第2話

 僕は、明日菜ちゃんの友達の家に向かって、車を走らせていた――

 ちなみに、正しい道順は探偵事務所から左だった。


「そういえば明日菜、まだお友達の名前を聞いていなかったわね」

 と、明日香さんが聞いた。

「そういえば、まだ言ってなかったっけ。名前は、柊木春香ひいらぎはるかちゃんだよ。木へんに冬と木で柊木。春に香りで春香。高校生のとき、私とずっと一緒のクラスだったの。『冬か春か、どっちだよ』なんて、男子に言われていたわ。高校生の頃の春香ちゃんはね、ちょっとおとなしい感じの子だったかな。今は、大学生だよ。私よりも身長が20センチも低くて、かわいらしい女の子だよ。春香ちゃんはね、去年の今頃に両親を交通事故で亡くしているの。今は、両親と住んでいたお家に、一人で住んでいるのよ。他に家族がいなくて、一人っ子だったから」

「その柊木春香さんが、明日菜にいったい何の相談があるのよ? 相談をする相手を、間違えているんじゃないの?」

「明日香さん。もしかして、お金の相談とかじゃないですか?」

 と、僕は二人の話に割って入った。

「お金の相談?」

 と、明日香さんが聞き返した。

「ええ。女子大生の一人暮らしですよね。金銭的にも、苦しいんじゃないでしょうか? 明日菜ちゃんだったら、人気モデルでお金もあるし。少しでもいいから、貸してほしいとか」

 僕も一人暮らしだから、金銭的な大変さはよく分かる。

「明宏さん、それはないと思うわ。春香ちゃんのおじいさんが、結構お金持ちなのよ。だから、金銭面は全然困ってなかったと思うわ。ご両親が亡くなったときに、おじいさんのお家に行くっていう話もあったみたいだけど、春香ちゃんが『両親との思い出がつまっている、この家から離れたくない』と言って、断ったの。それからは、おじいさんが援助しているみたいだから。残りの学費も、全部出してくれたって。だから、アルバイトなんかも、していなかったはずよ」

「へえ、そうなんだ(僕にも、誰か援助してくれないかな)。それじゃあ、どんな相談なんだろう?」

「さあ、私もあんまり詳しくは聞いていないんだけど、たぶん男の人のことだと思うわ」

「男の人のこと?」

「うん。先月くらいに電話で話したときに、何かそんな感じのことを言っていたから」

「春香さんに、恋人はいるの?」

 と、明日香さんが聞いた。

「去年の年末に会ったときに聞いたんだけどね、昔はいたみたいだけど、ご両親が亡くなった直後くらいに別れたって言っていたわ。今は、どうかな? はっきりと恋人がいるとは言っていなかったけど、私のことを理解してくれる人がいるって言っていたわ。『どんな男性?』って、聞いたんだけど、何故か言いたがらなかったわ」

「っていうことは、その理解してくれる人についての相談なのかな?」

 と、僕は言った。

「それは分からないけど。春香ちゃん本人に会えば、はっきりするよ」

 と、明日菜ちゃんが言った。


「明宏さん、そこの交差点を右に曲がって」

 と、明日菜ちゃんが指差した。

 車は、住宅街の方に入っていた。

「春香ちゃんのお家は、車が停められないから。手前に公園があって、そこの駐車場に停められるから。そこから、歩いてすぐよ」


「明宏さん、そこの駐車場に停めて」

 と、明日菜ちゃんが言った。

 僕は、公園の駐車場に車を停めた。他には、車は停まっていなかった。

 公園にも、人は一人もいなかった。

 僕は、腕時計を見た。もうすぐ5時だ。すぐに太陽が沈んで、暗くなってくるだろう。

「ここから、歩いてすぐだよ」


 僕たちは、公園の駐車場から1分くらい歩いて、『柊木』という表札のある家の前までやって来た。

 おじいさんがお金持ちというから、凄い豪邸かと思ったけど、そんなことはなく、普通の二階建ての家だった。

「ここが、春香ちゃんのお家だよ」

「車が、1台停まっているね」

 と、僕は言った。

 狭い庭に、ピンクの軽自動車が1台停まっていた。どうやら、この1台分しか停められるスペースがないようだ。

 確かにこれでは、明日香さんの車は停められないな。

「この車は、春香ちゃんの、おじいさんからのプレゼントみたいだよ。もともとは、春香ちゃんのお父さんの大きなワゴン車があったみたいだけど、その車は処分してしまって、おじいさんが新車を買ってくれたんだって」

 と、明日菜ちゃんが言いながら、チャイムを鳴らした。


 しばらく待ったけど、家からは誰も出てこなかった。

「おかしいな。チャイムの音、聞こえなかったのかな?」

 明日菜ちゃんが、もう一度チャイムを鳴らした。やはり、誰も出てこない。

「どうしたんだろう? 春香ちゃん、寝てるのかな?」

「明日菜、約束の時間は合ってるの?」

 と、明日香さんが聞いた。

「うん。今日の夕方5時にって、春香ちゃんが。私も、ちょうどスケジュールが何も入っていなかったから」

「もう、5時は少し過ぎてるわね」

 と、明日香さんが腕時計を見ながら言った。

「もう一度、チャイムを鳴らしてみましょう」

 と、今度は、明日香さんがチャイムを鳴らした。

 僕は、耳をすました。間違いなく家の中で、チャイムの音は鳴っているようだ。

「まだ、大学から帰っていないっていうことは? どの部屋も、灯りはついていないみたいだけど」

 と、僕は聞いた。

 外は、まだ多少明るいけど、家の中は暗いんじゃないだろうか?

「それは、分からないけど――」

 と、明日菜ちゃんは不安そうだ。

 僕は、試しにドアを開けてみた。

「あっ、明日香さん。ドアに、鍵が掛かっていないですよ」

 ドアは、ゆっくりと開いた。

「中に、入ってみましょう」

 と、明日香さんが言った。

 僕たちは、家の中に入った。


 家の中は灯りがついていなくて、薄暗かった。

「春香ちゃん、いる? 明日菜だよ!」

 明日菜ちゃんが大きな声で呼びかけたけど、返事はなかった。

「やっぱり、いないんじゃない?」

 と、僕は言った。

 この暗さだ、いるなら灯りをつけるだろう。

「鍵も掛けずに、出かけたりするかしら? 無用心すぎるわ」

 と、明日香さんが言った。

 確かに、東京で鍵を掛けずに出かけるのは無用心か。

 僕の地元の鳥取県の田舎では、おばあさんは鍵を掛けずに出かけることもあったけど。

「靴は、あるわね」

 と、明日菜ちゃんが言った。

 玄関には、靴が一足ある。

「この靴は、春香さんの靴?」

 と、僕は聞いた。

「たぶん春香ちゃんが、いつも履いている靴だと思うけど……」

 と、明日菜ちゃんが言った。

「ちょっと、上がってみましょうか」

 と、明日香さんが言った。

「明日香さん、勝手に上がって大丈夫ですか?」

 明日香さんは僕の質問にはこたえず、靴を脱いで上がりこんで、玄関と廊下の灯りをつけた。

 まあ、こういうことは初めてじゃないし、明日菜ちゃんがいるから、たぶん大丈夫か。僕と明日菜ちゃんも、靴を脱いで上がりこんだ。


「私は一階を見てくるから、明宏君と明日菜は二階を見てきて」

 と、明日香さんが言った。

「分かりました。明日菜ちゃん、行こうか」

「うん。明宏さん、先に上がって……」

 と、明日菜ちゃんが言った。

 明日菜ちゃんの声は、少し震えていた。明日菜ちゃんは、何か不安を感じているのだろうか。

 僕は、ゆっくりと階段を上がり始めた。


「あ、あの、明日菜ちゃん――もうちょっと、離れてくれないかな?」

 明日菜ちゃんが、僕にぴったりくっついてくる。

 ああ、何かいい匂いがする。きっと明日菜ちゃんのファンからしたら、とてもうらやましい光景だろう。

 しかし僕としては、明日菜ちゃんではなく、明日香さんとくっつきたい。

「ごめんなさい。何か、急に怖くなってきちゃって……。だいたいミステリー小説とかだと、探偵が――」

 と、明日菜ちゃんは言いかけて、途中でやめてしまった。

 おそらく、嫌な想像をしてしまったのだろう。だけど、現実には小説のようなことは、そうそう起こることはない――この瞬間は、そう信じていた。

「明日菜ちゃん、大丈夫だよ。行こうか」

「――うん」

 僕たちは、二階に上がってきた。


 二階に上がって廊下の方を見た瞬間に、それは目に入った――

「あ、明宏さん……。あれ――」

 僕の後ろから、顔を覗かせた明日菜ちゃんが呟くように言った。

「明日菜ちゃんは、見ない方がいいよ」

 明日菜ちゃんが、二階の廊下の灯りをつけた。

 廊下が明るくなって、それがはっきりと見えた。

 そのとき、明日菜ちゃんが僕に倒れかかった。僕は、明日菜ちゃんを抱き抱えるように支えると、その場に座らせた。

「明日香さん! こっちに、来てください!!」

 僕は、大声で明日香さんを呼んだ。

「どうしたの、明宏君?」

 明日香さんが、階段の下から顔を覗かせた。

「明日香さん、大変です! 人が、倒れています。頭から血を流して、人が倒れています!」

 明日香さんは、階段を駆け上がった――

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