影のヒーロー
「あー、それね…… 隣のクラスの竹川くんだった」
「誰なのよ、それ?」
オレが告げた名前に、奈々は首をかしげた。
奈々が知らないのも無理はない。オレも竹川くんを知ったのは、ほんの数日前だ。
「竹川くん、通称『竹川くん』は隣のクラスの出席番号19番だ。下の名前は忘れた。誕生日は不明。血液型は興味ない。部活動も将来の夢も、誰と仲がいいのかも知らない」
「そんな赤の他人をメンタの妄想に巻き込むなよ…… ていうか、ほんとに実在する人なの?」
奈々が厚い髪のヴェールの向こうから、オレに疑惑の眼差しを向けてくる。
「残念ながら竹川くんは実在する。そしてオレの独自調査により、不鮮明だった彼の唯一の秘密が明らかとなったのだ!」
オレは奈々に、ビシッと指先を突きつけた。
「……また『調査』? それで問題になりかけたの、忘れたの?」
「あ、あの時は相手が女子だったから悪いの! ていうかマジであの話はやめて、オレの中の黒歴史だから……」
「それは今でも量産中だと思うがね……」
「だいたいあの子が自意識過剰すぎなんだよ! 誰がお前に興味なんてあるか! オレはあの子を守ってあげたんだぞ!」
「目に見えない負の感情、エモータルから。でしょ? やっぱ妄想の世界はここだけに留めておくべきだとボクは思うなぁ……」
「なっ、妄想ではない!」
オレは机をバンと叩く。周囲の生徒と奈々が、迷惑そうな目をオレに向けた。
「メンタさぁ…… ぶっちゃけ聞くけど、ボクだけが聞くんじゃダメなの?」
「……ど、どういう意味だ?」
オレが尋ね返すと奈々は言葉を探すように、目を彷徨わせた。
「あー、うーん…… いや、やっぱいいや」
「なんだよ、それ」
オレは奈々が何を言いたいのか分からなかったわけじゃない。だから、つい言葉に硬さが混じった。
奈々はそんなオレの言い方に何か思うところがあったのか、それともないのか、ただこう返してくる。
「……ボクはメンタの言うことを信じられるよ。けど、皆がそうじゃないことはメンタにも分かるでしょ?」
オレが硬い言い方をしたのに対して、奈々の口調は柔らかかった。
「……そういう、エモータル、に襲われそうな人達を放っておくことはできないの?」
奈々はそう尋ねてくる。
「……仮に車に轢かれそうな人がいて、自分だけが助けられる状況なら、奈々は助けないのかよ?」
オレはムキになって答える。
「でも、その車は他の人には見えないんでしょ? だったらメンタは、ただ突き飛ばしてくる嫌な人にしか思われないよ」
奈々の答えに、オレは押し黙る。
「……だっているんだ。助けなきゃ、誰かが…… 誰かが死ぬかもしれないんだぞ?」
オレの声は、言っている自分でも聞こえないくらい小さい。
「うん、きっといるだろうね。 ……だけど、見えない」
奈々がきっぱりと言った。
「だから、メンタが…… それから誰かを守らなくてもいいんじゃない、かなぁ……?」
「でも、ブレスレットをさ! 刀を出せるのは……」
オレは奈々を説得しようとしたけど、やめた。
奈々がオレに優しく微笑んでいたからだ。
その顔は、ボクならなんでも信じるよって言ってくれているようで、そして事実、オレの話に付き合ってはくれるんだけど。
でも、完全に理解はしてくれない。
それは奈々のせいじゃないし、批判しているわけじゃないけど…… ただ、悲しかった。
「……その、ブレスレットをさ、やっぱりボクには、貸してもらえないの?」
奈々が言いにくそうに尋ねてくる。
そりゃオレだって、奈々に信じてほしい。共感してもらいたい。でも、
「何があるか分からないから…… ダメ」
実際おそらく、エモータルによってサラリーマンが殺されている。
「……ん、だよね」
うつむいた奈々の顔はいつもより前髪で隠れて、陰が濃くなる。
奈々の表情は見えなくて、だから、安心した。ただちょっとウンザリもした。その前髪を切ってやりたくなった。
「それに…… この『破滅のブレスレット』に選ばれたのは、オレだけなのだからな!」
オレは少し重くなった空気を切り替えたくて、そんな風におどけてみる。
「……まだ言うのかよー」
奈々はいつもみたいに、オレに溜息をついた。
でも、その優しい呆れ顔はいつもと変わりなく、それに感謝しているオレがいる。
「で、だ。どこまで話してたんだっけ?」
「あー、隣のクラスの竹川くんを…… 調査、したところまで」
奈々が『調査』という単語につっかえたことにオレは気付いたが、あえて蒸し返すことでもない。
オレは気付かないフリをして、先を続けた。
「ああ、そうだったな。では奈々よ、オレの竹川レポートを聞く準備はいいか?」
「仕方ないなぁ…… と、言いたいところだけど、そろそろ授業が始まるみたい」
奈々は周囲に目を向ける。オレも周りを見渡すと、ガヤガヤしていたクラスメイト達が大人しく席に着き始めていた。
「む、ということは、続きは昼休みか……」
「あー、ごめん。お昼はちょっと……」
「なにぃ? お前はオレの竹川レポートを聞きたくないというのか?」
「……あー、今日は予定があるんだよぉー、堪忍してくれい」
「……ならば、放課後はどうだ?」
オレは席を立ちあがる奈々に再度尋ねた。その問いに、またもや奈々は困った表情を浮かべる。
「うーん、放課後も多分、ムリかも……」
ムリ、とオレの話を拒絶するわりには、奈々の口元は少し嬉しそうにしている。
その表情に心当たりのあるオレは、少々ムッとしながら尋ねた。
「まーた、ボランティア部か?」
活動しているところなど見たことがないのに、よくもまあそんなに頻繁に集まりたがるものだ。
そんな思いを目に込めて、奈々の顔を見た。
「や、だって、その……」
奈々が頬を染めながら、口元をごにょつかせる。
オレはそんな奈々に頬杖をついた。
……まあ確かに、奈々くらいの年頃なら他の女子と他愛無い雑談に
そんな出来たお父さんじみた想いを、オレは日本海よりも広く深い心に抱く。
「まぁいいや。あとで興味が出たとしても、奈々には絶対に教えてやらんからなぁ!」
オレはその言葉の裏に「行ってきなさい」という思いを込める。
「ん…… いや、悪いね……」
奈々はそんなオレの気遣いに気付いたのかどうか、申し訳なさそうに前髪を梳いた。
そんな奈々の仕草に、オレはふと気になって尋ねる。
「その前髪、母さんの髪留めは使わんの?」
実はオレの母さんは奈々にも、自分の使わないアクセサリーを押し付けていた。
「ん? ああ、あれはちょくちょく使わせてもらってるよ」
奈々がオレの問いに、律儀に答える。
「そうなの? 使ってるとこ、見たことないけど?」
オレは本当にそうだから、なんとなく尋ねた。
「……あー、結構気に入ってるからね、その、ここぞって時にしか、……使わないっていうか」
奈々は言葉を選びながら答えてくる。本当に使ってるのかな? とオレは疑念を抱いたが、恥ずかしそうに頬を掻く奈々の証言を、信じてやることにする。
「メンタのお母さんには『ありがとうございました』って伝えといて」
「うい、了解した」
と、オレがうけたまわると、丁度、後ろの席の本来の所有者が帰ってくる。
ついでに1時間目の教師が教室に入ってきたので、奈々は小走りで自分の席に戻っていった。
オレはその後ろ姿を特に見送ることもせず、大人しく高校生という仮の姿に
「まーた例の妄想話か、
オレの後ろの席の友人Aが話しかけてきたので、今度はそいつの相手をしてやることにする。
「お前はオレの話をハナから信じてないから、聞かせてやらん!」
「いや、別に聞きたくはねーし。あ、それよりもさ、お前、今週のジャ○プ読んだ?」
「……あ、見た見た! でも、今週さー、あんましパッとするやつなかったことね?」
「えっ、マジかよお前! アレ読んでねぇの?」
「……え、アレってどれだよ?」
そんな風に、オレはそこそこ楽しい学校生活を過ごす。
幼馴染への活動報告を終えたら、平均的な能力で勉強や運動をこなす。男友達と下らない話で盛り上がりながら弁当を食べて、そして午後も勉強やら運動やらをこなす。
高校生活は満足ってわけじゃないけど、特にこれといった不満もなかった。
しいて言うなら男友達の何人かには既に彼女というものがいて、オレにはその彼女というものがいない! ということが不満だった。
ま、まあ、そんなに興味があるわけじゃないからいいけど…… いいけれど。
だから、学校が楽しいか楽しくないかと聞かれたら、それなりに楽しい、と答えるだろう。
しかし、ふとした瞬間には放課後を待ちわびているオレがいた。
廊下を談笑しながら移動している最中にふと窓の外を見ると、放課後はどうしようかな…… なんて計画を立てているオレがいる。
日常の半分は、高校にいた。
だけど学校にいる時のオレは、あくまで世を忍ぶ仮の姿に過ぎない、という思いが、心の片隅に根付いてしまっている。
つまり高校生のオレは、いうならば昼の姿だ。
そして、夜の姿はもちろん、『エモータル』から人々を守る、影のヒーローなのだ!
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