第10話

「……それはそれは、今上帝を慈しまれたとか?」


「……さようにございます。ほんにご存知で……かのお方様も、そうして愛おしげに乳を御与えで……。昨今では大概が乳母が与える物でございます……しかしながらかのお方様は、これくらいしか母としてしてやれぬ……と申され……」


 再び涙を拭って言った。


「主上をそれはそれは、愛おしまれて御いでにございました。まるで御父君様の分まで……」


「御父君様?法皇の事か?」


「さようで……御父君様の分迄、御母君様が御与えであられる様でございました……」


「法皇は今上帝を、愛しんではおられなんだのか?」


「……私にはその様にしか、お見受けできませなんだ……」


 典侍ないしのすけは、碧雅が抱く皇子を見つめて言葉を切った……そしてゆっくりと、重い口を開く様にして低く言葉を発した。


「かのお方様が一度だけ、たった一度だけ、御呟きになられた事がございます……」


 その言葉に促される様に、碧雅は典侍を見つめた。

 すると典侍は、それは無表情に碧雅を見て言った。


「……怖いお方……これ程迄に御寵愛くださりながら、に恐ろしいお方……と……そう御呟きなされて、愛おしげに主上を抱きしめられてございました……」


「……それは、如何なる意味でございます?」


「……それは……」


 典侍はそう言いながら、視線を伏せた。


「……法皇様はこよなく、中宮様を御寵愛なさっておいででございましたが、その御子様の主上を御愛おしみでは、あられなかったのでございます。それを中宮様は殊の外御悲しみで……それであの様に申されたのか、はたまた他の意がお有りなのかは……私には……」


 典侍は重々しく首を振った。


「何と御気の毒なる、今上帝であろう……」


 碧雅はその瞳から、大きな粒を落とした。


 すると慌ただしく、女房がやって来て、外から声を掛けた。


「典侍様……」


「如何致した?」


「何やら怪しげな者達が……」


「なに?」


 典侍は緊張の色を浮かべて、今上帝の最愛なる女御と皇子を見つめた。

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