第12話
月曜日――
鞘師警部から、電話で連絡があったのは午後3時頃だった。
「明日香ちゃんか、連絡が遅れてすまない。昨日の午後から、忙しくてね。実は、今日の午前中に、朝比奈奈緒を殺人容疑で逮捕した。間もなく、報道もされるだろう」
と、鞘師警部が言った。
「逮捕されたんですか? ということは、証拠は見つかったんですね?」
「ああ、全部明日香ちゃんの推理通りだったよ。朝比奈奈緒は、木曜日に花屋のアルバイトも大学も休んでいた。別の花屋で花を買って、馬場さんの家に木曜日に届けていたということだ。その花屋も、見つけた」
「領収書の件は?」
「ああ、領収書は事前に一枚だけ抜いておいたようだ。次の日から紙が変わったことは、気づかなかったそうだ。そうそう、ちなみになんだが。柊木春香さんの家の台所に、ボウルに入った花があったが。あの花は、柊木さんの部屋で揉み合ううちに、花瓶を割ってしまったそうだ。花が好きな彼女としては、花をそのままにしておけずに、台所に持って下りて、ボウルに入れておいたそうだ」
「そうですか。明日菜の言った通りですね」
「明日菜ちゃんが、そんなことを? 明日菜ちゃんらしいな。それと犯行当日に、馬場さんのお宅の分として持って出た花は、朝比奈奈緒の自宅から発見された。どうやら、配達途中に自宅に寄ったらしい」
「鞘師警部、春香さんを殺害した動機は話しているんでしょうか?」
「ああ、動機は、三角関係のもつれ――と、言ったところかな」
「どういうことですか? もしかして、春香さんと小田桐航太さんですか?」
「ああ、朝比奈奈緒の花では、二人は愛し合っていたそうだ」
「愛し合っていた? つまり、春香さんと二人で、小田桐航太さんを奪い合っていたということでしょうか?」
「いや、そうじゃない。自分と柊木春香さんがだ」
「そうですか」
「ああ、どうやら柊木さんには以前、交際していた男性がいたそうだ。しかし、柊木さんの両親が亡くなったのと同じ頃に、酷い振られかたをしたそうだ。男性不信になった柊木さんに、もともと女性が好きだった朝比奈奈緒が近付いたようだな。そして二人は、交際するようになった。ところが、そこに小田桐航太君が現れた」
「春香さんが、小田桐航太さんに好意を持つようになった――というところでしょうか?」
「そのようだな。その辺の詳細は、また小田桐航太君に聞こうと思っているが。小田桐航太君に好意を持つようになった柊木さんを、朝比奈奈緒は許せなかったようだ。そこで、どうせ自分のものにならないのならば、自分で殺害して、その罪を彼に擦り付けようとした。それが動機だ。凶器にバットを選んだのも、小田桐航太君が、元野球部だったからだ。凶器のバットは、小田桐航太君がアルバイトをしているスポーツ用品店で買ったものだ」
「それでバットに、彼の指紋があったんですね。でも、事件が解決してよかったですね。明日菜も、安心すると思います」
「――ああ、そうだな」
「鞘師警部、何か気になることでも?」
「いや――明日香ちゃんにも話したと思うが、柊木春香さんはバットで2回殴られているんだ。しかし朝比奈奈緒は、1回しか殴っていないと言っているんだ。そして、バットは部屋に置いてきたと」
「1回だけ――」
「ああ。それと、柊木さんは廊下で倒れていたが、朝比奈奈緒は部屋の中で殴ったと言っている。そのまま柊木さんが動かなくなったので、柊木さんの携帯電話を使って、メールで小田桐航太君を呼び出したと。森久保さんの家の防犯カメラに映らないように、勝手口から家に入らせて。家の中のどこかに彼の指紋が付けば、彼が疑われるだろうと」
「それじゃあ鞘師警部は、朝比奈奈緒の他にも、春香さんを殴った人がいると?」
「ああ、その可能性も考えられる。捜査本部では、朝比奈奈緒が嘘を言っていると考えている者もいるが、彼女は逮捕されてから、素直に話している。嘘を言っているようには、私には見えないんだ」
「そうですか、分かりました。鞘師警部、ありがとうございました。また何か分かったら、よろしくお願いします」
明日香さんは、電話を切った。
「明日香さんは、どう思っているんですか? やっぱり朝比奈奈緒が、嘘を言っているんでしょうかね? 明日香さんも、防犯カメラの映像を見たじゃないですか。朝比奈奈緒が出ていった後、僕たちが来るまでは、誰も入らなかったじゃないですか。――あっ! それとも、小田桐航太君のように裏の勝手口から? っていうか、やっぱり小田桐航太君が犯人なんじゃ――」
「ちょっと明宏君、静かにして」
「は、はい。すみません」
怒られてしまった。
「確かに、朝比奈奈緒が逃げてから、誰も春香さんの家に入るところは映っていなかったわ」
「はい。車で帰ってきた、森久保さんは映っていましたけど」
「――森久保さん」
「そういえば、明日香さんは最初は、森久保さんを疑っていたんですよね?」
「森久保さんは映像を見て、凶器はバットだと言った――」
「そういえば、言っていましたね」
「もしも森久保さんが、実際に見たんだとしたら――」
「見たって、何をですか?」
「朝比奈奈緒が逃げた後に、実際に春香さんの家に入って、倒れている春香さんと、落ちていたバットを見たとしたら――」
「もしかして、春香さんは死んでいなくて、廊下に這い出してきたところを森久保さんが――っていうことですか? でも、防犯カメラには、森久保さんが春香さんの家に入るところなんて映っていませんでしたけど」
「待って――あのとき、確か防犯カメラには……。実際に、確認してみるしかないようね。鞘師警部に、連絡をするわ」
明日香さんはそう言うと、探偵事務所の受話器を取った。
僕たちは、森久保さんの家に来ていた。
時刻は、午後4時前だ。
明日香さんが暗くなる前に確かめたいと言うので、鞘師警部とは直接ここで待ち合わせた。
平日の午後ということで、森久保さんがいるか不安だったが、森久保さんの車が庭に停まっている。どうやら、家にいるようだ。
「鞘師警部、詳細は先ほどメールで送った通りです」
と、明日香さんが言った。
「ああ、さっき公園の駐車場で読んだよ」
明日香さんは、車の中で鞘師警部にメールを送っていた。
つまり、僕だけ詳細を知らない。
「ちょうど森久保さんもいらっしゃるようなので、行きましょう」
鞘師警部が、玄関のチャイムを押した。
「はい」
すぐに、森久保さんが出てきた。
「あっ、刑事さんでしたね。何か?」
「森久保さんに、少しお聞きしたいことがありまして」
と、鞘師警部が言った。
「なんですか? もう、お話したじゃないですか」
「実は、柊木春香さんを殴った犯人が逮捕されました」
「そうですか、殺人犯が捕まったんですか。それは、よかった。春香ちゃんも、喜ぶでしょう」
「それは、どうでしょうか?」
「――どういう意味ですか?」
ここで明日香さんが、二人の間に割って入った。
「鞘師警部は、『殴った犯人が逮捕された』と、言ったんです。柊木さんを殺害した犯人とは、一言も言っていません」
と、明日香さんが言った。
森久保さんの表情が、少し変わったような気がした。
「えっ? 同じ意味じゃないですか?」
「いえいえ、まったく違いますよ。警察の取り調べでは、1回しか殴っていないと話しているそうです。でも、春香さんは2回殴られているんです。つまり、もう一人、春香さんを殴った人物がいるんです。その人物が、春香さんを殺害したんです」
「そうですか。どうして、僕にそんな話をするんですか? まさか、僕を疑っているんですか? そんなの――その女が嘘を言ってるんじゃないですか!」
森久保さんが、早口でまくし立てた。
「明宏君、聞いた?」
と、明日香さんが、僕に話を振った。
――なるほど、そういうことか。
「はい、聞きました」
と、僕は頷いた。
「鞘師警部も、聞きましたよね?」
「ああ、もちろんだ」
と、鞘師警部も頷いた。
「な、なんですか? 僕、何か変なことを言いましたか?」
森久保さんは、訳が分からず動揺している。
「森久保さん、『その女が嘘を言ってるんじゃないですか?』と、言いましたよね?」
と、明日香さんが森久保さんに聞いた。
「それが、なんだっていうんだ――」
「森久保さん、どうして逮捕されたのが女だと思ったんですか?」
「それは、ニュースで見て……」
「森久保さん、さっき鞘師警部に聞くまで、知らない様子でしたが。それに、まだニュースでは、やっていません」
「そ、それは……。そ、そうだ! 防犯カメラです! 防犯カメラの映像を見て、女だろうって。ニュースと言ったのは、僕の勘違いでした」
「それは、どうでしょうか? あの映像では、性別までは分からないと思いますよ。それとも、私たちに見せていない映像でも、隠し持っているんですか?」
「そ、そんな映像なんて――」
「まあ、それはないでしょう。森久保さん、あなたは車を運転しながら、春香さんの家から出てきた人物を直接見ていますよね? 本当は、そのとき出てきた人物に、心当たりがあったんじゃないですか?」
「…………」
森久保さんは、ついに黙ってしまった。
「森久保さん、あなたはその様子に何かを感じて、春香さんの家に入ったんじゃないですか? そして、廊下で倒れている春香さんを発見した。部屋の中に落ちていたバットを見たあなたは、何があったのか理解したんでしょう。近所の方のお話では、森久保さん、あなたは春香さんのことが好きだった。しかし春香さんは、あなたのことは何とも思っていなかった。次第に、あなたの春香さんに対する思いは、憎しみに変わっていった。そこで、倒れている春香さんを発見した。春香さんは、そのときは生きていたはずです。あなたは、今殺せば、逃げた女のせいにできると考えた。そして、バットで――」
「そ、そんなの、でたらめだ! あなたたちだって、防犯カメラの映像を見たじゃないですか! 僕が彼女の家に入るところなんて、映っていなかったはずだ! そっちの、若い兄ちゃん。あんただって、見ただろう? 防犯カメラの映像を!」
森久保さんが、興奮しながら僕を指差した。
「えっ? ええ、確かに見ましたけど。森久保さんが、春香さんの家に入るところは……」
「そうだろう! 僕は、入っていない!」
「あ、明日香さん。どうなんですか?」
「防犯カメラに映ることなく、柊木春香さんの家に入ることは――もちろん可能です」
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