第4話 島

 さすがに疲れてイツキはゴーグルをはずした。信じられないようなたくさんのもの、たくさんの風景を見てきたが、実際に今、目にしている窓外の風景ほどせまってくるものはない。

 鬱蒼としげる森の中の小さな開豁地、それが彼女の知る世界であったし、それより広いものも知らなかった。だが、この島の風景はどうだ。なだらかな土地に広々と広がった畑、そしてその間に点在する家や小さな森。この島にはもともと広い森はなく、冬場の強い風に吹き倒されない場所にちらほらと木が生えているほかは灌木と草原であったという。なんという自由で心躍る眺めか。ここに移り住んだミドガルド人はどんな気持ちなのだろう。動きやすく、丈夫そうな異世界の上質の服に身をつつんだ彼らが、帷子と肩衣の伝統衣装の彼女にちらっとむける視線に読めるような気がした。

 無関心か、軽侮。巫女と察したものも数名いたが、驚きはあれど村や旧都で受けたような敬意はまるでこもっていない。むしろ別の辺境世界から仕事のためにやってきたいろいろな人間たちの方が強い関心をしめしていた。

 関心をもったのはおたがいさまで、彼女はいまのいままでグレートライブラリにある彼らの出身世界について調べていたのだ。

 巨大な人工天体の出身者もあれば、体の重さがここよりずっと重いところもあるし、慣習と掟の拘束がとんでもなく厳しい世界もあった。美しい風景も、恐ろしい眺めも、何をみているのか理解できないがなぜか圧倒されるものもあった。ここに流れてきた事情はさまざまで、軽々しくわかったふりなどできないということも察する事ができた。

 村でのくらしが、村での巫女としての彼女と少女としての彼女、そして周囲との軋轢がとても小さなことのように思えてきた。あそこに戻らなければいけないのか。イツキは嫌だな、と思った。

 こんこんとドアを叩く音がした。ノックの習慣はミドガルドだけのものではないらしい。どうぞ、というと真っ白な肌に大きな瞳、漆黒のつややかな髪を短く切った若い白衣の女性がはいってきた。彼女を担当する医療技術者だ。とても奇麗なので、おそらくアレクサンドラの仲間だろうと思ったらほぼその通りだった。

 どんなものかわからないが、一人前に生きて行くのは無理な障害を持って生まれ、中央世界と接触がない時代なら苦痛をのばさないために殺されるような体であったのが、技術、文明の恩恵で大半人工物とはいえ、五感もそなえた一人前に生きて行く体を得たのだという。その恩恵に感謝して今は医療の仕事についているし、異性のパートナーと、そして子供も得ているのだとか。人工の体で妊娠出産できるのだろうかと思って調べたイツキはいくつかの方法にたどり着いたが、感覚的にはちょっと受け入れがたいものを感じた。

「きっと、わたしは『古い』人間なんだわ」

 だからといって感覚を軽卒にあらためようとは思わなかった。そうしなければ、あっというまに流されて自分を見失いそうだった。

「予診の結果は軽い疲労くらいだったわ。若いっていいわね」

 見た目は彼女より若くみえなくもない人物がそういうのである。

「ありがとうございます」

「でも、歯はちょっと処置が必要ね。いまはまだいいけど、ひどい虫歯になりそうなのが何本か。もうなったあとが一本。本診のあと処置しますから、どうしたいかを聞かせて」

 何もしない、という選択は許されそうもなかった。

「あの、上にいくってどんな感じなんでしょう」

 いくつかの質疑を重ねて処置を選択し、本診前の注意事項を聞かされた後、彼女はきいてみた。

 これまでも驚かされることばかりだった。これかな、と思う情報で予習もしている。だが自分の体で感じるのは別問題だ。画像の場合、撮影者は平気でも彼女はだめかもしれない。

「不安ならやめとく? 星令様と話すだけならここでもできるし」

「いえ、ちょっと心の準備をしておきたくって」

「んー」

 女性医療技術者は記憶をまさぐっているようだ。

「そうね、初めてのときはお尻がむずむずしたわ」

「お尻ですか」

「そう、お尻。でもいってしまえばそれくらいよ」


 九十九は自分の研究室にこもってしまったし、アレクサンドラは仕事がたまっているとかでこれまた執務室にこもったままになっている。たくさんの知識を得ることは楽しいが、少し疲れた。

 いくばくかの寂しさを覚えてイツキは病院の外に出た。建物は丸みを帯びた巨大な壁だった。棟続きで政庁があり、陳情その他をおえた住人、職員たちがばらばらと帰って行く姿が見える。

「巫女様」

 声をかけられてふりむくと、野良着姿の若者が数人集まって彼女を見ていた。

 見覚えのある顔ばかりだ。

「あなたたち、うちの村の人ね」

 そして代表の若者は隣家の娘の従兄で、同じく禰宜の家の者。こんなところで彼女を巫女と呼ぶのは軽率すぎる。彼女は少し立腹した。

「なぜあんたがここにいるのか教えてほしい」

 彼らの顔には畏れがあった。なんで、と不思議に思ったが、すぐに彼らが疑心暗鬼に陥るのももっともだと思い直す。

「安心して、あなたたちに用はないわ」

「ほんとかい? 」

「くわしいことは言えないけど、本当よ」

「どうしていえないのだい? 」

「そういうおつとめだから。委員長にだって話してないのよ」

「そうやって俺たちをだまそうったってそうはいかないぞ」

 別の若者が激昂するのを最初に話しかけてきた若者が手で制する。

「あんたは関係ないのかも知れない。が、村のほうからは戻ってこいという手紙や時には回線通信までつかっていってくるんだ。よその村だが、葬式くらい戻ってこいと言われてその間だけのつもりで戻ったらそのまま抑留されたという話もあった。彼が機械をつかって面倒を見ている畑の十分の一にも満たない畑を見ている兄貴の手伝いをやらされているらしい。ふざけた話じゃないか」

「ひどい話ね」

「あんな森なんか焼き払って、全部畑にしてしまえばいいんだ」

「それはたぶん中央世界の辺境管理法七条違反よ」

 若者たちはびっくりした。そしてリーダーに視線を集める。彼だけは知ってるようだ。

「なんであんたが中央世界の法律を知ってる」

「質問責めにされるのを面倒だと思ったどこかの学者がグレートライブラリの閲覧権を付与してくれたの。あとは興味のむくままいろいろ調べてまわっただけ」

「九十九博士か」

「そう、その人」

「で、いろいろ知ったけどまだあんな迷信に加担するのかな」

 イツキは心の底から意地悪いものがわいてくるのを感じた。この連中は、そう信じたがっているだけなのだ。同意を求められるだけ迷惑だ。

「そういう話をしにきたんだっけ? 」

 彼女の冷え冷えする声にリーダーははっとして謝罪した。

「いや、違う。よけいなことをいった。あつかましいようだけど、一つお願いされてくれないか」

「お願いによるわ」

「たいしたことじゃない。さっきの例を引き合いにして呼び戻そうとしないよう村の衆に伝えてほしい。応じるとは思わないが、もし俺たちのことを心配してくれているなら、もう無理強いはしないだろう」

「わかった。伝えておくわ」

「ありがとう。よろしくお願いする」

 若者たちはやや渋々だが引き上げていった。

 それにしてもとんでもないことをいうものだ。

 自分で『古い人間』と思っているイツキはため息をはいた。あの言葉だけは絶対伝えられない。


 一糸まとわぬ姿でイツキは横たわっていた。周囲はほんのりグリーンの灯りにみたされていたが、いつものおつとめと違ってそれは液体の中でもなかったし、彼女は意識を保っていた。

「退屈」

 このまま装置の中でじっとして一時間というところらしい。緑の光が彼女の体を何度も横切っているのは、皮膚から体の中まで調べて持ち込んでよくない微生物があればこれを消去しているのだという。

 これがすんだら用意された衣服に着替えてそのまま「リフト」とやらに乗り込むことになるらしい。

「ものものしいこと」

 彼女はあくびした。

「でもまぁいいわ」


 その前に歯の治療があることを彼女は忘れていた。

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