第8話
僕と明日香さんは、お婆さんの家でテレビを見ながら、お茶を飲んでいた。
お婆さんは旦那さんは既に亡くなり、子供たちも独立していて、一人暮らしだそうだ。
時刻は既に午後5時を過ぎて、辺りは暗くなってきていた。
お婆さんの家に、公園から一緒に歩いて来たのだけど、お婆さんのペースに合わせて歩いていたら、30分くらい掛かってしまった。
つまり、お婆さんは毎日1時間も歩いているということだ。僕も、もっともっと歩くようにしないといけないな。
そして、家に着くと、お婆さんがお茶を出してくれた。
お婆さんは、チラシを探してくると言って、家中を探しているが見つからないみたいだった。
「明日香さん、どうします? もうすぐ、6時になりますよ。もう諦めて、春香さんの大学で聞いた方が早いんじゃないですか?」
と、僕は腕時計を見ながら言った。
「そうね。でも、大学に聞いても、個人情報を教えてくれるかしら? それに、あんなに一生懸命探してくれているのに、『やっぱり、いいです』なんて、私は言えないわよ。それでも、どうしてもっていうんだったら、明宏君が言ってきてよ」
と、明日香さんは、僕に押し付けてきた。
「えっ? 僕が、言うんですか? 僕だって、そんなことを言うのは気が引けますよ」
「明宏君、あなた探偵助手でしょ? こういうことは、助手の役目って決まっているものよ」
「そんな役目、今まで聞いたことがないですよ」
「そうね。私だって、初めて言ったもの。そんなことは、どうでもいいから、つべこべ言わないで、今すぐ言ってきてよ」
「分かりましたよ」
僕は、しぶしぶ立ち上がった。
僕が部屋を出ようとすると、そこにお婆さんが入ってきた。
「あっ、お婆さん。あの、見つからないなら、もういいですよ。これ以上は、悪いですし。もう、僕たちも帰りますから」
「うん? なんじゃって?」
お婆さんが、寂しそうに僕の目を見つめたような気がした。
「って、明日香さんが――」
と、今度は僕が、明日香さんに押し付けようとした。
「あすか? そうかそうか、明日また来るのか」
お婆さんは、何か勘違いをしているようだ。
「い、いえ、そういう意味じゃなくて――」
「それじゃあ、今日中に探しておくから、明日また取りに来なさい」
と、お婆さんは、笑顔で言った。
「明宏君、あなたのせいよ。明日、明宏君が責任を持って、取りに行きなさいよ」
と、明日香さんが冷たく言った。
「いやあ、それにしても待たせて悪かったね。もう、こんな時間か。待ったついでだ、飯でも食っていきなさい」
と、お婆さんが、とんでもないことを言い出した。
「あっ、そんなにお気になさらないでください。私たちは、これで帰りますから」
と、明日香さんが、慌てて言った。
「いいからいいから、もうすぐできるから。ちょっと、待っていなさい」
もうすぐ、できる?
お婆さんは、チラシを探していたんじゃないのか? 夕食を、作っていたのか?
「私一人じゃ、食べきれんから。捨てるのも、もったいない。遠慮せずに、食べていきなさい」
と、お婆さんはニコニコしながら、部屋から出ていった。
「わあ、美味しそうですね」
と、明日香さんが言った。
どうやら明日香さんは、もう帰ることは諦めたみたいだった。
台所のテーブルの上には、チラシはチラシでも、ちらし寿司があった。
「チラシを探しておったら、ちらし寿司が食べたくなってきてな。チラシを探す合間に、ちらし寿司を作っておったんじゃ」
と、お婆さんは、大真面目な顔で言った。
いや、逆でしょう。
どう見ても、ちらし寿司を作っている合間に、チラシを探していたとしか思えない。
「こんなに、美味しそうなちらし寿司を食べずに帰ろうとするなんて、明宏君は最低な男ね」
はいはい。もう、何とでも言ってください……。
「そうじゃ。二人に会ったときから、気になっておったんじゃが。二人は、できてるのかね?」
と、お婆さんが、僕と明日香さんの顔を交互に見ながら聞いた。
できてる――って、僕と明日香さんが付き合っているのかっていうことか?
「えっ? い、いえ、そんな。明日香さんと僕は、ただの探偵と助手ですよ(残念ながら)」
と、僕は言った。
「そ、そうですよ。ど、どうして私が、明宏君なんかと――」
と、明日香さんは、激しく首を横に振って否定した。
何も、そこまで嫌がらなくても……。
「そうか。私の、思い過ごしじゃったか」
残念ながら、お婆さんの思い過ごしだ。本当だったら、嬉しいのだが……。
「そ、そうです。思い過ごしですよ」
と、言いながら、何故か明日香さんの顔が少し赤くなっている。
きっと、激しく首を振りすぎたせいだろう。
「お嬢さん、すまないけど、そこの食器棚から皿を出してもらえんか」
と、お婆さんが、食器棚を指差しながら言った。
「は、はい。分かりました」
明日香さんは、慌てて皿を取りにいった。
「これですね――あら?」
「明日香さん、どうかしましたか?」
「あったわ」
と、明日香さんが呟いた。
「明日香さん、皿があるのは、見れば分かりますよ」
わざわざ、あったと宣言するほどのことでもない。
「違うわよ。チラシよ」
「えっ? ちらし寿司は、ここにありますけど?」
「そうじゃなくて、探していたチラシよ」
と、明日香さんが、一枚の紙を差し出した。
「なんじゃ、そんなところにあったのか。なんで、そんなところに? そんなところに、しまった覚えはないんじゃが」
と、お婆さんが言った。
それは、こっちが聞きたいですよ、お婆さん……。
「明日香さん、どうしますか? すぐに、向かいますか?」
と、僕は聞いた。
「行きたいところだけど、今日は諦めましょう。お店は、7時までみたいだし。今すぐ探偵事務所に戻っても、間に合わないわよ。明日の朝にしましょう」
そうだ。僕たちは、明日香さんの車じゃなくて、バスで来ていたんだった。
「お婆さん、今日はありがとうございました」
と、僕たちは、お婆さんにお礼を言って、帰ることにした。
ちらし寿司を食べた後、『お風呂に、入っていけ』だの、『今夜は、泊まっていけ』だの、しつこく言われたけど、さすがに断った。
まあ、明日香さんと泊まりたくないと言えば、嘘になるけど。
明日香さんは、顔を赤くしながら断っていた。体調が、よくないのだろうか?
「明日香さん、春香さんの家に寄って行きますか?」
と、僕は聞いた。
忘れそうになっていたけど、もともとは、それが目的だったはずだ。
お婆さんと一緒に、春香さんの家の前は通ったけど、さすがにお婆さんと一緒に現場を見るわけにもいかなかった。
「もう、いいわよ。暗くて、よく見えないわよ。家の鍵を、持っているわけでもないし」
ということで、僕たちはバスに乗って帰ることにした。
翌日――
今日は日曜日だけど、今日も休日出勤だ。
今日も、いい天気だな。僕は、青空を見上げながら、心の中で呟いた。
でも、今朝の天気予報では、午後から悪くなるかもしれないと言っていたな。
こんなに、いい天気なのに、分からないものだな。
僕がいつもの時間に探偵事務所に出勤をすると、探偵事務所の駐車場の明日香さんの白い軽自動車の横に、よく見慣れた赤い車が停まっていた。
どうやら、鞘師警部が来ているみたいだ。
そう――探偵も警察官も、土日は関係ないのだ。
僕は階段を上がると、探偵事務所のドアを開けた。
「明日香さん、鞘師警部、おはようございます」
「明宏君、おはよう」
と、明日香さんと鞘師警部が、同時に返事をした。
「明日香ちゃんから聞いたよ。昨日は私と別れた後に、かなりの進展があったそうじゃないか。真田課長にも連絡をしたんだが、やっぱり二人を一緒に連れて行かせて正解だったと、とても喜んでいたよ」
と、鞘師警部が言った。
真田課長のニコニコ顔が、目に浮かぶようだ。
「はい。鞘師警部の方は、どうでしたか? 小田桐航太は、あの後どうなりましたか?」
「ああ、彼には帰ってもらったよ。さっき明日香ちゃんにも話したんだが、私の印象では、彼はシロだな。おそらく真犯人が、彼に罪を擦り付けようとしているんだろう」
「やっぱり、そうですか」
「まあ、そうは言っても、私の印象だけでは判断できないから、そっちの線でも捜査は続いているがな」
「鞘師警部、明宏君も来たことだし、そろそろ行きましょうか」
「ああ、そうだな。それじゃあ、行こうか。彼女が、まだその花屋で、アルバイトを続けていれば、いいんだが」
と、鞘師警部が、腕時計を見ながら言った。
僕たちは探偵事務所を出て、鞘師警部の車で、朝比奈奈緒さんがアルバイトをしているという、花屋に向かうことにした。
「明日香ちゃん、昨日の話を、もう一度詳しく聞かせてくれないか。明宏君からも、頼む」
と、鞘師警部が、車を運転しながら言った。
明日香さんと僕は、昨日のことを詳しく話した。
「そうか、お婆さんの家に泊められそうになったという話は、さっき明日香ちゃんからは聞かなかったな。泊まって来なかったのかい?」
と、鞘師警部は、笑いながら言った。
「ちょっ、ちょっと、鞘師警部。そんなことは、事件と何も関係がないじゃないですか。だから、言わなかったんです。それに、私が明宏君と泊まるわけが、ないじゃないですか! そんなことよりも、事件の話をしましょう」
と、明日香さんが慌てて言った。
「そうだな。そのお婆さんの見間違いじゃなければ、朝比奈奈緒さんは怪しいな」
「やっぱり、そうですよね」
と、僕は頷いた。
「だが、森久保さんのことも気になるな」
「森久保さんですか? そういえば、明日香さんも最初は、森久保さんが怪しいと思っていたんですよね?」
「そうね。でも今は、朝比奈奈緒さんのことに集中しましょう」
と、明日香さんが言った。
「この住所からいくと、この辺りだな」
と、鞘師警部が言った。
「鞘師警部、あそこじゃないでしょうか?」
と、明日香さんが、後部座席から身を乗り出して、指差した。
「そのようだな」
鞘師警部は、花屋の駐車場に車を停めた。
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