ほんのちょっとの間のお別れ
そして実質、Z先生と過ごす最後の春期講習は早く来てしまった。
翌日から家族で海外に行く予定があり、この日までずっと日程を詰めて春期講習の授業を受けてきた。たった二週間と少しの春期講習があの機会で少しだけZ先生と距離を縮めることが出来た気がする。あいにく、もう二年も前の記憶なので覚えていることもごくわずかではあるが。
それでも間違いなく今まで生きてきた中で最も充実した春休みだったことには変わりない。充実していた春期講習もこの日で早くも終わりを迎えようとしていた。
この時は他の生徒もいて思う様に喋ることはできなかった。人見知りを発動してしまったせいで気まずめな空気の授業にはなってしまったが、それでも私は中二では最後の授業だと楽しんでいた。
いつもはかなり忘れん坊な先生だったがこの日、Z先生は私の春期講習が終わることをなんとなく知っていたらしい。数学を図解する用の裏紙の束をパラパラとめくりながらZ先生がぼそっと呟いた。
「あ、そうか明日から海外行くんだっけ?」
「はい、海外に遊びに行きます」
「じゃあ今日で春期講習最後か」
「はい、そうです」
「あ、そうなんだ。へえ〜どこに行くの?」
「え?内緒です」
「あ、そ。まあ楽しんで行ってきて下さいな」
「はい、楽しめないかもしれないけど行ってきますよ」
「え?なんで?楽しくないの?」
「わからないじゃないですか、楽しめるかどうかなんて」
「もしかして反抗期?」
「・・・そうかもしれないですけど」
「あ、そうなんだ」
そっけなく相槌を打つZ先生。Z先生はずっと俯き加減に何かを見つめていた。
「次会うのは中三ってことか」
「そうですね、あっという間でしたね」
「ねー。でも中三になれないかもしれないよ?」
「え?なんでですか?」
「色々悪いことしてるから」
「いや、悪いことしてないですって先生!いつ私色々悪いことしましたか?」
「ごめん、忘れた」
「ほら絶対嘘ついてる!絶対中三になって帰ってきますから!」
そう私が言うとZ先生がくしゃくしゃな笑顔を見せてくれた。
次Z先生に会う時はもう中三なのか。
なんとなく寂しさを感じた。
振り返ってみれば私の中二生活十一ヶ月の中でZ先生と過ごしたのはたったの一ヶ月半。それなのにその一ヶ月半は私の中二の人生の中で最も充実したものであり、またかけがえのないものであった。
ほんの少しの間ではあったがなんとなくZ先生のおかげで毎日が楽しくなっていることに気がついた。
しばらくZ先生には会えなくなっちゃうんだな。寂しい。寂しすぎる。
たった二週間程度のお別れなのに、Z先生の笑顔がしばらく見れないことに寂しさを覚えていた。
受付を通り過ぎ、塾を出ていこうとした時、Z先生が扉を開けて待っていてくれた。
思ってみれば、Z先生はほぼ毎回、私が出る度に塾の扉を開けて待っていてくれた。これはきっと塾の決まりだったのだろう。それでも私はZ先生が扉を開けて待っていてくれるのが本当に嬉しかった。そしていつも挨拶をすると目をそらしていつもそっけなく「さよなら」と言われていた。さっきまであれだけ楽しく話していたのに帰りの挨拶だけ急にそっけなくなってしまうZ先生は日常茶飯事のことだった。
いつものことだと思って受け流してしまえばいいのに。
読者の皆さんはそう思ったかもしれない。でも誰かに思いを寄せたことがある人ならきっとわかるだろう。そう簡単に受け流す訳にも行かないのだ。いつものことだとわかっていても心のどこかで自分のことを責めてしまう自分がいた。だって、それくらいZ先生のことを気にしていたから。例え、Z先生がなんとも思っていなくとも。
そしてこの日も最後の春期講習の日であるにも関わらず、そっけなく「さよなら」と挨拶をされて塾を追い出されてしまった。どうせまた会えるのになんとなく悲しかったことを今でも身に染みて覚えている。この日の帰りの空は綺麗な桃色で春風も吹いていたことを思い出す。
そしてその翌日、国際便の飛行機はZ先生のことをぼんやり考えていた私のことを乗せて静かに飛びだって行ったのだった。
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