常識を教えてくれた数学の先生

 私は世間知らずだった。元々家族は丁寧な言葉を好み、いわゆる現代で流行っている言葉を使うことは滅多になかった。年頃になった私が「まじ」「やばい」などを使うと毎回怖い顔をされて注意を受けていたほどだ。そんな家族の影響もあってか私は現代の流行りの言葉が全く通用しない人間に育っていた。今思えば、礼儀正しい教育を受けてきたのだと家族に感謝をすることができるが、当時の自分としては古臭くて嫌だった。実際に学校でも現代語が飛び交うことがあったがあえてその言葉の意味を聞くことはしなかった。


 現代語を使う人がいることは塾でも同じだった。言葉を省略したり私には理解し難い単語が塾でもたくさん飛び交っていた。Z先生も現代語をよく使う人の一人だった。塾にきてから約一ヶ月が経っていたがZ先生から数え切れないほどの現代語を耳にしてきた。

 ふとしたある日、他の生徒がいない時に現代語について聞いたことがある。


いつもの様にZ先生が一生懸命解説をしてくれていた。

「・・・だから、答えは三分の二π。り?り?」

この「り」という単語が全く理解ができなかった。

「先生、りってなんですか?」

「え!?りって知らないの?」

 Z先生はかなりショックを受けた顔をしていた。いや、きっと大袈裟にそんな顔をしたのだろう。

「はい、私、りって言葉わからないんです。りって言葉聞いたの先生が初めてです。」

「いや、どう考えても推測できるでしょ?」

「でも私頭悪いんで本当にわからないんですよ」

「まじか。りって、理解した?ってことだよ。ほら、り?」

「り」

試しに「り」とZ先生に言ってみる。するとZ先生は満足げに

「そう、使えてるじゃん」

と言った。

私が現代語を理解できないことにどうやらZ先生は相当関心した様だ。

「え、じゃあさあ、まじとかやばいってわかるよね?」

「それは流石にわかりますよ。馬鹿にしてますか?先生」

Z先生が声を立てて笑った。

「じゃあウケるは?」

「あ、それはわからないかもしれません」

「まじかあ。それはやばいよお姉さん」

「しょうがないじゃないですか、私の家族は私が汚い言葉を使っただけで怒るんですよ」

「いや、でもウケるくらいわかるっしょ」

「え、じゃあウケるってなんですか?」

「お姉さん、時代遅れだねえ。まさか俺より国語ができない人がいるなんて思いもしなかった」

「え?先生苦手なんですか?」

「うん、苦手だよ〜。でも俺以下ってことかあ、まじでやばいね」

「うるさいですよ、先生!」


 初めてZ先生にからかわれた。確かに私が時代遅れだったのは紛れもない事実だ。でもまさかZ先生も国語力がひどいとは。

 言われてみれば確かにZ先生は私に数学を説明する時、表現に困っているシーンを見たことは少なくなかった。やっと一つ、私とZ先生の共通点を見つけることができた気がした。


「で、ウケるってなんですか?先生」

「あ、そうだ、ウケるって面白くて笑えるってことだよ」

「ウケる」

「お〜使えてるじゃん」

「私現代人になりたいんで」

「そうだよね、お姉さんは時代遅れだから現代語を勉強しないとね。あ、数学じゃなくて現代語の授業にする?でもゆうて俺も現代語苦手なんだよね」

「じゃあ先生も時代遅れですね。小学校の先生が時代遅れの人はちょんまげって言っていました」

「ちょっとよくわからないなあ」

顔をしかめるZ先生。なんだかそんな表情のZ先生が可愛く見えた。


「でも現代語がわからないってやばいんですか?」

「うん、超やばいと思うよ。生きてけないもん」

「まあ確かにそれでハブられることありますけど」

「あ、ハブられるって言えてるじゃん」

「あ、確かにそうでした。ってことは私、先生よりも現代語使えているんですかね」

「それはないなあ。だってりって言葉もわからなかったんでしょ。やばすぎ。ウケる」

「でもたったさっき使える様になりましたから」

「デモまだまだ修行が必要だよ、お姉さん」

「さっきからばかにしないで下さい!」

またZ先生がくしゃっと笑ってくれた。ずっと言葉が苦手なことに嘆いていた私。でもZ先生のおかげで言葉ができないということに逆に自信を持てる様になった。

逆に驚かれるし、話題にしてもらえるから。


「私、言いたいことをうまく言葉にできないんですよね」

「それは俺もわかるなあ」

「なんか言ってる言葉がわからないって言われるんです。ちなみに先生、私の言ってることわかりますか?」

「ちょーっとよくわからないなあ」

「じゃあ先生も一緒に現代語勉強しますか?」

「いやうまく話せないお姉さんが悪い」

「ひどいですねえ、先生も言葉苦手って言ってたくせに」

「いやでも流石にお姉さんが現代語使えないのは俺もびっくりだったわ〜江戸時代だね」

「いや、私こそ先生の言っていることよくわからないんですけど」

またおかしくて二人で笑ってしまった。



 また私の常識のなさは数学の問題にも響くことになる。


 確率の勉強をしていた時だった。


 大体の確率の問題は正答している中、トランプの問題だけは全滅していた。


 Z先生が一生懸命確率の仕組みを教えてくれているなか、ずっと疑問に思っていることがあった。それはトランプの仕組みだ。


Z先生は一生懸命、エースを引く確率や絵札を引く確率などを説明してくれているが、私にはさっぱりわからなかった。そもそもトランプの経験が少ない私(神経衰弱くらいしかやった覚えがない)はトランプのルールは愚か、エースやら絵札などという言葉など通用しなかったのだ。躊躇しながらもZ先生に勇気を出してこの事実をうちあげることにした。


「先生、私、トランプやったことないんです」


「うそお!!」


Z先生の反応はかなり動揺していた。


「じゃあ、キングとかクイーンとかもわからないの!?」


「はい」


「それはやばいでしょ」


「そんなの常識だよ、常識」


「ごめんなさい、私常識人じゃないかもしれないです」


「ほんとだよ。ってかお姉さん。この時代の人じゃないんじゃない」


「ちょんまげですか?」


小学生の時に先生に言われたくだりを使ってみた。


「うん、そうゆうこと」


先生の顔は完全に呆れムードだった。




「しょうがないなあ、じゃあ1からおしえてあげるよ、トランプについて」


「ありがとうございます」



「えっとねえ。トランプっていうのはジョーカーを除いて全部で52枚あるのね」


「はい」


「で、そこから更に4つの種類のカードに分類されて・・・ハート、クローバー、ダイヤ、スペードかな?」


「ほおーなるほどー」


「うん、で。エースっていうのが1番のカードで11番、12番、13番が絵札、つまりキングとかクイーンとかそういうカードね」


「ああだからスポーツとかでもエースが一番なんですね」


「そそ、そういうこと。り?」


「り!」


「よし。それにしてもよく生きてこれたね、お姉さん」


「それはけなしですか」


そういうとくしゃっとZ先生は笑った。そういうことらしい・


「ひどいですね、先生。まさか先生がそんな人だなんて思わなかったです」


とジョークを飛ばすと、


「えー悲しいなあ」


 と全くそんな素振りを見せずに笑っていた。


 それからカードに関する確率の問題は一気に解きやすくなった。

 

 あと私は世の中で流行っている話題についても何も知らなかった。Z先生は現代社会については何も知らなかったが私は逆に芸能ニュースなどの若者の話題をほとんど知らなかった。


「ねえ、***の不倫騒動って知ってる?」

「誰ですか?そして不倫ってなんですか?」

「それはまじでやばいって。どうやって生きてきたの?」

「普通に生きてきましたけど」

「まじかよ〜テレビあまり見ないんだっけ?」

「はい、ダメっていわれます」

「うわ〜めんどくさいなあ説明。まあいいや。不倫って浮気みたいな感じっていうのかなあ。ほら芸能人の不倫とかいうじゃん」

「確かに聞いたことはあるんですけど意味はよく知りませんでした。で、***って誰ですか?」

「有名な女優の人だよ。バンドマンと不倫したの。詳しいことは家に帰ってネットで調べて下さい。流石にあるよね、スマホ。今調べてもいいんだよ?」

「スマホ持ってないです」

「それもやばみ。時代遅れすぎるわあ」

「私そんなこといわれる筋合いないです」

 この言い合いのあとも互いの世間知らずさを知らされていく様になる。そしてまた数え切れないほどの現代語をZ先生から教わることになった。現代に生きるためにはある意味必要な教養なのでZ先生にはちょっぴり感謝している。そしてここから塾を離れる日までずっと国語力の争いをすることになる。

 

 同じ言葉が苦手な人に出会えて本当に嬉しかったことを今でも覚えている。


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