第2話
僕は、明日菜ちゃんの友達の家に向かって、車を走らせていた――
ちなみに、正しい道順は探偵事務所から左だった。
「そういえば明日菜、まだお友達の名前を聞いていなかったわね」
と、明日香さんが聞いた。
「そういえば、まだ言ってなかったっけ。名前は、
「その柊木春香さんが、明日菜にいったい何の相談があるのよ? 相談をする相手を、間違えているんじゃないの?」
「明日香さん。もしかして、お金の相談とかじゃないですか?」
と、僕は二人の話に割って入った。
「お金の相談?」
と、明日香さんが聞き返した。
「ええ。女子大生の一人暮らしですよね。金銭的にも、苦しいんじゃないでしょうか? 明日菜ちゃんだったら、人気モデルでお金もあるし。少しでもいいから、貸してほしいとか」
僕も一人暮らしだから、金銭的な大変さはよく分かる。
「明宏さん、それはないと思うわ。春香ちゃんのおじいさんが、結構お金持ちなのよ。だから、金銭面は全然困ってなかったと思うわ。ご両親が亡くなったときに、おじいさんのお家に行くっていう話もあったみたいだけど、春香ちゃんが『両親との思い出がつまっている、この家から離れたくない』と言って、断ったの。それからは、おじいさんが援助しているみたいだから。残りの学費も、全部出してくれたって。だから、アルバイトなんかも、していなかったはずよ」
「へえ、そうなんだ(僕にも、誰か援助してくれないかな)。それじゃあ、どんな相談なんだろう?」
「さあ、私もあんまり詳しくは聞いていないんだけど、たぶん男の人のことだと思うわ」
「男の人のこと?」
「うん。先月くらいに電話で話したときに、何かそんな感じのことを言っていたから」
「春香さんに、恋人はいるの?」
と、明日香さんが聞いた。
「去年の年末に会ったときに聞いたんだけどね、昔はいたみたいだけど、ご両親が亡くなった直後くらいに別れたって言っていたわ。今は、どうかな? はっきりと恋人がいるとは言っていなかったけど、私のことを理解してくれる人がいるって言っていたわ。『どんな男性?』って、聞いたんだけど、何故か言いたがらなかったわ」
「っていうことは、その理解してくれる人についての相談なのかな?」
と、僕は言った。
「それは分からないけど。春香ちゃん本人に会えば、はっきりするよ」
と、明日菜ちゃんが言った。
「明宏さん、そこの交差点を右に曲がって」
と、明日菜ちゃんが指差した。
車は、住宅街の方に入っていた。
「春香ちゃんのお家は、車が停められないから。手前に公園があって、そこの駐車場に停められるから。そこから、歩いてすぐよ」
「明宏さん、そこの駐車場に停めて」
と、明日菜ちゃんが言った。
僕は、公園の駐車場に車を停めた。他には、車は停まっていなかった。
公園にも、人は一人もいなかった。
僕は、腕時計を見た。もうすぐ5時だ。すぐに太陽が沈んで、暗くなってくるだろう。
「ここから、歩いてすぐだよ」
僕たちは、公園の駐車場から1分くらい歩いて、『柊木』という表札のある家の前までやって来た。
おじいさんがお金持ちというから、凄い豪邸かと思ったけど、そんなことはなく、普通の二階建ての家だった。
「ここが、春香ちゃんのお家だよ」
「車が、1台停まっているね」
と、僕は言った。
狭い庭に、ピンクの軽自動車が1台停まっていた。どうやら、この1台分しか停められるスペースがないようだ。
確かにこれでは、明日香さんの車は停められないな。
「この車は、春香ちゃんの、おじいさんからのプレゼントみたいだよ。もともとは、春香ちゃんのお父さんの大きなワゴン車があったみたいだけど、その車は処分してしまって、おじいさんが新車を買ってくれたんだって」
と、明日菜ちゃんが言いながら、チャイムを鳴らした。
しばらく待ったけど、家からは誰も出てこなかった。
「おかしいな。チャイムの音、聞こえなかったのかな?」
明日菜ちゃんが、もう一度チャイムを鳴らした。やはり、誰も出てこない。
「どうしたんだろう? 春香ちゃん、寝てるのかな?」
「明日菜、約束の時間は合ってるの?」
と、明日香さんが聞いた。
「うん。今日の夕方5時にって、春香ちゃんが。私も、ちょうどスケジュールが何も入っていなかったから」
「もう、5時は少し過ぎてるわね」
と、明日香さんが腕時計を見ながら言った。
「もう一度、チャイムを鳴らしてみましょう」
と、今度は、明日香さんがチャイムを鳴らした。
僕は、耳をすました。間違いなく家の中で、チャイムの音は鳴っているようだ。
「まだ、大学から帰っていないっていうことは? どの部屋も、灯りはついていないみたいだけど」
と、僕は聞いた。
外は、まだ多少明るいけど、家の中は暗いんじゃないだろうか?
「それは、分からないけど――」
と、明日菜ちゃんは不安そうだ。
僕は、試しにドアを開けてみた。
「あっ、明日香さん。ドアに、鍵が掛かっていないですよ」
ドアは、ゆっくりと開いた。
「中に、入ってみましょう」
と、明日香さんが言った。
僕たちは、家の中に入った。
家の中は灯りがついていなくて、薄暗かった。
「春香ちゃん、いる? 明日菜だよ!」
明日菜ちゃんが大きな声で呼びかけたけど、返事はなかった。
「やっぱり、いないんじゃない?」
と、僕は言った。
この暗さだ、いるなら灯りをつけるだろう。
「鍵も掛けずに、出かけたりするかしら? 無用心すぎるわ」
と、明日香さんが言った。
確かに、東京で鍵を掛けずに出かけるのは無用心か。
僕の地元の鳥取県の田舎では、おばあさんは鍵を掛けずに出かけることもあったけど。
「靴は、あるわね」
と、明日菜ちゃんが言った。
玄関には、靴が一足ある。
「この靴は、春香さんの靴?」
と、僕は聞いた。
「たぶん春香ちゃんが、いつも履いている靴だと思うけど……」
と、明日菜ちゃんが言った。
「ちょっと、上がってみましょうか」
と、明日香さんが言った。
「明日香さん、勝手に上がって大丈夫ですか?」
明日香さんは僕の質問にはこたえず、靴を脱いで上がりこんで、玄関と廊下の灯りをつけた。
まあ、こういうことは初めてじゃないし、明日菜ちゃんがいるから、たぶん大丈夫か。僕と明日菜ちゃんも、靴を脱いで上がりこんだ。
「私は一階を見てくるから、明宏君と明日菜は二階を見てきて」
と、明日香さんが言った。
「分かりました。明日菜ちゃん、行こうか」
「うん。明宏さん、先に上がって……」
と、明日菜ちゃんが言った。
明日菜ちゃんの声は、少し震えていた。明日菜ちゃんは、何か不安を感じているのだろうか。
僕は、ゆっくりと階段を上がり始めた。
「あ、あの、明日菜ちゃん――もうちょっと、離れてくれないかな?」
明日菜ちゃんが、僕にぴったりくっついてくる。
ああ、何かいい匂いがする。きっと明日菜ちゃんのファンからしたら、とてもうらやましい光景だろう。
しかし僕としては、明日菜ちゃんではなく、明日香さんとくっつきたい。
「ごめんなさい。何か、急に怖くなってきちゃって……。だいたいミステリー小説とかだと、探偵が――」
と、明日菜ちゃんは言いかけて、途中でやめてしまった。
おそらく、嫌な想像をしてしまったのだろう。だけど、現実には小説のようなことは、そうそう起こることはない――この瞬間は、そう信じていた。
「明日菜ちゃん、大丈夫だよ。行こうか」
「――うん」
僕たちは、二階に上がってきた。
二階に上がって廊下の方を見た瞬間に、それは目に入った――
「あ、明宏さん……。あれ――」
僕の後ろから、顔を覗かせた明日菜ちゃんが呟くように言った。
「明日菜ちゃんは、見ない方がいいよ」
明日菜ちゃんが、二階の廊下の灯りをつけた。
廊下が明るくなって、それがはっきりと見えた。
そのとき、明日菜ちゃんが僕に倒れかかった。僕は、明日菜ちゃんを抱き抱えるように支えると、その場に座らせた。
「明日香さん! こっちに、来てください!!」
僕は、大声で明日香さんを呼んだ。
「どうしたの、明宏君?」
明日香さんが、階段の下から顔を覗かせた。
「明日香さん、大変です! 人が、倒れています。頭から血を流して、人が倒れています!」
明日香さんは、階段を駆け上がった――
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