第11話

「明宏君、時計を3時20分くらいに合わせておいてね」

 と、明日香さんが言った。

 僕は時計を合わせると、最後の配達先に向かった。


「この、アパートだな」

 と、車を運転しながら、鞘師警部が言った。

 この三階建てのアパートの一階が、最後の配達先だ。

「明日香さん、時計は3時40分です」

 と、僕は腕時計を見ながら言った。

「ここの、101号室だ」

 僕たちは車から降りると、101号室へ向かった。


 チャイムを鳴らすと、すぐにドアが開いて、住人が顔を出した。

「はい、どなた?」

 顔を出したのは、60代後半くらいの男性だった。

「お休みのところ、すみません。私、警察の者ですが。千野ちのさんでしょうか?」

 と、鞘師警部が、警察手帳を見せながら聞いた。

「ええ、千野ですが。警察が、何か?」

 と、千野さんが聞いた。

「少し、お聞きしたいことがあるのですが。千野さんは、一昨日の金曜日に、花を配達してもらいましたか?」

「花ですか? ええ、配達してもらいましたけど。それが、何か?」

「配達に来たのは、この女性でしょうか?」

 と、鞘師警部が、朝比奈さんの写真を見せた。

「そうです。この女性です」

「金曜日の何時頃だったか、覚えていますか?」

「確か、3時半は過ぎていたと思いますけど。正確な時間は、ちょっと……」

「そうですか。ちなみに、この女性は、すぐに帰りましたか?」

「ええ、事前に金額を聞いていたので。お釣りのないように、ちょうど用意しておいて。それで、サインを書いて。すぐでしたね。1、2分じゃないですかね」

「ちなみに、その花は?」

「花ですか? あれは、昔の部下の婚約祝いの花でして。渡してしまったから、ないですね」

「そうですか、分かりました。ご協力、ありがとうございます。これで、失礼します」

 僕たちは、千野さんの部屋を後にした。


「明日香さん、これからどうしますか? この時点で、春香さんが殺害された時間は、とっくに過ぎていますけど」

 と、僕は、明日香さんに聞いた。

「とりあえず、一度お店に戻りましょう。明宏君、時計を3時42分くらいに合わせておいて」

「分かりました」

 僕たちは、花屋に戻ることにした。


「明日香さん、時計はちょうど4時ですよ」

 と、僕は腕時計を見ながら言った。

 僕たちは、花屋に戻ってきた。

「朝比奈さんの、証言通りの時間だな」

 と、鞘師警部が言った。

「明宏君、時計を元の時間に戻してもいいわよ」

 と、明日香さんが言った。

「はい」

 とは言ったものの、いったい本当の時間は何時だ?

 何度も合わせすぎて、時間が分からなくなってきた。

「さて、明日香ちゃん。これから、どうする? もう一度、店に入って話を聞くかい?」

 と、鞘師警部が聞いた。

「そうですね――」

 と、明日香さんは、少し考えて言った。

「一度、探偵事務所に戻って、考えてみます」

「そうか。それじゃあ私も、一度、署に戻って、真田課長に報告してくるよ」


「明日香さん、領収書に何か気になるところでも?」

 と、僕は聞いた。

 明日香さんは、花屋で預かった領収書を見ていた。

「ああ、領収書を返すのを忘れていたな」

 と、鞘師警部が、車を運転しながら言った。

「別に、気になるわけじゃないんだけど、何かヒントでもないかと思っただけよ」

 と、明日香さんが言った。

「僕にも見せてもらっても、いいですか?」

「いいわよ」

 僕は、明日香さんから領収書を受け取った。

 当然だが、どこからどう見ても、普通の領収書だ。

 日付や金額などが書いてあって、朝比奈さんのサインが書いてある。そして、配達先の人のサインも書いてある。

「この受取人のサインが、偽造ってことはないですよね?」

 まあ、朝比奈さんの名前も、安達さん、馬場さん、千野さんの名前も、筆跡が違うから、そんなことはないか。

「何も、ないですね」

 と、僕は言いながら、何気なく領収書を裏から透かしてみた。

「あれっ?」

「明宏君、どうしたの?」

「いえ、気のせいかもしれないんですけど。この馬場さんの領収書だけ、紙の質が違うような気が――」

「紙の質?」

「はい。馬場さんの領収書だけ、他と比べると質がいいような気がして」

「ちょっと、見せて」

 僕は、明日香さんに領収書を渡した。

 明日香さんは、僕がやったように、裏から透かして見たり、指で何度も触ったりしている。

「鞘師警部、やっぱり馬場さんの領収書だけ、紙が違うみたいです」

 と、明日香さんが言った。

「そうか。しかし、どういうことだ? 安達さんか千野さんの領収書だけ違うなら分かるが、どうして間の馬場さんだけが――」

 そして、車は探偵事務所に到着した。


「明日香ちゃん、この領収書の件は、警察の方で急いで調べてみる。何か分かったら、連絡するよ」

 鞘師警部は、探偵事務所で僕たちを車から降ろすと、警察署に帰っていった。


 腹が減っては戦はできぬ――ということで、僕たちは探偵事務所の近くのラーメン屋で昼食を食べて、再び探偵事務所に戻ってきた。

「明日香さん、どう思いますか?」

 と、僕は聞いた。

「お店の店員の、山之内貴史君の話では、朝比奈さんは『領収書が切れていた』って言って、新しい領収書を持っていったのよね」

「そういえば、そんなことを言っていましたね」

「そのとき、領収書は何枚残っていたのかしら? 二枚以下だったことは、間違いないのよね」

「そうですね。三枚あれば、足りるわけですから」

「鞘師警部も言っていたけど、どうして間の馬場さんの領収書だけが、紙の質が違っていたのかしら? ここに謎を解く鍵が、あるような気がするんだけど……」

 うーん……。

 馬場さんの領収書だけが、違う理由か……。

 明日香さんが考えて分からないものを、僕が考えても分かるはずがないのだ(悲しい)。

「外が、少し暗くなってきましたね。雨が、降るのかな?」

 と、僕は窓の外を見ながら言った。

 天気予報で、雨が降るなんて言っていたかな?

「――雨?」

 と、明日香さんが呟いた。

「あっ、また明るくなってきました。少し、曇っていただけでしたね」

 窓から空を見上げると、雲の間から日が差していた。

「そうよ、明宏君! 雨よ!」

 明日香さんが、興奮を抑えながら叫んだ。

「雨じゃないですよ、もう晴れてきましたよ」

 と、僕は窓の外を指差しながら言った。

 明日香さんが、興奮するほど雨が好きだったなんて、知らなかったな。

「そうじゃないわよ。馬場さんが、言っていたじゃない。『雨が降る中、ご苦労なことです』って」

「ああ、確かに言っていましたね。でも、雨が降っていたのは、金曜日じゃなくて木曜日ですよ。馬場さんが、勘違いしているんじゃないですか? 近所の人が、言っていたじゃないですか」

「明宏君、もしもよ。もしも朝比奈さんが、馬場さんの家だけ、木曜日にお花を届けていたとしたら?」

 明日香さんが、とんでもないことを言い出した。

「どういうことですか?」

「馬場さんの言っていたことが、正しいとしたら? 朝比奈さんは雨の中、馬場さんの家にお花を届けたのよ。朝比奈さんは、木曜日はアルバイトを休んでいたのよね。アルバイトを休んだ理由は、大学の為じゃなくて、犯行時刻のアリバイを作るためよ。朝比奈さんも、馬場さんがボケてきているのを知っていたんでしょう。だから、騙せると思ったんでしょう。馬場さんが何か言っても、馬場さんが勘違いしているんだって。だけど、本当に雨の日に来たんだとしたら――」

「朝比奈さんにも、犯行が可能ということですね」

「ええ。朝比奈さんは、木曜日に馬場さんの家にお花を届けた。領収書も、事前に一枚だけ、用意していたのよ。そして金曜日は、まず安達さんの家に配達をして、それから春香さんの家に行った。犯行後、千野さんのアパートに配達をして、お店に戻ったのよ」

「でも、朝比奈さんが本当に木曜日に、馬場さんの家に配達に行ったという証拠がないですよね?」

「証拠ね。領収書のことが分かれば、もしかしたら――」

 そのとき、明日香さんの言葉を待っていたかのようなタイミングで、探偵事務所の電話が鳴った。

「もしもし、鞘師警部ですか? はい、桜井です」

「ああ、明日香ちゃんか。領収書の件だが、意外に早く分かったぞ。偶然なんだが署員の家族に、この領収書を製造している会社の社員がいてね。この領収書は、2ヶ月前にコストダウンのために紙を変えたそうだ。そして花屋の山之内店長に電話で確認をしたんだが、この領収書は先週に購入したもので、事件のあった日に初めて出したそうだ」

「そうですか、分かりました。こちらも、分かったことがあります――」

 明日香さんは、先ほどの推理を話した。

「なるほど、そういうことか。こちらの方で木曜日に彼女が、どこかの花屋で花を購入していなかったか調べてみるよ。それと、本当に木曜日に大学に来ていたのかも」

「よろしくお願いします」


「明宏君、後は警察の捜査を待ちましょう。今日は、もう帰っていいわよ。休日出勤、お疲れ様」

 僕は、早く帰って、体を休めることにした。おそらく、早ければ明日にも、事件は解決するだろう。

 このときの僕は、そう思っていた――

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