第12話 - 青は藍より出でて藍より青し- 2人で乗り越えることの幸せ -

大枝おおえを超えて、走り超えて、

おどがり超えて、
我や護る田にや 

探り漁りしぎや 雄々おおい鴫や



その頃、巷では、三超の童謡わざうたと呼ばれる

こんな童謡が流行っていた -



本当に何処に行っても最近よく耳にするなぁ…

少し前に宇多院に行った際に、親王達もこの事について言っていたことを思い出す



親王達の異母兄である今の帝は、第一皇子の惟喬これたか親王を東宮にと以前から望んでいたのに、良房よしふさは自分の娘の生んだたった生後8ヶ月の第四皇子を強引に東宮に据えたのだと



つまり、あの童謡の意味しているところは、第一皇子である惟喬親王を始め、年長の皇子が三人もいるのにも関わらず、彼らを一気に飛び越えて、強引に生まれたばかりの第四皇子を帝に有無を言わさず、東宮に据えた良房のやり方への風刺なのだ



その強引なやり方を宮中に勤める官人どころか、民からも批判されている





…はあ…溜め息しかでない…



9年前に起きた承和じょうわの変の事といい、今回の事といい…

あの承和の変で恒貞つねさだ親王を廃太子した上、数多くの犠牲を出してまで、叔父良房の妹であり、私から見て叔母にあたる順子のぶこ皇太夫人の生んだ皇子 - すなわち今の帝を無理やり東宮にし、昨年、その東宮が帝になったばかりだというのに


良房にとっては、それで念願叶ったり…ではなく、まだまだ念願が他にもたくさん色々とあるのだろう



しかも、帝は第一皇子の惟喬親王を東宮にと切に望んでいたらしく、時康ときやす親王が帝と会話した感じでは、帝は本心では惟喬親王擁立を諦めていないようなのだ



私は来年の元服の後、そんな強引で恐ろしい叔父…良房の養嗣子ようししになることが決まっている



ああ、本当に憂鬱でしかない…



それに、叔父の命令のとおりに、

人の多さに吐きそうになりながらも週に一度は勧学院に行き、藤原一族としての心構えは何たるか、とかなんとかの、心底どうでも良い長々しい講義を受けたが…

勧学院は宿舎併設の施設であるため、兎に角、人が多い…

毎回毎回、仲間同士で群れていて大声でわあわあと煩わしく、自習室があっても気が散って満足に書も読めないのだ



あの場所に行くと、知識が蓄積されるのではなく、鬱屈や鬱憤だけが蓄積される気がする…


そのような場所で学べというのは、

私にとっては、まったくもって嫌がらせでしかない


同じ命令の中でも、自分の部屋である塗籠ぬりごめで書写している方がずっと良い

気持ちが楽だし、胡桃くるみも側にいるし…



塗籠の中でこつこつと進めている国史の書写は、儀式や祭祀や楽についての記載部分など、なるほどこういうふうに伝えられて今の形に至るのだと感心し、とても興味深いのだが、

権力の裏側にある流罪や暗殺で血塗られているその歴史の積み重ねが叔父良房の策謀や行動と相まって、そういったことを記載してある頁を書写する度に嫌な気分になってくる



叔父は私に策謀の肩担ぎ、策謀を通して権力を掌握することを伝承させようとしている気がする…

父の長良ながらはのんびりと穏やかに出仕しているのに、どうしてその長良の子でありながら、

かような使命を負わねばならぬのだ…

私には到底向いていないし、そういう気もないのだから最初から土台無理な話である…



手古てこは来年の元服げんぷくを控えて、国史や律令について記してある令義解りょうのぎげの書写をし、日々たくさんの事を学び吸収しながら、昨今の情勢もかんがみて、自分の行く末と今後の身の処し方を悶々と悩み、考え続けていた -



そういった悩みの様々を胡桃に打ち明けると気持ちが少し楽になれるため、2人で仲良く書写しながら、悩みや愚痴、国史や令義解に書いてあることを話したりする



『胡桃や大事な人を守る為なら、

それは私だって悪にもなるし、やるからには私をいつも莫迦にしている気に食わない叔父や兄達や常行ときつらに勝ちたいとは思うけれど、

必要以上の過度な権力を手にするために、

誰かを流罪にしたり、暗殺したりして伸し上がるのは何だか本末転倒な気がするのだ。


結局、事件を企てたとみられる当事者の多くは自身の策謀で葬った人達の怨霊に怯え、

心と体の病になったり、気がおかしくなって、仕舞いには命を落としてしまう前例は

枚挙に暇が無い。


その負の歴史を私は繰り返したくない。


最も、あの叔父、良房は怨霊なんて信じていなそうだけれど…』



手古の言葉に嬉しくなって、胡桃がふわっと笑いながら答える



『ふふっ…ありがとう。私のためには悪にもなってくれるのね、できれば、そんな事態にはなって欲しくないけれど…例えそうなったとしても、私は手古が他のみんなから非難されてもずっとずっと手古の味方よ。

しかし、書写してて思うのは、似たような事件がよくこうも何回もあるものだわ、と思うの。

で、結局、呪いだのなんだのと一番騒いでいるのは当事者だものね、何か滑稽…。

それに、終わってみて後悔したって取り返しがつかないことの方が多いのにね。

だけど、手古の言ったとおり、あの叔父様はどれだけ策謀を企てても、周囲から非難されても、こたえなさそうな人ね。

怨霊なんて信じていないんじゃないかな…』



『そうだな。私は本当の怨霊はあやかしや怪のたぐいでは無く、人の心に住まう鬼の方だと思うている』




ならば、私はどういう風に、なりたいか…




手古は寝そべってゴロゴロと寝床の上で転がって、何かを深く考え込んでいるようであったが、愛用の笙の笛である橘皮の入った袋が視界に入ると、急に立ち上がって意を決したように言う



『…胡桃…私は、私が好きな漢詩や楽の演奏がもっと世の中で評価されるように、それらを極める人達の中でもとりわけ官位に恵まれない人達も大勢いるみたいだから、そういう人達にも活躍の場を与えたい。


何よりもあの日、仁明にんみょう帝がこの笙の笛- 橘皮を私に託したその思いを繋げるためにも、

私の資質を見込んで託してくれた御恩に報いるためにも、

宮中の特別な行事や儀式、法要以外にも楽の演奏や学問、漢詩などの詩歌を披露できる場を設けて、先帝(仁明帝)が生前こよなく愛した楽の演奏や学問、詩歌を臣下のひとりとして推進していきたいのだ。



私にとって、先帝は今でも父や兄のような、

敬愛する恩師のような、そういう存在なのだ。


何よりも、胡桃のお爺様だし…胡桃のことを大切に思うその気持ちにも繋がっていて…。


それから、今日まで伝わる行事や祭祀、祖先の霊を鎮めるための方法の見直しや整備を行うことも必要かと思う。

律令も現状に合わなくなってきたこともあるし…班田の見直しも必要かな。



どうせやるならば、

血に塗られた暗躍策謀のまつりごとではなく、表の歴史には見え難い不遇を囲った人達の努力を忘れずに、私の得意な事で政に貢献し、より風雅な文化の発展に力を尽くしたい』



手古は得意げに胸を張って言う



『そうね、あの叔父様の後継者だから権力志向者に違いないと周囲から偏見の目で見られてしまって、辛いこともこれからきっとたくさんあるかもしれないけれど、手古ならきっと実現できるわ。

手古の目標のために、私に手伝えることがあったら言って欲しい。力になりたいから。

…でも、意気込んで根を詰め過ぎると体に良くないわ』


手古を心配するように胡桃が言うと、



『…胡桃だって、私と一緒にあれらの本を書写していて疲れただろう?根の詰めすぎに関しては私の事を言えないではないか…』



手古が笑って返す



『…だって、手古がひとりで頑張っているのをただみてるだけは凄く辛い…手古の力になりたいの…

それに、目の前にある課題が山積みで多ければ多い程に闘志が漲ると言うか…終えた時の達成感が自分が成長したなって充実感が得られて、快感で幸せなのだもの!』


キラキラとした目でそんな風に言う胡桃が眩しくて可愛くて、手古は思わず破顔してしまう


『ぷふっ…そうだね。胡桃は見た目によらず、いつも負けず嫌いで根気強くて、その一生懸命さや物事を楽しむ気持ちが私の心に優しく流れ込んできて、勇気付けられて、

何か凄く愛しいな…って思う』


手古は無意識に胡桃を抱き寄せる



『…手古だって、普段の冷静そうな無表情ぶりや見た目によらず、負けず嫌いなくせに。

そんなところも、とっても大好きで愛しいけれどね』





じっと、ただ抱きしめ合っていると、

お互いの脈打つ音と雨音だけが聴こえる



時折、暖をとるために置いてある火桶の炭のパチパチとはぜる音がそれに混じる



冬の凛とした空気を思わせる侍従じじゅうの香と雨の匂いが混ざり合って、塗籠を満たしている -




しばらくして胡桃の耳許に手古は囁く


『…ここのところ、疲れが溜まっていたせいか、何だか不安になってしまって…

思い詰め過ぎていたのかもしれない…

息抜きも大事なことよ、というわけで、

今日は湯浴みしながら睦み合いたい…』



『…最近むっつりな手古が全開だよ…嬉しいけど、…私の姿が他の人には見えなくても音が漏れないか心配だし、たくさんしたら上気のぼせちゃうかも…』


『…むっつりとは、私は胡桃が愛しいからなのに、ひどいことよ…。

やっぱり、周囲に気兼ねなく二人きりで過ごせる自邸を早く構えて胡桃と暮らしたいな…。

室にお洒落な唐風の御帳台みちょうだいや大きな湯殿を設けて…恥ずかしくて、今はまだ言いにくいこともいろいろしてみたいし…』



『…ほら、やっぱり、むっつり手古…。

でも、嬉しくて幸せ。そんなに私のことを愛しく思ってくれてありがとう』



冬の冷たい夜の雨に塗籠から漏れ出る侍従の香が溶け込んでゆく -



壺庭では、小鳥が枇杷の葉の下で雨宿りをしている




雨水に、不安も悩みも穢れも洗い流して -

さっき語った夢と展望が天まで届いて溶けていったなら -

明日は冬の空高く、澄み切って、青々と晴れ渡るといい



ねぇ、手古…と胡桃が笑顔で呼びかける


  

『君子曰はく、学は以てむべからず』


手古もそれに答える


『青は、これを藍より取りて、藍より青く、

氷は、水之みずこれを為して、水より寒し』




『手古は手古のやり方で誰よりも上に昇っていける、そういう人になれるわ。

あの叔父様とは別の意味でね。


まぁ…少なくとも、私にとっては手古は今のままでも、過去も未来永劫、誰よりも何よりも素敵で一番なんだけれどね』



胡桃の温かい言葉に、

手古の真っ白な頬がほんのり薄紅色に染まる



『…辛いことも苦しいこともたくさんあるけれど、こうして2人で乗り越えて行くこと自体が何だか、幸せだなって思う』



手古はそう言うと、胡桃を掻き抱いて

空に落ちていくような、意識が遠くなる程の深い口付けをする -



まるで雨上がりに水蒸気が立ち昇っていくかのように、遠のいていた意識が戻ると、

手古と胡桃はお互いの名を呼び、

偶然にも、同時に同じ言葉を伝え合うのであった




『胡桃』


『手古』



『愛しくて大好き、

いつも側にいてくれてありがとう』


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