Ⅴ 竜同士の戦い (2)

 さて、そうして跳び移ったハーソンが狂戦士ビャルネンと対峙している間にも、黒いドラゴンとティヴィアス達のドラッカーは激しい戦闘を続けている。


「――うぉりゃああっ! ……フン! ……こなくそっ…!」


「……オーエス! ……オーエス…!」


 船首でティヴィアスが襲い来る巨大な前肢を戦斧と盾で防いでいる一方、操船要員の者達は不安になる気持ちを押さえてオールを漕ぐことだけに集中し、ドラゴンの脇腹へ回り込もうと必死に旋回している。


 ウゥウウウウ…。


 だが、不気味な鳴り声――アスビョルドの吹く合図の角笛を響かせるドラゴンもその黒い巨体を旋回させ、炎を吹きかけられる優位な位置を死守しようとなかなか脇を取らせようとはしない。


 結局、両船が脇をとってやる、いやとらせまいとせめぎ合い、波立ち荒れ狂う海の上をくるくると回転し続けているといったような有様だ。


 また、そうして船乗り達が懸命にオールを漕ぐドラッカーの両舷でも、事態は動こうとしていた。


「……ん? うわあっ…! やつら、乗り込もうとしているぞっ!」


 突然、船縁に蒼白い手がかけられたかと思うと、髪も服もずぶ濡れになった血の気のない顔の男が船によじ登ろうと海中から姿を現す。


 それも、その一人だけではない。左右の船縁のあちらこちらで、同時多発的にそんな水死体が船内へ乗り込もうとしているのだ。


「させるかあっ! 皆、斬り捨てて振り払えーっ! 敵の狙いは漕ぎ手だ! こちらの脚を奪う気だぞ!」


「オォーッ!」


 それを見て、アウグストは皆を鼓舞すると自らも片側の船縁へと向かう。


「ひぃ…だ、誰か助けてくれっ!」


「待ってろ! 今行く! とりゃあっ! ……あ、そなたは船長殿……」


 すると、這い上がって来た水死体に掴みかかられた者がいたので、慌てて駆け寄って斬り伏せてみると、それはあのハンゼ都市国家同盟の船の船長だった。


「すまぬ。ついつい頭を真っ二つに……許せ。これも戦の習いだ……って、効いてないし! …うぐっ……クソっ! これだから死体相手の戦は嫌いなのだ!」


「クァアアアア…!」


 やむを得ぬこととはいえ恩人の遺体を斬ってしまい、少なからず罪悪感を覚えるアウグストだったが、頭を唐竹割にされても船長の水死体はどこ吹く風で、裂けた顔のままで今度はアウグストに掴みかかってくる。


「いくら斬ってもぜんぜん効いてねえぞ! こいつら本当に不死身かよ!」


「ダメだ! きりがねえ! このまんまじゃ時間の問題だぞ!」


 それは、アウグストだけでなく、他の者達のところでも同様である。相手は痛みも恐怖も感じない、悪魔の操る死体……たとえ深手を負わせても、けして攻撃の手は緩めないのだ。


「まだ、武器持ってねえだけマシだが……こんなもん、どうすりゃ止められるんだよ!」


「…なっ! ……う、うわあああっ…!」


 海に何かが落っこちたような、ボシャァアン…と大きな音が響く……。


 斬りかかってくるわけではないので攻撃は限定的だが、素手だからといって侮ってはならない……その力は死体のくせして強力であり、ついには取っ組み合いになった挙句、海中へ引きづり込まれるような者も現れ始める。


「だいぶ侵入を許してしまったな。これは少々マズい……メデイア! 早くなんとかしてくれ!」


 甲板にまで這い上る水死体が増えてきた状況に、なおも不死の戦士を斬り払いながら、アウグストはメデイアの方を振り向いて叫ぶ。

「はい! ……団長の方も心配だけど、そろそろ限界ね……騎士公爵エリゴス、ありがとうございました。もう大丈夫です……霊よ、偉大なる冥界の女神ヘカテーの名において。我は汝に命ずる! 汝の在るべき場所へと戻れ!」


 アウグストの訴えに、すぐさま返事をしたメデイアは一度、ハーソンがビャルネンと闘う竜の背の方を心配そうな面持ちで見やり、それからエリゴスの方を向き直ると悪魔を霊界へ返すための呪文を唱える。


「うむ。この戦、最後まで見届けたかったがやむなし……では、また会おうぞ、魔女の女騎士よ! ハイヤっ!」


 ヒヒィィィーン……!


 すると、少々残念そうにはしていたが、騎士の姿をしたその悪魔はそれまで馬とともに立っていた魔法円前方の三角形の上より、淋しげな馬の嘶きを一つ残して空気に溶け入るかのように姿を消す。


「さて。印章シジルを用意してないけど、昔のよしみでなんとかなるかしら……でも、やるしかないわね……霊よ、現れよ! 偉大なる冥界の女神ヘカテーの徳と、知恵と、慈愛によって。我は汝に命ずる! ソロモン王が72柱の悪魔序列50番・刈除公フルカスよ!」


 呼び出した悪魔を見送った後、メデイアはなにやらぶつぶつ言っていたが、意を決すると再び弓形の魔法杖ワンドを天に掲げ、魔導書『ゲーティア』を片手に新たな悪魔の召喚呪文を口にする。


「……やはり印章シジルがないと難しいか……ならば! 霊よ! 我は再度、汝に命じる! 冥界において最も力あるヘカテーの名を用いて! 刈除公フルカスよ! 我は汝らに強く命じ、絶え間なく強制する! 女神ヘカテーの名において、我が命を聞き届けよ! 炎の被造物よ! さもなくば汝は永遠に呪われ、ののしられ、責め苛まれん!」


 しかし、〝通常の呪文〟を用いても何も起きない状況に、今度は〝さらに強力な召喚しゅ〟、〝極めて強力な召喚しゅ〟、〝炎の召喚しゅ〟と呼ばれる段階を追って強くなる呪文をメデイアは立て続けにたたみかけるようにして唱える。


 ヒヒヒィィィィーン…!


 すると、またしても何処からともなく淋しげな馬の嘶きが響き渡り、彼女の目の前の空間が煉瓦のように崩れ落ちると、ぽっかりと宙に開いた漆黒の闇の中から、蒼白い不気味な馬に跨る半裸の老人が姿を現した。


 血色の悪い死人のような顔には白くなった長い顎髭を蓄え、その手にはまるで死神の如く大きな薙ぎ鎌を携えている。


「エエイ、ウルサイ! ナンダ、イイ加減ウルサインデ来テミレバ、マタ冥界ノ女神ノ巫女デハナイカ」


 その老人は自分を呼び出したメデイアを見るなり、不快なしわがれ声で嫌そうにそう口を開く。


「刈除公フルカス、その節はお世話になりました。今回もまた、お力添えをお願いします」


 そんな悪魔を鋭い紫の眼差しで真っすぐに見据え、凛とした声でメデイアは言葉を返す。


 この悪魔ともまた、例の女子修道院で起きた事件でメデイアは関わりを持っている……騎士公爵エリゴスを使役するための準備以外してきてはおらず、龍公ブネに働きかけたところで相手には及ばないと判断したメデイアは、そのかつての因縁・・に一縷の望みを託すことにしたのである。


 それに、冥府の秩序を犯すようなフルカスのある特性・・・・から、冥界の女神ヘカテーを信奉する魔女のメデイアはある意味、相性がよい。


「相手は龍公ブネの力を使い、水死体を操って攻撃を仕掛けてきています。刈除公フルカス、あなたの死霊を奴隷化する力でそれを邪魔してください。本来はあなたの鎌で殺された者に限定されるけど、邪魔して動きを鈍らせることくらいなら可能なはずでしょう?」


「フン! バカモ休ミ休ミ言エ。印章シジルモ持タヌ小娘ノ願イヲナゼ聞イテヤラネバナラヌ? モットモ、オマエノ魂ヲ対価トシテ差シ出ストイウノナラ、快クソノ願イカナエテヤロウ」


 早速、頼み事を伝えるメデイアだが、やはり印章シジルを持たぬ彼女をナメて交換条件をふっかけてくる。


 印章シジルとは、その対象の悪魔に言うことを聞かせるための強力な武器であり、悪魔の召喚には必須のアイテムだ。それがないのならば、何か対価でも支払わない限り、なかなか願いをかなえさせることは難しく、悪魔はなんやかやとうまいことを言って魂を奪おうと取引を持ちかけてくるが、無論、そんな話に耳を傾けてはいけない。


 とはいえ、この悪魔との交渉において、印章シジルのないメデイアは圧倒的に不利である。


「ハァ……ちょっとは期待してたけど、やっぱりあなたでは役不足だったようね。いいのいいの、わたしが悪かったわ、フルカス。もう帰っていいわよ」


 ところが、どういうつもりかメデイアは大きな溜息を一つ吐くと、ひどく残念な者を見るような眼を向けて、あっさりこの依頼を諦めるようなことを言い出す。


「ナニ? ドウイウ意味ダ?」


「どういうもなにも、あなた如きの力じゃ龍公ブネの死霊術ネクロマンシーに勝てないわよねえ。相手が悪すぎるわ。天と地ほども差のある大悪魔と競わせようなんてひどい話よねえ。いえ、ほんとごめんなさい。弱小悪魔だってのにあなたの力を過大評価しすぎたわ。他の魔術師達にもブネには勝てないから、こういう場合は呼び出さないよう伝えておくから、それで許してくれるかしら?」


 不可解なメデイアの態度にフルカスは訝しげな顔で聞き返すが、さらに彼女は悪魔を侮辱するような言葉を並べ立てる。


「ナンダト! ワシノ術ガブネゴトキニ劣ルト申スカ!? ソノフザケタ言動、イクラ女神ヘカテーノ巫女トイエドモ許サンゾ、小娘! ソノ首ネテ、貴様コソ我ガ奴隷トシテヤル!」


 無論、その失礼な物言いに悪魔は激昂し、手にした大鎌を振り上げると今にも襲いかかりそうな勢いである。


「はいはい。そうやってイキがって見せて、弱い自分をひた隠しに隠してきたのね。別にあなたを責めたりなんかしないわ。認めたくはないけど、それが紛れざる事実ですものね。責めるどころか、哀れみを感じることを禁じ得ないわね」


 だが、それでも、メデイアは怯まず、痛いヤツ・・・・を見るような憂いの眼差しでフルカスを見つめ、さらに悪魔を挑発する。


「エエイ! 言ワセテオケバァ~……ヨク見テイロ! ブネナド足下ニモ及バンコトヲワカラセテヤル! 願イ通リニ死体ノ支配ヲ奪ッタラ、裸踊リヲシテ詫ビテモラウカラナ!」


 すると、自尊心を傷つけられたフルカスは、その挑発に乗ってついに動き出した。

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