第2話 海へ
列車は旧都とよばれる町にすべりこんだ。ここには委員会議事堂があり、市場があり、職人たちがすんで需要に応えるようになっている。中央世界はここに病院と工房を建てた。旧来のミドガルドの経済は、あいかわらずここを中心に巡っている。
列車ではここまでしか来れない。
ここでイツキはあらたな中央世界人にあった。
技師にはもう何度もあっている。医師も一度巡回検診にやってきた。そうではなく、彼女があったのはパワープラントの管理棟にいた補佐官の一人だった。
「ワットとよんでください」
猫の顔をした精巧な人形がそういって優雅に会釈するのを見て彼女は本当にびっくりした。九十九のように形の変なのばかりではなく、大きさの異なるものもいるのか。
「プロトコルデバイスは初めてみましたか」
「なんです、それ」
「コミュニケーションを行うための装置です」
「と、いうことはこれはあなた自身ではない」
どこに隠れているのだろうときょろきょろするイツキに、猫人形はおかしそうに腹をかかえる。
「いませんよ。私の本体は軌道上です。あらゆるところに散らばった自分の端末にアクセスし、ほぼ同時に操るのは得意なのです」
「それは器用ですね」
よくわからないが、すごいことだ。
「さて、九十九博士から話は伺っています。うちのボスに直接あって伝える言葉を預かっておられるとか。直接、というのは中央世界では実はなかなか大変なことで、話はいくらでもできても相手ははるかなる星涯にいたりすることもあれば、概念世界のレトリックの海を正しくかきわけていかなければ出会えなかったりするのです。幸い、ボスは軌道上のステーションにいるのでとても簡単な部類に属します」
「あの、島の政庁にいらっしゃるのでは」
「いますよ。でも、いまあなたと話している私と同じく、彼の端末にすぎません。ずっと本物らしいですけれど」
「では、どうすれば直接会えるのでしょう」
「その段取りを九十九博士から依頼されました。とりあえず、政庁までおいでなさい。そこから連絡便があるので席を一つあけられるよう調整しましょう」
「ありがとうございます」
イツキは頭を下げた。
「礼は少しだけ早いですよ。ボスと直接あうなら、あなたは検査を受けなければならないし、その上でいくつか病気の予防措置を受けないと行けない」
「検査、ですか」
「気を悪くしないでほしいのですが、微生物というやつは環境がかわれば害悪として猛威をふるうことがあります。あなたは使命を果たしたら帰るのでしょう? 」
「え、ええ」
村からでて見聞きするものが面白くて忘れていた、巫女たる自分は戻らないといけない。
「検査は政庁の医療施設で行います。港までここにある垂直離着陸機を出しますので、そこで船にのってください」
会見がおわって出てきたイツキはぐったりしていた。村の暮らしに倦んではいたから刺激的な体験は歓迎だったが、こう重くてあとから来るものとは思わなかった。
「おまちしていました」
口ひげの立派な父親くらいの年齢の男がいた。委員会議事堂職員の制服をきている。後ろに同様の制服を着て、制帽もかぶった若い職員二人をしたがえている。
「どちらさまでしょう」
「委員長の使いでまいりました。ローエンともうします。媛巫女のイツキ殿ですな」
「はい」
委員長と言えば雲の上の人だ。何用であろう。
「旧都に巫女をお迎えするのはひさしぶりゆえ、晩餐をご一緒したいとのこと。どうぞこちらへ」
断れない、断ることを許さない雰囲気だった。
「はい」
疲れた声の返事になる。
「おや、気がすすみませんか? 無理強いはするなと申しつかっておりますのでそうであればご遠慮なく」
「いえ、大丈夫です」
委員長の面子をつぶすことは村にとっていいことにならないだろう。巫女は尊重されるが絶対ではないのだ。
食卓についたのは委員長であるラダ七世と旧都に滞在していた委員、つまり村長五人、そしてイツキであった。九十九は食事しないこともあって呼ばれていない。彼は政庁の分室とかいう場所でずっと何事かやっているようだ。
食事は魚と鹿肉のローストを盛り合わせたものにつけあわせ、ひきわりパンだった。十分ごちそうである。
「近頃は島の新しい村から海産物がよくとどくようになりましたな」
「港まで鉄道が通せればいいのですが、街道がせまくてまがりくねっているので森をひらかねば無理という」
「それはできないことですな」
「補佐官のワット氏が地下をほりぬくプランを提案してきましたが、これが許されるかどうかは」
招かれた理由がわかったような気がする。イツキは苦笑した。
「もしかして、わたし入れ違いになったのでしょうか」
「さよう、さよう」
「旧都には使える状態のおつとめの木はございますか。段取りをご存知の禰宜も」
「困った事におつとめの木は使える状態とは思えず、段取りを司るものももういないのだ」
ラダ七世は委員たちにくらべると若かった。三十そこそこだろう。父であるラダ六世のあとをついであまり年月がたっていない。いかにも切れ者という風貌で、先代存命のころから一目置かれる存在だった。
「それで巫女殿の御用がそれほどさしせまったものでないなら、一度村に戻ってもらえまいか」
どう答えればいいのだろう。イツキのこまった顔を見て、委員の中には不愉快そうな顔をするものものいた。これは事実上の命令であって依頼ではない。わからんのか小娘め、というわけだ。
「何か不都合があるのかね」
断るにたる理由でなければ無理矢理ということになるだろう。彼女は頭の中をちょっと整理しながら深呼吸した。
「前回のおつとめで二つのことを申し渡されました」
「どこで、誰に? 」
「常世にて、ラダ三世様に」
委員たちがざわめいた。委員長職は養子もふくめてラダ家の世襲である。三世は賢君の誉れ高い委員長で、一世の作り上げた態勢を完全なものとして以後四代の平穏を確かにした人物である」
「確かに三世様か? 」
「常世に嘘はありませぬ。お疑いでしょうか」
「いや。それで三世様はなんと? 」
「一つは不要不急のことでおつとめをせぬよう、とのこと。頻度が高いと戻れなくなってそれっきりとなる巫女も過去にはいたそうです。こちらは気遣ってのありがたいお言葉でした」
さて、どこまで話してよいか。彼女はためらう。
「あと一つが大事なのだね」
「はい、三世様は中央世界とは何かを下問されました。あまり多くは知りませんが、知ってるかぎりをお伝えしたところ、使命をくだされました」
「そんなに重要な使命かね」
「星令様に直接あって、伝えよと」
「何を? 」
「途中の口外も、直接でない伝達もならぬと厳命されております。そして、あらゆることに優先せよと。それをはたさず常世にまいれば怒られてしまいます」
ラダ七世は彼女の顔をじっと見ながら聞いていたが、ここで小さく笑った。
「わかった。なるべくはやく用事をすませてもどってきてくれ」
「ありがとうございます」
押し寄せる安堵を胸に彼女は深々と頭をさげた。
カーゴルームに収納されている、足をたたんだ蜘蛛のような保安デバイスにイツキは不気味さを感じた。使える離着陸機が有事の即対用のこれしかないということだそうだ。操縦席には誰もいないが、ワットの監視のもと自動操縦で目的地までいくのだという。用意された席は後部のあまりひろくない座席。油の匂いがした。もっと気の毒なのは九十九でシートに座れないのでカーゴルームに手荷物扱いで拘束である。
「これをわたしておきます」
乗り込む前に九十九がわたしてきたのは、妙にごついゴーグル。
「これをかけて、知りたいことを思えば、中央世界のグレートライブラリ公開情報なら見る事ができますよ。使い方を教えますのでやってみてください」
試しにかけて保安デバイスを見ながらいろいろ質問を思い浮かべると、見えているものに重ねるようにどんどん解説がでてくる。わからない言葉も知りたいと思えばどんどんたぐっていくことができる。
「なにこれ、おもしろい」
「でしょう。知りたいことはこれでだいたい解決ですよ」
「まるでわたしがあなたを質問責めにするような」
「あなたは聡明な人です。好奇心が強く洞察力も高い。質問された誰かが結局ライブラリから知識をひいてくるならあなたが直接ふれるほうがいいでしょう」
ほめられているのか、うるさがられているのかよくわからずとりあえず彼女は礼をいった。
「出発します。席についてください」
自動操縦装置がまるで人間のパイロットでもいるのかという口調で告げた。
座るとしゅっとベルトがまきつき、びっくりしたイツキが小さな悲鳴をあげた。
「安全のための措置です。ご理解ください」
「ねえ、博士」
「なんですか」
「装置ときいてるけど、なんだか人間と話してるみたいなんだけど」
「彼らもいくつか条件を満たせば人間と認められます。滅多にあることではありませんが」
「あったらあったで戸惑いますけどね。あ、ワットです」
「ワット補佐官? 」
声の方を見ると、前に会話した猫人形がものいれから顔を出していた。
「どうも、他をやりながらなので切れ切れになりますが到着までよろしく」
首だけで人形はお辞儀した。
「さきほどの話は、わぁ」
離着陸機がふわっととびあがったので、彼女はびっくりして声をあげた。
「む、むずむずする」
思えば初めての感覚である。そして窓の外の気色に彼女は別の色の声をあげた。
「わあ、すごい」
初めてづくしでしばらく興奮が収まらない。見覚えのあるものをさがすが、上から見下ろしたことがないものはなかなかわからない。
風景が流れ始めた。イツキは窓にかじりついてどんどん変わる風景を飽きる様子もなく眺めていた。
「ねぇ、補佐官」
窓の外を眺めながらふいにイツキが問うた。
「さっきの話だけど、あなたは何だったの? 博士みたいに誰かの未練? 」
「いいえ、私は今はもうなくなった世界で作られた宇宙船の中央制御装置でした。不時着した星を百年かけて開発し、自力修復して中央世界に回収されたのです。彼らは私をテストして、人権を付与してくれました。いまだに信じられません」
「それでたくさんのものを同時に使うのが得意なのね」
「はい」
「中央世界ってそんな人ばかりなの? 星令様は何ものだったの? 」
「あの人は元々人間ですよ。いくぶん手は入っているものの生身もそなえている。でも、中央世界の出身ではない。あとは直接聞いてください」
「ありがとう。ちょっと安心したわ」
何が安心なのか、そこにいた中央世界人たちにはわからなかった。
「着陸態勢にはいります。揺れにご注意ください」
自動操縦装置が告げた。
港は二つの区域に分かれていた。元々の漁村と、海洋進出の拠点たる貨物港である。この二つはとがった岬の左右にわかれて海に面しているが、これは漁村がむかしから漁場としていたせまい範囲を開発で台無しにしないためである。着陸するまでのわずかな時間だが、漁村が普通の村と同じ木造家屋の集まりで、貨物港が殺風景にも見える中央世界の建材でできた四角い町であること。たぶんあれが船というものであろうというものが大小くらいの違いしかないことを見てとった。どうやら、くらしぶりは変えないが漁業に使う船はより便利なものに切り替えたらしい。
「いや、材料は輸入しているけど、作っているのはここですよ」
補佐官の猫人形が指差したのは港の別の一角のごみごみしたあたり。よく見ると作りかけと思われる船が陸揚げされている。
「設計は旧都の技術センターと漁村の船大工が相談して作成しました。今は船大工が作るたびに少しづつ改良してるそうです」
「へえ」
びっくりすることだった。
「むかえがきましたよ」
猫人形が指差す先には、なめらかに走ってくる箱があった。誰かのっている。
イツキは思わず目を見開いた。世の中は広い。彼女は思った。
やってきたのは動きやすそうで真っ白な服に身を包んだ女性で、自分もふくめた村の女たちがいかに垢染みていたかを思い知らされる美女だった。
「補佐官のアレクサンドラです」
真っ白な女性は優雅に挨拶した。
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