第13話 - 元服の儀 - 経を基にして織り成す未来 - 手古16歳のとき、基経になる -



仁寿にんじゅ元年(851年)7月、吉日を選んで、

この日の夜、16歳の手古てこは東宮内殿にて元服式を行った


元服式の後に、再度、仁寿殿じじゅうでんにて文徳もんとく帝に拝謁はいえつし、元服の儀の全てを滞り無く終えた




帝に加冠して貰い、初めての叙位で正六位上に叙されること

それは、同年代の臣下とは待遇の異なる破格の元服式であり、良房よしふさの威光に対する文徳帝の気遣いによるものだった


また、純粋に手古の将来のためというよりも、養父である良房が自身の権威を周囲に示す意味を多分に含んでいた



この元服式より以前に、養父の良房と実父の長良ながらは手古の元服後の名を決めるため、

在朝の通儒と呼ばれている、春澄善縄はるすみのよしただに名字勘申を命じ、2つ程の案が出されたが、最終的に『基経もとつね』という名が選ばれた



「経」には「たていと」や「不変の教え」などの意味があり、「経」の字は基経の異母兄達と共通の文字だったが、織布を織るときに「たていと」を固定し、それを「基」に織り上げていくような、古今を貫通して不動の基幹となる古典に通ずる人になるよう、という願いを込めて名付けられた



これは、特に、父の長良と勘申した儒者である春澄善縄の願いや思いが込められて、名付けられたものであった



そして、手古という幼名を改め、

『基経』として生きることになる-



実際、その名付けた人達の思いや願いが見えない力となったのか、名は体を表したのか、

手古こと基経は、長良や善縄の願いや思いのとおりに、漢詩や笙の笛はもとより、儀式や後に有職故実ゆうそくこじつと呼ばれるそれに通ずる第一人者となるのだが -




この正式な元服式の後日、長良は内輪だけで宴を行う事を主催したが、基経の思いを気遣って、事前に時康ときやす親王や人康さねやす親王と相談して宇多院で小規模の祝賀の宴を行うことにした



因みに、良房は宴には参加するいとまが無いらしく、長良が気を利かせて良房宛に文を出し、誘ったが、返事には『そんな暇はない。』と一言書かれていた




元服後の翌日昼、基経は父の長良が用意してくれた八葉車はちようのくるまで宇多院に移動する




宇多院に着くと親王達が出迎えてくれた



『元服後の束帯そくたい姿でも、やっぱり可愛らしいね。

強いて言えば、可愛いらしいから綺麗になる途中というか。』


『男装の麗人ぷりが良いねぇ』



親王達が手古の元服後の束帯姿をみて、

はしゃぐ



『…ありがとうございます。今日から、手古から基経という名になりました。』


無表情の中にも照れたように、基経が告げると、時康親王が感慨深げに言う


『良い名を貰ったね。手古という名も似合っていたけれど、基経という名も何だか以前からそうだったような…凄くしっくりときて似合うよ、とても』



基経はそれに、はにかむように微笑み返す



宇多院での祝賀の宴では時康親王が自慢の料理の腕を奮い、基経の好きな数種類の唐菓子や心太ところてん、鮭の楚割すわやりと山椒や豆を混ぜ込んだ御飯、御馳走らしく山菜、あわび烏賊いかなどの山海の幸の数々をあつもの等に調理したもの、残暑が厳しいとのことで氷室ひむろから運ばれた氷を削った削氷けずりひとそれにかけるための甘葛煎あまづらせん、甘酒、団茶など、親王達と長良が協力し合って様々なものを用意して待っていた


それは、夏の体力補給に役立つ食物や暑さを凌ぐための削氷など、見た目にも美しく、身体にも嬉しい効能のあるものばかりだった




美味しいご馳走で皆のお腹と心が満たされたところで、基経と親王達との楽が奏される



曲目は、今日の祝賀に相応しく輪台楽りんだいがく青海波せいがいはを3人で奏する

時康親王の和琴と人康親王の琵琶と基経の笙の笛の音色が絶妙に合わさって、

長良の眼の前に、異国情緒漂う蒲桃酒ぶどうしゅを飲む人達が鴻臚館こうろかんで舞う姿の後に、紺碧に煌めく瑠璃色の海と白波が広がる




そうして、曲がひととおり終わると、今度は基経が夏引楽を独りで奏でる


天井から注ぐ眩ゆい光が蓮池を照らす風景が広がり、背景にみえる濃い緑色に染まる丘陵も淡い光に包まれている

薄紅色の蓮花の上にのっている雫を迦陵頻伽かりょうびんが達が楽しそうに掬い集めている



親王達も長良も美しい音色とその眼の前に広がる光景に、

まるで時が止まったかのように魅入られ、聴き入っている



皆に名残惜しまれながら、演奏が終わるやいなや、基経はもじもじとして、『…少し、お腹が…失礼します』と言って足早に行ってしまった



『ははは…あの子はお腹が弱いから、冷たい削氷にお腹が冷えたかな…それにしてもここまで美しく奏でられるのは、あの子には笙の笛の神が宿っているのかもしれないね。


しかし、あの子はとても聡明な子なのだけれど、気難しくて好き嫌いも多くて年齢より幼いところがだいぶあるから、大変だろう?

幼い顔立ちだから、そうは見えないけれど、

もう16歳、昨日、元服して大人の仲間入り。

最近は身長も伸びてきて、大人になってきてはいるのだろうけれど…』



基経の父、長良の言葉に親王達は笑って答える



『そうですね。でも、そういった部分も含めて私達兄弟にとっては可愛い弟みたいな存在です。

褒めた時の照れ顔や笙の笛を一生懸命吹いている横顔、可愛い寝顔だとか、御飯を美味しそうにゆっくりと味わって食べていて、たまに頬や口元に米粒を付けていたりするところとか、とても可愛くて、見ているこちらまで幸せな気分になれます』



そんな親王達の言葉に長良はとても安心した



『そう言ってもらえると、とても安心します。

あの子には気の合う趣味の友達が必要だと思っていたからね。

価値観や性格の違いによるものなのだろうけれど、あの子は他の兄弟や従兄弟ともあまり仲がよくないみたいだし、友達や後見人を自分から作るのもあまり得意そうではないので、将来がとても心配だったんだよ。

私自身も何だか歳をとってきたな、と最近思うようになったし。

私も気兼ねしていたところに弟の良房があの子を養嗣子ようししに欲しいと懇願してきてね、

確かに弟のところは娘さんしかいないし、

何度もお願いされるとなかなか断り難くて…


それで、元服後に良房の養嗣子として送り出す約束をしているのだけれど…

でも、あの子は人の上に立つのには正直向いていなそうだし、本人もそれを望んでいないようだから不憫でね。

良房があの子を養嗣子にする件とは別に、

後継ぎは弟の良相よしみを立ててくれれば一番良いように思うのだけど』



心配そうな長良の言葉に、



『そんな話になっているのですね…。

手古…基経は興味あることや嫌いなものについては私達によく話してはくれるけれど、今思い返してみると、辛いことや苦しいことは私達の前であまり言わないから、気付けなかった…

私達はこれからも今までどおりに、

楽や漢詩、食事等を通して、基経が少しでも楽しくいられる安らげる場所を作って支えますので、一緒に見守りましょう』



長良を励ますように言う時康親王に続き、

人康親王も長良に嬉しい話を伝える



『それに、手古…基経がうちの娘をとても気に入ってくれていて、娘は気難しくて人見知りな上、まだ小さいのに、女の子があまり好まない漢詩や薬学の本ばかり読んでいるから、他の同年代の子と馴染めないんだ。

人見知りなところは私に良く似ていて、あの趣味は父帝(仁明にんみょう帝)譲りなのかと思うけれど…

基経とは性格も似ていて趣味も気も合うし、

2人が並ぶと、まるで姉妹みたいにそっくりでとっても可愛いのだよ。


それで、基経に『将来、娘をもらってくれないか』と伝えたら、

基経は夢の中のような場所でずいぶんと前から娘に会って仲良くしてくれていたみたいで、その話を聞いたとき、私は嬉しくて、娘と基経はお互いが運命の相手なのだろうな、と直感的に思ったんだ。

基経も娘を相当に気に入っているらしく、

『絶対、他の人にあげてはダメですよ』と

今から独占欲にあふれているのには可愛らしくて、思わずにやけてしまったよ』



人康親王の話に長良は驚く


『あの子が、女の子と仲良くしていたなんて初めて知ったよ。

私の娘達…基経の妹達が皆揃って気が強いせいか、『女の子は怖くて苦手…』と言っていたのね。


安心するのと同時に、あの子の身体のことがあるから、ちょっと心配ではあるかな…

一応、男子として育ててはいるけれど、

あの子の身体は男子として成長しているのか、女子として成長しているのか…

そんなことは、本人にはなかなか聞きにくいことでもあるし…

もう年頃だからね、そういった兆しが出始める頃だろう。』



いつのまにか、

基経が戻ってきて無表情の中に気まずそうな恥ずかしそうな顔をして、また、もじもじとし出した


『…父上、ご心配無く、私の身体は男子としても女子としても成長しているので…

でも、脱いでみせるとかは絶対に嫌です…』



『そんなこと言うはずないじゃないか、

とりあえず、無事に健康に成長してくれて、

何よりも良かった』



長良は笑いながらそう言って、

基経の頭を優しく撫でる



お祝いの品に、姫君の格好も似合うからと、

女子の着るうちきを数枚、唐衣からぎぬ領巾ひれなど衣一式をそれぞれ数枚ずつ、水面に垂れる優雅な藤の花に切り箔や砂子を散らした絵の描かれた檜扇ひおうぎ蝙蝠扇かわほりおうぎ、藤の花と萩の花を模した挿頭かざし、同じく藤の花の螺鈿蒔絵細工が美しい唐櫛笥からくしげに入った化粧道具一式を親王達から貰った

宮中に出仕しない日で宇多院に来る時は、

このお祝いの品で着飾った姿で来て欲しいとのことだった




耳を澄ますと、裏手にある森の方から蝉時雨に混じって、ひぐらしの鳴く声が聞こえる -



日が長い初秋とは言え、楽しく過ごす時間はあっという間で、もう外は暗くなりかけていた

基経と長良は親王達に御礼をして、しじを踏み、八葉車に乗り込んで宇多院を後にする



黄昏時の暮れ行く道々に、蝉時雨が降り注いで八葉車を包み込んでいる -



自邸の枇杷殿びわどのまでの道程を進む八葉車に揺られながら、基経は父の長良に、昨夜の元服式がとても緊張したこと、祝賀の宴のご馳走が美味しくて幸せだったことやお祝いの品を身に付けるのがとても楽しみなこと、楽しかったことなどを話す



『喜んでもらえて、よかった。

本当に、笙の笛も驚く程に上手くなって、

数年前までは心許ない程に幼くて頑なだったのに、心も身体も少しずつ成長していることが知れて、私は、手古…基経の成長が自分のことのように嬉しいよ』




基経の楽しそうに話す言葉に、長良が優しく微笑んで、それに答えた



基経は、長良と楽しく話すのと同時に、

胡桃に早く元服後の自分の姿を見せたくて、仕方なくて、そわそわとしていた



あぁ、抱きしめたいな…大人になった自分に今まで以上にときめいて貰いたいな…

…胡桃もそういえば、いろいろとあちこちが成長してきたことよ


昨晩は夜に元服式があったため、帰りが遅くなった関係で胡桃との睦み合いの時間が結局とれず、基経は悶々としているせいか、

胡桃とのそれを思い出し始めたら止まらなくなって、手の甲にポタリと鼻血が垂れた



『基経、大丈夫かい?今日は暑かったから、

暑気にやられたのかな…さっきもお腹を壊していたようだし…』



長良が心配そうに言うので、基経は申し訳なくなった

冷や汗を隠して、無表情を通して言う



『…大丈夫です。別の要因で暫し垂れただけなので….』



元服してますます、むっつり度が上がっている手古こと基経であった



しかし、基経の普段の振る舞いと真面目さの下に隠されたその性癖は当事者の胡桃以外には全く想像にも及ばないところにあるのだが -









*元服(初冠ういこうぶり初元結はつもとゆいとも呼ばれた)

年齢は一定では無いが、大体、数え年で11〜20歳くらいで行われ、帝、東宮、親王の場合には少し早目で11〜17歳の間に行われることが多かった。

また、帝の場合は正月1日〜7日に行われ、臣下もそれに習い、正月中に行うことが多かった。

尚、時間帯は概ね夜の戌の刻(19〜21時に相当)に行われることが多かった。


しかし、特に臣下の場合には、

実際は、その家の経済状況、父母や周りの意向に左右され、何歳で行うかも個人によってまちまちであったし、また、この時代の後の摂関家の元服式の日程の記録を調べたところ、正月以外もかなりあり、時間帯も昼に行われたこともあった。

要は、占いの結果の吉凶に左右されるため、日程、時間帯ともに結局まちまちになってしまうのかと推測される。


このお話の手古が基経になる元服式は、史実の記録としては、851年(仁寿元年)に東宮内殿にて文徳帝に加冠して貰ったことのみしか残っておりません。

そのため、お話を描くにあたり、まず、この年の改元(嘉祥→仁寿)に着目し、仁寿に変わったのが4月28日のため、嘉祥と仁寿の記載間違いなどが無ければ、元服式はそれ以降の期日となります。

大雨による水害のあった5月と8月、大嘗会のあった11月とその準備や後処理に追われているであろう前後の月(10月と12月)を除くと、6月、7月、9月が残ります。6月と9月はまだ大雨による水害の影響を引きずっていると思われるため、比較的平穏な7月と推測して描きました。


名字勘申も後の記録が多く残る平安中期〜院政期のものを見ると、有能な儒者や懇意にしている儒者に候補を出して貰っていることから、この頃に儒者として活躍し、在朝の通儒と呼ばれた春澄善縄がこの役目を担ったと推測し描いております。




 


 

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