瀬戸 織姫

 歩きながら通話していたので、運よくオレは第二体育館の近くまで来ていた。

 校舎と第二体育館の間には一本の木が生えていて、それを囲むように通路が作られていた。

 第二体育館側の道では運動着に身を包んだ生徒たちが何人か集まって談笑している。

 爽やかな笑顔に汗を流して、青春真っ盛りみたいなボーイズ&ガールズは、おそらく陸上部の皆さん方なのだろう。

 そしてその反対、校舎側の道にぽつんと一人佇み、誰ともしれない人を待っているような雰囲気の男を発見した。

 だらしない腹を無理やり制服の中に押し込んだような男が、かの雨鼓あまつづみ 琢磨たくまである。

 男はボーっと、どこか羨ましそうに陸上部の人達を眺めていた。

「オレはあんな奴に、話しかけんといかんのか……」

 琢磨と同じ側の人間であると認めたくないオレは、今日はもう帰ろうかと考えた。

 しかし、オレの中にある正義の魂が、いやいやそれではエモータルによる被害が増える、と訴えかけてきて、オレに気付いた様子の琢磨に声を掛けさせた。

「おう、『豊満なる豚ビッグ・ピッグ』よ、見張りご苦労。ターゲットに不審な点はなかったか?」

 オレは片手を上げて琢磨をねぎらう。ついでに、瀬戸せと 織姫おりひめの様子を尋ねた。

「あ、明太あらた、早かったね!」

 琢磨が明るい声で返事をしてきたので、「通り道だったからな」と琢磨に返す。

「……不審って言えば、かれこれ40分くらいここで立ち尽くしてる僕が一番不審かなぁー」

 と最初から自虐じぎゃくたっぷりに答えてくれる琢磨に、オレは多少辟易へきえきした。

 自覚はないのだろうが琢磨は考え方がネガティブだから、常に自虐をする癖がある。

 そういうところがコイツの良くないところであるとオレは思う。が、そういったオレの感想は、今は価値がないので省略。

「そうか。じゃ、今日はもう帰っていいぞ。ありがとな」

 オレはそっけなく告げて、琢磨を手で追い払った。

 冷たい態度に思えるかもしれないが、こうでもしないと琢磨はなかなか帰ってくれない。

 根っからの好奇心が旺盛なのかもしれなかった。ジャーナリストとか向いているのかもしれない。

「えー、僕だって自分の時間を削ったんだからさぁ、今日は最後までいさせてよ~」

 案の定、琢磨は引き下がろうとしない。

「ダメだ。それについて来たところで、お前にはエモータルが見えないんだから、意味ないだろ」

 だから、オレも冷たく突っぱねる。

 今回のエモータルは危険度が高いのだ。ホイホイついて来られたら、琢磨がエモータルに取り憑かれてしまうかもしれない。

 まだエモータルの生態は分かっていないことが多い。だからこそ琢磨には遊び感覚でついて来てほしくなかった。

「僕は別にエモなんとかを見たいわけじゃないよ」

 なおもしつこく食い下がるので、オレも冷静に対処する。

「オレの戦う姿は、企業秘密だぞ」

「明太の戦いだって、僕は興味ないよ」

 そうなのか? てっきりオレの勇姿を見たいがために、ついてきたがっているのだと思っていた。

「じゃあ、何に興味があるんだ?」

 オレは気になって尋ねた。

 そういえばオレに手を貸している理由を琢磨に聞くのは、これが初めてかもしれなかった。

「そりゃあもちろん…… 僕は瀬戸さんに興味があるのさ!」

 親指を立てた琢磨に、オレは呆れの感情しか出てこない。

「お前…… そういう惚れっぽいとこ、早く直した方がいいと思うぞ」

 オレは優しさから、琢磨の悪いところを指摘してやる。

「お前、オレが依頼するたびにターゲットを好きになってないか?」

 その事実を琢磨に説いて聞かせると、豚は脂肪に埋もれた首を振って、反論した。

「いや、好きというのとは違うんだよ……」

 オレは豚の言語が理解できなくて、首をかしげる。

「いいかい、僕はもう女の子に好かれるということは不可能だと自覚したんだ。つまり僕はもう愛なんてものは必要ないと割り切れた」

「……はあ」

 琢磨が急にペラペラと語り始めたので、オレは困惑する。

「人は人と愛し合うのが当たり前のことだとみんなは思ってるよね? でもね、誰からも愛されることのない僕は気付いたんだ」

 そのあたりから、琢磨の言葉はふごふごとしか聞こえなくなった。

 琢磨の言葉が真理に迫っているにせよ、単なる自己防衛にせよ、どちらでもよかった。

 そんなことを聞いている暇は、オレにはない。

「へーそうなんだ」

 オレは適当に相槌を打って聞き流す。

 愛がどうの、とか社会がどうの、などという話よりオレにはやるべきことがあった。

 エモータルをこの世から消し去らねばならんのだ。今更そんな凡人の意見を聞いてはいられない。

 オレは熱く語る琢磨の言葉を頭から排除して、道の反対側に目を向けた。

 なぜ宇宙のエントロピーが琢磨の愛されない理由と繋がるのか、頭の隅っこで少し気にはなったがそんな疑問は断ち切って、瀬戸さんを探す。

 どんな顔だったかあやふやだったが、探してみるとすぐに見つけた。案外覚えているもんだ。

 今回の第2ターゲットは瀬戸 織姫。彼女もごくごく普通の一般人だった。

 凡人ではない高校生など滅多にお目にかかれるものではないから当たり前だが、彼女もまた凡人極まる凡人だった。

 家族構成は知らない。交友関係も調査中。そういった情報は琢磨が集めてくるので、オレの仕事ではない。

 使っているシャンプーは…… いや、これは不要な情報だったな。

 大事な情報は仕入れてこないクセに、そういうどうでもいい情報だけは仕入れてくるのが、このブタは早い。

 そしてどういう手段で、そんな情報を手に入れているのかは聞かないことにしている。

 あまり深いところまで聞いてしまうと、コイツと友達やめたくなるかもしれないからだ。

 エモータルの動きを把握するにはまず、そのエモータルと関わりのある人物を調査することが攻略の鍵になる。だから、琢磨という駒を失うのは不本意だが、惜しい。

だからこそ琢磨の趣味には深く立ち入らず、利用するという形で浅く友情を続けていこうとオレは考えていた。

 と、話が逸れた、瀬戸さんの話に戻ろう。

 瀬戸さんは凡人たる容姿をしていた。

 身長はやや低い方で、体型は陸上部であるためか、ムダのない体つきに見えた。

「陸上は本気でやってないよ、ただ体を動かしたかっただけ」というのが、瀬戸さんの陸上に対するスタンスらしい。

 これは琢磨が仕入れてきた情報だ。

 直接聞くことなど琢磨には到底ムリなので、もちろん盗み聞きである。

 そう語るわりに瀬戸さんは、髪の毛を運動の邪魔にならないように短く切りそろえていた。それでも切りたくない部分なんだろうか、後ろ髪はヘアゴムで邪魔にならないようにまとめている。

 そういう本気を本気に見せないようなところが、またなんとも凡人らしい。

顔立ちも至って普通だ。可愛いか可愛くないかで言うと可愛いほうで、快活に笑うことが多いみたいだ。今もストレッチをしながら男子部員と談笑している。

 ペロッ、これは青春の味……

 あぁ、いいなぁーという思いが、オレにもないわけではない。帰宅部になんかにならずに何かの部活に入ればよかった、と思わなくもない。

 しかしオレにも、笑って話す程度の女子は奈々がいた。だから別に羨ましくはない!

 せいぜい凡人は凡人に囲まれて、楽しく一般的な日常を過ごすがいい! と、そこら辺でオレは瀬戸さんから目を外した。

「……つまり僕にとって女性というのは観察の対象であり、それは神が人に対して無関心であるという姿勢をオマージュしているわけでもあるんだな…… また女性に指を触れない行為は人間が楽園から追放されてしまった禁断の果実に、僕は手を伸ばさないぞ! という僕なりの意思表明であり、これには人類全ての罪を背負ったキリスト様もにっこり……」

「まだ続いてたんだ……」

 視線を琢磨に戻すと、この男は自論を一人で振りかざしていた。

 エモータルと戦っている時のオレも、傍から見たらこんな感じなのだろうかと、その想像に心がヒヤリとしたのでやめる。

「なあ琢磨、瀬戸さんの追加情報はあるか?」

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