エレベーターというらしい。その原理も説明があったが彼女にはちんぷんかんぷんだった。とにかくこのまま頭上はるかを巡るステーションまでいくらしい。

 部屋を出てみようとしたが鍵がかかっていてあかない。注意書きがあるのでゴーグル経由で翻訳を見ると上昇、下降中は歩き回るなという意味らしい。棚をあけるとひんやりした空気が流れ出し、冷たい飲み物とたぶん食べ物と思われる包みがでてきた。名前を翻訳してもらってもちょっといまひとつわからない。ミドガルドにはないもののようだ。

「おしりはむずむずしなかったなぁ」

 そう思いながら、彼女は飲み物を適当にあけて上昇が終わるのを待った。


 頭痛がひどい。イツキはうめきながら起き上がった。いつのまにか眠ってしまったらしい。

 水音がして、ごとっと何かがおかれた。水のはいったコップだ。

「飲むといい。できるだけたくさん」

 誰かの声がした。いわれるまま彼女はごくごくと飲む。

「もう一杯」

 コップに水がつがれる。やっと少し意識がはっきりしてきた。

「どこ? 」

 眠ってしまったあの部屋ではない。アーチ状の天井が穏やかに光りを放つ広々とした部屋で、そのまんなかに饐えられたふかふかの寝台で彼女は横になっていた。サイドテーブルにはコップと水差し、そして見慣れぬ浅黒い男。

「誰? 」

「今度はこれといっしょにのむといい」

 男は水を注ぎ、それになにか錠剤のようなものを落とした。

「なに? 」

「薬だ。今のような状態には効き目がある」

「ふうん」

 ずきずきするのがなんとかなるなら、と彼女は水をのみほした。

「わたし、どうなっちゃってたの? 」

「酔いつぶれていたのさ。なかなかの酒豪だよ。君は酒を三本飲み干したんだ」

「酒? 」

 あれは酒だったのか。彼女は頭を抱えた。いや、頭痛はどんどんおさまっていく。薬の効き目は相当なものだ。だが、別の意味でまずいことになっていた。

 ミドガルドでは酒は男の飲み物で、女が飲むと病気になるというのである。

「あたし、病気になっちゃったんだ」

「それについては九十九博士から聞いている。病気というのは方便でね、妊娠中や授乳中だと子供に悪影響の恐れがあるからなんだよ。日乗的に飲む人は、自分に言い訳して飲むしね」

「わかります」

 飲んだくれのろくでなしの話なら彼女もよく知っていた。母はそんな実父に堪え兼ねて森にはいったのだ。

「ところで、どちらさまでしょう? 」

「君がわざわざ会いにきた男だよ。五百五十八田中カエサルという。変わった名前だが、私の出自を示す忌まわしく大事な名前だ」

「せ、星令様! 」

「の、本体だ。普段は政庁の分身で君たちに接触しているし、実は旧都にもプロトコルデバイスはおいてある。話をするだけならこれまでいつでもできたのだけど、君のおつとめに敬意を評してこうしてご挨拶をもうしあげよう」

 イツキはあわてて立ち上がり、ミドガルド式の最敬礼、ひざまづき、頭を垂れる礼をとった。

「そうとは知らず失礼申し上げました」

「なあに、リフトが到着してみれば酔いつぶれていびきかいてた姿にはむしろほれぼれしたよ」

「やめてください」

 真っ赤になって彼女は顔を覆う。

「はは、ごめんよ。そしてここはどこかというと、ステーションの客室の一つだ。見たまえ」

 星令がそういうと、床が透明になって青い円盤を映し出した。

「これが惑星ミドガルドだ。ここが君たちの住むすべてのエリア。ここが政庁のある島、」

 言葉に応じて画像上に色がつく。自分たちのエリアという領域がほとんど点なのでイツキは疑わしげに思った。

「拡大してみよう」

 ミドガルド人のエリアを四角く線がかこんだ。どんどん大きくなって、最後にかろうじて港とわかるものが見えてきた。あのとき、離着陸機でみた空からの眺めそっくりだった。

「小さい」

 あまりのことに彼女はぺたんと尻餅をついた。

「遠くまでよくきたね」

 五百五十八田中カエサルは手を差し伸べた。

「もうびっくりすることだらけでした」

「よろしければ、伝言をうかがおう」

「はい、それでは」

 助け起こされたイツキは再度最敬礼の姿勢をとる。

「伝言は二つあります。一つはミドガルド人についてのお願いです。これからもいろいろなところに拡散していくのはもう止められませんが、死後はすみやかにどこでもよいから村にて葬るようにご手配ねがいますよう」

「なぜかね」

「私たちは常世に帰らなければなりません。死者の魂を安らがせ、その知識を後世に引きついで行く場が常世です。戻れぬミドガルド人は、その場に森を作ってしまいます」

「どういうことかな? 」

「私も知らなかったのですが、常世に戻れなかった死者はその場で自分のための常世、森を作ってしまうそうです。そして常世につながるために広がっていこうとするそうです」

「ふむ、承知した。して、もう一件は? 」

「それは」

 イツキは確かに何か言葉を預かったはずなのに、思い出せないことに気づいて汗が出てきた。

「思い出せません」

 絞り出すようにそういうと、星令はにっこり微笑んだ。

「それは大丈夫だ。おいで、いろいろ説明してあげよう」


 そこは全面星空の部屋だった。上下の感覚が不意になくなり、イツキは小さな悲鳴をあげた。はじめての、とても不安になる感覚だ。

「手をつかんでいなさい」

 星令が彼女の手を取る。手足を縮めるようにして、彼女はすがった。

「こわい」

「これは無重力、自由落下状態だ。落ちた覚えがあるなら怖くて当然だろう」

 星令はあんまり彼女の体が回転しないようコントロールする。

「みたまえ」

 指差す方向を見ると、何やら大きな塊がうかんでいた。縁が白く光って見えるほかは闇に閉ざされこまかい姿は見えない。

「あれが、君たちの先祖の船だ。休眠状態でずっと軌道上に待機している」

 これが、イツキは信じられない思いだった。彼女が知っているのは白い大きな星で、背景の星々とはあきらかに動きのことなる天体だった。

「船の制御ユニットと交信して情報を得てある。中には入ってない。委員長に約束させられたのでね。君たちの先祖はこれにのって四百年ほど前にミドガルドに達した」

 先祖の船から、白く輝くものがいくつも飛び立つ。いつのまにか頭上に浮かんでいたミドガルドの遠景へと吸い込まれて行く。

「これは記録映像だ。こうやってご先祖たちは降り立ち、船は休眠にはいった」

 無重力状態が解除され、彼女は固い床の上に立った。安心しているその足下に拡大したミドガルドの地表が表示される。

「君たちのご先祖はあらかじめ探査をしてから拠点を複数箇所築いたようだ。旧都と、ここと、ここ」

 地表に何カ所か輝点が現れる。旧都以外の二カ所はかなり奥まった場所だ。

「こんなとこ、誰も住んでない」

「四十年くらいでこの二カ所の拠点は活動をやめている。付帯していた集落も同様だ。我々は数カ所そのような村の跡を見つけているし、旧都と結んでいた道路の痕跡も発見している」

 地表の一部を拡大すると、植物の生え方に違いがあってまっすぐの線がうっすら見えている。

「何かあって、旧都と関係のある村だけが残ったのね」

「いや、違うんだ。これを見てくれないか」

 四角く切り取られた光が現れた。よく見ると、それは屋外の風景のようだった。どこまでも広がる畑、楽しげに働く人々。これは政庁のある島の田園風景ではないか。

 だが、何か違う。服装が違うし、使っている機械も違う。この画像のものはずっともっと素朴なものだ。それを大事に使っている。

 風景がぐるりとまわる。視界の外にあったものが映った。

「まさか」

 委員会議事堂が映っていた。今よりずっとぴかぴかで、きらきらしているが間違いはない。

「これは、もしかして村長が見たという記録映像ですか」

「そうだ、それも四十年目の記録だ」

「村長は二十年時間があわないと」

「旧都と、君の村を含むその周辺の村も、同様に一度誰もいなくなったのだ。その間に森がはびこり、君たちがどうやってか戻ってきた時にはわずかに許された土地しかのこっていなかった。そして、君たちは森とともに生きる民となっていた。それまでの時間は二十年ではなく七十年」

 取り替え子? イツキはとっさにそう思った。だがあれは嬰児だけではないのか。

「ではもう少し時代をさかのぼってみようか」

 記録映像は消え、ふたたび足下にミドガルド地表をのせた円が現れる。中心にあった旧都のあたりがどんどんずれて、別の大陸が現れる。

「ミドガルドは中央世界が生まれるよりもずっと昔に送り出されたロボット開拓船によって人の住める世界に改造ざれた」

 星令が指差す部分が拡大され、緑に覆われた廃墟が現れる。

「これは彼らの地上基地の一つ。この他に静止衛星軌道にビーコン衛星が一つ、主星近傍にエネルギー採取用の人工惑星、外惑星には資源採取と送り出し基地が確認できている。大変な時間をかけて、彼らはミドガルドを高温高圧の生きるものなき世界から穏やかな世界にかえてのけた。あとは移り住む人々を待つだけだったが、それはこなかった。ビーコン衛星が壊れたせいだろう」

「でも、先祖の船は」

「ご先祖の生まれた世界は今は中央世界に属している。可住化が破綻して最後にはドーム型都市に数百人しか生き残ってなかった世界だ。廃墟からの記録の発掘、回収がやっと進んで、彼らがロボット船を送り出した人たちの記録を受け継いでいたこと、そこからミドガルドがおそらく無人で、住める世界になっている可能性があることを推察し、一か八かで移民船を送り出したことがわかった」

 眼下の画像がまた遠のいて。ぐるぐる動いたかと思うともう一つの大陸の真上になる。

「だが、彼らより先にきていたものがあった」

 ふたたび拡大された場所には巨大な傾いだ塔があった。表面にはたくさんの植物がまとわりついて元はどんな姿だったかわからない。

「これは不時着した宇宙船だ。人類のものではない」

「あ、」

 九十九の話を不意に思い出してイツキは小さな声をあげた。

「そうだ。これは結晶世界の船だ。だが、この船はもう活動していない。主機は生きて休眠していることは確認できているが、それを操って飛ぶ仕掛けはもう朽ち果てているし、情報系も途絶えている。だが、ただ壊れただけの遺物ではない」

「星令様」

 彼女は疲れた顔で首をふった。

「今は聞きたくありません。少し、休ませてください」

「わかった」

 部屋の風景が一変した。漆黒の内装の何もない円形の部屋だ。

「では、先ほどの部屋で少し休みなさい。もし、グレートライブラリにアクセスしたいのなら、ゴーグルは奥のライティングデスクにおいてあるから」


「結晶世界の船から、休眠中の機関を回収できて幸いでした」

 夢の中で、イツキは何かの映像を見ていた。みなれぬ白いつややかな服装の男たちが話し合っている。

「おかげで移民船の建造が現実的になりました」

「しかし、いった先に誰もいない住める星があるのだろうか」

「他のどの計画より、可能性はあります。二世代の時間を必要としますが、今ならそのための物資も用意できます」

 これは誰かの記憶だ。

 彼女は強烈にそれを自覚した。いつもはおつとめの終わった夜に見るそれをなぜいま見ているのか。

 熱いものが手にぼたりと落ちた。泣いている。この人物はこの映像記録を見て大粒の涙を落としているのだ。

 映像が切り替わった。見覚えのある円盤が映っている。そうだ、これはミドガルドだ。

 まぶたがさがってきた。夢の中で眠気をもよおすなど奇妙なものだ。

 崩折れたところで彼女は目をさました、

 この夢はなぜかはっきりと覚えていた。


 先ほどの投影室には誰もいなかった。

「すごく静か」

 実際はにはステーションの活動を示す仄かな振動音が聞こえているのだが、それがかえって寂寥を感じさせる。さわやかなくらいの湿度、温度に保たれているが寒いと彼女は思った。

 廊下はゆるやかにカーブを描いている、おそらく円になっているのだろう。途中にはドアの固くしまった部屋と、ドアそのものがない部屋がぽつぽつとあるのだが、ぜんぶ円の内側にむいている。

 入れる部屋には用途の見当がつくものとさっぱりわからないものがあったが、一度おっかなびっくり使ったトイレを除いてうかつに触るようなことはしなかった。

 外側が開いていると思った区画にでた。ひらいているのは窓になっているだけで、まばたきもせぬ星空がそこに広がっていた。

「怖い」

 えもいわれぬ寒気に彼女は身をふるわせた。なぜかはわからない。

 その星空の中に他よりも大きな三日月型の星があった。表面に模様が見える。黒く見える部分が何かを囲んでいるようだ。

「海? 」

 ついこのあいだ、生まれて初めて目にし、船酔いに苦しめられた海。それを連想した彼女は事実に気づいた。

「あれ、ミドガルドだ」

 先を急ごう、彼女は貼り付いたように感じる足をひきはがした。このままここにいたら引き込まれて帰れなくなる、そんな恐怖をなぜか覚えていた。

 廊下は再び元のようになり、やはり部屋はぽつぽつ続いた。その一つから歩み去ろうとして、彼女は思わず小さな悲鳴をあげた。

 薄暗い中に、三つの人影がものも言わず、動きもせず向かい合っていたのである。

 一人は星令、一人は地上でみたのと似ているが少し感じの違うアレクサンドラ、一人は人間サイズの猫人形、たぶんワットだ。

 明かりがぱっとついて、三つの人影が動いた。三人の真ん中に光の立方体が出現し、森の中らしい風景が投影される。

「驚かせちゃったみたいね」

 アレクサンドラが言った。地上で見たものとそっくりだが、なんだかちょっと古びた人形のような感じがする。

「やぁ久しぶり」

 聞き覚えのある声に振り向くと、透けて見える九十九の姿があった。

「いま、外部投影に切り替えたのであなたにも見えていると思いますが、ちょっと報告会をしていました」

「外部投影? 」

「中央世界人はあなたが今見てるようなものを頭の中で共有することができるのです。便利ですが、第三者から見るとどうかというのは、今のあなたの反応でよくわかります」

 ワットが説明する。

「よくわからないけど、もしかして概念世界っていうもの? 」

「近いですね。概念世界は一つの広大な開かれた世界ですが、これはプライベートなものです。隠れてこそこそやってるようなものです」

「そうですか」

 よくわからないことは後回しにすることにした。

「それで、何を見ていたんです? 」

 九十九は光の立方体をさした。

「地上の結晶世界船の現地調査の結果ですよ。本当は自分で出向いて接触したいのに、星令殿がゆるさないのです」

「あなたのようにどこにでも本体をほいほいもっていく軽卒な方には許可できませんな」

「こんな感じでねぇ」

「それで、何かわかったの? 」

「さっきまで細かい報告をしていたところです。ものすごく簡単にいうと、この船は軟着陸したこと、船体が想定していなかった空気にふれて腐食崩壊したこと、積み荷は何かわかりませんが、すべて運び出されたこと、そしてどうやってか休眠していた開拓ロボットたちに手伝わせたこと」

 立方体の中にいろいろな姿勢で動かなくなった人の形の何かが映った。苔に覆われ、蔓植物にまきつかれ、動かなくなって長い長い年月が経過していることがわかった。

「許可があれば一体もって帰ってワット補佐官に調査を依頼したいのですが」

「許可しよう」

「ああ、それと、例の中継器はできたのでどこかでテストしたいのですが」

「データは受け取っている。許可については確認してから決めよう」

「早めにねがいますよ。待ちきれない」

 九十九の姿が消えた。中央の光る立方体も消えている。

「中央世界ってすごいのね。ワット補佐官、あなたが前にいったことがようやくわかりました」

「本体に直接会うのは困難だとかいいましたね」

 猫人形が優雅にお辞儀をする。

「ここに来る途中、ミドガルドを見ました。あんな遠いところにいる九十九さんと簡単にお話ができるというのは本当に驚きです。わたしたちは、隣村との会話すら大変なのに」

「これはこれで悩ましいこともあるのですよ。しかし、総じて中央世界の風通しのよさはよいことのほうが多いでしょう」

 元通りの生活に戻れるのだろうか。政庁の島で出会った村の若者たちの気持ちは今ではよく理解できる。そして巫女である彼女が帰らないことは許されない。

 ただ、なぜか覚えていない最後の伝言をまだ伝えられていない。

 まだ帰れない。彼女は少し安心した。

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